千七百六十九話 荒神猫キアソード
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魔界セブドラの【荒神猫キアソードの封印地】と呼ばれる場所は、幾重にも重なる山々の谷間に位置する地。
常に異形の霧に包まれていた。
封印地の中心には、巨大な猫の像が横たわる。
岩と化した体の一部は大地に埋もれ、頭部だけが露出していた。
しかし、この像は単なる石ではない。荒神猫キアソードの本体だ。
嘗ての、荒神猫キアソードは、荒神大戦ではホウオウ側に属し、アズラ側の神々と戦っていたが、戦神ヴァイスと闇神リヴォグラフの大眷属闇死花公イビロヌラの攻撃をもろに浴びて神格を失いつつ、吹き飛び、ローデリア平原を作るように己の血肉を東マハハイム地方に撒き散らしながら山々を削る。
東マハハイム地方に多種多様な獣人族が生まれた一端の理由だが、この獣人の発展した切っ掛けを知る現存している神々の数は徐々に少なくなっている。
そして、神格を失った荒神猫キアソードだったが、東マハハイム地方に、己の血肉から生まれた無数の獣人族たちに救われたことで徐々に力を取り戻す。
永きに亘り守り神の猫神として崇められていたが、嘗てのアズラ側の旧神、亜神、呪神、荒神に加え魔界と神界の眷族衆や【八葉風妖】たちとの戦いに巻きこまれ、眷族衆を助けるため傷を負う。そこで傷場を利用し、魔界セブドラに避難する。
ところが魔界セブドラもまた大きな混乱の渦中に沈んでいた。
その空は黒曜の雲が渦巻き、大地は神霊の血で満ちた裂け目から漏れる瘴気に覆われていた。
闇遊の姫魔鬼メファーラと戦乙女イツキに破壊の王ラシーンズ・レビオダと戦神キヴェレイの乱戦から、大地は裂ける。
戦神キヴェレイの槍は因果律を貫き、一振りするたびに千の運命が書き換えられる。その鎧は無数の戦場の記憶から紡がれ、彼の周りには常に過去の戦いの幻影が揺らめいていた。
悪神デサロビアは、<腐った眼球ゲヘナ>を吸血神ルグナドと悪夢の女神ヴァーミナに繰り出し、眼魔シアド・眼魔イアブの魔霊組が、悪神デサロビアの背後を急襲する、魔皇グラスベラと闇神リヴォグラフが激突し、狂気の王シャキダオスと闇神アーディンと武王龍神アガツナが戦い、堕落の戦巫女シチィルが、魔猪王イドルペルクと大魔死鬼ゾッドアレイナと魔王デビアブルーンと悪愚王祖パインモースと魔公爵ゼンと狩魔の王ボーフーンと暴虐の王ボシアドと乱戦を行う。
魔力の爆発、次元の裂け目、時間の歪み、現実の書き換え――。
これらの神々が織りなす戦いは魔界の地を様々に変化させる。
セブドラの大地は神々の力によって幾度となく作り変えられ、その姿は刻一刻と変化していった。
この神々と諸侯の混沌とした戦場で、傷ついた荒神猫キアソードは残された神力が紡ぎ出す最後の防壁として近づく敵を拒絶するように戦う。
その炎は通常の火とは異なり、生命を焼き尽くす神焔。
触れる存在を灰化させる恐るべき力を秘めていた。
そうした神意力を活かした<スキル>を活かし、闇遊の姫魔鬼メファーラの配下にして、古き盟友である砂漠風皇ゴルディクス・イーフォスとの密談を重ね、更に、己が血肉から生まれし猫魔獣人の【影猫衆】の最長老たちの智慧を借り受けることで前例なき封印術の構築に着手した。
三日三晩、皆は星辰の配置と次元の節目を計算し、七つの封印符を神血で描き上げた。
キアソードは最後の儀式の夜、己の本質の神核の一部を自らの爪で裂き、封印の核として捧げた。
キアソードを中心に広がった光輪は空間に幻影の森を生む。
時間を停滞させ、現実と非現実の狭間に浮かぶ特異点となり、外部からの侵入を拒む自己防衛機構を備えていた。
隠蔽する結界を生成した。
封印地の周囲には幻影の魔林が生い茂り、その樹々は侵入者の恐怖と欲望を読み取って幻を具現化し、道に迷わせる。
更に異形の霧は触れるものの認識を攪乱し、方角感覚を狂わせ、時には意識そのものを別次元へと誘う。
荒神猫キアソードは、ゴルディクス・イーフォスの砂塵の魔力を借り、最後に魔砂塵の霊符石を頭頂部に残し石像と化した。
そうした影響で、【荒神猫キアソードの封印地】となった。
魔界の神々と諸侯は、荒神大戦の生き残りのキアソードを狙うが、幻影の魔林と異形の霧が生み出された自然の迷宮となった【荒神猫キアソードの封印地】は幾星霜と破られることはなかった。
その聖域を忍び足で歩く影猫衆の長老ニャシドラ。
この日も、荒神猫キアソードの像の頭部に建つ魔砂塵の霊符石の封印の状態を確認するため聖域の奥深くに足を踏み入れていた。ニャシドラは何百年も生きる老猫で、あり、猫に変身可能な、四眼四腕の猫魔獣人。
星の欠片を宿したような深い青緑の瞳を持つ。
ふと、【ウラニリの大霊神廟】がある方向から、大月の神ウラニリ様と小月の神ウリオウ様の魔力を感じ取った。
「……にゃ? これは、まさか、【ウラニリの大霊神廟】の封印が解けたのか……」
更に、その【ウラニリの大霊神廟の遺跡】の方角から風が吹いた。
「む? この風は……」
と、またも風の魔力が吹き抜ける。
砂塵も舞うと、「にゃ、にゃんと!」長老ニャシドラは驚きの声を発した。
砂の上を歩いたように、猫の足跡が宙空に生まれ、風がまた拭いて、その足跡が消えていた。
その猫の足跡の宙空から『にゃ』と、かすかな猫の鳴き声が響く。
と、薄い砂塵魔力で構成された透けた魔猫が荒神猫キアソードの封印されている中央の〝魔砂塵の霊符石〟の上をトコトコと歩いていく。
透けた魔猫は、振り向きつつニャシドラを見て三つ指座りを行った。
「え……闇遊の姫魔鬼メファーラ様の大眷属様、ゴルディクス・イーフォス様!?」
半透明の魔猫は老猫ニャシドラの言葉に笑顔を見せたように髭を動かすと
『……』
消えながら、前足をあげて降ろし〝魔砂塵の霊符石〟を数回叩く。
再度風が吹いて半透明の魔猫は砂塵魔力を残し消えた。
残った砂塵魔力は……槍使いと、黒猫の造形を宙空に描くと、下の〝魔砂塵の霊符石〟の中に侵入する。
ニャシドラは暫し呆然となった。
すると、封印を維持する魔法陣の一部が、わずかに揺らめく。
「……封印が解けようとしている? しかし、人族の槍使いと、黒猫はどのような意味が……そして、大月の神ウラニリと小月の神ウリオウの急な気配の現れと連動しているのか、これはゴルディクス・イーフォス様と闇遊の姫魔鬼メファーラ様のご意志か?」
ニャシドラは、そう呟くと、封印の一部が溶けた。
石像となった巨大な猫の頭部の瞳が、月光を反射するように淡く輝きだす。それは荒神猫キアソードの目覚めの兆候だった。
大地が裂け、荒神猫キアソードの胴体が露出するように石像の大半が露出する。
「ウラニリ……ウリオウ……双月の力が蘇ったのか……」
石像から漏れ出る声が響く。
ニャシドラは驚きを隠せず、狼狽えた。
「ニャシドラよ、時が来たようだ、ゴルディクス・イーフォスの気配を感じたぞ……そして……ホウオウ側の存在でもあるが……不思議な存在を【ウラニリの大霊神廟】に感じる」
石像の言葉は、風のように周囲を包み込む。
「はい、双月神の力が復活したようですな、すぐに消えたようですが……」
「……興味深い。ただの復活ではない。神々と共鳴する存在……」
石像の周りに漂う魔力が増幅し、魔法陣が次第に輝きを増していく。
ニャシドラたち影猫衆は、荒神猫キアソードの意識の覚醒を支えるため、古の術式を展開し始めた。
幽玄な光が荒神猫キアソードの石像に出現。
荒神猫キアソードの石像の瞳から強い光が放射された。
その光が天空へと伸びていく。
それは【ウラニリの大霊神廟】の方角に向かう。
荒神猫キアソードの石像の頭部が色付いたように黒い毛が一気に生え、石材が落ちていく。黒い鼻孔が動き、鼻鏡と鼻紋と桃色の鼻唇溝がフガフガと動き、髭が上下に動いた。
「ふむ……またも戦乱となるか……」
荒神猫キアソードはそう発言すると、石像が体を取り戻すように動きながら、石材が剥がれ落ちていく。代わりに黒い天鵞絨のような黒い毛が出現すると、一気に黒い大きい荒神猫キアソードは復活を果たした。
同時に、巨大な黒猫の姿をした幻影が、その荒神猫キアソードから現れる。
漆黒の体に銀色の紋様を持ち、その瞳は月の輝きを宿していた。
その幻影は本体の荒神猫キアソードの中に吸収されて消える。
「……ふむ、力の大半は回復を果たした。ならば、我の復活は、すぐに他の神々や諸侯に伝わるであろう。が、この幻影の魔林と異形の霧は健在。お前たちは、周囲の戦いに参加せず、ここで隠れているがいい」
「荒神猫キアソード様……」
ニャシドラは不安そうに呟いた。
「ふっ、心配せずとも、【ウラニリの大霊神廟】は近い」
「はい」
「万が一侵入者が現れても、いつものように逃げるのだ。そして、すぐに我は帰ってくる」
「ハッ、我ら影猫衆の一部を、キアソード様に付けても?」
ニャシドラの背後、影猫衆の猫魔獣人たちが現れては、一部は魔猫に変身をしている。
荒神猫キアソードは、
「ふむ、良いだろう」
「ハッ」
ニャシドラは振り向き、
「ミヤナル、ザクロウ、急ぎ【荒神猫キアソードの封印地】の周囲の警邏を強化せよ。ネオメたちはキアソード様に付いていき【ウラニリの大霊神廟】の方角を探れ」
「「「ハッ」」」
「「「「ニャォ~」」」」
荒神猫キアソードは満足そうに影猫衆を見てからすぐに、走り出した。
【ウラニリの大霊神廟の遺跡】の方角に向かう。
◇◆◇◆
ユイは追撃の手を緩めず、投げ頭巾を被り、黒衣を着ている魔族シュアルに迫る。
ユイは双眸を煌めかせながら白銀の魔力を纏わせたアゼロスとヴァサージの魔刀を振るい、袈裟斬りから斬り払いを繰り出すが、シュアルは魔杖から魔刃を伸ばし、鋼鞭を振るいつつユイの斬撃を防いでいく。
<銀靱>から、キッカと似た<血魔力>を活かした血の剣術を披露していくが、シュアルは<血道・魔脈>のような魔闘術系統を発動させて、加速しながら後退。
「皆、他のシュアル大隊を頼む」
「「了解」」
「ん」
「わたしも協力する――」
俺と相棒とキスマリとレベッカが前に出て、シュアルだけを追い掛けた。レベッカは<月光の纏>に<血液加速>を発動してかなり速い。
更に、逃げるシュアルを先読みし、《炎塔攻防陣》を放ちながら蒼い勾玉の<光魔蒼炎・血霊玉>を斜め右上へと幾つも放ち、偏差撃ちを繰り出した。
シュアルは炎の柱を避けつつ、ユイから逃げるが、動きは制限された。そこに、清浄な蒼から血のような深紅へと色を変えながら虹を引くように宙空を切り裂いていく勾玉を浴びた。
投げ頭巾が燃えて消えると、ユイの神鬼・霊風に持ちかえていた<黒呪仙回天斬り>から、<黒呪咒刀衝鬼>の連続斬りと突きが、シュアルの鋼鞭と魔杖を弾き、右半身に決まった。
即座に、<闘気玄装>を強めて加速し、右半身が切断されているシュアルとの間合いを潰し、宙空から右腕ごと槍になるように断罪槍を突き出す<断罪ノ血穿>を繰り出した。
<断罪ノ血穿>の片大鎌槍の穂先がシュアルの猪の頭蓋骨をぶち抜いた。
「ナイス、シュウヤ――」
そこにユイが<銀靭>を使用し、白銀に輝きながら、残りのシュアルの体を神鬼・霊風で両断、<黒呪鸞鳥剣>を発動したのか、シュアルの体だった骨に肉片を斬り刻む――。
「おう」
「呪符が付いた心臓も斬り捨てたから」
「シュアルは倒したとして――」
とユイと背中を合わせながら巨大な岩に共に着地。
「うん、右に巨大な魔素が幾つも転移してくる」
「あぁ、左から、あれ、巨大な黒猫?」
「え?」
「にゃ?」
ユイの足下にいた黒豹ロロディーヌは俺たちを見て、疑問げに頭部を傾けた。ピンクの鼻が、もぎゅもぎゅ、と動いて可愛い。
が、俺たちの視線に釣られた相棒も、その巨大な黒猫が飛翔している姿を見て、「にゃご!?」と驚きの声を発して、俺とユイは思わず、「ふふ」「はは」と戦場だというのに笑ってしまった。
続きは、明日、HJノベルス様から「槍使いと、黒猫。1巻~20巻」発売中。
コミック版発売中。




