第十一篇 「万能の聖地エリクシリア」
こうやって、窓の側にあるアルビ様の机の上で寛いでおりますと、なんとも強い風がわたくしのページを、ペラペラとめくっていきます。
これが心地よいものなのか、気持ち悪いものなのかは本であるわたくしには判断つけかねますが、寒さに弱いアルビ様には、とても不快なもののようでございます。
風の流れが微妙に変化しました。アルビ様がお部屋に入ってこられたようです。
『アルビ様、そろそろいつものお時間ですが?』
わたくしは、今開いているページに、自分の意思となる文字をを浮き上がらせ、アルビ様にお尋ねしました。
いつものお時間と言うのは、アルビ様が行っているお仕事。
彷徨える者への悩み相談、のようなものでございます。
アルビ様の方針としては、ただ悩みの解決策を教えるのではなく、それに類似した過去の文献をご紹介なさり、それをもとに自らの力で悩みを解決する糸口を見つけさせよう、と言うお考えなのです。
『うーん。今日はいつもに増して寒いなあ。どうしようかな。
こんな日は何もせずに部屋でじっとしているのが、一番いいんだけどなー。
……なんて、考える時間もないみたいだ。誰か来たよ、NO TITLE。
とりあえず、出迎えに行こうか』
アルビ様は筆跡もなんだか気だるそうに、わたくしを閉じて持ち上げ、いつもの場所へ向かわれました。
今はもう使われていない、この魔導図書館のロビーの貸し出し机の上に。
『ようこそいらっしゃいました。
あなたのお悩みをお聞かせ願いますか?』
いつものように、筆談での悩み相談が開始されました。
言葉の話せないアルビ様と会話するためには、これが一番効率がいいのです。
『はじめまして。私はユーリと言います。
ここにくれば、どんな病気もたちまち治ってしまうと聞いてやって来ました。
私、二ヶ月程前から風邪が治らないんです。これって、おかしいと思うんです。
きっと何か危険な病気なんだと思うんです。お願いです、治してください』
『……申し訳ありませんが、私は医者ではありませんので、あなたの病気は治せません』
『でも以前、ここにやって来た、という人と話をしました。
その人は、不治の病に犯されていたのですが、ここに来てあなたの助言を聞いた次の日から体が軽くなり、病気が嘘のように消えてしまった、といっていました』
そういえば、わたくしの一つ前のNO TITLEにあたる兄から、こんな話を教えてもらったことがあります。
自分が余命一年の重病だと〝思い込んだ〟お客様が、余生をどのように生きれば一番楽しいか、とお尋ねにやってきたことがあるそうです。
そんなお客様に、アルビ様は「生きたくなくても死ねなかった人の話」をなさったそうです。
どんな話かは、また皆様にもお聞かせできる機会があるかもしれません。
それによって〝死〟という概念から解放されたその方は、別に命取りでもなんでもない軽い病から抜け出し、今も平和に過ごしている、とのことです。
おそらくユーリ様は、その方とお話をされたのでしょう。
『人の命を左右するなんて、決してしてはいけないことなんです。たとえ、それが医者という名を持つ権利を有するものであっても、また、人でない、万能なものであっても……』
アルビ様は、数行開けてこんなお話を綴られ始めました。
◆ ◆ ◆
オレは今年で16歳。自慢だが、生まれてこのかた、風邪なんかの病気や、大怪我を負ったことが一度もない。
転ぶことはあっても、かすり傷程度だ。蚊に刺されたこともない。
そんなオレが、なんとこの歳になって風邪を引いてしまった。
しかも、治らない。39℃から下がらない熱、苦しい肺、とめどなく出てくる咳と鼻水。
市販の薬も、全くといっていいほど効果がない。
これは危険だ。
医者なんぞに金をくれてやるのは俺のポリスィーに関わるが、今はそんなことを言っている余裕もない。
この貧しい町の病院は1つ。白衣の老天使が出迎える、微妙に不衛生な診察室。
そこに座り、待ち構えるのは、ヤブ医者の頂点を極めたようなハゲジジイ。
プルプル震える手で、聴診器を、オレの動悸の激しい胸にあてる。
「ふうむ。ただのー風邪のようじゃがのー。いつから、ひいとるんじゃー?」
「今年の初めくらいからだから、半年くらいっすかねー」
「いままで、風邪を引いたことはー?」
「ないっす。これが初めて」
オレが朦朧とする頭を駆使して返事をした途端、医者は寂しい頭に欠陥を浮かび上がらせて、なんともおぞましい顔で立ち上がった。
「これはもしや、100年に1度訪れるといわれる災厄……な、なんということじゃ!
まさか、この町が選ばれるとは……! ばあさん! 電話じゃ!
わしの弟子たちを今すぐ呼ぶんじゃ!」
「な、なんなんだよ……。そんなに、やばい病気なの!?」
オレはビビッて尋ねた。医者はわなわな震えながら、側の薬品ダンスを開けてガサガサと何かを探し始める。
「ああ、やばいぞい。わしら医者の天敵がやって来た!
わしらは、常に人々のために病原菌を殺し続ける。しかし、病原菌もやられっぱなしでは黙っておらんのじゃ。
怒りが頂点に達した時――わしらの調査では100年周期じゃ――奴らは復讐に来る!
治しても治らない、感染率抜群のウイルスに変貌を遂げて、蘇るのじゃ!
そして、それを発見したものはそれに対して適切な処置をすることを義務付けられておる」
やっと探し物が見つかったようで、医者はオレの方を向き直った。
その手に握られていたのは、ピストルだ。
「ちょ、なな、何の真似だよ!!」
「すまんの。感染の拡大を防ぐためには、元を断つしか手はないんじゃ。
ヤブ医者しかいないこの国を許しておくれ……」
さっきまで震えていた手はしっかりと引き金を引いた。鉛玉がオレの頬をかするように通過、後ろの壁につきささる。
「冗談じゃねえよ!」
オレは逃げた。これでも陸上部だ。
クラウチングスタートで勢いをつけ、病院を抜け出す。
しかし、そこからがサバイバルの始まりだった……。
外に出ると、待ち構えていたのは若い医者達だった。
白衣に拳銃というアンバランスな理系野郎達が、必死こいてオレを追いかけている。
いくらオレが体育会系で脳味噌筋肉の陸上部員であっても、この異常な体温の状態で多勢の人間相手に鬼ごっこを繰り広げるのは体力的に限界がある。
どこかに、身を潜めないと――。
オレが目をつけたのは、巨大な茂みに囲われた謎の建造物の建つ廃地。
昔は何かの研究をしていたらしいが、今は無人の館と化している。
かくれんぼには格好の場所だ。
オレは垣根の隙間に飛び込んだ。
近所のガキどもが開けたのか、その穴は見事にオレの身体にフィットして、するっと中に入れた。
オレを探す足跡と声が遠ざかり、安堵すると共に顔を上げたオレは驚愕した。
ここは、廃屋でもなんでもない。まさに楽園―――そう呼べるところだった。
緑がかたち良く覆い茂り、花は咲き乱れ、蝶が舞う。
野生の動物達と戯れる、妖精のような少女の姿まであった。
熱のせいで幻覚を見ているのかと思ったが、そうではない。
少女は歩み寄ってきた。妖精っぽいが、等身大だ。
小鳥のような声で、オレに語りかける。
「ようこそ! 万能の聖地『エリクシリア』へ!」
「……え?」
オレは思わず首を捻った。まるで、この空間一体だけが別世界のように思えた。
「ここに来た人は、選ばれた人。選ばれた人は必ず病に侵されています。
なぜかといえば、この聖地のどこかにあるとされる万能薬を手に入れる権利が与えられるからです!
さあ、あなたも探してみませんか? このまま死を待つだけの運命なら、一花咲かせて散るのも勇気です」
まるでアミューズメントパークのアトラクションの宣伝のような、嘘臭い言葉なのに、オレは洗脳されていた。
病気が治る万能薬があるなら、もう追われる心配もない訳で、死ぬこともなくなるわけで……。
オレは決心した。万能薬を探そうと。
「その万能薬って、どこにあるんすか?」
「伝説の代物ですから、この聖地のどこかにあるということしか伝えられておりません。
しかし、やはり世界に一つしかない貴重なもの。
獰猛な魔物が護っているという噂です。お気をつけて!」
少女は風のようにその場から消えてしまった。
とりあえず、オレは万能薬を探す旅に出た。
エリクシリアという場所は、やはりオレの町内であるらしく、さほど広くはなかった。
というより、狭かった。学校くらいの面積だろうか。
だからかは知らないが、万能薬の祭られている祭壇らしきものはすぐに見つかった。
しめ縄などが巻かれた小さな庵の中にあるみっちり封をされた古めかしい壺。
きっと、これが万能薬なのだ。
駆け寄ると、どこからともなく獣の鳴き声。
「メエー」
「……ヒツジ? いや、ヤギか?」
辺りを見渡す。すると、何の前触れもなく頭上の光が陰り、オレを押しつぶそうとする魔物が姿を現した。
「メエエエエエエー!」
それを見て、オレはムツ○ロウの連絡ノートの裏に書かれた記述を思い出した。緑色の小さいやつだ。
『パンダは、メエーと鳴くんですねえ。驚きですねえ』
適当だが、何かそんなことが書いてあった気がする。
とにかく、オレの上に飛び掛ってきたのが、白と黒の珍獣、パンダであることは確かだった。
ちなみに、あの白は汚れすぎて茶色にしか見えないので白黒の記述は訂正した方がいいと思うのは、オレだけだろうか?
とりあえず、紙一重でパンダの腹プレスを避ける。
「メエエエー!」
パンダは思ったより素早く起き上がり、怒りのパンチを繰り広げた。
それを一撃食らうが、何とか踏み留まって、反撃開始だ。
「オレは小学校の時ボクシングジムに通ってたんだよ!」
必殺オレエルボーがあっさりと決まった。
倒れるパンダを見て、あっけないと思うかもしれないが、オレ的には満足であった。
そしてオレは庵に歩み寄り、勝利の栄光を手に取った。
「やったぜ! 万能薬を手に入れたー!」
RPGの勇者の剣を手に入れたような喜びを表し、オレはカポン、と壺の蓋を開けた。
「……何だ? 何も入ってないぞ?」
壺を逆さまにしてふってみる。しかし、水一滴、粉一粒さえ出ては来ない。
「やはり、中身はもうありませんでしたか……」
突然の声に、オレは驚いて後ろを振り返った。そこには、残念そうな顔をしたさっきの少女が立っていた。
「何が? どういうこと?」
事態の把握ができないオレは、首をかしげる。
「はい。万能薬も無限ではありません。それを調合してから、約100年は経つと聞いていますので、もう中身はなくなっているであろうと、予測はしていました」
「な、なんだよそれ! 分かっててなんでオレにこれを探させようなんてしたんだよ!」
「ですから、あなたに万能薬になっていただこうと思いまして」
「は? ……な、何だ!?」
少女のわけの分からない言葉に唖然としている暇もなく、オレは足を踏ん張らなければならなかった。
突然、壺が掃除機のように空気を吸い寄せ始めたのだ。それにつられてオレも吸い込まれそうになる。
「おお、どうやら成功したようじゃな」
そこにやって来たはオレに銃を向けた憎きヤブ医者。
「ええ。バッチリですねえ」
少女は笑って自分の顔の皮を剥がしてしまった。中から出てきたのは、あの老看護婦のシワ顔だ。
「どういうことだ! オレを騙しやがったな!」
「騙しちゃおらんよ。チミは100年に一人の逸材だ。治療法のない病原菌に感染したものが、新たなる万能薬として、今後の100年間、病に苦しむ人々を救うのじゃ」
「知るかそんなもん! 早く助け……うわあああああ!!」
ついに、オレは壺に吸い込まれてしまった。
最後に聞こえた、年寄りどもの会話。
「これで後、100年は安泰ですねえ」
「うむ。やはり、病を治すには誰かの犠牲が必要じゃ」
◆ ◆ ◆
『てなわけで、万能なんてありえないんです。
家でゆっくり療養してください。絶対に治りますから……』
『……はあ。なんか、気が抜けたら熱も引いてきたみたいです』
『それは良かった。お大事に』
ユーリ様はお帰りになられたようです。アルビ様もご機嫌な様子です。
『今日は、休みにしなくて良かったなあ。何だかいつもより調子が良かったよ』
ペンの流れも、いつもより軽やかでございましたな。
いつもアルビ様のお考えなさるように、事が進むことがありませんから、たまにはこんな日があっても良いと思いますぞ。
いつもこうなら、アルビ様のストレス発散のために壊される本棚が減って良いのですが。
いくら壊しても、直すのは自分だということに、アルビ様もいい加減、気付いても良いと思いますがな。
さて、次はどのようなお客様が、わたくしの身体を、知識を満たすきっかけをつくりに来てくださるのでしょうか?
これからも、皆様のご来館を心からお待ちしておりますぞ。




