二千三十一話 黒雷の武人と風槍の理
相棒が着地した場所は、ただの岩盤ではなかった。
足下を見れば、それは単なる岩盤ではない。
石化し、苔生してはいるが、紛れもなく巨大な鱗の一枚だった。
一枚一枚が小さな広場ほどの面積を有し、それらが幾重にも折り重なって果てしない大地を形成している。視界の端から端まで続くその光景は生物の残骸と呼ぶにはあまりに常軌を逸していた。
「……なんという大きさだ」
「この大地そのものが、一頭の竜の亡骸だと言うのか?」
カルードとシャイナスが、呆然と周囲を見渡す。
遠くに見える山脈のような隆起は、おそらく背骨か背棘の一部。
空を覆う雲のように見えた影は、朽ち果てた翼の残骸かもしれない。
この【竜の巣】と呼ばれている地方、フロルセイル地方の西方だが、文字通り、神話級の巨竜の屍の上に築かれた世界だった。
バフハールが、
「ふむ、超魔街異獣と呼べるほどの巨体だったようだな。生きている頃はどれほどの力を持っていたのか……想像もつかんわ」
と喋りながら幻魔百鬼刀の石突でコツコツと足下の鱗を叩く。
硬質な音が、虚ろに数回響いた。
「しかし、死してなおこの魔力量……ただの死体とは思えんな」
と言ったのは、グルド師匠。
鋭い視線を周囲に巡らせている。
硫黄の臭いに混じり、濃密なマナの奔流が肌を刺す。
竜の体表だと思われる地面の裂け目からは、七色に輝く蒸氣が噴き出し、その周囲には見たこともない結晶質の植物が群生していた。
時折、空間が揺らぎ、景色が二重写しになるような奇妙な現象も起きている。まるで、ここだけ時間の流れが歪んでいるかのように。
「ご主人様、あちらをご覧ください」
ヴィーネが指差した先、巨大な肋骨と思われる白いアーチの下に人工物――。
否、竜の爪や牙を加工して作られたと思われる巨大な建造物が見えた。
その意匠は、砂城タータイムの内部で見かけたドラゴンたちの装飾と、時仕掛けの歯車と紋様にも酷似している。
俺は、
「……あぁ、間違いない。ここもまた、『時』に干渉する場所だ」
と呟く。
それに応えるように、その建造物からまばゆい黄金の光が放たれた。
光の中から姿を現したのは、人型に近いが、全身を黄金の鱗で覆い、背に六枚の光を帯びた竜の翼を持つ存在。手には、時の砂が流れる杖のようなものを携え、その瞳は深淵の知恵を湛えている。
『「――よくぞ参った、小さき強者たちよ」』
空氣が震え、同時に脳髄が痺れるような感覚。
物理的な音波と、魂に直接響く神意力が重なり合い、拒絶を許さない絶対的な響きとなって降り注ぐ。
『「我が名は賢竜サイガナン。この竜の巣、我らの揺り籠の管理者にして、過ぎ去りし時の記録者なり」』
賢竜サイガナン。
魔人武王ガンジスが技を盗み、<時仕掛けの空間>を構築する手がかりを得たという、伝説の高古代竜。
その姿は、人族と近い。サジハリと似たタイプか。
では、巨大なドラゴンに変身は可能だろうな。
そのサイガナンに、
「……俺の名はシュウヤです。こちらは相棒のロロディーヌ。愛称はロロ」
名乗りを上げると、ロロディーヌが「にゃごぉ」と一声鳴き、威嚇ではなく挨拶として右前足を上げた。
『「フフ……神獣ロロディーヌ。懐かしい波動だ。古き盟約の氣配を感じるぞ」』
サイガナンは相棒を見て、慈しむように目を細めたように見えた。
俺たち全員へ見ては装備類を見ていく。
特に、魔軍夜行ノ槍業や胸元の衣服で隠れているが、<光の授印>などがある胸元、上空に待機させたままの砂城タータイムをも見ていく。
『「魔人武王ガンジスとの因縁、邪神の使徒を退けた武勇、そして何より……我が創造せし砂城を従えし者たちよ。すべて視ていた」』
すべてお見通しか。
一歩前に出た。
「なら話は早いです。俺たちはこの地の秘密、そして……」
言いかけた時、サイガナンの背後、巨大な肋骨の奥から、地響きと
「グォォォォォォッ!!」
魔息の風が吹き荒れる咆哮が迸る。
黒い鱗が特徴的なナイトオブソブリンと似た巨大なドラゴンが現れた。
その黒いドラゴンから、サイガナンの理性的な波動とは異なる。荒ぶる心を感じた。
すると、サイガナンが、
『「悪いが、ここの竜の巣。我は長老としての発言力は持つが、他の高・古代竜は、そうはいかぬ。皆、魔人武王ガンジスのような武や、神界のドラゴン、八大龍王たち、戦神に連なる者たちのような武を好む」』
と発言した。
すると黒いドラゴンが、
「――サイガナン、我は混乱は求めおらぬ故、我なりの応えを、その槍使いに求めるぞ……」
と発言しては、巨大な蒼い双眸をこちらに向けた。
サイガナンは、
『「……ふむ。シュウヤよ。そなたの『武』が必要のようだが、良いか?」』
「分かりました」
サイガナンは徐に頷くと、杖を軽く振るう。
途端に、俺以外の者、相棒も半透明な膜に覆われて後退していく。
「にゃご!」
相棒はその半透明な膜に爪を差し込み斬るが、
「ロロ、俺は大丈夫。皆と共に見ててくれ」
「ンン」
相棒は耳を少し下げて応えると、エジプト座りに移行し、大人しくなった。
黒いドラゴンとの間に、張り詰めた空氣が漂う。
サイガナンの結界に隔てられた相棒や仲間たちが静かに見守る中……。
魔槍杖バルドークを構え、<握吸>と<勁力槍>を発動。
柄の握りを少し変化させる。
黒竜は、ナイトオブソブリンを彷彿とさせる漆黒の鱗を持ちながら、その双眸には古い知性が宿っていると分かる。そして、全身の魔力量も膨大で、<闇透纏視>で視ているが、その魔力の流れは膨大すぎて把握は難しい。
<隻眼修羅>で、魔力の流れと複雑な魔点穴のような魔力の溜まり場は視える時があるが、それは膨大な量の魔力によって掻き消える。
立ち昇る紫を帯びた漆黒の魔力量も膨大だ。
武を解し、武を極めんとする求道者氣配がある。
魔人武王ガンジスと同じ匂いがする。
「……名は?」
俺の問いに、黒竜は巨大な顎をわずかに歪め、愉しげに笑ったように見えた。
『「我は黒雷のヴォソギア、かつてガンジスとも矛を交え、その武に酔いしれた者」』
ヴォソギアと名乗った黒竜が、ゆっくりと前傾姿勢をとる。
それだけで、周囲の空間が重力に引かれるように歪んだ。
『「シュウヤよ。サイガナンが認めた器、そしてガンジスが認めた槍……その真価、我が爪牙にて確かめさせてもらおう! ガァアヅッロアガァァァァァァ」』
轟音と共に<龍言語魔法>、<竜言語魔法>を放つと、四腕の竜人に変化する。
左右上腕の手が握るのは、柄の凹凸が激しく、螻蛄首から穂先にかけて、湾曲した刃。
全体的に竜の歯牙を思わせる魔槍。
そのヴォソギアが大地を蹴った。
巨体に見合わぬ神速。黒い稲妻を纏った四腕の竜人が瞬きする間に目の前に迫る。
左右の上腕に握られた竜の刃のような魔槍が十字を描いて襲い掛かってきた。
――速い。<闘気玄装>を強め、魔槍杖バルドークの石突きで左の槍を弾き、穂先で右の槍を受け流す。ガギィィンッ! 鼓膜を劈く金属音が響き、衝撃波が足元の鱗の大地を粉砕する。
『「ほう! 我の槍を受けるか!」』
ヴォソギアが愉しげに咆哮する。
奴の下腕――空いている二本の腕が鋭利な竜爪となって、俺の脇腹を抉ろうと迫った。魔人武王ガンジスとの戦いを想起させる多腕攻撃だ。
<風柳・異踏>――。
風の流れに乗るように軸をずらし、爪撃を紙一重で回避する。
すれ違いざま体を捻り遠心力を乗せた<血龍仙閃>を放った。
紅蓮の軌跡がヴォソギアの堅牢な黒鱗を捉え、浅く切り裂く――。
血ではなく、黒い魔力の火花が散る。
『「ぬぅッ……! 良い切れ味だ。ならば、これはどうだ!」』
ヴォソギアが口を大きく開く。
喉の奥で圧縮された黒い雷球――ブレスの予兆。
至近距離。回避は間に合わない。左手を突き出し、<神聖・光雷衝>を発動。
光と雷の奔流が、ヴォソギアの黒雷ブレスと正面から衝突。拮抗し、爆発した。
ヴォソギアは「うご――」と爆風を受けたたらを踏み、後退しながら「光の衝撃波とは驚きだ――」と発言し、体から魔力を噴出させた。急に足下の地面がドッと沈む。
合わせたように<血道第三・開門>――。
<血液加速>を発動、その懐へと飛び込んだ。
<魔雷ノ風穿>を繰り出す。
ヴォソギアの瞳が驚愕に見開かれ、その口元が歪む。
『「――小さき戦士」』
と、右下腕が持っていた太い牙のような短剣に<魔雷ノ風穿>は防がれる。
ヴォソギアは、
『「良い度胸! 魂、我が牙で味わい尽くしてくれる!」』
ヴォソギアが全身の鱗を逆立て、無数の黒い雷撃を放出し、四方八方から迫る。
<仙魔・暈繝飛動>と<水月血闘法>を意識し、<風柳・片切り羽根>を使うステップから<仙魔・桂馬歩法>を使って、不規則なステップワークで黒い雷撃を避けた。
ヴォソギアは前に出て、俺を追撃し、血の分身を斬り続けた。
そして、俺の本体を狙う魔槍を突き出してきた。
その鋭い突きを<隻眼修羅>で読む――。
<風柳・右風崩し>の構えで、迎え撃ち、ヴォソギアの穂先を滑らせ致死的な軌道を逸らすと、ヴォソギアは前のめりに体勢が崩れる。
そこを狙うように、返す<雷払雲>――。
魔槍杖バルドークの穂先がヴォソギアの片足を捉えた――。
「げぇ」
片足の鱗が散り血飛沫も舞うが、右足を捨てるように魔槍を突き出してきた。
その突き出しを、引いた魔槍杖バルドークの螻蛄首で受け、上に弾き、身をわずかに引かせ、ヴォソギアの右下腕が持つ魔剣の突きを避ける。そして魔槍杖バルドークの柄を右肩に乗せ、左腕をヴォソギアの胸元に突き出す<無式・蓬莱掌>を繰り出した。
――ドッと鈍い音が響く。
掌底はヴォソギアの持つ魔槍の柄に防がれたが、流れのまま<風柳・案山子通し>を行う。横回転を続けながら左肩から伸びたように見える魔槍杖バルドークの穂先が、ヴォソギアの足と上半身を削るように何度も衝突していく。
だが、致命傷は得られず。
ヴォソギアは魔槍を一度消し、魔槍杖バルドークを叩き付けて防ぎ、石突を振り上げてきた。それを爪先回転で避け、ヴォソギアの側面に移動し<魔皇・無閃>――。
『「――鋭い」』
と言いながら<魔皇・無閃>を柄で防ぐ。
それは想定内――<雷猫柳>で足を狙い、それを防ぐヴォソギアの動きに合わせ、<魔手回し>を行う。
ヴォソギアの魔槍をぐわりと回す。
魔槍を奪えないが、それも想定済み――。
魔槍杖バルドークに<血魔力>と風の理を収束させるようにをアキレス師匠から受け継ぎ、ガンジスとの戦いで昇華させた風の理を行う。
<風槍・理元一突>――。
アキレス師匠から受け継ぎ、ガンジスとの戦いで昇華させた風の理。
魔槍杖バルドークと俺自身が、一陣の風そのものとなる神速の一撃が、ヴォソギアの喉元を穿つ――直前切っ先を止めた。
寸止め――。
だが、切っ先から放たれた目に見えない鋭利な衝撃波だけで、ヴォソギアの巨体が大きく仰け反り、たたらを踏んだ。
静寂が訪れた。
ヴォソギアは、喉元に突きつけられた紅矛の感触を反芻するかのように、しばし沈黙した。やがて、四本の腕の得物の一つだった魔槍を消した。
その巨大な顎から、腹の底に響くような笑い声が漏れた。
『「クク……カハハハハハッ! 見事なり、シュウヤよ! 我が喉元に死の風を感じたぞ!」』
ヴォソギアが身を起こし、楽しげに瞳を輝かせる。
『「ガンジスが認めるわけだ。お前の武には、奴と同じく、底知れぬ渇きと、それを満たすだけの技がある」』
ヴォソギアは満足げに頷くと、サイガナンの方を向いた。
『「サイガナンよ。異存はない。この者は、我ら高古代竜と対等に語り合う資格を持つ」』
サイガナンもまた、静かに頷いた。
『「うむ。ヴォソギアが認めるなら、他の者たちも納得しよう」』
サイガナンが杖を振ると、相棒たちを隔てていた結界が霧散する。
ロロディーヌが真っ先に駆け寄り、俺の足元に頭を擦り付けてきた。
「にゃおぉぉ」
「心配かけたな、ロロ」
相棒の頭を撫でながら、ヴォソギアとサイガナンに向き直った。
続きは明日を予定。HJノベルス様から書籍「槍使いと、黒猫。1巻~20巻」発売中。
コミック版発売中。




