千九百二十一話 乱戦と再会の四眼四腕の魔剣師
◇◆◇◆
ゴルディクス大砂漠を進むゴルディクス駱駝。
騎乗しているのは笠を被っている四眼四腕の女魔族。
二眼は眼帯に隠れている。
己の剣術修業のために普段は、その二眼は眼帯で隠していた。
そして、駱駝の頭部に備え付けられた『魔香炉』の紫煙が指し示す西南の空を静かに見つめて頷いた。
砂漠都市ゴザートの依頼主から告げられた言葉が蘇る――。
『【嘆きの塩湖】に眠るという、樹沙魔塩と神沙塩を採取してきてほしい。成功すれば、報酬は弾む』
彼女は、樹沙魔塩と神沙塩が取れる場所はこの方角で間違いない。と考えながら砂漠を進む。
すると、前方から砂煙と魔獣の声が響き、
「キャァァァ」
女性の悲鳴が響く。
傷だらけの大型魔獣バブラーヤに引かれた大型幌車が暴走し、ルリゼゼの騎乗するゴルディクス駱駝へと猛然と迫る。その背後には、無数の砂漠船と魔獣バブラーヤに乗った盗賊団らしき人族と魔族の混成部隊も出現した。
四眼四腕の魔族は、「……無視はできそうもない……」と片言の南マハハイム共通語を呟く。
ゴルディクス駱駝から跳躍し、前方に跳ぶ。
二つの直刀剣と朱色の曲剣刃を鞘から引き抜いた。
四本の腕に握られた刃が、ゴルディクスの灼熱の太陽を反射して妖しく煌めく。
その常軌を逸した姿に、盗賊団の勢いがわずかに鈍った。だが、それも一瞬のこと。
「ハッ、魔族、四本腕に魔剣か、強者のようだが、この人数相手には、ちと、頭が回らないようだ」
「ハハハッ、ちげぇねえ、この砂漠でどれほどの猛者が散ったか!」
「あぁ、面白い! あいつも生け捕りにして、高く売ってやれ!」
下卑た笑いと共に、頭目らしき男が号令をかける。
砂漠船から魔獣バブラーヤから、数十人の盗賊たちが雄叫びを上げながら一斉に襲い掛かってきた。
四眼四腕の魔族は、その殺意の奔流を前にして、眉一つ動かさない。
眼帯で隠された二つの瞳は閉じたまま、ただ開かれた二つの瞳で、静かに敵の動きを見据えている。
「――四腕シクルゼ流剣術、存分に味わうがいい」
呟きと同時、彼女の姿が掻き消えた。
否、あまりの速さで、常人の目にはそう見えただけだ。
疾風となって敵陣に突っ込んだ四眼四腕の魔族は、まず先頭の魔獣バブラーヤの突進を上腕の二本の直刀剣を交差させて、真正面から受け止める。
凄まじい衝撃。しかし、彼女の足は砂に深く根を張ったかのように、一歩も引かなかった。
「なっ……!?」
騎乗していた盗賊が驚愕に目を見開く。
その隙を、四眼四腕の魔族は見逃さない。
バブラーヤの突進を上腕で完全に受け止めたまま、下腕の二本の曲剣が、まるで別の生き物のように動いた。
右の曲剣がバブラーヤの太い脚を斬り裂き、左の曲剣が騎手の鎧の隙間を縫って、その脇腹を正確に貫く。
悲鳴を上げる間もなく、人馬一体の突撃は、血飛沫と共に崩れ落ちた。
それが、戦いの始まりの合図だった。
四眼四腕の魔族は、もはや人の形をした嵐だった。
上腕の直刀剣が大盾のように敵の攻撃を弾き、あるいは大斧のように敵の陣形を砕く。
そして、その防御と攻撃の合間を縫って、下腕の曲剣が毒蛇のように、予測不能な角度から敵の急所を的確に捉えていく。
四本の剣が織りなす攻防一体の剣舞。上腕の直刀が槍を弾き、盾を砕けば、その隙を縫って下腕の曲剣が毒蛇のように喉を掻き切り、心臓を貫く。予測不能な連撃に、屈強な盗賊たちも悲鳴を上げる間もなく砂に沈んでいった。
前にでるたび、砂塵が舞い、空間に幾重の剣筋が砂塵ごと人族と魔族の剣士たちを薙ぎ払っていく。
「くそっ、化け物め!」
頭目が、自ら魔剣を振るって斬りかかってくる。
四眼四腕の魔族は、その大振りの一撃を冷静に見極め、上腕の剣で受け流すと同時に下腕の曲剣でがら空きになった胴を薙いだ。
「――<魔鳴・柔相剣>」
彼女が静かに技名を告げると、曲剣をしならせるように扱う。
柳の枝を連想させる曲剣機動で、もう一人の魔剣師の魔剣を弾き、四本の剣が残像を残すほどの速度で乱れ舞う。
無数の斬撃が頭目と、もう一人の魔剣師を襲い、二人の体を瞬く間に切り刻んだ。
頭目と魔傭兵が絶命したのを見て、残った盗賊たちは恐怖に顔を引きつらせ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
四眼四腕の魔族は、深追いすることなく、静かに四本の剣を鞘へと納めた。
彼女の目的は、あくまで依頼の遂行。無用な殺生はしない。
すると、幌車の中から一人の若い女性が、震えながらも、畏敬の念に満ちた瞳で四眼四腕の魔族を見つめていた。
四眼四腕の魔族は、「私は、ルリゼゼ。お前の名を聞こう」
と、彼女なりに学んだ共通語で発言した。
女性は頷いて、「あ、ありがとうございます。わたしの名は、シャシャです。交易商の生き残りで、盗賊集団、ううん、『犀湖十侠魔人』という名の勢力たちに襲撃をされて逃げていたんです。ルリゼゼさんのおかげで命が助かりました。本当にありがとうございます」
ルリゼゼは、「シャシャ、か」と短く復唱する。
シャシャは「はい」と返事をした。
ルリゼゼは頷くとシャシャに興味を失せたように振り返り、口笛を吹いた。
「グモゥゥ~」と鳴いたゴルディクス駱駝はルリゼゼの下に駆けよっていく。
ルリゼゼは、シャシャに一瞥もくれずゴルディクス駱駝に飛び乗ると、再び『魔香炉』が指し示す方角へ、何事もなかったかのように歩みを進めた。
「え……あ、あの!」
ルリゼゼを乗せたゴルディクス駱駝は動きを止めた。
「……私の名はルリゼゼ、あまり、言葉は分からないのだが、その乗り物の魔獣は生きている。私は私の用がある……お前は、一人で逃げるといい」
「あ……」
◇◆◇◆
【嘆きの塩湖】の中心は巨大な縦穴があり、四方は砂丘を活かした関所が設置されている。
縦穴の回りには、【嘆きの塩湖】から発生している神沙塩と樹沙魔塩の結晶がいたるところに発生していた。
更に、地下水脈にも通じているところがあり、水源にも恵まれている。
そして、現状、空はない。
緑黒い瘴気が渦を巻き、天蓋となって星々を覆い隠しているからだ。砂地の悲鳴が風となり、塩の結晶がきしむ音が、途切れることのない怨嗟の歌のように響いている。
その縦穴の宙空の中心で、『穢れの骨香炉』は禍々しく脈動していた。
湖面に溜まった数千年の怨念を、巨大な心臓のように吸い上げ、凝縮し、そして地下深くへと送り込む。その先にあるもの――かつて神域、嘗ての地下古大樹の森だった地下。そして変わり果てた〝神仙樹剣巻〟の眠る場所へと。
その大穴の縁に立ちながら、大穴と穢れの骨香炉を眺めているのは、額に羊の角を有した二眼四腕の魔族。
隣には三角帽子をかぶった紫の肌の女魔術師がいる。
背後には複数の漆黒の装束を着た二眼二腕の人族と魔族たちが整列しながら、各自、満足げな表情を浮かべていた。
一人の二眼四腕の魔族は右下腕が持つ抜き身の魔剣に吸い込まれていく紫と漆黒の魔力の流れを確認し、頷く。
更に下から上昇してきた半透明の紙片が彼の前でひらひらと舞う。それは八星瘴陰剣法の剣譜の紙片なのだが、
その貴重な剣譜をつまらなそうに見た二眼四腕の魔族は、「ふむ、<魔瘴残剣>か……」と興味なさげに呟き、左上腕の魔剣を一閃させ、紙片を塵へと変えた。
隣にいる三角帽子をかぶる女魔術師は、
「その剣譜を消し炭にしても、よろしいのですか?」
「いいのだ。<魔瘴残剣>は、ここにいる皆は覚えている」
「そうでしたの……」
「バザロイア、お前の目的は、樹沙魔塩と神沙塩だろう? 『八星瘴陰剣法』の紙片、剣譜もほしいのか?」
「えぇ、取り引き無しで頂けるのなら、頂きたいですわ。私も魔剣を扱えますし」
「ハッ、強欲めが、魔傭兵以上の仕事としての対価は貴重な塩で十分だろうに」
「ふふ、冗談ですよ。私の目的はあくまで樹沙魔塩と神沙塩。ですが、この『八星瘴陰剣法』の剣譜を餌にすれば、腕利きの魔剣師が面白いように集まるでしょうから」
「ふむ、それはそうだろう」
三角帽子をかぶる女魔術師は、大穴の中心に浮かぶ骨香炉を凝視し、大穴を覗き見込みながら、
「――ふふ、しかし、八星白陰剣法の進化がここまで行えるとは、驚きですわね」
「まだまだだ。もっと穢れを注ぎ込む必要がある。神界の理は、穢れをもってこそ、我らが真に理解できるのだからな」
そう語る二眼四腕の魔族を凝視したバザロイアは、「そのようですね、ザンゲツの『八星瘴陰剣法』は見るからに進化していますし、剣譜を斬ることで、魔剣も強化されているようですから……」と発言したバザロイアを二眼四腕の魔族は睨む。
そう、彼の名はザンゲツ。犀湖十侠魔人の一人だ。
通称、紫黒羊。
四つの魔剣の内、二つの魔剣は、その骨香炉から漏れ出ている紫と漆黒の魔力を吸収していた。
八星白陰剣法の使い手だったザンゲツ。
彼は【南部砂瞑会】との争いに勝利した際に入手した〝魔冥骨香炉〟を入手していた。
その〝魔冥骨香炉〟は神界が齎した魔力を吸い上げ、様々な瘴気の魔力に変質させる代物。
同時に、その〝魔冥骨香炉〟を使い神仙樹剣巻にアクセスできる方法を、独自に学ぶことに成功していた。
ザンゲツは、地下の神仙樹だった物と、〝魔冥骨香炉〟に集中する。途端に〝魔冥骨香炉〟から魔力が放出され、地下に向かい、神仙樹剣巻に注がれていく。
神聖であったはずの樹の幹に禍々しい黒の紋様が浮かぶ。
と、神仙樹剣巻の一部は歪な漆黒と紫の髑髏結晶に変化し、表面が浮き彫り状の魔剣を扱う魔人たちに変化。
それらの魔人たちは八星瘴陰剣法の剣譜と奥義を繰り返すように動いていくと、半透明の紙片の剣譜に変化し、宙空に飛翔していった。
それが〝八星瘴陰剣法〟の新たな〝剣譜〟であり、〝奥義譜〟。
その一文字一文字がザンゲツたちの血肉となり、力を与えて、魔剣を強化する。
残滓が実体を持つ斬撃を齎し、鎧すら腐食させる剣筋をも学ぶスキルを得ることができる。
ザンゲツは八星白陰剣法を独自の『八星瘴陰剣法』に進化させていた。
そのザンゲツは香炉の向こう、砂漠の地平線へと目を見て、
「この儀式を続けていれば、我らは、この剣技を更に発展できよう。更に、この地下で採取できる樹沙魔塩と神沙塩の生成により、ゴルディクス大砂漠の交易路……塩の利権も、すべてが、我らのものとなる……もはや、三紗理連盟の残党、【瘴毒の黒手】神恐鬼ゴッドイレイスに、【アーメフ教主国】の軍隊などに氣を使う必要もなくなる」
と発言した。
バザロイアは頷く。
「もはや、我らを止められる者など――」
ザンゲツが勝利を確信した、その時だった。鉛色の瘴氣の空の向こう遥か東の地平線に、一瞬、漆黒の獣と風の魔猫を象った巨大な幻影が浮かび上がった。
「……何だ?」
「廃れたダモアヌン山の方角、犀湖都市の方角ですわね」
「犀湖都市も【天簫傘】、【八百比丘尼】、【阿毘】、通称三紗理連盟の巣窟、そこの雇われ魔傭兵か、賞金稼ぎたちか?」
「さぁ、【アーメフ教主国】の軍隊ならいざしらじ、動物の幻影を出すような存在は聞いたことはありません」
「……このタイミングで、我らの祝宴を邪魔する愚か者は、どこのどいつだ……?」
ザンゲツは魔剣を握り直し、ゆっくりと立ち上がった。
彼の瞳に、初めて警戒の色が浮かんだ直後、砦の正門が爆発するように弾け飛ぶ――。
砂煙を消すように前進している四眼四腕の魔族が見えた。
「四眼四腕の魔族だと!?」
「一瞬で五人の部下たちを斬り捨てている、あの魔剣の扱いからして、魔界からセラを渡っている強者……ううん、魔界の神々の大眷属、魔界騎士かも知れないわよ?」
「あぁ? あ……」
「そう、ここには、樹沙魔塩と樹沙魔塩を生む、神界の神仙樹剣巻だった代物に、〝魔冥骨香炉〟などがあるからねぇ、派手に動きすぎたってことかしら……」
「バザロイア、ごたくはいいから、あの魔傭兵をやるぞ。お前には高値を出しているんだ」
「はいはい、上乗せ確定だけど」
「おう、上乗せでいい」
「了解♪」
◇◆◇◆
宴の熱氣が冷めやらぬ、ダモアヌンの翌朝。
俺たちは次なる目的地、神仙樹剣巻が眠るという【嘆きの塩湖】へと向けて出発した。
シャナたちが導く巨大ガヴェルデンとワームたち、そして天を駆ける神獣ロロディーヌ。
種族も成り立ちも異なる俺たちの一団は、ゴルディクス大砂漠を進む。
数時間後、目的地が近づくにつれ、砂漠の空氣が明らかに淀んでいく。肌を焼く熱風に、まるで墓場から吹きつけるような死の冷氣が混じり始めた。
鼻をつくのは、単なる砂埃ではない。腐臭にも似た、淀んだ魔力の匂い。
「ご主人様、前方の空が……」
隣を飛ぶヴィーネが、眉をひそめる。
指さす先、地平線の上が、まるで巨大な暗雲に覆われたかのように不自然な鉛色に染まっていた。
相棒は速度を落とす。
下の砂漠を進んでいた巨大ガヴェルデンたちも速度を落とした。
斥候として、偵察ドローンも飛ばし、俺とヴィーネ、レベッカ、エヴァ、キサラ、カルード、マルアだけを連れて、先行して岩丘へと向かった。
【嘆きの塩湖】を臨む岩丘の頂上に到達した。
眼下に広がるのは、巨大な縦穴を取り囲むように輝く塩の結晶。
その四方は堅牢な砦で固められている。そして大穴の中心には、禍々しく脈動する骨でできた巨大な香炉が鎮座していた。
「……あの魔道具に巨大な穴の周りは塩か、これが【嘆きの塩湖】の由来」
と、呟いた、その時だった。
轟音と共に、砦の一部が爆発した。
凄まじい魔力の衝突が起きた。
黒い瘴気の斬撃と、翡翠色の清らかな斬撃がぶつかり合い、衝撃波がこちらまで届く。
「……!?」
「戦いとは……」
目を凝らすと、犀湖十侠魔人らしき魔人、魔族の強者と黒装束の者たちが、一人の戦士を包囲しているのが見えた。一人の戦士は、笠を被り、四本の腕で四本の剣を振るう、長身の女魔族。
女魔族の前に数十人が斬り伏せられていた。
その圧倒的な剣技、その気高い立ち姿……。
「「え!?」」
「ちょ」
「マジか」
「驚きですな」
「え……」
皆が驚く。
「間違いない。四眼のルリゼゼ。ペルネーテで別れた彼女が、ここで何を……」
俺の言葉にヴィーネが、
「苦戦を強いられているようですが、さすがの四眼ルリゼゼです」
「あぁ、ルリゼゼを助けようか」
「ん!」
「うん」
「敵が使うあの瘴気の剣技、相当に厄介な代物です」
キサラの言葉に頷いた。
眼下の戦況は、数で圧倒的に不利だった。ルリゼゼは個々の敵を神速の剣技で屠っているものの、魔人たちが放つ紫黒の斬撃が彼女の四本の剣を弾き、その身にまとう鎧をじりじりと蝕んでいる。
キサラは、「八星白陰剣法の一部だと思いますが、進化しているようですね」
アフラも、
「はい、昔とは異なる」
だが、ルリゼゼも負けてはいない。相対した魔人を直刀剣の袈裟掛けで沈め、その勢いのまま隣の兵士を蹴り飛ばす。右下腕の曲剣が魔剣を弾き返す刹那、右前へと低空を跳ぶように前進し、三人の斬撃を避けつつ、左下腕は空いた手で黒装束の剣士を捕らえ、盾にした。魔人の袈裟斬りが、その肉の盾にめり込むや否や、右上腕の直刀が閃き、魔人の喉元を正確に貫いていた。
「ルリゼゼもあれから成長しているようね、シュウヤと戦った時よりも強い?」
「ん、強い、魔界セブドラの魔界大戦を生き抜いて、邪界ヘルローネでも生き続けていた」
「あぁ」
しかし、彼女の動きが徐々に鈍り始めている。やはり、この【嘆きの塩湖】に満ちる瘴氣が、ルリゼゼの力を削り、逆に敵の力を増幅させているのだろう。
魔槍杖バルドークを右手に召喚し、
「作戦変更! 皆、あの戦いに介入する!」
後続の仲間たちに光紋の腕輪を通じて檄を飛ばす。
「「「はい」」」
「にゃご!」
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