千九百十話 飛来せし幸福、純粋なる花弁の蝶
「ん、玄智の森と罰は本当。でも伝承は他にもあると思う」
「あぁ、隠された真実があるのかも知れないな」
「ん」
エヴァたちが頷いた。マルアは母と目されるフーディの様子と足下の花模様の一部を凝視したままだ。
黄緑色の瞳は揺れている。え、失ったままの片目から血が流れていく。
「マルア、大丈夫か? 片目から……」
「あ、はい……大丈夫です」
どこか上の空のまま、また壁画を凝視している。
しかし、胡蝶蘭か。デュラートの秘剣の刃文も胡蝶蘭……デュラートも胡蝶蘭をあげていたと聞いている。
過去、マルアは、
『仙妖魔は元々仙女だとして、マルアの祖先は仙女ということを覚えているか?』
『……仙女? 魔界では仙妖魔の秘剣として、お母さんと仲間たちと生きるために、モンスター軍団と戦ったことは朧気に覚えています。でも、柄にダメージを受けて、あ、デュラート様が助けてくれたでしょう? そこからデュラートと一緒に秘剣を学び合いながら、家族と一緒にモンスターを倒し続けて楽しかったァ。ふふ、デュラートはピンク色の胡蝶蘭をくれた。口吻も! いっぱい愛し合った! で、も、あれ? 突然、フーディ母さんが倒れて、食べられて……あれ、アレ? デュラート、血だらけ? 変なイカ脚の魔術師に捕まって、アレ? レ、レレ、アァ、あたま、いたい、あとは変な、ウゲァァァァ』
当時、剣がない腕で頭を抱えていたマルアを支えた。
イカ脚の魔術師とは、白い貴婦人ゼレナードかな。
その過去を思い出しているとキサラも、
「はい、マルアの反応からしても、壁画は事実のようです」
「マルアの母、仙妖魔フーディの血筋が、この地に落ち着いた後に作られた壁画のはずですから、美化されている可能性はあります」
ヴィーネの言葉に頷いた。
ジスリが壁画を険しい表情で見つめてから、俺たちに視線を向ける。
鋭い双眸だが、美形なジスリなだけに、ドキッとした。
「守っている逸話が真実かもか……その一面が真実なら誇らしい」
ジスリの語りには、長年信じてきた歴史を揺るがされたことへの戸惑いもあるが、少し嬉しそうだ。
そこで沙、羅、貂とマルアを見てから、複数の壁画を見ていく。
傷つき倒れている狐……。
それを優しく介抱する人族であろう気高い顔立ちの青年か。
まさか、だがな……。
そして、最後のフーディの顔はマルアと少し似ている。
魔界の神々に対してフーディが一人で立ち向かっている構図に指を向けた。
「……あぁ、悲劇は歴とした事実だが、狐を介抱している人族の男。この弧は、フーディなのかも知れない。フーディはこの男に助けられて恋をした?」
「「あっ」」
「なるほど……そういう……」
「では、狐だったフーディは狭間を越えて、惑星セラのこの人族の男と接触していた?」
俺の問いに、沙が、
「……ふむ、狭間を超えるのは神界セウロスを至る道を利用する事、<次元渡り>など<転化>系のスキル、龍神から龍人としての次元渡りの秘宝、神具、法具は、様々に存在するからの……」
と発言すると、羅と貂は頷いた。
「「……」」
次元渡りか……過去の光魔武龍イゾルデとの話にも登場したな。
過去……
『貝殻と如意宝珠でもある真珠は理解しました。槍も龍骨の下にあるということですが、名は?』
「『武王龍槍イゾルデ』」
『それは……イゾルデ様の』
「『その通り、我の力が宿る龍槍である」』
『それは凄い。しかし龍の姿で龍槍とは、それほど巨大な槍が骨の下に?』
「『ふふ。勿論、龍の姿では主力には使えん。爪のほうが使えるが、高・古代竜は知っておるか?』」
『はい。竜言語魔法を扱える知性が高いドラゴン』
「『その通り。我も、高・古代竜の竜言語魔法と似た〝龍言語魔法〟を使う。昔は気紛れを起こしてな……』」
『人族の姿で暴れていた? もしくは、惑星セラに?』
『「……そうだ。次元渡りの秘宝を使い龍人としてな。ハイロスン辺りでは、荒神、呪神と揶揄された覚えがある」』
ハイロスンか。その都市名なら聞いたことがある。
南海の地方で、人魚、魚人、龍人が多い。
人魚でセイレーンのシャナはまだペルネーテで歌手&冒険者を続けている。
あの歌声は癒やし効果が高い。
当時、光魔武龍イゾルデとこんな会話をしていた。
そこでジスリたちを見て、
「俺は〝セウロスに至る道〟を、多少知っていることもある」
「ほぉ、神界セウロスに行ったことがあるのか」
「正確にはないが、極めて似た場所ならある。この壁画に描かれている伝承の後、神界セウロスの仙鼬籬の森から分離してしまった玄智の森、数千、数億年の後の〝玄智の森〟へと、俺は転移している。そこで光魔武龍イゾルデを使役している」
「え……」
「「「……」」」
ジスリは驚き、血骨仙女とナリアたちは唖然として俺を見る。
頷いてから、
「塔烈中立都市セナアプアで<夢送り>という、かなり特殊なスキルを受けたことが切っ掛けだ。精神体が異世界の〝玄智の森〟に移動した。玄智の森へと異世界転生を果たしたと言えるか。内実は、水神アクレシス様に誘いを受けた事象でもあった」
「水神アクレシス様の誘い……」
ジスリは常闇の水精霊ヘルメを見る。
ヘルメは、
「はい、夢追いタンモールという名の組織は、わたしたち光魔ルシヴァル側の【天凛の月】に組み込まれています。そのナミという美しい女性は、〝夢魔の曙鏡〟を使い、タンモールの秘技、<夢観・ビュアメアルの煙>などのスキルを複数持ちます。夢によりスキルを齎せることが可能なんです。閣下は当時、その施術を受け、精神体は玄智の森に移動した。わたしたちには閣下は眠っているだけに見えましたが、閣下は実際に玄智の森で活動し、魔界セブドラに移動していたことも事実です。水神アクレシス様のお力もあるとは思いますが、異次元、異世界の夢魔世界を介することで、かなりのことが可能のようですね」
「「……」」
ジスリたちはヘルメの語りを神妙な面持ちで聞いていた。
そのヘルメは、お辞儀をしてから、すぐにマルアたちの下に移動し、黒豹にも指先から水をピュッとかけてあげていた。
「ヘルメが語ったように、俺は、その玄智の森で長く活動した。その玄智の森には、魔界セブドラに通じた鬼魔人傷場があり、仙人と仙女と鬼魔人や仙妖魔など魔界セブドラの魔族の子孫の仙武人たちが永らく暮らしていた。そこで、魔界王子ライランの眷族たちとホウシン師匠の弟子だった一人と激闘を繰り返し、三つ秘宝を集めた。続いて、鬼魔人と仙妖魔たちを連れて鬼魔人傷場を渡り、魔界セブドラに帰還させている。そのセブドラの地は魔界王子ライランの所領だった。すぐに鬼魔人傷場から玄智の森に戻り、その玄智の森で、三つの秘宝を使い、神界セウロスに戻すことに成功している」
「「「……おぉ」」」
血骨仙女たちとナリアは感心するように驚いて、俺を凝視。
ジスリは、
「……俄に信じられないが……」
「分かる。その玄智の森での修業と経験で得ることができたスキルの一端を見せよう――」
右に壁画から見るように体を開いて、横の広間に出た。
ドーム状の地下空洞の中央を歩く。亀裂から差し込む月光が俺たちを射している。
肩の竜頭装甲を意識し、半袖の軽装にチェンジした。
そこで、両腕をクロスさせた押忍の挨拶を皆に行う。
<闘気玄装>を発動させ、丹田から巡る魔力の流れを加速させた。
「<四神相応>を見せよう」
――<四神相応>を発動。
<白虎ノ心得>を意識し、<白虎ノ纏>を発動。
『ガルゥゥ……』
上半身の体から四神白虎の魔力が噴出。
<闘気玄装>の魔力を上回るように全身に広がり、白虎の幻影魔力を纏う。
皮膚の表面に、白銀の繊維の束が線状に密集したような新たな皮膚スーツとなった。
『ガルルルゥゥ――』
霊獣白虎の唸りの思念を体で表すように 上半身の一部から白虎の爪と前腕のような物が飛び出た。霊獣に身を喰われるような感覚を受けた。
更に上半身から白銀の筋肉繊維の束のような物が幾重にも伸びる。
出た白虎の爪と前腕に絡み付きつつ、白銀の爪と前腕を上半身に引き戻し、鎧となった。
荒ぶる霊獣を活かしたような上半身の鎧模様となった。
その<白虎ノ纏>を纏いながら<滔天仙正理大綱>と<滔天神働術>を発動。
水の魔力が噴出し、<生活魔法>で実際に水を撒いたように周囲が水氣で満ちた。
雨が逆さまに降っているように水飛沫が上昇していくと、無数の白虎の幻影が、体から飛び出て、それらの水飛沫を噛み砕きながら消えていた。風の虎の幻影も発動し、<砂漠風皇ゴルディクス・イーフォスの縁>の魔力も吹き荒れる。
「「「おぉ」」」
「水の虎と風の虎に、風の猫……幻影たちか。それが玄智の森で得たスキルの一端か……」
「おう、玄智の森では、様々に得ているんだ」
そこで<四神相応>を解除し、肩の竜頭装甲を意識してラフな格好に戻した。
「「……」」
ジスリたちは黙る。
「パパ、<聖刻・アロステの丘>をここで披露したほうが一発だと思うの」
光精霊フォティーナの言葉にレベッカたちが微笑みながら頷くが、そのフォテーナの小さい鼻に指先を向け、「あぁ、まぁ、皆を見るに納得してくれたようだから、今はいいだろう」
と言うと、ナリアが、
「精霊様たちを従えているシュウヤ殿の話は真実だろう。シュウヤ殿は、壁画の当事者に近い知識を有しているのだな……」
玄智の森を体感しているからな、強く頷いた。
ジスリは、マルアを見て、
「シュウヤ殿の仮説が正しいとして、先程、マルア殿は、フーディを見て、母と……」
「うん、フーディ母さん。デュラートと一緒に魔界で活動していたんだ」
マルアは健氣に語る
マルアの様子に不可解そうな表情を浮かべてから、
「……ふむ、そうなのだな。この壁画のフーディは、マルアの母なのか?」
「うん、フーディ母さんで間違いない。そして、男の人は、少しデュラートに似ている」
「デュラート……」
ジスリたち血骨仙女は、俺に視線を向けてきた。ジスリは、もう一度マルアを見て、
「そのフーディが魔界から、セラのこの地に来たことは聞いているか?」
「ううん、知らない。あちきは、魔界で……デュラートの秘剣にイカの魔術師……」
と、そこで涙を流して言葉を濁した。そのマルアの傍により、
「マルア、デュラートの秘剣の中に戻るか?」
「ううん、大丈夫、デュラート・シュウヤ様がいる」
「戻りたくなったらいつでも言うんだ」
ニコッと笑顔を見せたマルアは、「うん」と頷いていた。
血骨仙女たちは、ざわついてから、マルアと俺を凝視。
「「……」」
沙が、
「あの戦いはあまりに混沌としていた。妾は見誤って運命神アシュラー様の左手を斬ってしまったほどの戦いだ」
沙の言葉が、この場の空気の重さを決定づけた。
「そうだな」
すると、マルアが、ふらりと一歩前に出た。
彼女の隻眼が壁画に描かれた人族の青年に釘付けになっている。流れていた血の一部が、浮かび、壁画に向かい、壁に付着した。
すると、フーディの壁画から魔力が溢れ出た。
「「なんと……」」
「デュラート・シュウヤ様……壁画から」
「あぁ」
「壁画は、やはりフーディ母さん……」
壁画から出たフーディは女性と狐を模る。
女性と狐は俺に会釈、自然と風が発生し、<砂漠風皇ゴルディクス・イーフォスの縁>の魔力と合わさって猫の幻影も出現。
やがて、狐だけになり、マルアの回りを一周して、花弁と紫色の蝶のような形の魔力がヒラヒラと、マルアに向かった。
デュラートの秘剣の柄にも蝶々のような胡蝶蘭の花弁が衝突し、消えていく。
途端に、デュラートの秘剣の胡蝶蘭の刃文が淡く赫いた。
狐の本体は、マルアから離れて、岩盤の奥に移動していく。
その亀裂は辛うじて人が一人通れるほどの隙間が開いている。
元仙妖魔としての血に光魔ルシヴァルの血が、壁画に残されていた魔力と共鳴したか。
ジスリが目を見開く。
「そこは禁断の……初代様以外、誰も入ったことがないとされる……」
「ジスリ、案内を頼む」
ジスリはしばし逡巡した後、覚悟を決めたように力強く頷いた。
彼女は俺たちを先導し、壁画の奥、亀裂が走る岩の隙間へと向かう。
「これより先は我も知らぬ領域。初代様の霊廟へと続く道だと伝えられてはいるが、真偽は定かではない。大型蠍兵などが出現してもおかしくないだろう。何が起きても、己の身は己で守れ」
ジスリの言葉に、ナリアも騎士としての顔つきに戻り、剣の柄を握る。
皆と目配せをし、厳戒態勢でその暗い通路へと足を踏み入れた。
通路は人の手が作られたものだった。
壁には、外の祭壇の壁画と似た物が続くが、途中からタイル状の遺跡に変化。より個人的で、より詳細な彫刻が刻まれていた。それはまるで、仙女フーディの日記のようだった。
デュラートと共に過ごす、穏やかな日々の光景。
彼に呪いがかけられ、絶望にくれるフーディ。
そして、〝白炎鏡の魂宝〟を手に、神界を後にする時の、悲壮な覚悟を決めた表情。
「デュラート・シュウヤ様。こちらです。胡蝶蘭の香りと温かい懐かしい氣配が、私を呼んでいます」
マルアが、何かに引かれるように通路の奥を指差す。
彼女の仙妖魔としての血が、俺たちの道標となっていた。
辿り着いたのは、広大なドーム状の空間。その光景に、俺たちは息を呑んだ。
「これは……」
天井の鉱石が、まるで本物の星空のように無数に瞬き、壁には銀河のような鉱脈が走っている。
紫色や白色の胡蝶蘭の花々も咲いている。
まさしく「神聖な祭壇の間」だった。
俺たちを導いてきた狐の幻影が、祭壇の中央で静かに振り返る。
その瞳には、永い刻を待ち続けた哀しみと、ついに役目を終える安堵のような色が浮かんでいた。
幻影はマルアと俺に静かに一礼すると、ふっと霧散し、無数の光の粒子となって二人の体に流れ込んできた。
瞬間、意識が肉体から切り離される感覚に襲われた。
肉体の感覚が遠のき、魂だけが引き上げられるような浮遊感。
洞窟の冷たい空気は、草木の匂いがする生暖かい風へと変わり、耳元では仲間たちの声の代わりに、森のざわめきと鳥のさえずりが聞こえ始める。
意識がはっきりとした直後、俺とマルアは緑が豊かな土地、ここは……。
あぁ、一瞬ゴルディクス大砂漠と重なった。ここは、太古のゴルディクスの森か。
そこに「魂」として立っているようだ。魔境の大森林に生えていた樹々と少し似ている。
『デュラート・シュウヤ様、これは……あちきたちは……』
『落ち着こう、過去の記憶の追体験ができるんだろう』
『え……』
目の前で、傷つき、追い詰められた美しい白狐、否、幻影の仙女が見えた。フーディだろう。
『あ、フーディ母さん……』
その白狐が獰猛な牙猪に牙を剥かれていた。
絶体絶命と思われたその時、一人の青年が颯爽と現れる。
彼こそが壁画に描かれていた人族の剣士か。
彼は卓越した剣技で牙猪を追い払うと、傷ついた狐に警戒されるも、武器を捨て、ただ優しく手を差し伸べた。
『デュラート様……デュラートの秘剣のデュラート様です……シュウヤ様……』
『あぁ、彼が初代デュラートということか』
『……』
「大丈夫か、小さな狐。もう怖くないぞ」
その穢れなき優しさに、フーディ(狐)が戸惑いながらも心を開いていく。
初代デュラートの青年が傷口にそっと触れた瞬間、温かい感情が俺たちの魂にも直接流れ込んできた。
『……温かい。これが、定命の者の……』
フーディの心の声だろうか。
それは驚きと、そして今まで感じたことのない安らぎに満ちていた。
これが、すべての始まりか。
罪と罰も、英雄としての戦いも、まだ何も知らない。
ただ、種族を超えた二つの魂が惹かれ合った、あまりにも純粋で美しい瞬間だった。
やがて、その光景は陽炎のように揺らめき、俺たちの意識は星空の祭壇へと引き戻される。
隣を見ると、マルアが声を殺して泣いていた。母が罪人になる前の、最も純粋で幸せだった瞬間を目撃したんだから当然か。
その涙は、悲しみだけでなく、どこか誇らしさに満ちているように見えた。
マルアが、なぜ俺に「デュラート」の名を重ねるのか、その魂の理由を深く理解した。
「……見届けました。母様の……そして、初代デュラート様の始まりの物語を」
そこで一度言葉を切り、マルアは何かを決意したように、深く、澄んだ瞳で俺を見つめ直す。
「……シュウヤ様。あちきは、いえ、わたしは、あなた様と共に行きます。母が守ろうとしたもの、そして初代様が愛したものの真実を、この目で見届けるために」
凛とした声だった。
無邪気な少女の面影を残しつつも、そこには自らの運命と向き合う覚悟を決めた、一人の女性としての強さが宿っている。
「あちき」ではなく、「わたし」。その変化が、何よりも彼女の成長を物語っていた。
「……あぁ、分かった。行こう、マルア」
力強く頷くと、マルアは「はい!」と迷いなく応じた。刹那――。
俺たちの決意に呼応したかのように、星空の祭壇がひときわ強く輝きだす。
だが、その光は先程までの神聖なものとは少し違っていた。追体験によって解放された膨大な魔力が、この地の記憶に澱のように溜まっていた「別の何か」を呼び覚ましてしまったらしい。
「ご主人様とマルア! 上です!」
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