千九百六十五話 完璧帰趙
静寂は、死そのものが持つ冷たさによって侵食された。
【八峰大墳墓】の入り口を満たす淀んだ魔力が悪愚槍流トースン師匠の半透明の巨躯から放たれる絶対零度の闘気に触れ、音もなく凍てついていく。
実体を持つ上半身に纏う骨装具・鬼神二式が脈動し、その手に握られた茨の凍迅魔槍ハヴァギイが霜の結晶を纏いながら蒼白く輝いた。
「……トースン! まさか、その姿で再び我が前に立つとはな。我が師、ガンジス様に魂ごと砕かれたはずの亡霊が!」
ギガンホーの四つの目が、驚愕と、そして隠しようのない侮蔑の色を浮かべてトースン師匠を射抜く。
その言葉にトースン師匠は応えない。
「お前の女、黒髪のキチョウ、師匠のバルダーの魂も消し炭になったんだったなァ?」
ギガンホーの嘲笑を含む言い方にイラッとした。
そして、師の闘氣が憎悪で真紅に染まった。
カッと見開かれた双眸の奥で、地獄の業火が燃え盛るのが見えた。
だが、深呼吸をするように呼吸を整え、<魔闘術>系統を強めた。
半透明の下半身がわずかに揺らめく。
そして、まるで永い刻の底に沈んでいた痛みを思い出すかのように、実体を持つ拳を強く、強く握りしめた。
骨装具も煌めくと、周囲の魔力が呼応したように弾ける音と共に空間から鈍い音が響いた。魔軍夜行ノ槍業と<夜行ノ槍業・召喚・八咫角>と繋がっている魔線が弱まる。
「……この魔力、ガンジスの残滓の否……【八峰大墳墓】による影響か」
と、呟いた。
「……当たり前だろう。ここは【八峰大墳墓】。魔界からセラ……どれほどの時間が経っているか……いや、まずは、賢竜サイガナンの魔法技術と、我が師の技術に邪界ヘルローネの魔力、その時空を隔てる結界は完璧だったはず……それなのに、ここを見つけたお前たち……それは素直に、褒めてやろう。トースンと、魔軍夜行ノ槍業の使い手……そして、その眷族たちよ」
ギガンホーの言葉には余裕が見られた。
「邪界ヘルローネか……」
魔界騎士シャイナスと目を合うと、シャイナスは、少しだけ頭部を左右に振る。
まだ、<時仕掛けの空間>に干渉する時ではないと言いたいんだろう。
彼女の邪神の使徒たちを狩り続けた成果の器はまだ使わないようだ。
「……小童が! わしを除外しているのか? まぁ、それはさておきだ……戦と武がなによりも好物だったガンジスは、そこの奥で、一体何をしている。姿を消して数千年以上、そこの空間に隠っているのか?」
「……うるせぇな、戦公爺。お前の相手はだれかがするだろうから、待てや」
ギガンホーの乱暴な言葉に戦公バフハールは眉間に皺を寄せるが、動かなかった。
「……」
己の怒りを<魔闘術>系統で表現するように膨大な魔力を発した。自然と眼前に大魔刀、幻魔百鬼刀が生まれ出るが霧散するように消える。
ギガンホーはバフハールには目もくれず、トースン師匠を見据えた。
「……トースンよ、お前が知っていた頃の三番弟子ギガンホーではないと知るだろう」
トースン師匠は頷いて、
「……幾星霜と経つのだからな、それは分かる。だが、それは我も同じだ」
「ハッ、その消えかかりの足で、何を語る……一部の装備と上半身だけの元八槍卿が! ハハハッ」
「ハハッ、笑えるお前に笑いが起きたわ、この足だからこそ、また魔軍夜行ノ槍業の使い手の弟子がいるからこそ……我ら、八槍卿は成長しているのだ……もう昔の悪愚槍流トースンではない」
師の言葉が、胸に熱く響く。
だが、ギガンホーは「ハッ」と嗤い、俺たちを一瞥してから師を見やり、「その半透明な足でふんばりが効くのか?」
と、嘲りを隠そうともしない。
トースン師匠は、
「……抉られた、この足の痛み……忘れたことは片時もない……三番弟子よ、まずは番犬である貴様から、その代償を支払ってもらおうか」
トースン師匠の言葉は凍てつく風のように静かでありながら、地獄の業火のごとき怨嗟を宿していた。その視線は、弟子の俺と眷族たちに一瞥もくれることなく、ただ一点、宿敵だけを捉えている。
これは師の誇りを賭した一対一の決闘。
俺たちが手を出すべき戦いではない。
シャイナスも、その暗黙の理を理解し、静かに武器を下ろした。
「にゃご」
相棒も黒豹に変化し、氣合いの鳴き声を発した。
だが、獅子の爪は出したままで、石畳に、めり込んでいた。
ギガンホーは、その剥き出しの憎悪を受け、四つの虹彩に魔力が浸透し、小型の魔法陣が生成される。先程から使用していた<魔闘術>系統が強化されたと理解。
瞳は、爬虫類の如く縦に細まる。
鋼の刃の如き鋭い睨みを利かせてきた。
「……まだ足掻くか、敗者の亡霊め。師が情けで見逃したその魂、今度こそ我が手で完全に摘み取ってくれる!」
ギガンホーが両手を掲げた。
呼応するように、足元の石舞台と周囲の巨岩に刻まれた古代文字が一斉に真紅の光を放ち、魔槍が突出し、飛来――。
右手に持つ魔槍杖バルドークを右から左に振るい、飛来した魔槍を真上と左上に弾き、次に飛来した魔槍は右から――。
右下へと振るい落とす魔槍杖バルドークの<龍豪閃>を繰り出した。柄を魔槍に衝突させ、叩き落とす。
トースン師匠も俺が預けている茨の凍迅魔槍ハヴァギイを振るい回す。
魔槍を連続的に弾き飛ばしていた。
視界の端で、仲間たちが飛来する魔槍を最小限の動きで躱していくのが見える。シャイナスは宙を舞い、バフハールは腕を組んだまま微動だにしない。そして、相棒はエトアを守るように無数の触手を展開させ、骨剣で魔槍をことごとく弾き飛ばしていた。
すると、石畳の大地が揺れ、そこから魔槍、否、鋭利な石槍が無数にせり上がってきた。遺跡そのものが、罠か――。
侵入者を拒む牙の如くの石槍を、すべて弾く。
石槍はトースン師匠にも殺到していた。師匠は動じない。
茨の凍迅魔槍ハヴァギイと体を独楽のように回転させる。
師匠の周囲に凍り付いた霜のような円環が生まれ、迫りくる石槍はそれに触れた瞬間、勢いを失い、脆い氷の彫像と化して砕け散っていく。
茨の凍迅魔槍ハヴァギイを活かしたように見えるが、独自の水属性の槍スキルか。
「チッ」
ギガンホーは舌打ちし、ローブの下から四本の腕を現した。
二つの魔槍を召喚し、連続とした<刺突>系のスキルを繰り出しては、トースン師匠が守勢にまわったかに見えたが、師匠は動じない。
両腕に一体化した骨魔具――〝魂喰いのイーター〟の銃口が火を噴き、無数の骨刃の弾丸が射出された。
それらが赤い閃光となって空間を裂き、迫りくる石槍を次々と撃ち砕いていく。
「――小細工を! その忌々しい骨銃も健在か!」
ギガンホーは舌打ちしながら浮上し、避ける。
魔槍を消し、ローブの下から四本の腕を現した。
それぞれに形状の異なる禍々しい魔道具を握ると、そこから怨念、嫉妬、憎悪、絶望を練り上げたかのような紫黒の魔力線が放たれ、トースン師匠を雁字搦めに縛り上げようとした。
「ハッ、悪逆に染まったその術、魔槍術ですらない! 我が悪愚の前では児戯に等しいわ!」
トースン師匠は縛めから逃れようともせず、むしろ自らその中心へと踏み込む。下半身が半透明であるため、その動きは大地を滑るかのようだ。
刹那、骨装具・鬼神二式が絶叫するかのように脈動した。
表面に浮かび上がった無数の頭蓋骨が、まるで餓鬼のように一斉に口を開き、絡みつく紫黒の魔力線を貪るように喰らい始める。
糧となり、敵の憎悪の魔力は力へと変わる。悪意を喰らい、己が力とする。
それこそが悪愚槍流の真髄の一つ。
上半身は輝き、下半身の半透明が一瞬実体化。
「なっ……馬鹿な! 我が邪法を喰らうだと!?」
狼狽するギガンホーの隙を見逃す師匠ではない。
大地を滑り、その半透明の体が陽炎のように揺らめきながら加速する。
茨の凍迅魔槍ハヴァギイの穂先から無数の氷の棘を纏った螺旋状の闘氣が放たれ加速する。
茨の凍迅魔槍ハヴァギイがしなり、ギガンホーが急ぎ召喚した魔槍を弾く。
ギガンホーは後退、そのネックレスから魔法の礫が出るが、それすらも茨の凍迅魔槍ハヴァギイは弾いた。
穂先付近から凍った棘が迸る。
物理法則を嘲笑うかのようにギガンホーの魔力防御をすり抜け、ギガンホーの体に絡み付いた。
ギガンホーは「効かぬ――」と<魔銀剛力>のような銀を帯びた魔力を体から噴出させて、凍り棘を溶かすと、四腕を交差させるように魔槍を振り回す。
トースン師匠は茨の凍迅魔槍ハヴァギイ一本で、俺の風槍槍『上段受け』を基本に、悪愚槍流の<悪読>から<悪愚・連裂刃>を繰り出し、反撃を行う。
トースン師匠は新たな<魔闘術>系統を使用した。
それは、俺が一週間近く<血脈冥想>を使い修業した際に獲得した<魔技三種・理>に近い、<星辰魔技>や<仙血真髄>だろうか。
源流は近いがトースン師匠が独自に昇華させたものだ。
凄まじい、これが悪愚槍流の真髄。
そして、茨の凍迅魔槍ハヴァギイと腕に雷魔力を纏わせながら、凍てつかせるような雷と氷の魔力を放ちながらの連続突きスキルを繰り出す。
<雷炎六穿>の別バージョンか。
ギガンホーは咄嗟に身を翻すが、間に合わず、ローブが裂け、その下の異形が露わになるが、避けきれなかった左腕が瞬時に凍りつき、音を立てて砕け散った。
「ぐぅおおおっ! 我が腕が……!」
苦悶に顔を歪めるギガンホー。
だが、その四つの瞳は、なおも戦意を失ってはいなかった。
「……お前の魔槍、普通ではないな、しかし、上半身だけの分際で、これほどの力を……! だが、氣付いているのか? その不完全な体で奥義を連続的に放てば、魔軍夜行ノ槍業の使い手との繋がりは徐々に失う」
ギガンホーの指摘通り、トースン師匠の半透明の下半身が、先程は一瞬実体化するほど強まっていたが、薄くなっているのが分かった。
では、師匠は、自らの魂を燃やして戦っている?
『弟子よ、心配は無用だ。こやつから足を取り返せば、すぐに回復する』
力強い念話が脳内に響く。俺は、ただ固唾を飲んで師匠の戦いを見守った。
「――終わりだ、ギガンホー! 怨嗟、その身で受け止めよ!」
トースン師匠が、残る全霊魂を賭けて最後の突撃を敢行しようとした刹那。
「ククク……終わりなのは、お前の方だ、トースン!」
ギガンホーが不気味に笑うと、背後の八つの柱の一つが轟音と共に輝き始めた。
「ぐっ……ぐおおおおっ!」
苦悶の咆哮と共に、ギガンホーの体が忌まわしい変貌を遂げ始めた。
裂けたローブの下から、禍々しい魔手術の痕跡も生々しく、明らかにトースン師匠のものと思われる骨装具と一体化した右足が姿を現す。
「そ、その足は俺の……」
「……クククッ、そうだ。貴様の足は、我が師の許しを得て、我が力の一部とさせてもらった……更に……」
ギガンホーは虚空から、おぞましい氣を放つ一振りの魔槍を取り出す。
それは無数の骨が絡み合い、まるで鬼が哭いているかのような貌を形成した、トースン師匠の魂そのものを具現化したかのような槍だった。
「ハハハッ、貴様の魂の半身たるこの悪愚鬼骨槍もな!」
悪愚鬼骨槍を握ったギガンホーの腕を槍が侵食し始めた。
骨の装甲が皮膚を突き破って腕を覆い、その様はまさしくトースン師匠が纏う骨装具・鬼神二式の歪な模倣であった。
その魔槍から角を有した頭蓋骨が飛び出ていく。
鬼の頭蓋骨か、無数の飛び道具にトースン師匠は茨の凍迅魔槍ハヴァギイだけでは、防ぎきれない。自らの半身が放つ攻撃を受け、半透明の巨体が大きく揺らぎ、後方へと吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
壁に叩きつけられ、師匠の体が薄くなる。
その痛々しい姿に思考より先に体が動いた。
「師匠!」
一歩前に踏み出すと同時に、眷族たちが呼応する。
腰に下げた魔軍夜行ノ槍業の書物が灼熱を帯び、
『トースン!』
『ギガンホーめが』
『『『やらせるか』』』
七人の師匠たちが外に出た。
雷炎槍流シュリ師匠の持つ雷炎槍エフィルマゾルがジリジリと音を響かせ、その穂先がギガンホーに向く。
だが――。
「――下がらぬか、痴れ者どもが!」
張り裂けんばかりの怒声が、脳髄を直接揺さぶった。
声の主は、瓦礫の中からゆっくりと身を起こしたトースン師匠。
その双眸は、宿敵ギガンホーではなく、真っ直ぐに俺たちを射抜いていた。
「これは……我が戦い。グルドたちも我を信じろ。そして、我が誇りを賭した雪辱の儀だ。シュウヤ、弟子ならば、師の覚悟を黙ってその目に焼き付けよ。それができぬのなら、今すぐ破門してくれるわ!」
魂そのものを震わせる気迫。
その言葉の重さに、前に出た足が縫い止められたように動かない。書物から出かかっていた師匠たちも、静かにその姿を消した。
「――貴様だけは、我が手で!」
トースン師匠の半透明の体が、怒りと屈辱に激しく揺らめく。
自身の魂の一部とも言える槍を、自身の足を移植した模倣者が振るう。
「それは俺の台詞――」
互いの得物が、持ち主の憎悪と狂氣に呼応し、空間を歪ませるほどに震えるのを肌で感じた。ギガンホーは移植された足で大地を強く踏みしめ、残る三本の腕で魔道具から牽制の光弾を放ちつつ悪愚鬼骨槍を構えた本体が突撃していた。
二人の動きは<闇透纏視>で終えているが、かなり速い。
トースン師匠は、半透明の体躯を滑らせるようにして光弾を往なし、最小限の動きで懐へ潜り込むと、凍迅魔槍の石突きを電光石火の速さでギガンホーの鳩尾へと叩き込んだのが見えた。
ゴッ、と肉を打つ鈍い音が、こちらの位置まで響いてくる。しかし、ギガンホーは怯むことなく、その衝撃を逆に利用して身を翻し、遠心力を乗せた悪愚鬼骨槍の薙ぎ払いを繰り出した。
キィィィン!
二本の魔槍が、またも正面から激突した。
耳を劈くような金属音と共に、蒼白い凍氣と紫黒の邪氣が渦を巻き、火花のように弾け飛ぶ様は、まるで神話の戦いだ。衝撃波が頬を撫でる。
――力と力の応酬。
ギガンホーは四本の腕の利を活かして波状攻撃を仕掛けてくる。
上段からの振り下ろし、死角を狙う突き、足元を払う薙ぎ。
常人なら一撃で塵と化すだろうその連撃を、トースン師匠は長年の経験に裏打ちされた槍術で捌き切っていく。
穂先で受け、柄で流し、時には拳で弾く。
技と技の応酬に移行――。
右払いの魔槍の動きから左拳を突き出す動きに、左回転しながらの茨の凍迅魔槍ハヴァギイの一閃、それを軽い動きで浮遊して避けるギガンホーは身を捻りながら下から悪愚鬼骨槍を振るう。
一瞬、トースン師匠の体が両断された幻を見た。
トースン師匠は二つに分かれゆく残像を己が消すように茨の凍迅魔槍ハヴァギイを突き出す。ギガンホーは悪愚鬼骨槍を下げ、その突きを防ぐ。
トースン師匠は、右に払う動きから、フェイントを繰り出し左の拳の正拳突き。
ギガンホーはそれすらも浮遊して回避し、身を捻りながら、死角となる下方から槍を突き上げる。
トースン師匠は仰け反って避けた。
一つ一つの動きが、あまりにも洗練されすぎていて、もはや芸術の域に達していた。打撃、斬撃、刺突が目まぐるしく交錯し、その一挙手一投足が致死の威力を秘めている。あれこそが、悪愚槍流の頂点。
今、目の前で繰り広げられているのは、人族の領域を遥かに超えた神魔の闘争だった。
――師匠は言わずもがな、ギガンホーの実力の高さに舌を巻く。
と、二人の得物が強く衝突し、二人は同時に体勢を崩して後退した。
時間が止まったかにも思える刹那――武の何かが頂点に達した。
――茨の凍迅魔槍ハヴァギイの穂先が、肺のように禍々しく膨張と収縮を繰り返すと、
「――我が<悪愚槍・鬼神肺把衝>、その身で味わえ!」
師の咆哮が茨の凍迅魔槍ハヴァギイに乗るが如く、大氣を震わせながら直進。
迸った髑髏模様の魔力と骨の塵がギガンホーの魔力防御を紙のように喰い破り、その左腕、肩口、そして胸を、立て続けに貫いた。
「馬鹿な……この俺が……亡霊ごときに……」
断末魔の叫びと共に、ギガンホーの体は力なく崩れ落ちた。
トースン師匠は、敵の骸から自らの足だった骨装具を荒々しく引き剥がすと、それを自らの半透明の下半身へと融合させる。眩い光と共に、師匠の片足が確かな実体を取り戻した。
トースン師匠は、悪愚鬼骨槍を拾うと、「弟子よ、茨の凍迅魔槍ハヴァギイを帰そう」
「はい、そのまま使ってもらってもいいですよ」
「否、この茨の凍迅魔槍ハヴァギイの主は、シュウヤ、弟子のお前のものだ」
「分かりました」
茨の凍迅魔槍ハヴァギイを受け取り、戦闘型デバイスのアイテムボックスに仕舞う。
刹那、倒れたギガンホーの遺体が意思を持つかのように、突如として遺跡の石畳に引きずり込まれ始めた。
石畳が沼のように遺体を飲み込むと、その跡にはぽっかりと暗い穴が口を開けた。
だが、その穴の奥は、時が歪んだかのような空間に阻まれている。
安堵の時間は一瞬で終了か。
シャイナスが、
「――シュウヤ殿、これこそが【八峰大墳墓】の中枢を閉ざす、<時仕掛けの空間>の封印の一部。この器だけでは、開けることはできない」
シャイナスの言葉に頷いた。
「了解した、神魔石と神槍ガンジスだな」
「うむ! その神槍ガンジスに合わせ、今、この器を使う――」
魔界騎士シャイナスが、静かに丸い器を翳した。
それは、彼女がイゾルガンデで流した血と涙の結晶そのもの。
長年【迷宮都市イゾルガンデ】で戦い続けた成果を見せるように、『器』から邪界ヘルローネ、否、邪神たちの魂の欠片、使徒が持っていた魔力が解放される。
あちこちに黒い勾玉と、その欠片が構成している魔法陣が浮かぶ。
黒き環の表面に刻まれていた古代文字のようなモノも幾つか出現。
鍵の模様が消えて、魔法陣が消えていく。
時空を歪ませていた【八峰大墳墓】の結界に綻びができた。
その時、ギガンホーが現れた柱とは別の、周囲にそびえる七つの柱が、まるで合図でもしたかのように同時に真紅の光を放った。
「……三番兄者がやられるとはな」
「だが、これで我らが、師の遺産を継ぐ資格を得たわけだ」
「亡霊と、その後継者どもよ。ここから先は我らが試練の番人となろう」
轟音と共に五人の影が俺たちの前に降り立つ。
いずれもガンジスの弟子。そしてその姿はギガンホーと同じ。
武術着に装甲は統一性があるが、魔軍夜行ノ槍業の八人の師匠たちの体を、己の体と防具に融合させていると分かる。
武具も師匠たちの得物だ。
女帝槍流のレプイレス師匠の魔槍は、直ぐに理解できた。
棘が絡み付いている。
「ん、師匠たち、弟子たちがわたしたちに襲い掛かってきたら、タイマンは無理になる」
「うん、さすがに」
「はい、そうなったら全力で叩き潰すまで」
「はい、がんばりましょう」
エヴァたちの言葉に、魔界騎士シャイナスは、
「シュウヤ殿、〝神魔石〟と、錠前である〝神槍ガンジス〟を!」
シャイナスの悲痛な叫びに七人の弟子たちが一斉に殺氣を放つ。
状況は一刻を争う。
静かに神槍ガンジスを構え、アイテムボックスから神魔石を取り出した。
「エトア、ラムー」
「「はっ」」
呼びかけに、二人の従者長が即座に動く。
エトアが<時仕掛けの空間>へと慎重に近付き、その指先から放たれる魔力の糸で空間の表面を撫でるように探査していく。
「――<罠鍵解除・極>を使います」
エトアのドラゴンの鱗が目立つ渋い甲からドラゴンの鱗が出て、魔線が四方に展開され丸い魔法陣となり、子鬼のような存在が無数に溢れ出て、それらが周囲に浸透していく。エトアは、
「……罠の反応はなし。これは純粋な時空間封印です」
一方、ラムーは俺が差し出した神魔石に霊魔宝箱鑑定杖の先端を翳す。
魔力が込められた霊魔宝箱鑑定杖から灰色の魔線が迸り、神魔石と衝突。
杖と神魔石が同調したように、厳かな光が神魔石と霊魔宝箱鑑定杖から放たれた。
鑑定、内部構造を解析は一瞬で終了。
ラムーは頭部を覆う銅色の兜を前後させる。
魔鋼族ベルマランだから、彼女の顔は俺以外知る者は極少数だろう。
そのラムーは、
「……これは、神話級のアーティファクト……『神魔石』です。伝説によれば、神々の誕生と終焉を見届けた降星の核より削り出されしもの……神と魔、双方の理を束ね、運命そのものを書き換えるほどの力を秘めていると……」
兜の下からくぐもった声が響く。
神魔石。そのあまりに壮大な伝説に息を呑む。
残りの弟子たちが、明らかに色めき立った。
奴らもこの石の価値を理解したのだろう。
「――時は、満ちた」
弟子たちの牽制を眷族と師匠たちに任せ、神槍ガンジスの大刀打にある四角い紋章の窪みへ、神魔石をゆっくりと嵌め込む。
カチリ、と硬質な音がした瞬間――意識が灼けつくような奔流に呑まれた。脳裏に流れ込む他者の記憶――。
剛健な腕。その手に握られるのは、今まさに神魔石が嵌め込まれた、完全なる神槍ガンジス。見下ろす世界。絶対的な強者としての視点。これが、魔人武王ガンジスの感覚……。
刹那に引き戻された意識の前で、手に持つ神槍が変貌を始めていた。
槍纓となっている蒼い毛――鑑定では不明だったが、これが旧神ギリメカラのものかもしれない――が、禍々しい魔力光を放ち、螻蛄首がドクン、ドクンと、邪悪な心臓のように重低音で脈動する。神魔石は、この槍に眠る『魔』の側面を呼び覚ます真の鍵。
そして再び、より深く、鮮明な記憶の奔流へと引きずり込まれる。
――今度は、二つの光景が同時に流れ込んでくる。
一つは、神々しいまでの光の槍を手にした総髪の男――。
魔人武王ガンジスが絶命させた超巨大な旧神とおぼしき骸から、その素材を剥ぎ取り、神々しい無垢な槍を元に、おぞましい儀式によって新しい槍へと強制的に融合させていく光景。
『神』の器に『魔』を注ぎ込み、自らの覇道に最適化していく、悪夢のような魔改造の記憶。
――もう一つは、【迷宮都市イゾルガンデ】。邪神の使徒に追われる少女を、ガンジスが身を挺して救う姿。
だが、敵の先程倒した旧神と思われる強烈な一撃を防いだ代償に、神槍から神魔石が弾け飛び、槍もろとも次元の狭間へと飲まれていく……。
魔人武王ガンジスが神槍ガンジスを失った瞬間か。
神槍ガンジスを、迷宮都市ペルネーテの宝箱で入手できた理由は分かるが、あの少女は?
魔人武王ガンジスとは、ただ破壊と蹂躙を繰り返すだけの男ではなかったのか。
シャイナスの憎悪に満ちた顔が脳裏をよぎり、奴に対する感情が複雑に揺さぶられる。
膨大な記憶の奔流から意識が帰還する。
目の前では、神魔石を嵌め込まれた神槍ガンジスが、<時仕掛けの空間>と激しく共鳴し、一つの生き物のように脈動していた。
ガンジスの記憶を通して、この封印の〝核〟が、今はっきりと見える。
そこか……。
「皆、少し左右に移動をしようか」
「弟子と、眷族たちよ、第三者の乱入もあるかも知れぬ、その場合、強者の牽制を頼む」
「「「はい」」」
揺らめく空間の中心、一点だけ時が淀んでいる場所を見定める。
魔力を神槍へと注ぎ込み、<光穿・雷不>の構えを取る。
いざ――。
神槍ガンジスの方天画戟と似た穂先の<光穿>が歪みを捉えた。
ジジジッと音を立てて振動し、神槍ガンジスの光を帯びた魔力が時空間に干渉するように歪みを止めていく。
更に、雷鳴が轟く。
と、激しい雷鳴が八支刀のような閃光となって神槍ガンジスに集約するや否や巨大な光雷の矛<光穿・雷不>が、近くに形成される。
その巨大な<光穿・雷不>は神槍ガンジスに紫電の鎧を纏わせながら直進し、時空の歪みそのものを穿った。
ガラスが砕け散るような甲高い音と共に、<時仕掛けの空間>が崩壊していく。
封印が解かれた穴の奥には、残るトースン師匠の足と、師匠が愛用していた骨装具の武具一式が静かに安置されていた。
トースン師匠は「おぉぉぉぉ!」と歓喜の咆哮を上げ、光となってそれらを取り込み、ついに完全なる復活を遂げた。
全身が渋い骨装具。雷と漆黒の魔力が迸っている。
そのトースン師匠の横に美しい女性の幻影を映し出している傷一つない宝玉もあった。その女性に、トースン師匠は、
「……キチョウ、お前を失ったと思っていたが、お前の魂をも取り返せた……」
キチョウの女性は笑顔を見せると、宝玉の中に消えた。
すると、穴の奥から、これまで感じたことのない、重厚で圧倒的な魔力が溢れ出した。
「ククク……まさか、ここまで辿り着く者が現れるとはな」
闇の奥から、ゆっくりと姿を現したのは、新たな弟子。
そして、その背後には、すべての元凶、魔人武王ガンジス本人が満足げな笑みを浮かべて佇んでいた――。
続きは明日、HJノベルス様から書籍「槍使いと、黒猫。1巻~20巻」発売中。
コミック版発売中。




