千七百七十七話 源左サシィと再会
半透明な膜のようなディスプレイが四方に浮かび上がる。
虚空から実体化するかのように、輪郭がぼんやりと揺らめきながら現れた。中央では脳髄のようなモノが脈動するように出現しては消え、生命の鼓動のような律動を刻んでいる。
硝子の五次元超立方体にも見えた。
「おぉ、この魔街異獣のコントロールユニットは何回か見ているが慣れないぜ」
ハープネスの言葉に頷いた。
助けた黒髪の女性を解放すると、エヴァが、
「ん、大丈夫、こっちに――」と「あ、はい」とエヴァに身を寄せた。
すぐに、俺の前に展開した膜の層と図形の辺と辺の一部が揺らぐ。
マンデルブロー集合の波形になり、その揺らぐ表面に草原と丘に稲穂が靡く世界と、恒星の太陽が映る世界と、岩石惑星と岩石が融合したまま一つの歪な巨大岩石惑星になっている世界や、月の裏側の施設にあるような施設にいる人間の男が巨大な硝子越しにこちらを見つめている、と、そんな不可思議な世界の映像が映り込んでいるのは前と変わらないまま、不思議な映像だけが消えて、膜状のディスプレイのみとなる。
そのディスプレイの一部から蒼く輝く魔線が蛇のようにうねりながら伸び、俺の体へと繋がった。魔線が肌に触れた瞬間、ビリリと微弱な電流のような感覚が全身を駆け巡る。骨鰐魔神ベマドーラーと感覚を共有すると、自分の意識が拡張し、巨大な骨鰐の身体感覚が俺の中へと流れ込んでくる。
「……これ、は、魔街異獣の中……転移を……」
黒髪女性魔族は、驚きながら俺と俺の前に展開している不思議な膜状の魔法のディスプレイを凝視している。
すると、相棒が、好奇心に満ちた瞳で魔線を観察してきた。
「ンン」
その黒豹が、鳴きながら、猫パンチ。
またも、小さな前足をフック気味に構え、絶妙なタイミングで猫パンチを繰り出していく。そのまま空を切ること数回――。
やがて満足げな表情となった相棒ちゃん。
俺の右足に小気味よいリズムで猫パンチを浴びせてくる。
俺の主の注意を引こうとする甘えた仕草にも見えた。
笑いながら、
「八つ当たりか?」
「にゃご」
「ふふ」
「ははは」
相棒の声と態度に、皆も笑った。
黒豹だから、少し肉球パンチは強烈だが、肉球の感触は柔らかい。
黒豹の背後から忍び寄ったレベッカは、優しい笑みを浮かべながら、相棒の両前足をそっと両手で掴んだ。
「ふふ!」
と、銀鈴のような笑い声を響かせながら、黒豹を大切な宝物のように抱き上げ、絹のような毛並みの頭部に愛情たっぷりのキスを落とす。
黒豹は一瞬だけ耳をピクリと動かしたものの、レベッカの愛撫に身を委ねた。
それは、女王の寵愛を受ける騎士のように威厳と甘えを混ぜ合わせた表情で好きなようにさせていた。おなかの産毛と少し薄い桃色が混じる地肌がタプタプと揺れてる。
銀灰虎と黄黒虎は、そのレベッカの細い足に頭突きを行っていく。ヒュレミは白黒猫として、魔導車椅子に腰掛けているエヴァの右肩に乗っていた。
黒髪の女性魔族は、その近くにいる。
途端に、骨鰐魔神ベマドーラーの頭蓋骨の内壁と、床が透明な水晶のように透け渡り、壁と床に外の世界が鮮明に映し出された。
全天周囲モニター的だ。
骨の内側にいながら、あたかも空中に浮かんでいるかのような感覚が広がる。少し先に魔夜世界に輝き示す【レン・サキナガの峰閣砦】の雄姿が映し出されていた。
壁と足下には、蜘蛛の巣のように複雑に絡み合う【メイジナ大街道】、緑の帯のように蛇行する【サネハダ街道街】、そして石畳が白く光る【ケイン街道】が大地を分断しながら伸びる壮大なパノラマが広がっていた。
スカイツリーや東京タワーの標高の高い場所から関東地方の平野を見たことを想起した。
床ガラスから真下の地面を見た時は、玉ひゅんしたっけか。
点在する集落や流れる川……。
行きかう人々の姿まで克明に捉えられる。
「「わぁ~」」
「骨鰐魔神ベマドーラーの頭部と分かるけど、やっぱり、透けて見えるのは驚き」
改めて、【メイジナ大平原】に戻ってきたと理解できる光景だ。
と、そこに巨大な漆黒が見えたと思ったら眼球が――。
「『ウォォォン! 主とうぬら、どこに行ってたのだ!』」
ドッとした重低音と神意力を有した念話と言葉が響く。
魔皇獣咆ケーゼンベルスだ。
「「「わっ」」」
「「おぉ」」
「にゃぉ~」
エトアにレベッカと相棒たちも驚く。
黒髪の女性は震えていたが、エヴァが、
「ん、大丈夫、ケーゼンベルスは優しい」
「あ、はい」
<骨鰐魔神ベマドーラーの担い手>意識して、
「外に俺の声が響くようにできるか?」
「――ボォォン」
膜状のディスプレイと繋がっている魔線が煌めく。
「「――ケーゼンベルス、大月の神ウラニリ様と小月の神ウリオウ様と邂逅を果たした。ハーヴェスト神話の秘密を解いてきたとも言えるか、そして、これからサシィのところに戻るつもりだ――」」
骨鰐魔神ベマドーラーの顎から轟音となって響き渡る俺の声に魔皇獣咆ケーゼンベルスは目を見開く。
驚きのあまり後肢で地面を掻きながら数歩後退した。
古代の大魔獣の巨体が一瞬揺らぐ。
大きく尖った耳を興奮したように震わせ、瞳孔が縮むと拡がるを繰り返してから、
「『ウォォォン!』」
咆哮は大地を震わせ、周囲の小鳥たちが一斉に飛び立つ。
「『了解した、我も共に行こう!!』」
その声には喜びと高揚感が満ちていた。
「「おう」」
力強く応じる俺たちの声に、ケーゼンベルスの黄金の瞳が満足げに輝いた。
魔皇獣咆ケーゼンベルスはドッと重低音を響かせ宙空に跳躍。
巨大な魔皇獣咆ケーゼンベルスの足下が、心配になるが、幸い住宅地ではないから良かった。泥濘みにはケーゼンベルスの肉球跡が残る。
巨大だが結構可愛い。
そのままサシィに、
『サシィ、すぐに向かう』
『分かった』
サシィの血文字が消えかかったところで、
「ボォォン」
と、骨鰐魔神ベマドーラーが音を響かせる。
レンは、
「ふふ、ケーゼンベルスは相変わらず」
「そうですね」
バーソロンと頷き合う。
「今までいた場所が戦場だったこともありますが、故郷の景色をこうして見ると、心が安らぎます」
「ですね」
「バーソロンはあの【ローグバント山脈】の向こう側ですね」
「はい、【ローグバント山脈】の先」
レンとバーソロンは外の景色が映る込んでいる壁際に寄る。
そのレンは右手に煙管を召喚し、体を開き、俺を見て微笑む。
薄紫色の唇をかすかに開き、その口に煙管の口元を付けるように咥え、火皿を赤らめながら魔煙草を吸っていた。
細い指と掌が、羅字を支え持つ。その煙管の持ち方は、武士のソレだ。
仕種が魅惑的。小さい口内を少し見せるように開いて、煙を吐く。
途端に、黒色が基調の着物ドレスに模様が変化。
首の前後と胸元が開いた和風ドレスにも見える防護服。
鎖骨と大きい乳房の上部も見えている。
紫色の布地の帯と白色の太い腰紐に、腰の帯留めと帯揚げの太い紐にぶら下がる三つの魔刀は前と変わらず。
紫の帯の布地の浮世絵風の絵と龍や鬼にルシヴァルの紋章樹が絡む模様は新しいか。
<血魔力>は前と変わらず。
そして、生の太股に長い足も見えているから魅惑的。
その太股の内股の『血闘争:権化』と『血鬼化:紅』の魔法文字が輝く。
<血魔力>を帯びているから美しい。
隣にいるバーソロンも外を見ている。
髪留めを活かしたアップアレンジの髪形は非常に似合う。
首筋の産毛が、ヴィーネのポニーテールの時に近い産毛の見え方だから、結構好きだ。髪の毛を少し下に引っ張り解くイタズラをしたくなるが、ここではしない。
そのバーソロンが振り向き、
「……バーヴァイ地方には皆がいますので、陛下と共にサシィたちに会いにいきます」
頷き、「分かってる」と言うと、バーソロンも微笑む。
頬と首の頬と首の炎の模様は少し輝いた。
軍服の防護服の、ブラジャーに近い形の胸を守る装甲が格好いい。
「では、このまま南進し、【ローグバント山脈】を越えて【源左サシィの槍斧ヶ丘】に行こうか――」
「ボォォォォン」
<骨鰐魔神ベマドーラーの担い手>意識し、操作――。
骨鰐魔神ベマドーラーは飛翔を開始した。ケーゼンベルスが駆けている姿は小さく見えていたが、跳躍したのか、もう見えなくなった。
「「「「はい」」」」
「「おう!」」
「「うむ」」
「行きましょう~♪」
「「「了解」」」
「ん」
「ニャァ」
「にゃァ~」
「ニャォ」
「ワォォン」
「グモゥ~」
「パキュル!」
「ピュ~」
骨鰐魔神ベマドーラーは順調に【メイジナ大平原】と【ベルトアン荒涼地帯】と【闇雷の森】を越えて大きい丘が幾つも見えてきた。
すぐに【源左サシィの槍斧ヶ丘】の地形が見えてくる。
槍と斧槍と似た細長い岩が多い。
風は感じないが、全天候型モニターのような外がダイナミックに景色が変わっていくのは楽しい。
「ワォッン! ワンッワンッ!」
銀白狼も尻尾を激しく揺らしながら、何度も吼えて、床を噛み付こうと跳びかかっていた。面白い。
険しい岩山と深い渓谷が並ぶ。天然の要害の地形ばかりだ。
前にも思ったが、三國志の世界における蜀の国を思わせる。
敵軍が攻め込もうとしても、ここを制圧するには膨大な時間と犠牲を強いられるだろう。劉備の築いた国を、残念ながら守りきれなかった劉禅の末路が脳裏に浮かぶ。才なき君主の悲劇だ。
とはいえ、小説『三國志演義』と正史『三國志』では……。
劉備玄徳その人の姿がまったく異なる点も興味深い。
歴史と物語の狭間で変容する英雄の姿を考えると、この地の支配者たちもまた後世にどう語り継がれるのだろうか。
そんな歴史の流れに思いを馳せていると、視界に土で築かれた堤防と美しく整えられた段々畑が広がり始めた。
要所には木造の櫓が点在している。
そして「お」と思わず声が漏れた。
伝統的な具足帷子と革製の上具足を身にまとった射手たちと様々な形状の魔銃を携えた兵士たちが見事な配置で警備についていた。
弾倉の付いた、かつての地球で言うウィンチェスターライフルを彷彿とさせる魔銃は装飾や形状の違いから、結構な種類の派生型が存在することを思い出す。
惑星セラに伝わる第一世代の聖櫃の魔銃との構造的差異について、かつてアクセルマギナが瞳を輝かせながら分析していた光景が懐かしく甦った。
歴史の経路は異なれど、武器の進化には一定の法則があるのかもしれない。
すると、左場と右場のどちらかの山が見えた。
先を進む、魔皇獣咆ケーゼンベルスの尻尾も見え隠れ。
『……閣下、あの山を越えたらすぐです。そして、昔あの山の片方を源左の者たちと一緒に、マーマインたちの撃退したことを思い出しました』
『そうだった。ヘルメもここで一時がんばった』
『はい! 閣下との熱いキッスも良い思い出です』
『そうだな』
念話を返し、左目に宿るヘルメに向け、血の律動のように脈打つ熱い<血魔力>を意識の奥底から湧き上がらせてプレゼントした。
『アァン――』
ヘルメの念話は甘美な蜜のように甲高く。
まるで全身を電流が駆け抜けたかのような恍惚に満ちた喘ぎとなって響き渡った。少し煩悩が刺激された。
その後、ヘルメの気配は波間に沈む月のように静かに薄れ、喜びに溺れているのか、しばし聞こえなくなった。
そこに、
「マーマインとの戦か。主の記憶を体感しているから、生々しいぜ」
「「「あぁ」」」
「ですな」
「俺様も体感しているから、分かるぜぇ」
「「はい」」
「うむ、俺がいればマーマインとの戦いも楽だったはずだ。源左の櫓ごと潰す形となるが」
アドゥムブラリとハンカイとツアンとパパスアルルカンの把神書と闇鯨ロターゼが会話していく。野郎組の言葉は結構新鮮だ。
すると、ビュシエが、
「血文字で数回聞いてますが、裏切り者のタチバナの処遇がどうしても氣になります」
「上笠連長も重臣だ。その配下の役所に働く役人も多いからな。勿論、マーマインと直に連なっていた連中は既に処理済みだと思うが、泳がせているには理由があるってことだろう」
「はい」
ビュシエは、吸血神ルグナド様の元<筆頭従者長>だ、処置は甘いと思っているんだろうな。
ファーミリアたちは無言。
と、奥座敷が見えたところで、骨鰐魔神ベマドーラーが止まる。
『「ウォォォォン~」』
先に到着していた魔皇獣咆ケーゼンベルスが突兀した場所で吼えている。自然と、俺の体に付着していたコントロールユニットの魔線が外れた。
「ボォォォォォン」
骨鰐魔神ベマドーラーが鳴いて、俺たちの到着を内外に知らせた。
「皆、外に行こうか」
「「「はい」」」
「「おう」」
「ん、もうすぐ、床があがるから」
「はい!」
黒髪の女性魔族は着ている衣服はどこか学生服を連想させるが、装甲も付いているから違うかな。
「「「「ハッ」」」」
「ベマドーラー出る、上げてくれ」
一瞬で、足下の床が浮上し、骨鰐魔神ベマドーラーの頭蓋骨の天辺に出た。
見えている風に風を感じると、俺の体からも風が出る。
――<砂漠風皇ゴルディクス・イーフォスの縁>の効果か。
宙空に砂塵の肉球の足跡が付いて行く。
その肉球を追い掛けるように「ンンン――」と鳴いた黒猫になっていた黒猫が骨鰐魔神ベマドーラーの頭蓋骨の上を走っていく。
端から跳び降りては、奥座敷の庭に飛翔していく。
「懐かしい空氣!」
「ここの空氣はやはり、気持ちが良い!」
「はい、【源左サシィの槍斧ヶ丘】ならでは、自然食品が豊富な理由でしょう」
リューリュ、パパス、ツィクハルが発言。
最初、【源左サシィの槍斧ヶ丘】に来た時は黒狼隊も一緒だった。
「ん、行こ~」
「行きましょう、ご主人様、サシィの魔素は近くです」
「おう」
「フクナガさんと、美味しい料理、かもーん!」
「「ははは」」
レベッカらしい言葉を叫び、先に骨鰐魔神ベマドーラーから飛び降りる。俺たちも笑いながら骨鰐魔神ベマドーラーの頭蓋骨の天辺から離れた。
<武行氣>を活かすように飛翔しながら奥座敷の庭に向かう。
何度も見ているが、懐かしいし、嬉しい。
立派な大棟と垂木に破風に屋根から、日本の家屋を思い出す。
格子窓と縁柱と大きい縁側も変わらない。
エヴァと黒髪の女性魔族は共に降りてきた。
ミウという名らしいが、骨鰐魔神ベマドーラーを操作していたこともあり、遠慮して話をしてきていない。ヴィーネとミスティとユイとは先程会話していた。
すると、下から、
「シュウヤ!」
サシィだ。風を切って飛翔してくる。
漆黒の瞳はユイと瓜二つで、感情の深さを湛えている。
繊細に描かれた細い眉毛に桃色の目尻の化粧が日差しに映えて一層美しく見える。
典型的な東洋人を思わせる洗練された鼻筋に、小さくも艶やかな唇、そして引き締まった顎線がEラインを作り出し、小顔の魅力を際立たせていた。
姫武将が着るような陣羽織は似合う。
初めて出会った頃よりも色合いが綺麗に見えた。
躊躇なく、宙空でサシィを抱きしめる――。
体が一つになったままゆっくりと回転しつつ奥座敷の庭に舞い降りた。
サシィの漆黒の髪を手の甲で撫でながら背に掌を回し、その温もりを確かめるように腕に力を入れて抱き寄せる。
「元氣そうで何より、サシィ」
「当然だ――」
強く抱きしめてきた。
ヴィーネたちは何も言わず、奥座敷の伽藍石と庭を進み、礎石に縁の下から靴を脱いでから上がっている。
玄関から入るのが礼儀とかありそうだが、ま、大丈夫か。
「サシィ、血文字で色々と皆から連絡は受けていると思うが」
「あぁ、分かっている。とりあえず茶と団子などは用意しているから、部屋に入れ」
「了解って、皆が先に入ったが」
戸惑いの表情を浮かべながら振り返る。
「ふふ、いいから行こう」
サシィの声には懐かしさと少女のような無邪気さが混ざり合う。
黒曜石のような瞳が微笑みで輝いていた。
「おう」
その表情に心を打たれ、思わず柔らかな微笑みを返した。
と、サシィの細い指が俺の腕をしっかりと引っ張る。
久しぶりに帰ってきた恋人を独り占めしたい子供のような仕草だ。
緑豊かな庭から伝統の香りが漂う奥座敷へと俺を導いていく。
古き良き記憶と新たな冒険の物語が交錯する場所へと――。
続きは、明日、HJノベルス様から書籍「槍使いと、黒猫。1巻~20巻」発売中。
コミック版発売中。




