表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/18

第八篇 「神と人形」

『やあー! 前に会った時からかなり時間が経ってしまったが、元気にしているかね?』


 陽気な文字を何の前触れもなしに綴られたお方は、以前この魔導図書館に泥棒に入られた、画家のドーランさまでございます。

 皆さんは、覚えておいででしょうか?


 ドーランさまは、絵本作家となるため、挿絵のない本が大量にあるこの図書館忍び込み、アルビさまに捕獲された際、アルビさま作の物語を絵本になさったのです。


『お久しぶりです。ドーランさんも、お元気そうで何よりです』

 アルビさまにも、心なしか筆の動きから喜びを感じられます。

 嬉しいのも無理はありません。アルビさまと親しくなり、この魔導図書館を二度も訪れた方は、ドーランさまが初めてではないでしょうか。


『そうだ、以前作った絵本だが、私が売って歩き回ったところ、なんと26人も買ってくれた人がいたよ。世の中も捨てたものではないね。私と、他でもない、君の作品が、人々を喜ばせたのだから』

『はい。とても嬉しいです。……あの、それでですね……』

 アルビさまは少し躊躇った様子でございます。おそらく、態度も同様なのでしょう。


『ああ、今日はこの報告と共に、君にお願いがあってきたんだよ。この儲かったお金なんだが……』

『お金は、ドーランさんの生活のために使ってくださって結構です。僕には、特に必要のない物ですから……』

『そ、そうかい? そう言ってもらえると、嬉しいのだが……』

 なぜかその筆談を境に、沈黙状態に陥ってしまいました。一体どうなさったのでしょうか?

 お二人とも、何かいいだしたいのに、切り出せない、といったご様子ですかな。

 数分後、その沈黙をお破りになったのは、アルビさまでした。

 さすがはアルビさま。わたくしの主としてふさわしい度胸を持っておられます!

 わたくしも鼻が高いですぞ。いや、これは誉めすぎですかな? 鼻もないですし。


『実は、ドーランさんが帰ってから、あの話の続きを書いてみたんです。それで、もしよろしければ読んでみて、気に入ったものなら、また絵本にしていただけないかと……』

 ついにお言いになりました。立派ですぞ!

 更に言いますと、アルビさまはこの件を何人にも教えようとしませんでしたが、わたくしは知っておりました。

 夜な夜なこっそりと机に向かって何かをお書きになっているのを知っておりましたし。

 実は、その内容も知っているのです。

 この図書館にてアルビさまのお手伝いをしている本の精霊たちが暇つぶしにそのお話をわたくしに教えてくれたのですよ。

 アルビさまは、お気付きには、なられておりませんが。

 やはり、持つべきものは類稀なる情報網、でございます。

 これがあるからこそ、わたくしは本でありながらも、外部の多くの出来事を知れるのです。


 さて、そこからお二人の筆談も波に乗り始めました。すっかり大人しくなっていたドーラン様も、以前と同じテンションを取り戻されたご様子。

『な、何だって!? 素晴らしいじゃないかトレビアーン! 実は私も、このお金を制作費に、新しい絵本を描くため、君に新しい話を書いてもらおうと交渉に来たわけだよ! なんて君は間のいい人なんだアルビ君! 感動したよ。前回は強引に話を進めてしまったからね。もう怒って書いてくれないと思っていたんだが……』

『いいえ、とんでもない。あなたのお陰で、絵本なんて、とても素晴らしいものと出会えたのですから』

『そうかそうか! ならば話はとても早い。さあ、その新たに作った話を見せたまえ! さあさあさあ!』

 なんだか、私の意志とは関係なく、話がどんどん進んでおりますな。

 わたくし、置いてけぼりにされた気がして、少し淋しいですが……。

 しかし、アルビさまはとてもお喜びの様子。こんなに軽快な筆跡を見るのは、わたくし生まれて初めてでございます。そう考えると、これはとても喜ばしい出来事なのでしょうな。

 わたくしも、しょげてばかりはいられません、本として生まれてきた以上、ご主人であるアルビさまの幸せを願うのは当然です。

 そんなこんなと考えている間に、外ではアルビさまがドーランさまにお話をお見せになり始めました。

 では、気を取り直してわたくしも皆さまにお見せしましょうかな。あの人形の物語の続きを……。



◆ ◆ ◆



 花売りの少女――ロンドは町を後にした。

 腕には、木で作られた、ちいさな兵隊の人形を抱えて。

 馬車が何度も行き交って作り出した、ただ形だけがうっすらと見える道が続く、広い荒野を黙々と歩く。

 ロンドの心の中には、ひとつの決意が芽生えていた。

 この人形――マーチのご主人さまであった、あの老人が、この子を託したときのの言葉……。

『もう後のないわしの側で、心無い誰かに拾われる時を待つよりも、あなたみたいな人の側にいられたほうが、マーチにとって幸せではないだろうか。マーチの気持ちが分かればいいのだが、今は良いだろうと思うことをするしかないのじゃ』

 そうだ。今マーチがここにいることが幸せなのかどうか、知らなければならない。

 本当に、自分と共に、こんな場所にいたいと思っているのか、聞かなければならない。

 マーチは何を考えているのだろう。今、マーチは何を思っているのだろう。

 知りたい。マーチと、話がしたい――。

 思いを胸に、人形を手に。ロンドは歩いた。荒野をただひたすらに、東へ。


 しばらく道伝いに歩いていくと、小さな村が見えた。風車が快く回り、黄金色の麦畑が美しく穂を揺らし、曲線を描く。小さいながらも豊かな、そして静かな村だった。

 この村の噂は、ロンドもよく知っていた。

 ――人形に命を与え、しもべとする魔女が住んでいると。

 ひとつだけ、村の外れに、ぽつんとあった古びた小屋。屋根にはカラスが群がり、壁を伝ってコケが張りめぐっている。村人は恐れて近づかないのだろう、そこへ向かう道は雑草にまみれて、ほとんど使われた形跡がなかった。

 魔女の家に違いない。

 確信したロンドは少し怯えながらも、力強くドアを叩いた。

 少しだけドアを開き、中から顔を出したのは、白衣を身にまとった男だった。

 頬が痩せこけ、ぎょろりと飛び出た大きな目玉、それを乗せる受け皿のようにくっきりと広がった眼下の隈が、なんともいえず不気味だ。

 そいつが壮年の女であったなら、確実に連想できただろう。

 魔女だと。

「あの、ここに、人形に命を与える力を持つ魔女がいる、と聞いたのですが……」

 ロンドは恐怖に駆られながらも、勇気を振り絞って、か細い声をあげた。

 男はロンドと、腕に抱かれているマーチを交互に見た。

 そして、にやりと笑う。

「まあ、どうぞ中へ」

 中に入ると、外見からは想像もつかない空間が広がっていた。

 大きな鉄の箱が何個も一列に並べられている。そこからはみ出した、色とりどりの太い針金みたいなものが、部屋のあちこちに伸びていた。

「僕は科学者をしているマリオという者だ。君はとても物好きな子らしいね。恐ろしい魔女の屋敷を訪れるなんて」

 あたりを物珍しそうに見ていたロンドに、男――マリオはコーヒーを提供した。

「あの、ところで、魔女さんというのはどちらに……?」

 落ち着かず、早口にロンドは尋ねた。この家に、他に誰かが住んでいる形跡がない。

「魔女は、ただの噂に過ぎない。この屋敷に魔女なんて者は存在しないんだよ。家の外装を見て、誰かが噂をでっちあげたんだろう。

 ――あえていうなら、この家に住んでいる僕こそが、魔女なのだろう」

「では、人形に命を与えることはできないのですか?」

「できるとも。長年の研究の結果、僕はやっと、その技術を発明したんだ」

 科学者マリオは、ロンドから経緯を聞いた。

 そして頷く。

「その人形の意思を聞きたいのだね。確かに、人に愛され、受け入れられてきた人形には、魂が宿る。僕はこの現象を、〝傀儡くぐつ進化論しんかろん〟と呼んでいるがね。しかし、魂が生成されても、それに伴って自由に動かすことのできる媒体がないんだ。だから、人形はいつまでたっても人形のまま。だが、私の手に掛かれば、この人形の身体に特殊な力を加えることによって、自在に動き、話もできる存在へと変化するんだ」

 マリオの言葉の半分も理解ができなかったが、聞き取れた内容が自分の意志に沿うものだと確信でき、ロンドは喜んだ。

「お願いします! マーチに命をください。マーチと話がしたいの。私にできるお手伝いなら、なんでもします。だから……」

 手を組み、ロンドは頭を下げる。マリオは微笑み、ロンドの肩に手を置いた。

「もちろんだよ。その人形を、動かせるようにしてあげよう。その代わり、かなりの作業を同時に行わなければならない。助手として、僕の手伝いをしてくれないか?」

「はい、もちろんです!」

 顔を上げたロンドは、紙にも縋る思いで、マリオの要望に応じた。


「人形には魂がある。それを動かすものが、命だ。しかし、人形は命を持っていない。だからと言って、科学の力で命を作るなんて不可能なんだ。だから、与えてあげなければならない。君の命を」

 ロンドは、透き通った箱の中に入っていた。

 頭には多種多様のコードを取り付けられ、その先はマーチに繋がっている。

「君の命を、マーチに分けてあげるんだ。少し、寿命が縮んでしまうかもしれないが、構わないね?」

「はい、平気です。マーチのためなら……」

 ロンドの心は、もう決まっている。

 今この胸の中にある、唯一の夢を果たすためなら……。

 マリオは透き通った箱の外にある、赤いスイッチを押した。

 身体の力が大量に抜けていく感覚に見舞われ、ロンドは気を失いそうになった。

 しかし、その脱力感とひきかえに起こった出来事に、視覚を捕らわれる。

 マーチの身体が、がくがくと揺れ始めたのだ。

 最初はただ何かの振動に順応するような動きだったが、次第に手、足が四方八方に自由自在と動くようになり、上下にスライドする口が大きく開かれた。

 そこから飛び出たのは、悲鳴。

 まるで、小さな子どもが化け物に襲われた時の、断末魔みたいな叫び声。

 ロンドは背筋が凍りついた。

 何だか、とんでもないことをしてしまった気がした。

 命のないものに、それを与えること。それは、魔王に生贄を差し出す行為と同じではないのだろうか……。

「成功だ。……君の名前を言ってごらん」

 反してマリオは、満足気な表情だ。人形に表現の意思が生まれたとき、最初に確認するべきは、魂の記憶。

 ロンドの一部分である命の中に、マーチの魂が上手く適合できていることが、命を与える必須条件だ。

 つまり、マーチが今まで魂に刻み込んできた記憶が、しっかりと表に出ていなければならない。

 それさえ一致すれば、この実験は完全に成功したといえる。マーチに、命が吹き込まれたと。

 マーチはまだ、動かし慣れていない口をカタカタ鳴らしながら、高い声を出した。

「ぼ、ぼぼぼくは……ま、まままー……ち……。お、おとうさ……んに、うられた……。

いま、いまいっしょにい……るのは、ろん……ろんど。おはな、を、うって、る……うってる……売ってる」

 ぎこちない言葉は、次第に整っていく。ロンドは、顔を青ざめた。対照的に、マリオの表情はこれほどにない至福の喜びに満ちていた。

「すばらしい! ここまで完璧な命の結合は初めてだ!」

 マリオの高笑いは、不気味な家の壁を突き抜け、村中に響き渡った。


 それを魔女の儀式の雄叫びだと判断した村人は、さらにこの家には近づかなくなったという。


 数日経てば、マーチの口は達者なものとなった。

 普通に会話をし、普通に歩く。

 そんな姿を見ていても、ロンドはいっこうに彼になじむことが出来なかった。

 その恐怖は、空気を感じ取りやすいマーチにすぐ伝わり、こういった問いかけを何度もさせた。

「ロンドは、ボクのことが嫌いなの? お父さんみたいに、ボクを捨てるの?」

 お父さん、とは、マーチを作り、死ぬ直前にロンドに譲り渡した老人のことだ。

 その真実を知るロンドは、慌てて首を横に振った。

「ちがうわ、マーチ。あなたのお父さんは、あなたが嫌いだから捨てたのではないのよ。幸せになって欲しいから、大好きだから、私に預けたのよ」

「でも、ボクはそんなこと望んでいなかった。どうして、そうすることがボクの幸せだって思ったの? ボクはお父さんと一緒に、お母さんのところに行きたかったんだ」

「あなたのお父さんもお母さんも、あなたを愛していたわ。だからこそ、一緒に死ぬわけには行かなかったの」

「それは、ボクが人形だから? そうだよね、人間と人形が、同じ天国に行けるわけがないものね」

「そんなことはないわ、あなたにだって、魂があるって博士のお陰で証明できのよ。だから、私は今あなたとこうやってお話ができるんだもの」

 言ってみたものの、ロンドの心の中には黒い靄みたいなものが、重く垂れ込めていた。

 本音をいうと、予想していたものとは、はるかに違っていた。同じ命を、意志を持つ魂を持っているとはいえ、マーチを自分と同じ生命だと思うことはできなかった。突然目の前で生み出された、完璧すぎて逆に不完全な存在。

 人形が自在に動き、流暢に言葉を操る。その事実をロンドは上手く受け入れられなかった。

 こんな時、考える。あの老人や、彼の奥さんが今のマーチに出会ってていたら、一体どんな反応を見せただろう?

 喜んでくれただろうか、それとも、ロンドと同じだろうか。

 それが分からないから、やっぱり迷いは消えない。

 マーチに命を与えてしまった事実が正しかったのか、過ちだったのか。

 そんな複雑な気持ちは、マーチにもじんわりと伝わっていた。

「ロンドは後悔しているんだね。ボクみたいな、中途半端な生き物を作ってしまって。自分の寿命を縮めてまで、やるべきではなかったと」

「そ、そんなことは……」

 そこで口は閉じてしまった。考えがまとまらない以上、何も言えない。

「そんなことは? あるの、ないの? ロンドはいつもそうだね、迷ってばかりだ。お父さんはいつも迷いなんてなかったよ。お母さんが殺されたときも、あの噴水の前で路頭に迷っていた時も、迷いながらでも、いつもすぐに答を出していたよ。同じ人間のくせに、考え方が全く違うなんて、おもしろいね」

 皮肉めいた台詞を吐いた後、マーチはどこかへ歩いていった。家の外へは出ないだろうから、きっと別の部屋だ。

「……」

 ロンドは考える。泣きそうになりながら、必死で考えた。

 老人に迷いがなかったといえば、きっと違うと思う。老人は大人だったから、きっと世の中の不条理も、嫌な事実さえも受け止めて、前へ進めるだけの強い心を持っていたのだろう。

 そう、何が正しかったのかじゃなくて、限られた選択肢の中で、何が一番いいかを選び取ること。何よりも大事な部分は、その点だ。

 事実は変えられない、だからこそ、先だけを見据えなくてはいけない。

 彼らがマーチを庇って死を選んだ理由は、その限られた選択肢の中にマーチを生かすという最善の道が残されていたからだ。

 ロンドは考える。あの老人たちがもし、今のマーチと対面したら。

 きっと受け入れるだろう。動けるようになった、話せるようになったマーチと、喜んで生活していくだろう。

 しかしその道が閉ざされてしまった今、何か行動ができる人間はロンドだけだ。彼らの代わりになれる者は、ロンドだけ。

 マーチを庇い、守るために死の国へ旅立ってしまった老人とその妻。

 彼らの気持ちを、そして自分の気持ちをマーチに伝えるには、どうすれば良いのだろうか。

 考えた末、ロンドはマリオに相談を持ちかけた。マーチの育成のため、ここに住むことを承認してくれた彼なら、こんな稚拙な悩みでも、快く聞いてくれると思った。

「私、どうしてもマーチに本当のことを教えてあげたいんです。自分が生かされた理由、そして、口に出しては上手く言えない私の気持ちを。でも、どうすればいいのか……」

「簡単だよ。彼と魂を通わせることができたんだ。心だって、容易にできるに違いない」

「心、ですか?」

「そう、心と心が通じ合えば、理解できない想いなんて何もない。君がマーチと心を繋ぎ合わせられる方法は、たった一つだ」


 その日から、マーチはロンドとマリオの姿を見なくなった。

 話し相手がいなくなり、つまらなくなったマーチは、少しだけ外に出た。

 そっと、外の世界への第一歩を踏み出すべく、扉を開いた。

 人の姿は全くない。この辺りに近づいてくるものなど、おそらく誰一人としていないだろう。

 いつも窓越しに外を見ていたマーチも、そのことにはうすうす感づいていた。

 遠くで賑やかな声が聞こえる。あそこに行ってみたい。きっと楽しいのだろうな。

 しかし、マーチはそうしなかった。

 わずかな時の間に育まれた優れた知性と理性が、その感情を押し込めたからだ。


 行ってはいけない。僕は人形なんだ。あそこへ行ったって、みんなが怖がったり珍しがるだけで、僕は何も楽しめない。


 少しだけ、マーチは自分の体を憎んだ。


 どうして僕は人間じゃないんだ。人間じゃないのに、人格を持っているんだ。

 こんな気持ちになるのなら、家畜に生まれたほうが、よっぽどましだった。


 怒りに飲まれて、マーチは立ち尽くす。その側に、近寄ってくる影がいた。

「……お人形さんだあ」

 幼い少女の声。マーチが首を上に動かすと、その先には小さな、顔にそばかすのある少女が立って、こちらを見下ろしている。

 マーチは驚いて、慌てて逃げようと家に向かって駆け出した。しかし、筋肉の無いその足の速さは、とても遅かった。

「まって、お人形さん!」

 少女に前方に回りこまれ、マーチはブレーキをかけ、すっころぶ。

「驚かせてごめんね? あたし、お人形さんと友達になりたかったの」

 少女の名前は、パリス。彼女は、落ち着きを取り戻したマーチに、こんな話をした。

「あたしね、お人形さんみたいになりたいの。お人形さんは、かわいいし、動かないし、何も言わないから、みんなにかわいがってもらえるもの。あたしは動くし、言葉を話すし、全然かわいくないから、みんなに嫌われるの。動けば邪魔だと言われるし、何かをしゃべればうるさいと怒られるわ。だからって何もせずにじっとしていると、怠けていると怒られるの。なにをやっても、あたしは嫌われ者なの。みんな、あたしを怒るのが楽しいみたい。

 人形になってしまえば、動けないんだから何もしなくても怒られないし、しゃべれないのだから文句も言われないわ。だから、あたしはお人形さんがうらやましい」

 パリスの話を聞いて、マーチはポツリと呟いた。

「確かに、人形っていいのかな。何もしなくてもいいし、何も言われない。それが人形の普通なんだ。じゃあ、今こんな風に話したり動いている僕は、おかしいんだ。でも……僕は今思い出した。僕も昔はパリスのように人間になりたいと思っていたんだ。お父さんやお母さんと話がしたくて、人間になりたかったんだ」

 マーチは気付いた。

 体が動かせず恩返しができないこと、言葉が話せず感謝の言葉も伝えられないこと。

 それをもどかしく思っていたマーチに、命を与えれくれたロンド。彼女に感謝をするべきなのに、自分のことを嫌っていると思い込んで、傷つける言葉ばかり放ってしまった。

 この口は、大切な人を傷つけるために開かれたものでは、ないはずなのに。

 奢り高ぶっていたのか。動けるようになってから、こんな言葉は全く頭に浮かんでこなくなっていた。

 言葉が話せるようになったら、一番最初に伝えようと、ずっと前から思っていた言葉。


 ――ありがとう。


 そうだ、まだ言っていない。

 ロンドに、命を分けてもらったお礼を言っていない。

「僕、行かなくちゃ。そうだ、パリスも、人形になりたいのなら、僕と一緒においでよ。マリオ博士、僕を動かせるようにしてくれた人なら、きっと君を人形にだってしてくれるよ」

「本当? あたし、その人に会いたい」

 パリスは嬉しそうにマーチの後についていった。

 バタンと閉じられた不気味な家の扉。そこから人間が出てくることは、二度となかった。


 マリオは地下室にいた。

「博士ー! お願い、パリスを人形にしてあげて。パリスは、人形になれば幸せになれるんだ。だから……」

 マーチのお願いに、少し機嫌の悪かったマリオは、少し笑顔を取り戻した。

「君は本当にいい子だね、マーチ。いいよ。その子を人形にしてあげよう。今まで、その準備をずっとしてきたんだ」

「本当!? ありがとう! よかったね、パリス。これで人形になれるよ」

「……う、うん。ありがとう、マーチ」

 パリスは少し動揺していた。まさに、魔女のいるお菓子の家に迷い込んだ状況か。

「じゃあ、さっそく始めようか。最初は、少し痛いかもしれないけど、すぐに気持ちよくなる。何も感じなくなれば、君が人形になれた証明だ」

 マリオは、糸を通した針を取り出した。それをためらい無く、パリスの腕に刺す。血が流れ出し、肉の繊維が砕ける音が微かにする。

「いや! 痛いよ!!」

「我慢するんだ。すぐに人形になれる」

「がんばれパリス!」

 マーチの応援と、パリスの悲鳴が交互に響いた。

 腕の次は手、また腕、胴、足、足、胴、腕……針は滞ることなく、パリスを貫いていく。

「助けて! あたし、やっぱり人形になんか、なりたくない! みんなにいじめられても、苦しくても、そっちの方がいい……」

 パリスが流した涙はやがて枯れ、目からは血が滴り落ちる。

 そして、頭。口や目蓋も、綺麗に縫いつけた。

 全ての糸を通し終え、動かなくなったパリスに、マリオは笑いかけた。

「よし、完成だ! これでこの子は、人形になれたよ」

「やったね! パリス、良かったね。これで、もう誰にも嫌われずにいられるよ」

 マーチは、パリスの望みが叶って良かったと、心から喜んだ。

 そして、自分の使命を思い出し、マリオに尋ねる。

「博士、ロンドを知らない? 僕、ロンドにまだお礼を言っていないんだ」

「ああ、そういえば、君にはまだ見せてなかったね。さあごらん。この子が、新しく生まれ変わった、人形ロンドだよ」

 バサッと、部屋の隅にかけられていた布を剥がし取った。

 そこに座り込むのは、全く動かないロンドだった。

 白い顔をして、綺麗なドレスに身を包んでいる。本当に、人形みたいだ。

「まだ完全じゃないから、薬を塗ってあげないと腐ってしまうんだが、初めてにしてはいい出来栄えだったよ」

 マリオは楽しそうに言った。マーチは、ロンドの姿を見て、自分を庇って帰らぬ人となった母親を思い出した。

 母の表情は、作り物の瞳で見た死の光景は、今も魂に焼きついている。

 そっくりだ。

「博士……ロンドは、死んでいるの?」

「何を言っているんだ? 彼女は、君と心を通わせるために、望んで人形になったんだ。人形の君なら、彼女の心が分かるのではないのかい? 何を考えているのか、何を言っているのか、理解できるはずだよ」

「分からないよ。だって、ロンドは、何も言わないじゃないか。全然、動かないじゃないか」

「そりゃあそうだ。人形は動かないものだろう? 話すことができないから、人形なのではないのかな?」

 さも当然とばかりに、嫌味な笑いを向けるマリオ。

 それを見て、今、マーチは知った。

 人形と人間は、全く違うもの。

 人間は、人形にはなれない。

 人間が人形みたいに動かなくなるということ。それすなわち。

 『死ぬ』ということ。

 だから、パリスは、今ここで死んだのだ。

 ロンドは、ずっと前から死んでいたのだ。

 僕が、殺したんだ――。

「……ボクは間違っていたのか。考え方も、存在も。でも、そうだとしても、もうどうにもならない。そうだ、お父さんも言っていた。今、できることを考えるしか、やるしかないって。ボクみたいな不完全な存在にも、まだできることがある」

 マーチは背負っていた、父親手作りの銃を手に取った。その小さな銃口を、マリオに向ける。

「そんなおもちゃで、何をしようというんだ? マーチ」

 パン。

 よく作られた銃には、弾丸も込められていた。

 殺傷力は低いが、身体を貫通せず、中に留まって効力を増す毒弾。

 おもちゃなんかとは違う。父親の愛がこもった、素晴らしい凶器だった。

 弾丸はマリオの肩に当たった。マリオは顔を歪め、叫んだ。

「な、何てことをするんだ! お前は、動かせるようにしてやった恩を忘れたのか!? 僕はお前達の、人形の神なんだぞ、分かっているのか!」

「命をくれたのはロンドだ。身体をくれたのは、お父さんだ。魂を育ませてくれたのは、お母さんだ。そして、正しい事を教えてくれたのは博士だから、これがボクからのお礼だよ」

 パン パン パーン!

 連続して毒の弾はマリオの心臓を打ち付ける。毒は瞬時に広がり、マリオは泡をふいて倒れ、それから動かなくなった。


 不気味な魔女の家の扉が開かれた。出てきたのは、人形ただ一体。

 マーチは村を出て、一人ぼっちで歩き出す。

 今の自分の疑問を解決するために。

 ――人間にとって、人形になると言うことが死ならば、僕ら人形が人間になることも、死ぬと言うことなのかな。

 それは間違ったこと? でもそうなら、なぜ僕はここにいるの? なぜ、歩いているの? もし間違いならば、それをいけないと決めたのは、いったい誰?

 知りたいな、誰も知らない全てが知りたいな。

 小さな兵隊は、悩みながら大きな荒野の広い道を行く。



◆ ◆ ◆



『どうでしょう? ……絵本になりそうでしょうか』


 あちらも、丁度キリが良いようです。

 アルビさまは、少し自信なさ気な様子でドーランさまにお尋ねになりました。

 少し間をおいて、ドーランさまはお返事をお書きになりました。


『話自体は、とてもいいと思う。でも、このままでは絵本にできないから、少し訂正を加えてみるよ。そして、出来上がったら、また君に一番に見て欲しい。これはお願いだ』

『どうしたんですか? 何だかかしこまってしまって』

『……君はまだ子供だ。人生を半分も生きていない。だから、知らないことも多いのだろう。しかし、君は人であるにおいて、大事なものを手に入れるのを忘れてしまっているかもしれない。

 いいかい、絵本とは、子どもに夢を与えるものでなくてはならない。しかし、以前の作品もそうだが、君の作品には『希望』が感じられないんだ。ひょっとして、希望を知らないのではないかと、読みながら思ってしまった。まあ、こんな辺境の地でたった一人で生活をしているならば、それも仕方がないかもしれない。

 君の生き様に、意見をするつもりはないんだよ。でも、君を心配している人間もいるのだと、知っておいて欲しいんだ。

 私は画家だから、君のように人に道を示す力なんて、これっぽっちも持ってはいない。でも、私の絵がきっと誰かの心を動かすものであると信じている。

 だから、また私が作り直した絵本を読んで、希望とはどんなものなのか、ぜひ知って欲しい。他ならぬ君だからだよ、アルビ君』


 ドーランさんは、その後、そそくさとお帰りになられました。


『……NO TITLE。僕には希望が無いのだろうか?』

『アルビさま、ご心配なさることはありません。アルビさまはもう子どもではございません。一人前の、この図書館の主でございます。

 人は、大人になると、夢や希望というものを忘れてしまう、と教えられました。アルビさまも、きっと同じなのです。なにもおかしくはありません』

『でも、昔は持っていたかと訊かれると、正直、自信がない。人生の半分も生きていない事実は、確かなんだ……。僕にも、まだ知らないことがたくさんあるのだろうかな』


 アルビさまは占い師として、悩める御客人を正しい道へと導くきっかけをお作りになる仕事をする身。

 ですが、その御本人が進むべき道に迷ってしまった時、いったい誰が、アルビさまを正しい場所へ導いてくれるのでしょうな。

 考えることは良いことです。思い悩むのも、一時の刺激としては申し分ないでしょう。

 しかし、思いすぎは身体によくありませんぞ、アルビさま。


 数週間の後、ドーランさまは新たなる絵本を持ってこの地を訪れられました。

 絵本の話は、元とはかなり変わり、魔法の力で動けるようになったマーチがロンドを食べようとした悪い魔法使いを退治する結末へと導かれていました。

 これがアルビさまの望んだ結末を表現しているかといえば、おそらく嘘になるでしょう。しかし、真実を探求する事は世間ではタブーとされているのかもしれません。そこには、真相を知ってしまう恐怖を隠そうとする心理が働いているのかもしれませんし。全てを理解したその時が、その人の終わりだからかもしれません。

 だからドーラン様は、アルビさまが追い求める真実を、自分なりに覆い隠そうとしたのでしょうか。それが、ドーラン様なりの、『希望』の見つけ方なのかもしれませんね。


『私はまた、この本を読みたいと思う人に売ってくるよ。そして、今度は先に言っておくが、また新しい話を書いたら、ぜひ見せて欲しい。約束だよ』

『はい、約束します。必ずお見せします』


 再び静かになった魔導図書館。

 アルビさまはお静かに、わたくしに思いのたけをお書きになり始めました。


『子どもに、夢や希望を与えるのは、大事なことだろう。

 正義の味方は悪者を倒す。悪者は決まって人間ではない、人間が恐ろしいと感じるものであるのが必須条件。正義の味方は、ほとんどが人間。それも大人。これは人間の大人が、世界で誰よりも何よりも強いと子どもに教え込ませるための意思表示だ。

 しかし、本当に教えないといけないのは、そんなことじゃないと思う。

 人間が必ずしも正義とは限らない。また、悪者にとって、正義の味方は悪者であること。本当に正しいことは何なのか、僕は小さいときから知りたかった。

 そういった気持ちを、作品で表現したかったんだけどなあ。

 ……何千年も生きてても、まだまだ分からないことだらけだ。次は、もっと『希望』とやらがたくさん詰まった話を書けるかな』

 この魔導図書館には、悩みを持ってここへ訪れる全ての人の『答え』が揃っているといっても過言ではありません。

 しかし、アルビさまのお探しになっている『答え』と言うものは、ここで探し出す事は困難なようです。本当はすぐ近く、手の届く場所にあるのかもしれませんが、それを自分で見つけ出すことができなければ、ないのと同じなのですから。

 アルビさまは必死で考えておられます。今のアルビさまに足りないもの。

 それをぜひ見つけていただきたいと思いますが、見つけて欲しくないとも思い、少々複雑でございます。

 そして、わたくしもアルビさまのお書きになった作品に、少し考えさせられました。

 命を持たないものが命を得ることがもし『死』ならば、わたくしの存在も、『死』なのでしょうか――?


 さて、次はどのようなお客さまが、わたくしの身体を、知識を満たすきっかけをつくりに来てくださるのでしょうか?

 皆さまのご来館を心からお待ちしておりますぞ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ