百七十五話 ユイと再会
船の残骸に着いた瞬間、足もとが軋む。
「この板、船底が腐っているかもしれない、慎重に」
「うん」
「はい。でも不思議な香りですね」
「これは潮、海の香りだよ」
ヴィーネにそう話をしながら鏡を回収。
エヴァが、
「ん、あれが海、こっちに腐った階段」
左にはさっき鏡から覗いていた景色があった。
破れた板の間から浅い海とごつごつしたような岩場が覗く。
右の甲板には、板が腐った階段がある。
「甲板は危険そうだ。濡れるが左の浅い海に出よう」
「ん、わかった――」
紫魔力を纏ったエヴァは魔導車椅子ごと体を浮かせると、一足先に左から出た。
俺も慎重に腐った板を踏みながら船の残骸から外に出る。
浅い海に足が沈むが岩場の感触のほうが強い。
砕けた波頭が泡立っては消えた。
すると、宙に漂うエヴァが、
「左は船の墓場のよう。見知らぬ目が四つあるモンスターも見えた。ここの船の残骸から見て右奥には砂浜がある」
と、偵察の報告を寄越す。
「左は船の墓場にモンスターか。砂浜の右奥へ行こう」
「ん」
浮いているエヴァが先へいく。
「にゃお」
黒猫は浮かぶエヴァが気になるのか、肩から跳躍。
浅い海に着地。足が海に浸かって濡れるが、一瞬で、むくむくっと馬に近い姿に変身。
四肢の先は、僅かに浸かるだけとなった。
その黒馬に近い姿の相棒は、体から触手を出して、その触手で俺を絡めると、自身の背中に乗せてくる。続いてヴィーネとレベッカにヘルメにも触手を絡ませると、皆を背中に乗せてきた。
「ロロちゃん、ありがと」
後ろに座るレベッカは素直だ。
「あまり速度は……」
駅弁スタイルで俺の前に座るヴィーネさんは小声だ。
俺に抱きつきながら不安そうに視線を斜め下に向けている。
可愛い。
「ロロ様の毛は気持ちがいいです」
レベッカの後ろにいるヘルメの言葉だ。
黒馬のビロードのような毛並みを撫でているようだ。
その間にも空を漂うエヴァは先へ進む。
相棒は水飛沫を上げながら、そのエヴァの背中を追いかける形で直進。
残骸のルートを迂回しつつ砂浜を目指す――。
残骸を回った先に砂浜が見えた。
――おぉぉ、綺麗な海岸線が続く砂浜。
「ひゃっほー。砂浜だ」
テンションを高くしつつロロディーヌから跳躍して砂浜に着地。
一気に砂を蹴り、走る。
振り返った。砂浜に走った足跡が海の波で消えていく。
綺麗な場所だ。
「あはは、しゅうや、子供みたい――、きゃっ」
笑うレベッカもロロディーヌから跳躍。
俺を笑っていたせいか、砂浜に足を取られて転んでいた。
「どうした、レベッカ君、君は何もない砂浜で見事なパンチラを披露してくれたなっ」
レベッカは俺の言葉を聞いても、視線を向けずに、顔を朱色に染めつつ何事もなかったかのように手に持っていた藁バッグを砂浜に置いていた。
そして、キリッと顔を上向かせる。
「――パンツを見たのねっ、すけべシュウヤっ」
そう叫ぶと、俺を追いかけるように笑いながら海沿いを走ってきた。
エヴァは砂浜に降り立つと、車椅子を変形。
セグウェイタイプで、すぅーっと砂浜に車輪の跡を作るように素早く移動している。
「ご主人様、お待ちをっ」
ヴィーネも跳躍。
砂浜に降り立つと、レベッカに負けじと一緒に走っていた。
常闇の水精霊ヘルメは珍しく一歩引いて、おとなしく、砂浜から陸地になるところで停まってこっちを見ている。
「ンンン、にゃおん、にゃにゃ――」
ロロディーヌもテンションが上がっているらしい。
馬獅子型から黒豹姿に姿を変化させると、波の動きが気になるらしく、砂浜に押し寄せる波へ豹パンチを当てて離れては、引く波を追いかけて、豹パンチをもう一度繰り出していた。
「ロロ、波は触れても大丈夫だぞー」
「にゃぉ~」
返事をするが、波の動きにどうしても反応しちゃうらしい。
カワイイ。
「よーし、ここで軽くキャンプするか。用意をするぞ」
「はいっ、準備します」
ヴィーネがアイテムボックスから平幕の布を取り出していく。
「あ、ヴィーネ、今回はいい。違うのを出す――」
そこで、まだ彼女たちに見せたことのない、魔造家をアイテムボックスから取り出した。
人数が少し多いが、中で毛布を出せば事足りるだろう。
砂浜から少し上がった先の平らな場所で、魔造家を持ち。
クリスタルを触り「展開」と言い放つ。
ボンッと効果音を立て、豪華な幕付きテントが出現した。
「おぉ」
「ん、急にテントが現れた」
「わぁ、これは何?」
「閣下、久しぶりに見ました」
俺は頷いて、
「これは魔造家、とある姫様に頂いたものだ。見ての通り、小さい家のようなテントだ。ここで休憩しながら、砂浜でまったり遊ぼうか」
「ん、賛成っ」
「シュウヤ、こんな物を持っていたのねっ」
レベッカは白魚のような手でテントの表面を触っている。
「はい。では、火の元を集めてきます」
「わたしも手伝いましょう」
ヴィーネとヘルメは砂浜から陸地に転がる乾燥した流木を拾い始めていく。
レベッカとエヴァはテントの中を物色していた。
その、テントの中にいるふたりへ向けて、
「それじゃ、俺も流木を集めてくるよ」
「あ、まって。わたしたちも持ってきたけど、シュウヤも食材を置いていってよ。簡単な下ごしらえをしとくから。今日は夜もここで過ごすんでしょ?」
レベッカは頬を紅く染めていた。
「そうだな、今出すよ」
「ん、わたしも手伝う。アイテムボックスに入れた机と椅子も砂浜に設置しとく」
エヴァは色々と用意してきてくれたらしい。
頷きながら、アイテムボックスを操作。
食材が大量に入った袋を置く。
「よし、それじゃ集めてくる」
「ん」
「いってらっしゃい」
エヴァとレベッカを砂浜にあるキャンプ地に残して、ヴィーネとヘルメとは逆の方向、雑木林がある陸地の奥へ向かう。
「――んん、にゃ」
黒猫が追いかけてきた。
「ロロ、枯れ木を集めてきて」
「にゃおん」
黒猫は『分かったニャ』的に鳴くと、そのまま雑木林の中へ消えていく。
俺も森林の中へ分け入り、できるだけ乾燥してるのがいいな……と、萎びれた乾燥した枯れ草、枯れ木を拾い集める。
その時、黒猫とは違う複数人の魔素の気配を感じた。
こんなとこに人だと?
枯れ木を手に持ちながら<導想魔手>を発動。
両手首にある<鎖の因子>マークから<鎖>を射出。
左右にあった太い幹へ突き刺して、一気に収斂しながら反応があった場所へ宙を駆け前進していく。
森の中には死体が散らばっていた。
剣撃音も耳を突き抜ける。
集団と少数の戦いのようだ。空中を裂くように開けた森の空き地へ突入っ!
<鎖>を消失させながら、着地したそこには、え、えええっ!?
あの白く輝く綺麗な瞳。<ベイカラの瞳>。
「まさか、ユイか?」
自然と漏れ出た言葉。
ユイの顔を見ながら無造作に両手にもっていた枯れ木を捨てていた。
そのユイたちに剣を向けている黒装束の奴らがいる。
――こいつらがユイに恐怖を味わわせているんだな。
瞬時に、両手にある<鎖の因子>マークから<鎖>を射出。
「しゅ、しゅうやぁぁぁ! たすけてっ!」
ユイがそう叫ぶ前から<鎖>は地を這い、囲んでいる黒装束の奴らの足を片っ端から貫いて突き進んでいた。
<鎖>に絡まれて宙に浮かぶ黒装束たちの中で、男の声に混じり女の痛みの声が聞こえたが、無視だ。
魔槍杖を召喚して、前傾姿勢で吶喊。
足を貫かれ地面に倒れようとしている邪魔な黒装束の胴体をコンマ何秒の間に、魔槍杖の紅斧刃で薙ぎ払ってから、ユイと一緒にいる中年男のもとへ駆け寄っていく。
「本当、本当に、シュウヤ……なの?」
ユイの<ベイカラの瞳>が自然と元へ戻る。
彼女は、いつぞやに見せていた可愛い鳩の豆鉄砲顔を浮かべていた。
「そうだぞ」
「ああああぁぁ、シュウヤ、しゅうや、しゅうやぁぁぁ、しゅうやぁぁぁぁあああ」
ユイは錯乱したように抱きしめてくる。
昔の感触を思い出しながら抱きしめ返してやった。
「……元気にしてたか?」
「ユイ、この方はいったい……」
ユイと共に戦っていた渋い中年さんは、足と腹から血を流している。
「……このひとは、わたしが愛したひと……」
「な、なにぃぃ」
ユイが顔を上向かせて、俺の顔をうっとりと見ながら語る。
「えっと……」
「恋に師匠なしと聞くが、聞いてないぞ、ユイ。お前に男がいたとは……」
「――何、余裕かましてんのっ。いた、くそ、この鎖を外しなさいよっ」
<鎖>によって宙で逆さづりになっている仮面をかぶる女が叫んでいた。
他の仮面を被っている野郎共は、皆、ダンマリを決めているようで無言。
「……なぁ、こいつらは昔、ユイが被っていた仮面を被っているけど、同じ組織の奴等だよな」
「そう、ヒュアトスの部下、【暗部の右手】の追手よ。わたしと父さんを追ってきたやつら」
「なるほど……」
ユイの隣にいる紳士なる方は、お父上だったのか。
道理で渋い表情を持つ、イケメン中年さんでいらっしゃる。
病気の治療に成功したようだな。
しかし、ユイとの関係上、どんなことを言われるやら……。
ヤヴァイ、どうしよ。緊張してきた。
「君から伸びている鎖は……」
ユイのお父さんは、俺の<鎖>に注目していた。
「これは、一種の秘術系ですよ……ははっ」
笑いながら伸びている<鎖>を動かして、宙吊り状態の【暗部の右手】たちの身体を<鎖>で刺し殺していく。
ユイのお父さんを傷つけた奴らは、許せんからな。
女以外は皆殺しだ。
「……ひぃぃぃぃ、あぶぁぁっ」
宙吊りになっている女は皆が串刺しになる光景に肝を冷やしたようで、股間を濡らして、上半身から口に自分のおしっこを浴びる形で、自ら口を塞ぐように水攻めをおこなっていた。
頭を激しく左右に揺らすので、仮面がずれている。
「こ、これが、神秘たる秘術系の魔法か……凄まじいな……先天性のスキルなのだろうか……」
ユイのお父さんは、唾を飲み込み、驚いていた……。
内心は、きっと傷つけてきた奴らを仕留めたので、喜んでくれているに違いない。
「あ、怪我をしていますね。少々お待ちを、回復薬ポーションです」
俺はアイテムボックスから回復薬ポーションを取り出して、お父さんへ数個分けてあげた。
「おお、済まない。気が利くな……」
お父さんはごくごくと飲んで傷を癒していく。
「シュウヤ、凄い……前にも一度、あの鎖を見せてくれたけど、変幻自在に動かせるのね……」
ユイはまた、俺を抱きしめてくる。
「あぁ、まあね」
「この鎧……紫で綺麗。外套も灰色だけど紫の粒が光っているのね……素敵。シュウヤは、紫の騎士様になったの?」
「いや、騎士というか、冒険者になったんだ。後は色々と闇ギルドのトップになったり……」
「えぇ? や、闇ギルドのトップぅ?」
ユイはまた鳩の豆鉄砲顔を繰り出していた。
「闇ギルドのトップ!? ユイ……正式に、この殿方の紹介をしてくれるとありがたいのだが……」
ユイのお父さんは、急に姿勢を正して緊張した顔を見せていた。
「あ、うん。父さん、この人はシュウヤ・カガリ。任務で殺す予定だったのだけど、失敗した相手。そして、凄腕の槍使いで黒猫を使役している、わたしが初めて愛した男の人」
「任務で失敗した相手を愛したのか?」
「えぇ、それは、その、そうなの……」
ユイはそこで俺と少し距離を取る。
妙な間が空いたので、
「……それで、そこのぶら下がってる、宙釣り女はどうする?」
「……た、たしゅけて……くだしゃ……い」
女はもごもごした口調で命乞いをしている。
そんなことは無視して、<鎖>を操作――更に女の全身へ<鎖>を巻き付け雁字搦めにしてから、ユイの目の前に運ぶ。
「エリシャ、ヒュアトスはわたしたち親子の抹殺を命じたのよね」
尋問を開始したので、地面に降ろして口周りだけ<鎖>を緩くした。
「そ、そうです」
エリシャと呼ばれた女は、全てを諦めたような絶望の顔色を浮かべて唇を震わせながら動かしていた。
「いったい、幹部候補を何人連れてきていたの?」
「サイゾーを含め、九名……」
「なるほど、かなりの戦力ね。これはヒュアトスにとって大打撃だわ」
「そうでしょうか……ヒュアトス様の下には、沢山の部下がいると思います」
「こんなに倒したのに? わたしがいた時より人員を増やしたのね」
「はい。ネレイスカリの一件以来……質、量、共に武芸者の兵士も増やしました」
「でしょうね。それじゃ、もう貴女には用はないわ」
「えっ――」
ユイは冷たく言い放つと、居合い抜きの技を見せる。
特殊な刀による一閃居合いにより、エリシャの首は刎ねられていた。
ヒュアトスの部下か。
「ユイ、今のは、暗刀七天技が一つ、<抜刀暗刃>か。見事な腕だ」
ユイの父、お父さんはユイが放った技を褒めていた。
「父さんが全盛期だった頃には、遠く及ばないわ」
「謙遜するな。ユイ、お前は立派になった……」
「父さん……」
「――んんん、にゃおにゃ」
そこに、馬獅子型黒猫が触手に大量に枯れ木を持ち登場。
咥えていた枯れ木を、くしゃみをするように俺の側に棄てていた。
「わっ」
「な、なんだ……新手の敵の魔獣か? 黒獅子、いや、馬の獣!」
ユイとお父さんはロロディーヌの姿に、口の端を引き攣らせて驚いている。
「ロロ、ご苦労。いっぱい集まったな。ユイとお父さんが驚いているから、少し小さくなっていいぞ」
「にゃお」
一鳴きすると、全ての枯れ木を地面に落として、いつもの黒猫の姿へ変身。
「――わぁ、ロロちゃんっ。変身した。触手も増えている。もしかして、シュウヤ、わたしと別れる前に言っていたアーティファクトを見つけたの?」
「そそ。黒猫は更に、巨大化できるようになった。そして、今のように馬獅子型にもなれる。真の姿を取り戻したんだ」
「凄い凄い凄いっ! その大冒険のお話を聞かせてくれるわよね?」
彼女は上機嫌な口調だが、真実を語る。
「あぁ勿論。それに仲間たち、俺の女たちを紹介しよう」
その瞬間、ガラスが割れたような音が聴こえてきそうなぐらいに、ユイの顔が強張った。
「え、仲間は、分かる……だけど、その俺の女という言葉は聞き捨てならないのだけど……」
ユイは眉を眉間に寄せて、睨みつけてきた。
思わず、ユイのお父さんへ助けを求めるように視線を向かわせるが……。
お父さんは小さくなった黒猫の姿を凝視していた。
片笑窪ができている。
「なんと、小さい猫なのだ……」
「にゃお」
黒猫はユイに挨拶するように彼女の足に頭を擦りつけると、ユイのお父さんの足にも頭を擦りつけている。
「かわいい……猫だ、可愛すぎるっ! うぉぉぉッ!」
「にゃっ」
黒猫は腕を伸ばして、抱きしめようとしているユイのお父さんを躱していく。
「父さんのあんな顔、わたし、初めて見たのだけど」
「……ロロの魅力はハンパないから」
「それはそうだけど……で、シュウヤ、その女たちとは、どういう関係なのよ」
ユイらしい、鋭い剣突たる言葉。
正直にいうしかあるまい。
「……恋人で、愛している女たちだ」
「恋人、愛してる、女たち……ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい!! わたし、ずっとシュウヤのことを想っていたのにっ!」
ユイは涙を流して走り出す。もう森の奥まで進んでいた。
俺は身体能力を生かした魔脚で追いかける。
直ぐにユイに近付き彼女の手を捕まえた。
「まてっ、どこにいくんだ」
「――どっかよっ、ほっといてよ! ばかシュウヤ!」
「いやだ――」
ユイの手を引っ張り、強引に抱きしめる。
「はな、して……よ……わた、し……ばかみたい……一人で浮かれて……助けてと心で祈ったら、本当にシュウヤが現れてくれて、嬉しくて、嬉しくて……わたし、有頂天だった……」
「すまん」
彼女はどうしようもない気持ちを現した切ない表情を浮かべていた。
「――わたしのこと、嫌い? 忘れちゃったの? ――あの夜のことはなかったことにしたいの?」
そのまま、俺の胸を一回、二回と叩いてくる。
「嫌いになるわけがない。光陰に関守なしだが、あの夜のことを忘れるわけがないじゃないか。ずっと心の中に残っていた……俺はお前に振られたとばっかり。あの時、黒猫と一緒に旅をしないかといった言葉は、ユイと一緒に居たかったからだぞ……あの時、ユイは拒否したじゃないか」
「……うん、だって……でも、そうよね……ごめんなさい、独りよがりだった」
「いや、いいんだ、ユイが俺を想っていてくれただけでも、嬉しい」
「うん……」
彼女は声を震わせて小さく返事をする。
そのまま、涙が流れている充血した目を俺に向ける。
「ユイ、俺のとこに来いよ」
「いいの? 女たち、愛している人たちがいるんでしょ?」
「あぁ、いる」
彼女は、その言葉を聞くと、また悲しげに顔を崩して涙を流す。
そんな顔をさせたくない――自然とユイの唇を奪っていた。
唇の感触に激しく抱いた記憶が脳裏を過る。
会えなかった時間、俺を想っていたことに対する感謝の気持ち、もう泣かせたくない気持ち、愛しているという気持ちを込めていた。
「……ちゅぱん」
長いキスを終えると、唾が糸を引いて、ユイの唇からいやらしく音がした。
「シュウヤ……愛してる」
「俺もだ」
そこからは互いの唇をむさぼり食うように情熱的なキスの嵐が吹き荒れた。
ユイは背を伸ばしつつ懸命に俺の唇と歯茎を舌で舐めてくれる。
俺もお返しにユイの唇を優しく労る。
舌で歯や歯茎だろうと、ユイのすべてを愛するように――。
キスを終えて、目を合わせると彼女は笑顔を見せる。
その時、一夜を共にした時と同じ女の匂いを感じた。
ユイの臀部へ視線を向けると、彼女は誤魔化すように口を動かしてくる。
「……だけど、他の女も愛してる?」
「あぁ、皆、血を分け合うぐらいに愛している」
「血を分け合う……? でも、その中にわたしが入れる隙間はあるの?」
「ユイ次第だ……」
無意識にユイへ選択をゆだねていた。
俺の言葉を聞いた彼女は目を瞬きする。
「ふふっ、昔と同じ言葉……あの時はどうしようもなく混迷していたけど、今は迷いなんてない。恋の闇に堕ちようとも、わたしは貴方と共に生きたいです。シュウヤのところへ飛び込むわ。だから、他の愛してる女性たちへ、ちゃんとわたしのことを紹介してくれる?」
自然と出た言葉だが、前にも同じことを言っていたようだ。
「あぁ、勿論だとも。だが、他に愛してる女がいるのはいやじゃないのか?」
「いやだけど、シュウヤとはもう離れたくないの。それに一夫多妻なんてどこの国でもある習慣よ。特にサーマリアは魔族の血を引く者が多いから、力を持つ男に多数の女が集まる傾向がある。父さんは違ったみたいだけど……」
「そっか、わかった。とりあえず、その、お父さんのところに戻ろうか、ロロと遊んでいたけど」
「うん」
そこで恋人の手を握るように手を握り合い、歩いてお父さんがいた場所に戻っていく。
「ははははっ、ついに捕まえたぞっ」
「ンン、にゃぁおん」
丁度、黒猫がお父さんに捕まっていたところだった。
「もう、父さんってば、なんでそんなに興奮してるのよっ」
「おっ、ユイ、お前もちゃんと見るのだ。この素晴らしい毛並みを……撫でてやると、ちゃんとゴロゴロと癒しの喉音の返事をしてくれるのだぞ。なんて可愛らしい猫なのだ」
「……」
ユイは泣きそうな顔を浮かべて、俺に視線を向けてくる。
「お父さん、ユイが悲しんでいますし、ロロも髭を下げてゲンナリしています。解放してあげてください」
「おとうさん? 貴方の父になった覚えはないが――分かった、離そう。ところで、ユイ、その顔色はどうした。わたしが猫と遊んではいけないのか?」
黒猫は解放されると、すぐに俺の足下へ走り寄ってくる。
「ううん、そんなことはないけど、赫々たる威武を持つ厳しい顔の父さんと、病で苦しんでいた頃の父さんの顔しか知らないから……」
「そうか? 昔、お前が小さい頃、猫を飼っていたのを覚えていると思ったのだが……忘れてしまったか」
「猫を飼っていたの? 知らなかったわ。覚えていない」
「それに、人形、猫の人形をお前はよく持っていたではないか」
「……そういえば、一つ、そんな形の人形を……」
「思い出したか? 昔から猫好きだったのだ」
「うん」
そこからは親子の会話が続く。
俺は足に頭を擦りつけている黒猫へ視線を向けた。
「ロロ、置いた枯れ木を持って」
「にゃ」
黒猫は黒猫姿から馬獅子型へ変身すると、六本の触手で沢山の枯れ木を纏めて、口でも大量の枯れ木を咥えていく。
「それじゃ、仲間たちのところへ戻ります。ユイとお父さん、行きましょう」
「うん、待って。父さん、この人と一緒に行こう?」
「お前が愛した男なのだから大丈夫だと思うが、わたしたちは追われる身だぞ?」
「……お父さん、その辺りは後々、キャンプ地で休憩しながら話し合いましょう」
俺の言葉を聞いたお父さんはユイと俺を見てから、少し逡巡。
「……また、おとうさんと。ユイとの結婚を認めたわけではないのだからな?」
「父さん! おかしなことを言わないで。さっきの槍斧と鎖を見たでしょう? この人が助けてくれたのだから、そして、父さんの病気を治す薬代もこの人のお金だったのだから、感謝すべきよ。それに、彼は闇ギルドのトップ。このことを忘れてない?」
ユイの言葉にお父さんは目を見張る。
「――なんと……そうであった。無礼な言葉をお詫び致します。シュウヤ殿。いや、様というべきか。シュウヤ様、わたしの名はカルード・フローグマン。一度ならず二度も助けて頂き、感謝する。そして、もとより逃げ場のない立場です。シュウヤ様についていきましょう」
「カルードさん。俺も勝手にお父さんと呼んでしまい申し訳ない。砂浜にキャンプがありますので行きましょう」
俺は丁寧にカルードさんへ頭を下げる。
「承知しました」
そこからカルードさんはどことなく緊張したそぶりで、会話も少なくなり、一緒に砂浜へ歩いていく。
俺たちが砂浜へ戻ると、もう焚き火が幾つか用意されてあった。
切られた肉が薄い網の上に乗せられて焼かれている。
小さい机にはエヴァとレベッカが並んで調理の最中だった。
「ご主人様、おかえりなさいませ」
「あぁ、ただいま」
「あー、シュウヤ、もう枯れ木が集まったから火をつけちゃったわよ」
「ん、もう肉と野菜を焼いてる」
確かにいい匂いだ。食欲を掻きたてられる。
「ご主人様、そのお二人は……」
ヴィーネが俺の隣をキープするユイと緊張しているカルードさんを指摘。
「あぁ、彼女は俺の恋人で、ユイ。もう一人はユイの父君でカルードさん」
「ご主人様? 他に女がいたのですか?」
ヴィーネは冷然とした態度でユイの顔を見る。
「昔、知り合った女だ。偶然、今しがた再会した」
「昔の女……分かりました。ユイさん。わたしはご主人様の選ばれし眷属<筆頭従者長>が一人、名をヴィーネといいます。お見知りおきを」
「はい。ユイです。よろしくお願いします」
キャンプがあるところまで案内したが、もう一幕張った方がよさそうだ。
「ヴィーネ、もう一幕寝る場所を作ってくれるか?」
「はい、分かりました」
銀髪を揺らしながら急ぎ荷物を取りに行くヴィーネ。
「ちょっと、その子は何?」
「ん、わたしも気になる」
レベッカとエヴァが野菜を切りながら質問してくる。
「後でな、食事の時に」
「ふーん、分かった」
「……そう。もうすぐ料理が出来上がる、茸を焼いておしまい」
「閣下、その方々は……」
常闇の水精霊ヘルメも黝色の葉っぱ皮膚を靡かせながら近寄ってきた。
「あぁ、昔の知り合いだよ。後でちゃんと紹介する」
「そうですか。では、海の中で瞑想をしてきます」
海かよ。不思議に思ったが特に何も言わなかった。
「……わかった」
ユイとカルードさんはその海の中という言葉より、ヘルメの不思議な身体に注目していた。
「それじゃ、ユイとカルードさん、この魔道具でもある、テントの中で休んでいてよ。食事の時に、ちゃんと皆へ紹介するから」
「うん、シュウヤは?」
「料理がどんな感じか見てくる」
彼女にはそういったが、レベッカとエヴァへ軽く説明するためでもある。
レベッカがユイの件を聞いたら、またぐちぐちと煩くなる可能性が大だからだ。
「……そう、分かった。ここで待ってる」
「おう。カルードさんも宜しいですか?」
「はい。休ませてもらいます。ユイ、入るぞ」
「うん」
ユイは笑顔で俺を見てから、テントの中へ入っていく。
俺は野菜を切っていたエヴァたちの方へ振り向くと、彼女たちはこっちの様子を凝視して、動きを止めていた。
茸は煙を出して焦げている。
彼女たちへ近寄り、
「茸が焦げてる」
「ん――ごめん」
エヴァは急いで茸を持ち上げるが、食えそうもない。
そこに、ゴンッと、まな板さえも切る勢いで音を立て野菜を切るレベッカの顔が見えた……引きつったような顔を浮かべている……。
蒼炎を纏った腕に包丁を持っているので、確実にヤヴァイ。
こりゃ、完全に怒っている雰囲気だ。
「はは、どうしたんだ……野菜はもう切らなくてもいいんじゃないか?」
切られた野菜はすごい量になっていく。
「ふーん、ふーん、ふーん、ふーん、ふーん、“後で食事の時にな”、かー。ふーん、ふーん、ふーん、ふーん……」
包丁を持つ蒼炎を纏った腕が、物凄い速さで動いていた……。
野菜は次々と微塵切りにされている。
「レベッカ、そう怒るな。もう野菜は切らないでいいぞ」
「エヴァ、何かいった?」
横柄な態度でレベッカはぷいっとエヴァへ顔を向ける。
「ううん、誰かのせいで、茸がこげちゃった」
「そう……その誰かさんは新しい女を連れてきちゃって、にこにこ顔を浮かべていたスケベな人?」
「ん、レベッカ鋭い。誰かさんの鼻の下が伸びてた」
うぐ……こいつらからかってやがる。
「スケベで悪かったな。だが、新しい女じゃない。昔に知り合い、愛し合った女だ。当時は理由があって別れたが、今日、偶然その森の中で追われているとこを助けて、連れてきたんだ」
「何よっ。なんで、楽しいバカンスのはずが、ライバルが増える展開になるのっ!」
「愛し合った女……ショック」
レベッカは当然の反応を示し、エヴァは呆然として紫の瞳が揺れていた。
完全に……貝殻の水着を着て貰う雰囲気ではなくなってしまった。
俺はショックを受ける彼女たちへゆっくりと、説明を開始。
なので、料理の出来上がり時間が遅くなるのは、必定であった。




