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第六篇 「赤頭巾ちゃん」

 外は、激しい嵐でございます。

 魔導図書館は、大量の本を収蔵しているだけあって、大きくてしっかりした建物。

 ちょっとやそっとの雨風では、びくともしません。

 したがって、屋内の机の上でぬくぬくと過ごしているわたくしには、嵐の恐ろしさなど無縁の産物でございました。


 ですが、わたくしはまだ、気付いていなかったのでございます。

 嵐が、蚊帳の外でのみ猛威を振るう災害ではないという事実を――。


◆ ◆ ◆



『こんな嵐の中、大変だったでしょう。よくいらっしゃいました。しばらくすれば、雨風も弱まるでしょう。少し、雨宿りでもなさっていってください』

 嵐の吹き荒れる外の世界から、お客様が迷い込まれて来たご様子です。

 偶然の来客でしょうが、来るもの拒まず、去るもの追わず。

 魔導図書館の鉄則に従って、急な来訪者であっても、歓迎いたしますぞ。

 と、いいたいところですが、今回ばかりは、招かれざる客でございました。


『あなたは、こんなに立派なお屋敷に住んでいて、ろくに外に出てもいなさそうなのに、どうして嵐の日に出歩く私が大変だと思われるの? 雨に打たれた私よりも、家から出ずに濡れなかったあなたのほうが偉いとでもいいたいの? 何の経験もないくせに、経験のある人間を見下すなんて、どれだけ失礼なのかしら。世間知らずのお坊ちゃまの妄想? それとも、ただの馬鹿なの?』

 対して綺麗ともいえない文字で、私の体に書きなぐるお客様。

 名を名乗るわけでもなく、アルビさまに対しての愚痴ばかり。

 なんと失礼なお客様でしょう。

 アルビさまのご好意を貶し、挙句の果てには馬鹿にするとは。

 わたくしに手があったら、つまみ出しているところですぞ。


『確かに、経験のない出来事を勝手に想像して、相手を同情するなんて、失礼な話でしたね。申し訳ありませんでした』

 ですが、アルビさまの対応は落ち着いていて、紳士的そのもの。

 ご立派でございます、アルビさま。わたくしも、見習わなくてはなりませんな。


『何を知った風な口を利いているの? 詫びれば相手と同等か、それ以上の存在になれるとでも思っているの? あなたは、自分自身の考えや理想を相手に押し付けて強要し、相手を懐柔させる行為によって満足感と快楽を得る、最低な人間なのね』

 そんなアルビさまの善意さえもを吹き飛ばし、お客様はとことん、アルビさまを貶されます。

 アルビさま書かれる文字の全てを見ても、特におかしな点はございません。

 相手を尊重し、腰を低く、穏やかに接しておられる。

 おかしいとすれば、今回のお客様です。

 もてなす側にマナーがあると同様に、もてなされる側にもマナーが存在します。

 このお客様は、そのマナーを何も分かっていない、残念なお方らしいですな。


『だいたい、男が一人で暮らしている家で、うら若き乙女に雨宿りをしろ、なんて。誘っているの? 私を襲おうとでも考えているの? だったら、襲われる前に私があなたを殺しても正当防衛よね? 法には触れないし、罪にも問われないわ。

 あなたは、私に人殺しをさせようというの? 私の中に、深いトラウマを遺して、死してなお、私の未来を苦しめようとするのね。下衆にも程があるわ。だから男って、信用ならないのよ』

 お客様はさらに勢いを増し、意味のない空想話を現実に持ち出してきて、アルビさまを責め立てます。

 わたくし、知っております。

 こういったお方を、世間ではモンスターと呼ぶのでございます。

 モンスタークレーマー。

 モンスターペアレント。

 モンスターマダム。

 モンスター自営業。

 基本的に、世の中に出て基本的な社会知識をろくに学ばずに、狭い世界で己の考えだけに縋りついて生きてきた人間が、モンスターに進化するのだといわれております。

 なんと、恐ろしい生き物でしょう。

 体温調整ができる体ならば、わたくしはきっと今、恐怖に震えていたでしょう。


 アルビさまは、ずっとこの魔導図書館に引き篭もっておられますが、書物をたくさん読まれ、また、節度のあるお客様たちとのやり取りを経て、とてもまっとうで立派なお方に成長しておられます。

 我慢を知っている。その心意気だけで、立派でございます。


 ですが、今回のお客様に対しては、アルビさまの苛立ちも、そろそろ限界ではないでしょうか。

 なぜって、アルビさまがわたくしの体の角を掴む指圧が、かなり高くなっております。怒りを押し殺すあまり、その反動が、わたくしに向かってぶつけられそうになっております。

 いけませんぞ、アルビさま。相手への不満を溜め込んで、わたくしに当たる真似だけは、お止めくだされよ。


 アルビさまはなんとか自我をコントロールし、穏やかさを装って、文字を書かれました。

『お急ぎでしたら、別に引きとめはいたしません』

『いたいけな少女を、嵐の中に放り出そうっていうの? 薄情な男ね。男の片隅にも置けないわ。――それにしても、あなたとは本当に会話がかみ合わないわね。どんな教育を受けてきたの? あなた、人間ではないのではなくて?』

 おやおや、このお方。

 挑発は自由ですが。

 アルビさまが人間の感情を心得ていなければ、今頃は屍となっておりますぞ。愚かな。

『なるほど。面白い発想ですね。私が人間ではないのであれば、話が通じなくて当然だ。私にも、あなたの言葉が全く理解できませんから』

『馬鹿の塊ね。頭の悪い奴って、何を言っても聞かないのよ。自分の考えが一番正しいと思っているから。馬鹿につける薬がないって、本当なのね。どんな荒療治を行ったって、馬鹿の頭は治らないの。一生馬鹿のまま』

『仰るとおりです』

 まさしく。

 このお客様は、とても頭がよろしいのでしょうな。馬鹿なモンスターに対する対処法の方法が皆無な事実を、しっかりと悟っていらっしゃる。

 どうせなら、その言葉をご自身に向けて放ち、理解できるだけの頭があれば、完璧でしたのに。

 天は人に二物を与えず。

 そこまでの思慮深さは、持ち合わせて生まれなかったのでしょう。

 まあ、まだ筆談に応じられるだけの許容力があるだけ、マシなのかもしれませんが。

 モンスターは犯罪者の思考を持ち合わせております。

 文字を書けば、筆跡という名の証拠が残り、後に己の行動に対して不利な枷が生まれる可能性を熟知していますから、証拠を遺す方法を、徹底的に拒むのです。

 つまり、悪質で、法に触れるかもしれない愚かな行為を犯している自覚はあるのでしょうな。でも、自分だけは悪くないと頑なに信じ、己の悪事の隠蔽に心血を注ぎ、知らん顔で己を裁く法そのものを否定するのです。

 ですから、何をやっても自信たっぷりに、堂々としていられるのでしょうな。


『あなたとの会話は疲れるわ。時間も勿体ないし。私は疲れているのよ。毎日、一生懸命働いているから。あなたとは違って暇ではないの。ああ忙しい。もう寝る時間だわ、早く寝なくちゃ。あんた、女性に床で寝させる気? まあ、失礼で気の利かない男に気遣いを求めたって、無駄でしょうけれど。

 可哀相な私! へんな男に振り回されて、こんな冷たい場所で一人寂しく眠るなんて。添い寝して差し上げるくらいの貢献心がないものかしら。いっておくけれど、私に近付いたら殺すわよ。正当防衛なんだから』

 矛盾した文字を書くだけ書いて、お客さまは、わたくしたちの前から去ったみたいです。

 私の体に、不名誉な暗黒ページが生まれてしまいましたな。このページだけ、破くなどは不可能でしょうか。

 閉じたときに、破いた箇所だけ隙間ができて、不恰好になりますかな……。


 とんでもないお客さまです。

 わたくしも今回ばかりは流石に酷いと思い、アルビさまに抗議いたしました。

『アルビさま、いくら魔導図書館の鉄則が、来るもの拒まず去るもの追わず、とはいいましても。さっさと追い出したほうがよくありませんか?

 あのお方がお客だとは、わたくしには思えないのですが』

 あれは客ではございません。客以下のモンスターでございます。

 モンスターは、もてなすものではありません。狩るものです。

 アルビさまも重々、分かっておられるはず。

 ですが、わたくしよりもまだ、アルビさまは冷静でございました。


『追い出すなんて、労力の無駄さ。放っておいても、目が覚めれば勝手に出て行くだろう。とんでもなく最悪な本を、枕にして眠り始めたからね』

 アルビさまの筆跡には、苛立ちと期待が入り混じっておりました。

 図書館の本を、枕にですか。どんな悪夢を見るか、分かりませんな。

 わたくしも少し、わくわく、でございます。


『手に負えないから、廃棄処分にしようかと思っていた本さ。君も、内容は知っているだろう?』

 あの本、でございますか。

 確かに、今回のお客様を揶揄するには、ぴったりの本でございます。

 何の解決もしないところが、特に。


『明日の朝の反応が、楽しみだ』

 アルビさまは軽快に、わたくしをお閉じになられました。


 さて、その本に書かれたお話。

 皆さまも気になりますでしょうか?

 せっかくですから、口直しならぬ文字直しといたしまして。

 少しだけ、語らせていただきましょう。



◆ ◆ ◆



「むかしむかしあるところに、赤頭巾ちゃんと呼ばれる可愛らしい女の子がいました。女の子は心が優しいので、森の奥に一人で住む身体の弱いおばあさんのお見舞いに出かけました。

 大きな籠を腕にかけ、森の中を行きます。籠の中には、身体の弱いおばあさんの介護もせず、一緒に住もうとも言わずに森の中に置き去りにした残酷な、赤頭巾ちゃんのお父さんとお母さんの首が入っています。赤頭巾ちゃんはおばあさんに、敵は討ったわとお知らせに行く途中だったのです。

 てくてく、てくてく。森の小道を歩く赤頭巾ちゃん。そこへ、人を食べてしまう悪い狼がやってきて、赤頭巾ちゃんをナンパし始めました。


 赤頭巾ちゃん、赤頭巾ちゃん、一人でどこへ行くんだい?

 おばあさんのお見舞いへ行くのよ。

 そうかいそうかい、赤頭巾ちゃんはいい子だね、偉いねえ。

 偉い事なんて何一つしていないのに、他人事みたいにふざけた誉められ方したくないわ。あなたムカツク。


 赤頭巾ちゃんは笑顔で狼を殺しました。

 ランラン、ランラン。森の小道を歩く赤頭巾ちゃん。ふと道の脇に、広いお花畑が広がっているのが目につきました。

 そうだ、おばあさんにお花を摘んで行ってあげましょう。

 心の優しい赤頭巾ちゃんはお花畑に入って、どんな花があるのか見定めました。

 お花は、どうやら二種類あるようです。五枚の長い花びらがぱっと開いて咲き誇る白い花と、五枚の短い花びらが蕾のように咲いている白い花です。

 どれから摘もうかしらと悩んでいると、別の狼がやってきました。


 赤頭巾ちゃん、赤頭巾ちゃん、こんな所で何をしているんだい?

 おばあさんに、お花を摘んであげているのよ。

 こんな墓場でかい? そんなに綺麗は花は咲いていないよ。

 そう、ここは墓場というお花畑なのね。悪くないわ、綺麗なお花が沢山咲いているもの。

 

 この花にしましょう、えい。

 赤頭巾ちゃんはブチっと、長い花びらのついた花の茎を引っ張りました。

 プチッ、ぶしゅう。

 茎の千切れ口から、赤い液体が一気に吹き出ました。


 あら、蜜がいっぱい詰まってる。ぺろり、ああ、鉄の味がするわ、この蜜は鉄分が豊富なのね。おばあさんの身体に良いかもしれないわ。もっと摘みましょう、もっと摘みましょう、うふふ、うふふ。


 顔に飛び散った赤い液体をぺろぺろ舐める赤頭巾ちゃん。次々に花を摘み続けると、辺りに赤い水の噴水が湧き上がります。その水をワインのビンに入れて、お父さんの首とお母さんの首の間に差し込んでおきました。

 その様子を瞬きも忘れて見つめていた狼は、慌てて逃げ出そうとしました。


 こりゃあいかん、恐ろしい孫娘が来るぞ、ばあさんに知らせてやらにゃあ!

 あっ、おばあさんを食べに行くつもりね? 許さないわ、えいっ!


 赤頭巾ちゃんは狼めがけてナイフを投げました。ナイフは狼の首に突き刺さり、あわや絶命してしまいました。


 さあ、お花もたくさん摘んだ事だし、早くおばあさんのところへ行きましょう。

 るんるん、るんるん。森の小道を歩く赤頭巾ちゃん。やっと、おばあさんの住む小さな一軒家にたどり着きました。

 ドンドン、ドンドン。扉をノックします。勢い余って、ドアを蹴り倒してしまいました。

 

 おばあさん、お見舞いに来たわ。おばあさん、お見舞いに来たわ。

 おお、よく来たね、赤頭巾や。

 今日はお土産をいっぱい持ってきたのよ。まずはこれ!


 おばあさんの布団の上に転がったのは、息子夫婦の生首でした。


 もう、おばあさんをいじめる人は誰もいないわ。

 ああ、何と酷い、何と酷い。

 

 おばあさんは、おんおん、おんおん泣き始めました。


 泣くほど喜んでくれているわ、うれしいな、うれしいな♪ 次は、鉄分が豊富な蜜と、その蜜を出したお花!


 おばあさんの布団の上に置かれたものは、真っ赤な液体の入ったワインのビンと、数本の人の手足でした。


 赤頭巾や、赤頭巾や。お前が持ってきたものは、お花ではないのだよ。謝って、元の場所に戻しておいで。罰が当たってしまうよ、ああ、末恐ろしい小娘じゃ。

 どうして? おばあさんのために摘んできた綺麗なお花なのに、気に入ってくれないなんて。何て酷いおばあさんなの? あっ、分かったわ、あなたはおばあさんのフリをした狼ね? 私を騙すなんて許せない、きっと、おばあさんは食べられてしまったんだわ。


 赤頭巾ちゃんは怒り笑ってお婆さんを殺してしまいました。


 困ったわ、困ったわ、おばあさんももういないし、お花が無駄死にしてしまうわ。そうだそうだ、お花畑に肥料を撒きましょう。

 

 赤頭巾ちゃんは再びお花畑にやってきて、いたるところに穴を掘りました。

 その各所各所に、持ち運びやすいようにバラバラにしたおばあさんの欠片を埋めてゆきました。穴の数が多くて、おばあさんだけでは足りなくなったので、お父さんとお母さんの首も埋めました。それでも足りないので、殺した二匹の狼もバラバラにして埋めました。摘んだお花も、挿しておきました。

 

 ああ、いいことしたわ、いいことしたわ。これで来年も、たくさんのお花が咲き乱れるでしょう。


 心が優しい赤頭巾ちゃん、環境破壊の脅威から花を救い、満足して森の小道を歩いていき、暗闇へ消えて行きました。


 ランラン、るんるん、うふふ、ゲラ、ゲラ。



◆ ◆ ◆



 朝でございます。

 嵐が去って、外からは暖かな光が、わたくしを虫干しにしてくださいます。

 さて、館内に飛び込んできたとんでもない嵐は、どうなったでしょうな?


『おはようございます、アルビさま。昨日お越しになられたお客さまは、どうなさいましたか?』

『おはよう、NO TITLE。早朝に、廃人みたいになって出て行ったよ。嵐は完全に去った』

 流石はアルビさま。

 あんなつまらないもののために、お手を煩わせるまでもなく、見事に追い出してしまわれました。


『枕にされた本の中に書かれていたお話が、効果覿面でしたかな』

『かもね。まったく、接客業も楽じゃないよ。言葉の通じない生き物を、人として扱わなくちゃいけないんだから。

 本と話をしていたほうが、よっぽど、まっとうな精神状態を保てるね』

 お褒めに預かり、光栄でございます。

 ですがその発想は、引き篭もりの思考回路でございますぞ、アルビさま。


 害獣退治に成功し、ご機嫌のアルビさま。

『いい気味だ、クズ女』

 気が緩みすぎて、ついつい羽目を外しすぎておられます。

『アルビさま、お文字遣いが悪うございますぞ』

『いやあ、失敬。汚い言葉を使わずに済む生活を送りたいものだね』


 一息ついて、アルビさまはしみじみと、書き込まれます。

『今の世の中は、本当に便利になった。海の底も、空の上も、どこにでもいける技術が発達しているし、便利なものもたくさんある。だけど、自然現象から完璧に身を守る方法は、まだ確立されていないんだよね。

 生活に便利なものを、いたちごっこして作っている暇があったら、モンスターを一撃で倒せる秘儀を研究してもらえるほうが、僕としてはありがたいかな』

『誰も作らないのであれば、アルビさまがお作りになられてはいかがです?』

『無理だよ。嵐なら鎮められるかもしれないけれど、モンスター退治は手間が掛かる。後始末も大変だし』

 では、普通の人間にも、簡単には作れないでしょうな。

 真の問題は、永久に解決できないのかもしれません。


 さて、次はどのようなお客さまが、わたくしの身体を、知識を満たすきっかけをつくりに来てくださるのでしょうか?

 皆さまのご来館を心からお待ちしておりますぞ。

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