千七百九十話 キュベラス<筆頭従者長>になる
まだ出したままだった血の錫杖が、ほのかに金属音を鳴らして消えた。
キュベラスが、
「シュウヤ様、魔料理で大幅に強化されましたが、<大真祖の宗系譜者>などに影響がありましたか?」
「あぁ、成長や熟練度に伴い消費量は減少したり上昇しているが、いつもより血が満ちる速度は上昇した。痛みもあるが、我慢はできる」
「はい、血の消費は大丈夫なのですね?」
「あぁ、まだ大丈夫だ」
レン、リューリュ、パパス、ツィクハル、エラリエース、シャナ、ファーミリア、ハミヤと続けての眷属化だが、フクナガの魔料理を食べたお陰もあり、まだ余裕だ。
そこでハミヤを見て、
「少し休んだら、これを嵌めて<血道第一・開門>を目指すといい」
戦闘型デバイスのアイテムボックスから処女刃を取り出し、ハミヤに手渡した。
「あ、はい、休憩は大丈夫、すぐに盥にてこれを嵌めます」
頷いた。そして、キュベラスを見て、
「では、眷属化を行うか。こちらに」
「はい」
そこで、戦闘型デバイスのアイテムボックスから闇神ハデスのステッキと闇の教団ハデスの定紋を取り出した。
「それは、闇神像を破壊した【闇の教団ハデス】の盟主の証し、導きし者の証し……<闇神ハデスの愛>を得た証拠。そして、闇神ハデスの魂の欠片を内包されている――」
と、厳かに語ったキュベラスは片膝の頭で、畳みを突き頭を垂れてくる。
「あぁ、この闇神ハデスのステッキに、<暗黒魔力>を注ぎ、闇神ハデス様の一部を召喚し、キュベラスの眷属化を見てもらうつもりだ」
「あ、はい、では、闇神リヴォグラフに悟られないよう、【闇の教団ハデス】の結界を独自に用意します」
「おう、しかし、キュベラス、俺の眷属になれば、ハデス様への信仰が揺らぐかも知れない」
「……ふふ、揺らぐもなにもありません。バフラ・マフディが命を懸け紡いだ【闇の教団ハデス】の未来、それはシュウヤ様です。ですから最初から光魔ルシヴァルに信仰は振り切っています」
キュベラスも清冽に言い切ったな。
「俺が闇神ハデスの未来か」
「はい、闇神ハデスのステッキは、シュウヤ様がハデス様を救った証しであり、闇神リヴォグラフの一部を破壊した証拠、闇神リヴォグラフの派閥は完全に【闇の教団ハデス】から消えた証しでもある」
「そうだな」
「はい、闇神ハデス様も<未来視>のヴィジョンを通して、この光景を過去に見たのかもしれまん」
その可能性は高いか。
そこで、
「キュベラスは<筆頭従者長>と<従者長>どちらがいい」
「<筆頭従者長>を望みます」
「了解した、では、闇神ハデスのステッキと闇の教団ハデスの定紋に誓って、キュベラスを<筆頭従者長>に迎え入れ、大切にすると誓おう」
「ありがとうございます、【黒の預言者】の称号と、この命にかけて、シュウヤ様と光魔ルシヴァルに忠誠を誓います。また、闇神ハデス様の救出に全力を注ぎたい思いです」
「了解した」
キュベラスは立ち上がり、見ながら処女刃の儀式を開始しているハミヤと会釈し右手に闇の魔力が籠もった結晶のような塊を召喚。
「――それでは、闇晶レギアンを使い、<ハデスの闇衣>――」
と言って、闇晶レギアンを宙空に放ると、闇晶レギアンは溶け闇の霧が俺たちの回りに展開された。
キュベラスは、
「これで闇神ハデスのステッキに内包されている闇神ハデス様の召喚をしても感知されることはないでしょう」
「了解した。では、闇神ハデスのステッキに<暗黒魔力>を込めつつ<闇神ハデスの愛>を発動――」
腕から放出された<暗黒魔力>が闇神ハデスのステッキに吸い込まれる。と、一瞬で、闇神ハデスのステッキから闇神ハデス様を顕現。
漆黒の長髪に、細い眉毛、黒を基調とした瞳。
高い鼻に色白の肌に小さい唇。
顎とEラインと細い首筋に鎖骨は美を現している。
その美しい闇神ハデスは俺の体から自然と<暗黒魔力>を吸収していた。
「ふふ、シュウヤ様、久しぶりです」
「はい、ハデス様」
「ハデス様……」
「キュベラスも、元氣そうでなにより」
「はい」
闇神ハデスは、
「シュウヤ様、改めて、私の魂の欠片を取り戻してくれていたようで、感謝します」
と、俺から吸い取った<暗黒魔力>のことかな。
過去の戦いの影響だろう、闇神リヴォグラフの大眷属は闇神ハデス様の魂の欠片を持つことがあると語っていた。
「……はい、惑星セラで、少し前に、ルーク国王の闇ノ淫魔獣グレバロスと宮廷魔術師サーエンマグラムとサケルナートこと闇神リヴォグラフの大眷属ルキヴェロススと、大眷属ルビルコンとドクルマズルに【異形のヴォッファン】の一番隊隊長ライゾウを倒しました」
闇神ハデスは、驚き、
「それは素晴らしい成果!! ルキヴェロススを失った闇神リヴォグラフ側は相当な痛手。セラだけでなく、魔界側の神々の争いにも支障が出ているはずです。そして、戦闘能力に特化したライゾウを倒すとはさすがですね。そして、この結界は、ふふ、キュベラスですね」
闇神ハデスは指先を伸ばし、周囲に展開されている闇の霧を触る。
途端に闇の霧は、闇神ハデスの上服に吸い込まれ、網目状のお洒落な魔法防護服に変化を遂げた。
「はい」
「霧は消えましたが、結界は消えていない?」
「大丈夫です。取り込んだだけで、はい、消えていません」
闇神ハデス様は細い両腕を伸ばしながら空氣を吸うように畳の上で横回転を続けた。ドレス状の戦闘装束がそよぐ。
「闇神ハデス様、キュベラスを俺の<筆頭従者長>に迎えようかと思います。宜しいでしょうか」
「はい、勿論、キュベラスたちと【闇の教団ハデス】を宜しくお願いします」
「……ありがとうございます」
キュベラスは胸元に手を当て頭を下げていた。
闇神ハデスは、
「ふふ、羨ましい。わたしも本体を救出した未来では、光魔ルシヴァル入りしたいですわ」
「え、はい」
「完全に復活しても神格は失ったままですし、セラ側にも移動は可能となる」
「分かりました。ところで、今の状態のまま維持は可能でしょうか」
「はい魔界側ならば外に出続けることは可能。闇神ハデスのステッキも私に使わせて頂けたら戦力にはなります。ただし、闇神リヴォグラフ側に氣付かれる。その場合は、捕らわれのままの本体の枷が酷くなります。シュウヤ様のお陰で少し楽になりましたが……」
「そうですか、では、一時的にこれを預けますが、外にはでないほうが良いですね――」
「はい」
闇神ハデスのステッキを闇神ハデスに渡した。
「では、キュベラスを眷属にします」
「分かりました。そこのハミヤと一緒に見学いたします」
キュベラスたちは頷く、闇神ハデスはステッキを少し振るってからハミヤの近くに移動した。
キュベラスを見て、
「では、闇神ハデスの定紋を浮かばせながら」
「はい、宜しくお願いいたします。あ、ケニィ――」
キュベラスは、衣服から桃色のリスに変化させて、畳の部屋に放つ。
異界の軍事貴族の桃色のリスのケニィか。
ローブも脱いだ。虹色の魔宝石のネックレスが煌めく。
他は、ブラジャーと炎を発した髑髏の形をしたタンクトップ系の下着だけとなった。
頷いてから竜頭金属甲を意識し、<血道第五・開門>を発動させる。<血霊兵装隊杖>も発動。
血ノ錫杖が真上に再出現。
肩の竜頭装甲を意識し、「ングゥゥィィ~」といつものように鳴くと、衣装を胸甲と鈴懸と不動袈裟風の衣装防具を装備の光魔ルシヴァル宗主専用吸血鬼武装を装着した。
頭上に<光闇の至帝>の証しの<光魔の王冠>の幻影が浮かび上がる。
そのまま<光闇の至帝>を発動――。
すると、<光魔の王冠>が降下し、右に<光魔の王笏>が発生した。
王冠と王笏が消えると同時に体から大量に血が放出された。
瞬く間に室内に血が広がって、俺とキュベラスがいる一部を血で満たす。
そんな血の勢いとは別に、キュベラスと俺は血の勢いを少し感じる程度のままだった。
キュベラスの黒髪が背の上で舞っている。
ミディアムヘアだが、長髪に見えた。
眉は細く、黒と紫のアイシャドーが特徴的。
少し丸みのある瞳でキュートな印象も持つ美人。
鼻筋は高く、アヒル口。顎と首筋は細い。
天井と畳の一部の空間は光魔ルシヴァルの大量の血に満ちている。
外から薄蒼の魔夜の光が差し込んでくるからかなり幻想的な色合いになっていた。
「ふふ、これが光魔ルシヴァルの眷属化の儀式……闇の神秘と光の神秘の融合ですね……でも、私には、光が強すぎて恐怖すら感じます……」
「闇神ハデス様も闇の神様ですからね」
「はい、ですが、本体は殆どの力を失い、この体も魂の欠片を幾つか集積されて力を強めていますが、その程度です、今、あの中に入ったら、私は消滅してしまします」
「あぅ」
ハデス様は悲壮感漂う声で悲しげだが、ハミヤの反応する声が、少し可愛い。
そして、俯瞰やクオータービューから、今の俺たちを見たら、光魔ルシヴァルの血の液体は重力が反転したかのような目に見えない壁に覆われているように見えるはず。
キュベラスは少し浮遊したまま血の液体の中でジッとしているが、血の吸収が始まると、俺を凝視したまま苦悶の表情となった。
口から空気と共に銀色の魔力粒子を吐いていく。
その銀色の魔力粒子は子宮を模った。
この新たな眷属の生命を意味するだろう子宮は、皆と変わらないが、闇神ハデスの紋章らしきモノが現れた。
その紋章は子宮の形を保っている銀色の魔力粒子の周囲を旋回していく。更に、浮いていた闇神ハデスの定紋がキュベラスの体にくっ付いては、離れて、周囲のハデスの紋章と共に旋回していく。
すると、血の世界に腰に注連縄を巻いている太ましい子精霊が出現。
続いて大小様々な小精霊と、血の妖精ルッシーの幻影と、闇蒼霊手ヴェニューたちが出現した。
小精霊たちは腰に注連縄を巻いている小精霊と共に行進し、各自、リズミカルに躍りながら触れ合うように血の流れに乗る。闇神ハデスの定紋に乗る小精霊たちは楽しそう。
闇蒼霊手ヴェニューも楽しげに踊る。
闇雷妖精はヘルメのように舞い、動きに合わせて光が煌めく。
雷属性を意味するように放電模様をあちこちに発生させながら楽しそうにダンシングを繰り返し、ハデスの紋章を取り込んだままキュベラスの体に吸い込まれていく。
血霊衛士の集団も現れて行進を開始。
皆、陛戟を持つ。
血霊衛士たちが儀仗を掲げ足踏みを交互に行う様は迫力があった。
そんな血の世界に、無数の血の龍と幻想的な宝船も出現。
大きい血の龍が、背に宝船を乗せつつ優雅に泳ぐ。
帆が煌びやかに輝くと神々しい装飾が宝船に増えていく。
神の宝船は、神々が乗るように美しく進化すると、キラキラと輝きながら龍から離れた。
銀河を駆けるトラッカーにも見えてくる。
宝船の甲板には七福神の装いの血妖精ルッシーたちと闇蒼霊手ヴェニューたちが厳かに鎮座していた。
宿曜師の衣装に身を包んだ血妖精たちは星々の光を纏いながら優雅に舞い降り、闇蒼霊手ヴェニューの一団は深い闇の力を操り、異空間を紡ぎ出していく。
宿曜師の血の妖精たちはキュベラスへと福を授けるような仕種を取る。
と、実際にキュベラスに近づき、神の命奥山の―の枝を感じさせる榊で、髪や体を撫でては、キュベラスの体内へと突入し、波紋と衝撃波のようなモノを血の世界に作り出していく。
キュベラスは以前と苦しそうだが、俺をジッと見ては、恍惚な表情を浮かべる時がある。その視線に応えるように『がんばれ』とメッセージを送った。キュベラスは血を吸収しながらも微笑んで『はい』と頷いた。
周囲には、赤ちゃんルッシーを抱いたルッシーもいる。
そのルッシーは慈愛の念を込め子守唄を口ずさむ。
太鼓腹のルッシーは自慢の太鼓腹を叩き、お祭り騒ぎをヒートアップさせるように踊りながら前進。
頭に矢が刺さった落ち武者ルッシーたちは、過去の栄光を偲び、静かに佇む。
子連れ狼ルッシーは、武士道精神に則り、子を護るような威厳を見せる。血妖精たちは伝統の田楽踊りを披露。
皆、眷族になろうとしているキュベラスの祝福と加護が込められていると分かる。
キュベラスの周囲を行き交う血の龍は、闇神ハデスの定紋と闇神ハデスの紋章を取り込みながら、血の流れに乗るようにキュベラスの体内に取り込まれていく。闇神ハデスの定紋はキュベラスの体から離れ血の海を行き交い、俺の体にも付着を繰り返す。
龍に乗っている血妖精の数と闇蒼霊手ヴェニューの数は増えていく。
キュベラスの光魔ルシヴァルの血を吸収する速度が上昇していく。
血のルッシーの妖精と小精霊たちも、その血の流れ乗って踊りながら楽しそうにキュベラスの体の中へと吸い込まれていった。そのたびに、キュベラスの体が感じるようにビクッと揺れていた。
豊かな乳房を隠すブラジャー系の防具も煌めいて見える。
露出の多い衣装は肌に密着していて、美しいキュベラスの肢体を顕わにしていた。
その素肌に、光と闇の筋とルシヴァルの紋章樹のような模様が発生していく。
その筋とルシヴァルの紋章樹の模様から光と闇の閃光が迸り、血と混じり合いながら陰陽太極図のような模様を幾つも血の世界に模った。
その陰陽が小形のルシヴァルの紋章樹へと変化し、俺とキュベラスの周囲を旋回しながら音波を発生させていた血の錫杖と衝突を繰り返した。
錫杖からは激しい音波が発生し、小形のルシヴァルの紋章樹と衝突、触れるたび、色とりどりの輝きを放ち消えていく。
やがて、キュベラスは血妖精たちと小精霊と闇蒼霊手ヴェニューと宝船の乗った宿曜師の格好のルッシーたちのすべてを取り込む。途端にキュベラスの背後に半透明のルシヴァルの紋章樹が発生した。闇神ハデスの幻影も現れる。
半透明のルシヴァルの紋章樹はキュベラスと重なった。
闇神ハデスの幻影もキュベラスの体と重なるように消える。
キュベラスは、『あぁぁ……』と喘ぎ声を発し、体は半透明に。
ルシヴァルの紋章樹も半透明だから、融け込んだように見えた。
が、キュベラスの体から放たれている光と闇の魔力が、キュベラスの生命を意味するように本物の大きい心臓に、普通ではない内臓類を見せ、銀と金の骨に無数の動脈と静脈に毛細血管などが煌めきながら魔力を強めてリアルな本物の体に戻る。
同時に、半透明のルシヴァルの紋章樹の幹から葉脈のような魔力とキュベラスの体が複雑に絡み合う。
<闇透纏視>で見ると、光魔ルシヴァルの複雑な魔点穴と繋がっているようにも見えたが、魔人キュベラスの大本か。
魔族としてのキュベラスは、やはり、普通の人族ではない証拠。
ルシヴァルの紋章樹から出ている銀色の魔力がキュベラスの全身を巡って、肌に光の筋を現していく。
榊の葉と枝から生命力に満ちた露がキュベラスの肌に付いていく。
キュベラスの全身を巡る血筋の模様は、生きた蔓のようにキュベラスの肢体を愛おしむように抱きしめ、深紅の花を咲かせるように乳首を中心として円を描いていた。
ルシヴァルの紋章樹の幹と枝は太陽の如く輝きながら、左右に優雅に伸びていった。
万朶の枝には銀の葉と花が咲き、勾玉の形をした神秘的な実が宿る。
その実は熟すと同時に宙空へと魔力粒子となって散り、キュベラスの体内に吸収されていく。生命の誕生から終焉、そして再生の循環を表しているようだ。
紋章樹の頂きは眩い陽の光を放ち、深い根は闇の底へと伸びて陰を宿している。
光と闇の完全なる均衡を示す姿だった。
ルシヴァルの紋章樹の頂は眩い陽の光を放つ。
深い根は闇の底へと伸びて陰を宿す。
光と闇の均衡を表す。
その根はキュベラスの体に絡みつくと、ルシヴァルの紋章樹の一部の幹が本物の色合いに変化し、そこから銀の葉が付いた榊の棒が出る。
それを掴み、キュベラスの体を祓っていく。
その体を榊の棒で祓うたび、恍惚とした表情を浮かべる。
と、キュベラスの過去の記憶が――。
薄暗い石造りの部屋……。
目の前には、人の皮を被った冷酷な存在――サケルナート、いや、闇神の大眷属ルキヴェロススが立っている。
クリムと同様に、倒したが、魔法学院ロンベルジュ魔法上級顧問であり、【魔術総武会】の魔法ギルドの裏切り者でもあった。
その目は底なしの闇を湛え、キュベラスを見下ろしていた。
壁際には、硝子のような檻が並び、その中にはキュベラスが使役した百を超えるはずだった〝ジェレーデンの獣貴族〟たちが、魂を抜かれた人形のように、ぐったりと横たわっていた。誇り高き彼らの瞳から光は失われ、ただ無機質な殻と成り果てている。
「私の言う通りに動け、キュベラス。さすれば、お前の可愛い獣ども、今は少々弱っているようだが――の安全は保証しよう。が、逆らえば……」
言いながら、ルキヴェロススの細い指先が檻の一つへと向けられた。
その中には、幼いリス型の獣貴族ケニィが怯えたように小さく丸まっていた。
次の瞬間、キュベラス自身の心臓部に、鋭い痛みが走る。
見えざる手が魂を掴み、冷たい魔札が深々と打ち込まれる感覚。
全身の自由が奪われ、思考さえも監視されるような絶対的な支配。
……くっ…! この私があっさりと…!
奥歯を噛みしめる。黒の預言者としての誇り、力への自負は粉々に砕かれた。
しかし、檻の中でかろうじて生命を繋いでいる。
同胞たちの姿が、抵抗という選択肢を奪う。
「安全は保証する」
――その言葉を信じるしかない。
「承知、したわ……」
絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、屈辱に震えていた。
場面は変わる。今度は豪奢な研究室のような場所か。
一見人懐こい笑みを浮かべる青年、こいつ、第三王子クリムか。
無邪気な好奇心で檻の中の獣貴族を指さしている。
「ねえキュベラス。この子のこの部分、すごく面白い構造をしているね。僕の研究に役立ちそうだ。少し、借りてもいいだろう?」
その言葉に、キュベラスの胸がざわつく。
クリムの言う「借りる」が、単なる観察でないことは明らかだった。
実験、改造……良くて衰弱、悪ければ……。
しかし、サケルナートは「安全は保証する」と言った。
クリムもサケルナートと繋がっているはずだ。まさか、殺すようなことは……。
……また利用されるのか……。
だが、サケルナートが保証すると言ったのだ。
きっと無事に戻ってくるはず……いや、戻ってこなくては……!
一抹の不安と疑念を心の奥底に押し込める。込み上げる怒りと、同胞の無事を願う気持ち、そしてサケルナートへのわずかな信頼というより、そう信じたい願望……。
それが、キュベラスの中で渦巻く。
彼女は<擬心波>の深層にその葛藤を隠し、クリムの要求を黙認するしかなかった。
ルキヴェロススに命じられるまま、闇の教団ハデスを動かし、セブドラ信仰の者たちを欺き、時には自らの手を汚す日々。
心はすり減っていくが、「いつか獣貴族たちを取り戻す」という希望だけが支えだった。
――場面は変わり、ペルネーテの騒乱時。俺との激闘の最中だ。
キュベラスの計画は狂い、状況は刻一刻と悪化していく。
それでも、彼女の頭の中には「まだ策はある、まだ挽回できる」という思いがあった。
そう考えた矢先のことだった。
天を衝く禍々しい黒い閃光が降り注ぐ。それは明らかに自分たちを標的としていた。
高高度からの正確無比な狙撃。この魔力の質、このやり口は――クリム!
私ごと、槍使いを消すつもりか…! 利用するだけ利用して、この場で…!
あの男にとって、獣貴族の安全など、最初から反故にするつもりだったのか…!?
全身に電流が走るような衝撃と怒り。
そして、今まで信じようとしてきたものが崩れ落ちる絶望感。
同時に、奇妙な安堵感もあった。
これで、この忌まわしい支配から解放されるのかもしれない、
と。シュウヤに討たれる方が、クリムの駒として無様に死ぬより、どれほどマシか。
だが、シュウヤは自分を庇うように動いた。そして、あの黒い閃光を防ぎきった。信じられない光景。
なぜ……? 私を助ける理由など……。
混乱する思考の中、俺との戦いで決定的な差が出た。
敗北は決定的。
しかし、その瞬間、心には恐怖よりも、長い間忘れていた感情が芽生え始めていた――。
真実を知ることへの怖れと、それでも自由になりたいという、切なる渇望が。
目の前には、静かに涙を流すキュベラス。
その瞳には、長年の欺瞞と支配から解放された安堵と、未来への不安か。
俺に対する複雑な信頼の色が浮かんでいた。
キュベラスは、人質という偽りの希望に縛られ、利用され続けてきた。
その苦悩、魂の枷の重さは、痛いほど感じられた。
この時のキュベラスは、まだ知らなかったんだよな、獣貴族たちの真の運命は……。
あの時、絶望を味わったはず、
お前はずっと、騙され続けていた。それでも……。
記憶の流入はストップした。
……目の前の元・黒の預言者キュベラスに対して、深い共感を覚えた。
真実を知る痛みを共に背負う覚悟、守るべき仲間としての新たな決意を静かに固まる。
キュベラスの体の光の筋が現れ消え無数の血の筋となって、その血の筋も消えた。
消えゆく血の筋から血の線と不思議な乱数表のような奇妙な羅列が血の世界に生まれると、周囲の血の空間に穴を空けて散って消える。
すると、祓い棒のような銀色の葉と万緑の葉が付いた榊のような棒に魔力を吸われ、キュベラスの体に吸収される。
途端に、ルシヴァルの紋章樹の表面に、光魔ルシヴァルの一門の系譜が系統樹として浮かび上がっていく。
第一の<筆頭従者長>ヴィーネ――。
第二の<筆頭従者長>レベッカ――。
第三の<筆頭従者長>エヴァ――。
第四の<筆頭従者長>ユイ――。
第五の<筆頭従者長>ミスティ――。
第六の<筆頭従者長>ヴェロニカ――。
第七の<筆頭従者長>キッシュ――。
第八の<筆頭従者長>キサラ――。
第九の<筆頭従者長>キッカ――。
第十の<筆頭従者長>クレイン――。
第十一の<筆頭従者長>ビーサ――。
第十二の<筆頭従者長>ビュシエ――。
第十三の<筆頭従者長>サシィ――。
第十四の<筆頭従者長>アドゥムブラリ――。
第十五の<筆頭従者長>ルマルディ――。
第十六の<筆頭従者長>バーソロン――。
第十七の<筆頭従者長>ハンカイ――。
第十八の<筆頭従者長>クナ――。
第十九の<筆頭従者長>ナロミヴァス――。
第二十の<筆頭従者長>ルビア――。
第二十一の<筆頭従者長>レン――。
第二十二の<筆頭従者長>エラリエース――。
第二十三の<筆頭従者長>ファーミリア――。
第二十四の位置に、新しい円が刻まれていく。
そして、<従者長>の系譜も浮かび上がる。
<従者長>カルード――。
<従者長>ピレ・ママニ――。
<従者長>フー・ディード――。
<従者長>ビア――。
<従者長>ソロボ――。
<従者長>クエマ――。
<従者長>サザー・デイル――。
<従者長>サラ――。
<従者長>ベリーズ・マフォン――。
<従者長>ブッチ――。
<従者長>ルシェル――。
<従者長>カットマギー――。
<従者長>マージュ・ペレランドラ――。
<従者長>カリィ――。
<従者長>レンショウ――。
<従者長>アチ――。
<従者長>キスマリ――。
<従者長>ラムラント――。
<従者長>エトア――。
<従者長>ラムー――。
<従者長>リューリュ――。
<従者長>パパス――。
<従者長>ツィクハル――。
<従者長>シャナ――。
<従者長>ハミヤ――。
光魔ルシヴァルの系統樹は圧巻だ。
紋章樹の幹と枝葉には鮮やかな血の樹液が脈打って流れていた。
それぞれの眷属の名が刻まれた円の周りには、彼らの姿が精巧な木彫りのように浮かび上がっている。ヴィーネは翡翠の蛇弓を構え、レベッカは<光魔蒼炎・血霊玉>を操る姿で表現されていた。一方、エヴァは吸筒を口にしながら<紫心魔功>を発動する様子、ユイは魔剣を振るい、ミスティは魔導人形のゼクスを自在に操る姿で刻まれていた。
<筆頭従者長>のヴェロニカの円からは、メルとベネットへと繋がる線が、より強い光を放っている。
〝血宝具カラマルトラ〟を持つ二人の姿は生きているかのように浮き彫りの中で息づいていた。
<血魔術・製本>の魔術書を手にした彼らの造形には、これまでにない精緻さが宿る。
<筆頭従者長>バーソロンを頂点とするチチル、ソフィー、ノノへの系譜も、より深い絆を示すように輝きを増していく。ナロミヴァスの円に繋がる闇の悪夢アンブルサンと流觴の神狩手アポルアの魔印は、闇と光の境界を超えた絆を象徴するかのように煌めいていた。
光魔騎士たちの円にも変化が現れる。
光魔騎士デルハウト、シュヘリア、グラド、ファトラ、ヴィナトロス。
バミアルとキルトレイヤの木彫りから風神イードの魔印に至るまで、それぞれがより深い輝きを帯びていく。古の水霊ミラシャンの両爪が武器となった姿は前と異なる形の浮き彫り。
クナは月霊樹の大杖と魔印を掲げ、ルシェルが錬金素材とスクロールを使い、フォローしている姿の木彫り。
バミアルとキルトレイヤの木彫り、ナギサ、ミレイヴァル、イモリザとツアンとピュリンの木彫りとフィナプルスの彫り、<古兵・剣冑師鐔>のシタン、ヘルメは<ウラニリの流星雨>を使用している姿の木彫りに変化し、月と水滴の形をした造形が浮いている。<双月の加護>と<水の神使>の意味か、グィヴァ、風の女精霊ナイアの印と形も精巧な彫像だ。風神イードの魔印も近くにある。
腰に注連縄を撒いている小精霊に黒猫の姿の木彫りと白蛇竜小神ゲン様の短槍と氷皇アモダルガと氷王ヴェリンガーの木彫りは前に見つけた位置と違う場所にある。
ハミヤは、聖血剣ダクラカンを掲げている木彫りだが、銀色の蔓に葉と絡んでいる。
周囲の木彫りには、聖鎖騎士団の紋章と聖剣ダクラカンが彫られ、周囲には光の輪をモチーフとした陰影も彫られてある。
ヘルメは<ウラニリの流星雨>を使用する姿で表され、月と水滴形の魔印が周囲に浮かぶ。グィヴァや風の女精霊ナイアの印も近くに刻まれ、アムシャビス族の〝紅翼の宝冠〟の紋様さえも見て取れる。
古の水霊ミラシャンも<水晶銀閃短剣>を繰り出しているところに変化。
<魔蜘蛛煉獄王の楔>の蜘蛛娘アキと蜘蛛娘アキの部下アチュードとベベルガの形も再現されているが、位置はこの間と異なる。
<筆頭従者長>ファーミリアの円からは、<筆頭従者>ルンス、ホフマン、アルナードへの枝が放射状に伸び、彼らがそれぞれ持つ特徴的な武器と共に描かれていた。その背景には、ヴァルマスク家の紋章と吸血神ルグナドの印が交わる独特の紋様が浮かび上がり、光と影が交錯する美しさを醸し出していた。
そして――光魔ルシヴァルの系統樹に新たな大きな円が現れる。
第二十四番目の位置に、古代文字で「キュベラス」の名が金色に輝きながら刻まれていった。
完成したルシヴァルの紋章樹は、まばゆい光を放ち、光魔ルシヴァルの血と共にキュベラスの体内へと吸収されていく。
儀式の完了と同時に、キュベラスは体を震わせ、力なく倒れ掛かった。
すぐに前に出て、体を支えてあげた。
目を開けるキュベラス、少し充血している。
「……シュウヤ様の体温に、匂い……あぁ……<血魔力>を感じ、光魔ルシヴァルの<筆頭従者長>に成れたようです」
「おう」
「あっ……」
と、俺の声を聞いて体がビクッと跳ねる。
女の匂いをすぐに察した。
<血霊兵装隊杖>を終了させ、肩の竜頭装甲を意識し、軽装をイメージ。
右の肩に現れた竜頭装甲のハルホンクは、
「ングゥゥィィ」
と鳴いて、一瞬で、ルシホンクの魔除けと魔竜王の素材を活かした、ラフな半袖とズボンに切り替えた。
首筋を晒すようにキュベラスに首を差し出す。
「血を吸うといい――」
「はい――」
キュベラスは、俺の首に口付けをしてから犬歯を立てた。
ゾクッとしたが、すぐにカッとした痛みが走る。
キュベラスは勢いよく、俺の血を吸い取っていく。
キュベラスから喉を越えて血を飲む音が響くたび、キュベラスの心臓が高鳴って、俺を抱きしめる力を増してきた。
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