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第九篇 「口すべり」

『―――ワタクシ、フィレンツェ由来の豪族の出でして、主人は貿易商をして一代で財を築きましたのよ。それを誇りに思っていますし、何より玉の輿に乗れたことに非常に感銘を受けている次第ザマス。

 なんせ彼と出遭ったときにはまだ年端もいかない若者でしたから。まあ、ワタクシから見れば、ちょーっと顔が好みだったかしら? と言った程度のその辺にごろごろ転がっている若造と大して見栄え変わりはしませんでしたわね。

 でも、ワタクシ思いましたの。彼はやる、きっと事業を成功させて、ワタクシを幸せにしてくれるに違いない!

 それに賭け、まだ貧しかった彼と結婚させていただきましたのよ。そりゃあ、最初の頃はひもじい思いをしましたわ。今では裕福な暮らしを約束されていても、数年前までは食事は1日2回、しかも豆と芋ばかり。あの頃良かったことと言えば、体重が40キロ台にまで落ちて、とってもスマートだったことかしらねえ。あらやだ、今でも充分、ナイスバディ、ザマスわよ。おほほほ。

 ただ大変だったのは、ワタクシが実家から連れてきたペットのパトリシアちゃんの餌ですわね。

 嫁入り前はそこそこな暮らしをしていたものですから、パトリシアちゃんは高級キャットフードしか口にすることがありませんでしたの。

 でも、そんな餌を買う余裕もなく、仕方なくイワシの干物で飢えを凌いでおりましたが。ああ、なんて可愛そうなパトリシアちゃん……』

『…………あの、白熱されているところ申し訳ないのですが、いつになったら話は終わりますかね?』

『ああ、申し遅れましたわ。ワタクシ、貿易商チャールズの妻、ジュリアーノと申しますの』

『はあ、左様ですか』


 わたくしだけでなく、筆談の先導を握らなければならないアルビさまにも、文字を挟む余地がございません……。

 先ほど、突如としてやってこられたこのご婦人、来るや否やアルビさまとの筆談そっちのけで、もうかなりの時間、わたくしの体に書き連ねておいでです。

 このままでは、わたくしの限られたページがなくなってしまうのではないでしょうか!?

 驚きでございます。水や火、獣以外に、こんな弱点が、わたくしにはあったなんて。

 いえいえ、感心している場合ではありません。無意味な文章で、ページを埋め尽くされるなんて、突然訪れた、未曾有の危機なのでございます。

 どうしたものでしょう。アルビさま、なんとかしてください~!


『……えっと、じゃあ本題に入らせていただきます。

 あなたがここへ導かれるままにやって来たのは、何かお悩みがあるから、ですよね?』


 本当に、こんな方に悩みなんてあるのでしょうか?

 お金がありすぎて困るとか、そんな悩みでしょうか。

 自慢話の羅列は、固くお断りするべきですぞ、アルビさま。後世に残すために、何の知識にもなりませんからな。


『そうなのザマス! 実はワタクシ、悩んでいますの。

 悩みと言えば、うちの旦那の頭が薄くなってきたのも気になりますし、動物病院に行った時、パトリシアちゃんが胃痛持ちだと言われて、ワタクシどうしたらいいのか……。

 おチョコレートの食べすぎが原因かしらね。

 でもあのブランドのおチョコレートは値段に文句がつけられないほど素晴らしいお味で。あ、これはお土産に持ってきたそこのおチョコ、ザマス。受け取ってくださいな』

『あ、ありがとうございます。おいしそうですねー。

 つーか本題に入りたいのですが、話題を逸らすのは、ちょっと勘弁していただけますか』

『あら、済みませんわ。

 でも、言わせていただきますと、これがワタクシの悩みなのザマス』

『……おしゃべり、って事ですか』

『そう、ワタクシも、もっと無口でお上品なセレブになりたいのザマスけど、どうも性分と言いますか、しゃべりだすと止まらないと言うか何と言うか。セレブと言えば、うちのお隣の奥さんはそれはそれはお美しくて、よくお茶を一緒にするんですけど、ワタクシが一方的にしゃべるだけで、ただ笑って頷きながら、奥様は静かに耳をお傾けになるのザマス。

 ああ、羨ましいわ。ワタクシも、あんな風になりたいですわねえ』


 成る程。そういう悩みなら、あってもおかしくないですな。


『まあ、言いたいことは分かりました。

 あなたのような悩みを持った方は、きっと大勢いるでしょうし、その逆もいるわけですね。

 今回は、口下手で悩む方のお話を用意しました。きっと、おしゃべりで悩むあなたの人生の参考になるかと思いますので。

 黙って、読んでくださいね』


 ジュリアーノ様の了承を得たのか、アルビさまは、さほど長くはない物語を、わたくしに綴られ始めました。



◆ ◆ ◆



「さあさあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。

 楽しい楽しい紙芝居が始まるよー」

 いつもの台詞で始まる、楽しい午後のひととき。

 この町で最近流行の、紙芝居だ。

 主に子供が、時には子供時代を思い出し、心癒されようとやって来る年配の大人たちが、帰宅途中の学生たちが公園で半円を描く。

 その中心にいるのは、自転車の後部に大きな箱を載せた中年の男。「紙芝居のおっちゃん」で名の通る、この男はとっても有名人だ。

 男は箱の上に額縁のような平べったい箱を立て、蓋を開くと、集まった人たちに見えるように箱の中から覗く絵を見せた。

 絵の具で塗られた、雑だが温かみのある絵。

 そこにはタイトルと、二人の優しそうな老夫婦の絵が描かれていた。

 何枚もある絵を順番に重ね、一番後ろの絵の裏には、一番表の絵の説明話が書かれている。

「さあ、今日の話は『桃太郎』だよー」

「それ、前も見たよ!」

「違うのがいいー!」

 最前列で三角座りの子供達から野次が飛ぶ。

「まあまあ、そう言わず聞いておくれよ」

 男に水あめをもらい、子供たちは大喜び。

 そして、物語は幕を開ける。

「むかーしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。

 おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に……」

 何度も聞いた、誰もが知っている有名な昔話。

 なのに、この男がそれを語りだした途端、みんなはワクワクする。

 続きは? 桃太郎はどうなるの?

 知っている。知っているのに、続きが気になる。

 何か、全く新しい結末が用意されているような、そんな気持ちになってしまうのだった。

 実際、最後まで聞いてみれば、いつもどおり。

「桃太郎は、鬼を倒し、宝物をたくさん持っておじいさんとおばあさんの待つ家へ帰ったのでした。めでたしめでたし」

 なーんだ。

 でも、全然つまらなくない。

 観衆から拍手喝さい。普段静かな公園は、ひととき限りの大劇場へと変化を遂げた。

 何度聞いても飽きない、そんなスリルが、この紙芝居にはある。

 言うなれば、この男にある。

 この男の巧みな話術にかかり、観客は息もできないほど、ありきたりな作品に没頭させられる。

 それは、男が生まれもって得た特殊能力かもしれない。

 それを羨むように、陰から見ている若者がいた。

 若者は美大出身で絵がうまく、それを生かして紙芝居屋を始めたが、全然客が来ない。

 来るには来るが、絵を見て感心した後、すぐに去ってしまうのだ。

 何故か?

 彼は、うまく話のストーリーが話せないのだ。

「こ、ここれから、紙芝居をはは始めます。

 む、むかしむかし、あるところに……えっと、おおお、おじおじ……」

 円滑さの無さ、ストーリーを知っているから、こんな下手くそな話を聞かなくてもいいと、子供も大人も、去っていく。

 それが辛かった。もともと人前ではすぐ上がるし、友達も数えるほどしかいない。人前で話す機会がなかったのも、原因だろうが。

 口下手。

 それは逆に、彼が生まれもって得た特殊能力かもしれない。

 しかし、そんな能力は要らない。

 どうすればもっとうまく話せる? どうすれば……。

 途方にくれて歩いていると、公園の隅に露天商がいた。

 その看板には、「おしゃべりになれる口紅売ります」とあった。

 若者は飛びついた。

「それ、ください! おしゃべりになれる口紅!」

「1000円になります」

 露天商は、怪しい老婆だった。顔が見えないくらいすっぽりと被られた魔導師のローブ。

 声で、なんとか性別と近しい年齢を知ることができるくらい。

「1000円!? 高くない?」

「いいえ、これは世界に一本しかない魔法の口紅。

 1000円でも安いくらいです」

 最初は不満もあったが、若者は納得、現金で支払った。

 そして、木の陰で、こっそりと口紅を塗ってみた。

 男なのに、恥ずかしいと思いながらも、追い詰められている若者に選択の余地はない。

 塗ってみた。するとどうだろう。口がむずむずしてきた。

 ああ、しゃべりたい、話がしたい!

 公園のど真ん中で、若者は紙芝居を広げた。

「さあさあ! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 楽しい楽しい紙芝居が始まるよ!」

 いつもなら、絶対に出ない大声。

 それに気を引かれた人々が、やじ馬精神旺盛に集まってくる。

 なんだなんだ? 何が始まるんだ?

 それは紙芝居。

「今日のお話は、うらしま太郎だー! ただの太郎じゃないぞ、うらしまの太郎さんだ!」

 若者は絶え間なく話し続ける。その勢いのせいか、少しギャグの聞いた話し方か、はたまたミュージカル仕立ての美しい歌声か。

 その全てが、観客を引き止める鎖と鳴り、めでたしめでたしと言ってもなお、しばらく人だかりがなくなることはなかった。

「もっと違う話して!」

「他のも聞きたい!」

 アンコール。

 調子に乗って、若者は続ける。

 かぐや姫、一寸法師、金太郎。

 何でもござれと、自分が今まで書いてきた美しい丁寧な絵を披露。それに合わせてノリよく話ができることに、若者はこの上ない感銘を受けた。

 盛大な拍手。涙が止まらない。

 生まれて始めて、若者は人々にもてはやされる喜びを知った。


 その日の夜。明日もこの調子で行こうと口紅を塗りなおす。

 すると、突然ぽとりと顔から何かが落ちた。

 何だろうと、明かりを灯してみてみると、それは口だった。

 自分の口のあった辺りを触る。何もない。つるつる、穴もない。

 俺の口だ!

 慌てて拾おうとするが、口はピョンピョンバッタのように跳ねて、どこかへ行ってしまった。

 なんてことだ、これでは話すことは愚か、食べることもできないじゃないか!

 若者は、もう一度、口のあったところに、口の形を口紅で書いてみた。

 最初、口は開いたが、すぐに剥がれて、どこかへ行ってしまう。

 もうだめだ、もうおしまいだ。

 騙されたのか、調子に乗ってしゃべりすぎたのか。

 それを知る術も、誰かに訴える術も、若者にはない。

 口がないのだから。


 一週間後、口のない餓死死体が、公園の隅で発見された。



◆ ◆ ◆



『まあ、何がいいたいかと申しますと、どちらもほどほどがいいって事ですよ。聞くのも話すのも。

 あと、僕が思うに、文脈と言いますか、話の筋がはっきりしていれば、長話でもいいんじゃないでしょうか?

 ただ、コロコロあいての承諾なしに話を変えてしまうと、相手は混乱してしまいますから』

『そうですの。不思議なお話ですわね。

 分かりましたわ、きょうからは相手の話を聞く側に回ってみましょう。

 ただまくし立てるだけでなく、自分が何を話しているのか、逐一確認するのも大事ですわね』


『ふう、なんだか、長い一日だったよ』

 大変なお客様のお相手をなさって、少しお疲れ気味、のアルビさまでございます。

『わたくしも、今日でページがなくなって引退かと、少し腹を括りましたぞ』

 括る腹はありませんが。

『大丈夫だよ。ある程度なら、君のページを増やすこともできるから。今回、雑談で潰れた分のページを追加しておけば、問題ない』

 なんと! アルビさまは本当に、色々と便利な術を、NO TITLEに掛けてくださるのですな。

 流石は、わたくしのご主人様です。

『だけど、あんまり分厚くなると、他の書物たちに申し訳ないから、雑談はほどほどにしないとね。本当に内容の薄い書物になってしまうよ』

『破棄される駄作にならぬよう、精進いたします』


 さて、次はどのようなお客さまが、わたくしの身体を、知識を満たすきっかけをつくりに来てくださるのでしょうか?

 皆さまのご来館を心からお待ちしておりますぞ。

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