千九百八十一話 黒き環が視せる多世界深意
創造主の存在が氣になるが、
「……永劫の記録に、その、歪んでしまった『時と空と場』の可能性を観測するための場所の観測……これなんだが、いまいち分からない。このゲート先から出現する怪物たち以外にも、向こう側の世界が見える時があるというのか?」
と聞くと、クナが魔術師としての探求心を隠しきれない様子で身を乗り出す。
エヴァも「ん、わたしも分からなかった」
レベッカも、ヴィーネは、
「うん、<導想魔手>に乗っているしゅうやんしか分からない」
「ふふ、空と場から、そう想像を?」
「そうよ~、<導想魔手>に乗っているシュウヤが、時空魔法のような<超能力精神>を使っている感じを連想した」
「ふふ、なるほど、実はわたしも同じことを」
「はは、うん、だよねぇ」
「はい」
レベッカとヴィーネは笑みを交換。
セレスティアは、静かに頷き、
「……はい、見える時もあった。この『門』は、いつになく安定していますが、永劫の中では、不安定な時が多かったのです」
「へぇ」
「門なら、普通に転移門として使えるようになれば便利なんだけど」
「そうですね、しかし、〝レドミヤの魔法鏡〟とトラペゾへドロンの二十四面体もあります。キュベラスもいますし」
「うん」
「たしかに、ですが、噂に聞く黒き環を気軽に転移門として潜る勇氣は、わたしにはありません」
「エトア、わたしも無いから、大丈夫」
「ふふ、はい」
そこで、セレスティアに、
「……この黒き環の欠片を上手く魔機械と融合させた創造主は、小形の転移門を造り上げたんだと思うが、魔機械の部品に素材が氣になる。分かるなら教えてほしい」
「鋼は様々。詳しくは、分からないです。私個人の鋼なら白皇鋼が大量に使われてありますし、バイコマイル粒子やエレニウム粒子が大量に使われた時魔鋼も使われてあります」
「時魔鋼? そんな鋼があるんだ」
ミスティがセレスティアを凝視。
エヴァも氣になったように、魔導車椅子から離れて、体を浮遊させていた。
セレスティアは胸元を拡げ、両手を左右に広げ、ミスティに体の内部の一部を見せて、
「――はい、この胸元の小型の〝星核の炉〟と両肘、両膝の関節にも使われています」
「へぇ、見た目がプラチナと銀っぽい」
ミスティは指先を一瞬、漆黒に染め爪を白銀に輝かせる。すぐに<金属融解・解>系のスキルは消していた。
いつもの癖だろうな、セレスティアは警戒せず、優しげな表情のままだ。
すると、<従者長>ザガとボンが前に出て、
「氣になっていた」
「エンチャント~」
続いて沙・羅・貂と、<従者長>ラムーとアクセルマギナが前を進む。
皆で黒き環の欠片と魔機械の門に近づいて調べていく。
ザガは髭を懐に抑え込むように姿勢を下げて、黒き環の欠片ではない魔機械だけを凝視し、
「……魔機械は、たしかに……様々な魔鋼が使われているな、拝借したいが、止めとこう。ボン触るなよ」
「エンチャ……エンチャァ~」
と、エンチャント語で、言いたいことを伝えていた。
そして、アクセルマギナが、
「マスター、半導体ナノワイヤーに量子固体を内包した硝子の珪素と半金属類など、緊急次元避難試作型カプセルと似た素材が使われています。また、魔力ですが、時空属性が極めて強い。エレニウム粒子、メリトニック粒子、バイコマイル胞子に、この下部の大きい外に露出した部分――」
分析してくれた。更に片膝の頭で床をつき、指先を魔機械部分に向ける。
クナが改良したようにも見える黒き環の欠片と魔機械の門だが、そこはクナの封印が施されていない魔機械の部分で、外に少しエッジ氣味に加工されているところだった。
「ンンン」
相棒も興味を持ったようにアクセルマギナの細い指先の匂いを嗅ぎ、黒き環の欠片と魔機械の部分に鼻先を向けて、その匂いを嗅いでいく。相棒の尻尾が、アクセルマギナの足に絡んでいて甘える仕種が可愛いが、しかし、同時に、アクセルマギナの悩ましいお尻と太股に視線が行ってしまう。人の指のような金属のアーマーが、彼女の腰とお尻と太股の外側広筋を悩ましく覆っているのは、けしからんすぎる。
金属と金属の間の、太股とお尻の膨らみが、張りを維持した状態で、ときおり、ぷるるんと揺れていた。
アクセルマギナは、俺の視線を知っているように、少し揺らしながら上目遣いで、
「……ふふ、マスター。あ、これがバイコマイル大結晶かと。そして、繋ぎ目、ここに量子スピン状態のサイキックエナジーの液体も流れている――」
と、指を動かして解説してくれた。
黒猫もそれに釣られて頭部動かしていく。
アクセルマギナは、黒猫の頭部を撫でてから、立ち上がり、
「バイコマイル大結晶ですが、これがあれば、【鍛冶所】でナノプラント・コア創生コアを得た本体が製作に取り組んでいる〝辺境用・中型戦闘巡洋艦〟のエンジン周りに流用も可能。また、今後のアークバイコマイルマスリレイ・超亜空間ドライブのホログラム設計図、ステルス強襲偵察艦のホログラム設計図の素材にも、勿論使えます」
アクセルマギナがそう言うが、さすがに分解したら大変なことになるのは目に見えて明らか。
「あぁ、だが、さすがにバイコマイル大結晶は取り出せない」
「はい」
すると、セレスティアが、
「量子スピン状態のサイキックエナジーの液体なら、我の素体の一部にも使われているので、提供できます」
「「ハッ」」
数体の女王ゴーレムが前に出る、瞬時に、その女王ゴーレムたちの腕の一部が分解され、大量の発条、捻子、バネ、鋼線、銅線などが宙空に散るが、シルクのような魔力の糸が伸びて、部品を吸着すると、一カ所の宙空に集積してくれた。
その部品の群れがプカプカと浮かびながら、寄越してくれた。
「セレスティア、すまんが、さすがに、その腕を失ったゴーレムたちが可哀想なんだが」
「あ、大丈夫です。変わりの素材は地面と床に大量に――」
セレスティアがそう言うと腕を失ったゴーレムたちは、床に手を当てると、床のカラクリ素材が腕の吸収されて、回復していた。
戦っている間に、破壊されてはすぐに再生するタフなゴーレムたちも多かったが、こういう理由か。
先程の古びた時計を動かした老ゴーレムとは違うようだ。
「了解した。これらの品は、もらうよ。ミスティ、ザガ、エヴァ、アクセルマギナ、必要な分を回収してくれていい」
「「「はい」」」
「おう」
そこでセレスティアに、「先程の話の続きだが、向こう側の世界が見える。それが聞きたい」
「はい、不安定な時の、わずかな時間、無数の世界の可能性、その断片、一部を体感、記憶してきました。理解が及ばないモノも多くゴーレムの素体に寄っては思考結晶と呼ぶところが破裂してしまうこともありました」
その声は古時計の秒針のように淡々としていながら、悲しさもある。
そして、永劫の時を生きてきた者だけが持つ深淵を湛えていた。
セレスティアは、
「……このセラの世界の影響か、時空が捻じれたように過去、未来、あるいは決して存在しなかった『もしも』の世界だと思われる断片が、音や光、時には純粋な情報の奔流として映し出されることがありました……」
と発言すると、女王ゴーレムたち、女性ゴーレムたちを見やり、
「我らの一部、それを『観測』し、記録できる物はしてきたのです」
「それはつまり、因果律そのものの綻びを覗き見るということですわよ! 魔術の根源にも関わる途方もない現象ですわ!」
クナが、目を輝かせながら感嘆の声を上げる。
ヴィーネも、「……黒き環の欠片といえど、異世界の出入り口に変わりない。と改めて強く認識しました」
レベッカとエヴァも息を呑む。
セレスティアは、その魔術師としての純粋な探求心に、わずかに真紅の瞳を細めた。
「御明察の通りです、魔術師殿。例えば、『歌う水晶でできた都市』や、『重力が逆さまに流れる空』、『思考そのものが形を成す世界』……我らが観測してきたのは、そのような理の外にある世界の囁きにございます」
歌う水晶の都市……思考が形を成す世界……。
セレスティアが紡ぐ言葉の一つ一つが、俺たちの想像を遥かに超えた世界の存在を示唆している。
「……その記録だが、一部でもいい、俺たちは、見ることができるか?」
その問いに、セレスティアは主へと仕える騎士のように恭しく胸に手を当てた。
「はい、主。我が炉心に保存された記録は、すべて貴方様と皆様のものです。ですが、その情報は極めて膨大かつ混沌としております。精神に多大な負荷をかける危険性も……」
「問題ない。その時は眷属たちが支えてくれる」
力強く応えると傍らに立つヴィーネたちが、静かに、しかし力強く頷いた。
その揺るぎない信頼にセレスティアの瞳が一瞬、揺らめいたように見えた。
「……承知いたしました。では、これより記録へのアクセスを開始します。お覚悟を」
セレスティアがそう告げると、彼女の白磁の胸部装甲が滑らかに開き、内部から淡い光を放つ水晶のような炉心が姿を現す。
次の瞬間、その炉心から放たれた光の奔流が、俺の意識を飲み込んでいった──。
──意識が、光の奔流に呑まれる。
五感という概念が意味をなさなくなり、時間と空間の区別が溶けて消えた。
……意識が、冷たく湿ったアスファルトの感触に引きずり込まれる。
□■□■
──鼻をつくのは、化学薬品の混じった酸性雨の匂い。
肌を刺す雨粒が、まるで薄めた毒のようにじっとりとまとわりつく。
徐に上を見れば、崩壊した首都高速道路の瓦礫の山を亡霊のように改造バイクの集団が駆け抜けていく。
そのレーザーヘッドライトの青白い光条が、濡れた地面に不気味な模様を描いては消えた。
その排気音さえも飲み込むように、上空の巨大なホログラム広告が、新型ワクチンの安全性を抑揚のない合成音声で謳っていた。
『さあ、未来への一歩を。その腕に、希望の証を』
無機質な光が届かぬ摩天楼の一室。
世界から隔絶されたかのような静寂の中、一人の白衣の男が、揺れる液体の入ったフラスコを虚ろに見つめている。
背後のモニターには、戦争も飢饉もないのに、ただ緩やかに、しかし確実に下降を続ける人口統計グラフ。まるで、ゆっくりと息を止めていく巨大な生き物の心電図のようだ。
『「ソフトな人口削減」……実に美しい言葉だ。製薬会社は救世主を気取り、人々はそれを奇跡と呼ぶ』
男の口元に、乾いた自嘲の笑みが浮かぶ。モニターに映るおびただしい数のRNA配列が、まるで無数の蛇のように蠢いていた。
免疫という名の城壁を、内側から音もなく、静かに、そして確実に蝕んでいくための設計図。
『我々はパンドラの箱を開けたのではない。箱そのものを、人の体内に注射したのだ』
人類を救うはずの技術が、人類を静かに、そして確実に蝕んでいく。それは、血の流れない、静かなる戦争の記憶。
突如、その静寂な光景が灼熱の閃光に塗り潰された。
地平線の彼方に、禍々しい巨大なきのこ雲が、天を衝くように立ち上る。
一瞬の無音の後、遅れてやってきた衝撃波が、鼓膜を破り、摩天楼を紙細工のように薙ぎ倒していく。
熱線がアスファルトを沸騰させ、男の視界を白く焼き切った。
核戦争。男が危惧していた未来とは違う、あまりにも直接的で、野蛮な終焉。
視界は再び変わり、灰色の雪――ピリピリと肌を刺す死の灰が、舞い落ちる廃墟と化した都市を映し出す。呼吸をするたびに、鉄が焼けるような、あるいは骨が燃えるような乾いた匂いが肺を満たす。生き残った人々が、たった一つの缶詰を巡って、獣のように争っていた。錆びついた鉄パイプが振り下ろされ、骨の砕ける鈍い音が響く。飢えは、人の尊厳をいとも容易く剥ぎ取っていく。男はその光景をどこかで見つめ、爆発に巻き込まれたのか、その意識は静かに途絶えた。
……これは……魔法も、神々の介在もない。
ただ、人が人自身の力だけで、ここまで徹底的に世界を破壊し、互いを喰らい合うのか。
俺が戦ってきた、欲望のままに破壊を振りまく魔族たちの狂氣とは質の違う。
冷たく、そして底なしの闇を感じる。
計画的に静かに、効率的に……同族を淘汰し、己の欲のため人類を間引きする……。
その知性と欲に塗れた権力者たちの、自惚れた人類愛、選民思考が、何よりもクズで、恐ろしい。
――視界が、泥と木屑でぬかるんだ街の広場へと飛ぶ。
一歩踏み出すごと石畳の隙間から汚水が滲み出し腐臭が鼻を突いた。
密集した木骨造りの家々からは湿った薪が燻るような煙の匂いが立ち込めている。
広場の中心で一人の男が粗末な木箱の上に立ち、擦り切れた聖書を片手に熱弁を奮っていた。
その唾が飛ぶほどの剣幕に聴衆の目は虚ろに輝いている。
「悔い改めよ! ローマの教皇は偽りの羊飼いなり! 我らこそが真の信仰を受け継ぎ、この地に新たなエルサレムを築くのだ!」
その狂信的な叫びに、痩せこけた民衆が熱狂したように拳を突き上げる。
だが、その輪の外では、くたびれた鎧を身に着けた傭兵たちが、錆びた剣の柄に手をかけながら冷ややかに鼻で笑っていた。
「『聖戦』ねぇ。どうせまた、貴族の連中が土地と金を奪い合うだけの殺し合いさ。俺たちにゃ、略奪の分け前さえありつけりゃ、神なんざどっちでもいい」
その喧騒と悪臭を背に、一人の若き聖職者が、壮麗なゴシック様式の大聖堂の重い扉を開ける。
外の世界が嘘のような、静謐で、古い香油と蝋の匂いに満たされた神聖な空間が広がっていた。
巨大なステンドグラスを透過した光が、床に七色の模様を描き出し、空気中の塵さえも神々しく照らし出している。
若き日の、まだ人間であった男──ホフマンが荘厳な祭服を身に纏い、祭壇の前で深く、祈るように跪いた。
「主よ、この地に蔓延る偽りの教えと戦乱の炎を鎮め、我らを正しき道へと導きたまえ……」
だが、敬虔な祈りの言葉は、彼の脳裏に焼き付いて離れない地獄の光景によってかき消される。
神の名の下に行われる、あまりにも無慈悲な虐殺と略奪。熱せられた鉄と血の匂いが混じり合い、燃え盛る家屋が上げるパチパチという音に女子供の甲高い悲鳴が悲痛な協奏曲のように重なっていく。
同じ神を信じながら異端の烙印を押された村が燃え盛り、女子供までが容赦なく槍に貫かれていく絶叫。
『北方十字軍』と自称する彼らが掲げる神聖な旗と、その下で響く血に濡れた笑い声。
彼の純粋な信仰は、その悍ましい矛盾の中で、音もなく引き裂かれていく。
魂が救いを求めて叫ぶが、神は答えない。ただ、祭壇の奥に立つステンドグラスのキリスト像だけが、変わらぬ慈愛の表情で、苦悩する彼を静かに見下ろしていた。
……これが信仰か。俺の知る、絶対的な力を持つ神々とは違う。
もっと不確かで、人の解釈次第で善にも悪にもなる、霧のような存在。
それでいて、人の心をここまで強く支配するとは。この男の苦悩は、魔力やスキルによるものではない。ただ信じること、その一点から生まれる、あまりにも人間的な、出口のない地獄だ。
場面は、どこにでもある日本の高校の文化祭へと切り替わった――。
体育館から響いてくる、少しだけ音程の外れたバンド演奏の熱氣。
廊下に満ちる、焼きそばソースの香ばしい匂いと、綿菓子の甘ったるい香り。
その誰もが幸福に浮かれている喧騒の片隅に、『占い研究会』と書かれた手作りの看板が立てかけられていた。
段ボールで作られた簡素なブースで、制服姿の少女──風音丸子、後のカザネが、親友に強く請われるまま、遊びのつもりでタロットカードを広げている。
「えーっと、あなたの運命の人は……っと。どれどれ?」
楽しげにカードをめくった瞬間、彼女の笑顔が凍り付く。
目の前で笑う親友の陽気な顔の上に、数年後の未来、土砂降りの夜の交差点で、大型トラックのヘッドライトに照らされ、無残に砕け散る彼女の姿が、あまりに鮮明に重なって見えたのだ。
アスファルトに生暖かく広がる血の匂い、空気を切り裂くブレーキの軋む音、遠くから近づいてくる救急車のサイレン、そして、降りしきる雨が血だまりを叩く冷たい音。未来の『結果』だけが、残酷な情報の奔流となって彼女の五感を襲う。
「……どうしたの、丸子? 変な顔して。そんなにヤバい結果出た?」
親友の声が、まるで水の中から聞こえるように遠い。さっきまで食欲をそそっていた焼きそばの匂いが、急に血の鉄錆の匂いに感じられた。
彼女は何も言えず、ただ震える手でカードを伏せることしかできなかった。
運命が見えることの絶望を彼女が初めて知った瞬間だった。
この力は祝福などではない。
変えることのできない未来をただ見せつけられるだけの、呪いなのだと。
……未来視、か。俺が持つ、戦闘の流れを読むための<月読>や<隻眼修羅>とはまったく違う。
結果だけを知らされるというのは、これほどまでに無力で、残酷なものなのか。戦うことさえ許されない。ただ、来るべき悲劇の瞬間を知りながら、何も知らない友と笑って話さなければならない。その痛みは、俺の知らない種類の強さだ。
視界は、肌を切り裂くような極寒の世界に飛んだ。
風が唸りを上げ、地吹雪が視界を白く染め上げる古代遺跡――。
そこで、最新鋭の強化外骨格を纏った兵士たちが、激しい銃撃戦を繰り広げていた。
「スペツナズの連中めが、嗅ぎつけやがって――!」
一人の黒髪の男が叫び、氷壁の陰から飛び出すと同時に、携えた小機関銃から曳光弾の雨を降らせた。
無数の弾丸が敵のいる壁と床に衝突し、硬い氷を砕きながら火花を散らす。
「中華野郎――! 数だけは多いな!」
応戦する声が響く。戦争は既に始まっている。
手榴弾の投げ合いとなって爆発が起きた。
遺跡から発掘された古代のオーパーツらしき銀色の棺桶を巡る戦い。
丸眼鏡の少女が、
「サナ様、ご決断を。このままでは中華連邦の〝道士〟部隊が到着します。彼らの〝氣〟を操る術は、この遺跡内では特に厄介です」
腕に装着されたタブレットに表示された戦術マップを見ながら冷静に進言する。
その傍らで、サナと呼ばれた軍服姿の少女は静かに目を閉じていた。
彼女の頭上に浮かぶ、槍を構えた武者の半透明な姿──〝戦魔〟が、周囲の冷気さえも凍てつかせるほどの鋭い闘氣を放っている。
「──大丈夫よ、ヒナ。〝音なし又兵衛〟は、風さえも斬るんだから」
サナがゆっくりと目を開いた瞬間――。
その瞳に宿るのは、学生とは思えぬほどの静かな覚悟と、戦場を支配する者の冷徹さがあった。
彼女が凛とした声で何かを呟き、印を結ぶ。そして、人差し指を唇の上に、そっと置いた。
刹那――体感している俺さえも凍えるような氣配――背後の巨大な氷壁が意思を持ったかのように隆起し、無数の鋭利な氷の槍となって敵陣へと殺到した。それと同時に、サナの背後にいた〝戦魔〟が音もなく地を蹴り、その姿は猛吹雪の中に掻き消える。
直後、スペツナズの最前線で、数人の兵士が悲鳴を上げる間もなく、首のない骸と化して雪上に崩れ落ちた。
鮮やかすぎる奇襲と、後方で的確な指示を出し続けるヒナの完璧な連携。その張り詰めた空氣こそが、彼女たちが生きていた世界の「日常」だった。
……主君と参謀。
サナとヒナの記憶、そして世界か。凄まじい連携だ。二人の間に流れる言葉を超えた深い絆を感じる。
俺とヴィーネたちの関係とも似ているが、どこか違う。もっと脆く、それでいて強固な同じ地獄を生き抜いてきた者同士の繋がり。
今もサイデイルにいるサナ&ヒナの二人は、この過酷な世界で生きていたのか。
今もあの〝戦魔〟はサイデイルにいる。
そして、再び――星々が砕け散る音、時間が燃え尽きる匂い――。
詩の魔法文字とネオンの光だけの光線都市、生命体、否、魂=意識が一つの線でしかない、不思議すぎる。
液化した思考の海――。
理解も解析も追いつかない――。
永劫の刻が記録してきた、ありとあらゆる『可能性』の断片、否、何かの、ぬめりに飲み込まれた。
魂としての意識が曖昧模糊――。
それは、歓喜であり、絶望であり、狂氣であり、静寂だった。
一つの宇宙が生まれ、そして死んでいく様を、コンマ一秒にも満たない時間で幾億回も見せられているかのようだ。
「──ぐっ、ぁ……!」
現実世界では、俺の体は膝から崩れ落ちそうになっていた。
脳を直接掴まれ、無理矢理膨大な情報を流し込まれるような激痛。平衡感覚が狂い、世界がぐにゃりと歪む。
両目がセレスティアの炉心と同じ淡い光を放ち、全身が激しく痙攣した。情報の奔流に耐えきれず、魂が悲鳴を上げていた。
「ご主人様!」
「にゃごぉ」
「閣下!」
「「シュウヤ様!」」
「シュウヤ!」
「ん……!」
その体を、倒れる寸前でエヴァ、ヴィーネ、レベッカが左右から支える。
エヴァが、俺の額にそっと手を当て、彼女自身の精神を盾とするかのように<霊血導超念力>を発動。
情報の濁流から俺の意識を守るべく、その紫の瞳を苦悶に細めた。
「……膨大すぎる。これが、この黒き環の欠片と魔機械の門の内に広がる多次元世界の一部……」
彼女たちの支えがなければ精神は砕け散っていたかもしれない。
眷族と仲間たちの温もりと、揺るぎない信頼だけが、この情報の嵐の中で俺という個を繋ぎ止める唯一の錨となっていた。
──どれほどの時間が経ったのか。
混沌の奔流の中、ふと、二つの鮮明な光景が浮かび上がった。
一つは、星々を背景に佇む、巨大な人影。
その姿は光そのもので編まれたローブに覆われ、はっきりとは見えない……。
だが、その手に握られた時空を定規で測るかのような不可思議な器具と、そこから放たれる圧倒的なまでの叡智と孤独感は間違いなくセレスティアたちの『創造主』のものだと直感した。
彼は、目の前の『門』──黒き環の欠片と魔機械の魔力を繋げている?
そして、そこから紡がれるように細かな魔線が彼を貫いているが、彼は……宙空に浮かび、それを書に纏めるように、宙空に、紙片を生み出しながら、魔方陣と魔法陣を描きまくる。そして難解な数式を解くかのように、静かに、そしてどこか悲しげに見つめている。
そして、もう一つは──。
鋼鉄の――電車が定刻通りにホームを滑り抜けていく音。
夜を彩る無数の人工の光、長閑な商店街、駄菓子屋で指を失っていた店主のお婆ちゃん、雑踏の喧騒、クラクションの響き、日本語の看板──。
「……あ……」
かつて生きていた世界。日本の、見慣れた光景だが、この記憶は他者の者か。
時代は50年代か? あ、時代が流れて、ガラスと鉄のビル、摩天楼の群れ。新宿駅だろうか……。
思考が追いつく前に、その懐かしい光景は無数の可能性の奔流の中へと再び掻き消えていく。
引き剥がされるような喪失感に、思わず叫びそうになった。
思考が追いつく前に、懐かしい光景は無数の可能性の奔流の中へと再び掻き消えていく。
そして、唐突に光の奔流が、ぷつりと途絶えた。
「──はっ、はぁっ……!」
現実へと引き戻され、その場に激しく咳き込みながら膝をついた。
全身から汗が噴き出し、心臓が警鐘のように激しく脈打っている。
ヴィーネとレベッカに支えられなければ、立っていることさえままならない。
「ご主人様、おしっかり!」
「大丈夫!? 顔色が真っ青よ……」
「ん……シュウヤ、もう大丈夫」
エヴァが、疲労困憊といった様子で額から手を離す。彼女の額にも汗が滲んでいた。
眷族たちの心配そうな顔に、何とか笑みを返そうとするが、口元が引きつるだけだった。
「……あぁ、大丈夫だ。少し、圧倒されただけだ……」
セレスティアが、体の炉心を閉じ、静かに頭を垂れる。
「申し訳ございません。配慮が足りませんでした」
「……お前のせいじゃないさ。俺が望んだことだ……」
立ち上がり、改めて封印された黒き環の欠片の『門』を見る。
異世界へのゲート、あらゆる世界に行けるだろう。そして、俺が見たのは、このセラに流れついた個々の情報、異世界が、このセラの宇宙次元に刻まれているからだろうか。また、その他の世界のことを知っている俺だからこそ、一部観測、共有できた? と仮定はできる。
「……シュウヤ殿、一体、何を見たのだ?」
「……他の異世界の、しかも、転生者や転移者がいた異世界地球の記憶だった。俺も転生者であり、転移者だから、何かの共通点から他者のそうした記憶を引き寄せただけかもだ」
「……」
シャイナスは理解が及ばないか。
レベッカたちは、もう何度も俺の記憶を見ているから、理解しているような印象を抱く。
さて、まだ掌に残るアスファルトの感触を確かめるように、ゆっくりと拳を握りしめた。
そして、眷族と仲間たちの顔を一人ひとり見渡し、
「……皆も、望めば、この黒き環の欠片、封印が強化されているが、セレスティアたちのおかげで、多世界の様々なモノ。他の方々の『記録』の一部を見て体感できるかもだ。だが、見た通りだ。生半可な覚悟で見れば、魂ごと持っていかれる覚悟がいる」
「興味深いですわ……」
クナならやりかねないな。
「興味はあるけど、わたしはやらない」
レベッカの言葉にエヴァたち、眷族の大半は頷く。
ヴィーネは、
「ご主人様、では、ご主人様が体感したようなことではない、ことがわたしたちに起きると?」
「そうかもだ。ヴィーネの魂、共通思念か、『アンプリチューへドロンへドロン』か、何かの共通的なモノ、個人の魂の周波数か不明だが、重力波などを通じて他の多世界の誰かと繋がっているのかもしれない。または、大量に魂としての紐付けされているかも知れない? そうした記憶を体感できるかもだ。ま、これは仮説だが……」
「難しい」
「うん、けど、シュウヤらしい言い方なのかも、どことなく、わたしたちルシヴァルの紋章樹の系統樹を思い出した」
「あ、共通思念、皆、振動して小さい細胞のもっと小さいレベルでは、皆同じってことを何回か聞いたけど、そういうこと?」
レベッカは時折鋭くなるのが侮れない。
「あぁ、そうだ。クナも今は止めとこうか」
「はい、ふふ、分かりました」
「では、地上に戻りましょう」
「そうだな、迷宮都市イゾルガンデに向かってみるか?」
「うん、やったァ、魔地図レベル五も大量にあるし、それ以上の地図もあるからね」
「ん、楽しみ」
「ガンジスの動向も氣になるところじゃな、魔界かセラか……それとも迷宮都市に向かったかもじゃ」
飛怪槍流グラド師匠の言葉に皆が頷いた。
雷炎槍流シュリ師匠は、
「そうねぇ、修業ついでに邪神の使徒狩り、魔界の猛者も魔人武王ガンジスと聞けば、寄ってくることは確実、更には、神界の者たちも……戦神教団とかね」
その瞳には、疲労の色と共に、この世界の深淵に触れた者だけが宿す、新たな覚悟の光が灯っていた。
「はい、そして、アキレス師匠たちにも会いにゴルディクス山脈に行ってみるのもありかな、個人的には考えています」
「ん、シュウヤのお師匠様には会ってみたい」
「そうねぇ」
「うん、アルマとゴルディーバ族の槍使いで、神級の槍使い!」
レベッカも嬉しそうだ。
そこで、
「まぁ、迷宮都市イゾルガンデに行ってみてからだ」
「「了解」」
そこで、セレスティアが再び恭しく騎士の礼をとった。
「マスターの征く道に、星々の御加護があらんことを」
「おうよ」
セレスティアは仲間たちに白磁の番人たちに見送られる。
そのセレスティアを連れて外界へと続く回廊へと足を踏み出した。
〝レドミヤの魔法鏡〟などもあるが、普通に歩こうか。それほどまでに、永劫の記録がもたらした衝撃は魂の奥で燻っている……だが、そんなことはささいなことか……迷宮都市イゾルガンデの観光を素直に楽しむとしよう。
続きは明日、HJノベルス様から書籍「槍使いと、黒猫。1巻~20巻」発売中。
コミックス1巻~3巻発売中。