リィナ、添い寝する
ノインと名乗った執事について先程のフロアから螺旋階段を登ると、赤いフカフカの絨毯が貼られた広い廊下に出た。
まるで宿屋のように廊下を挟んでドアが点々と並んでいる。
ここが客間エリアでございますと執事は言い、広い廊下で足を止め説明を始める。
ドラダーシュの街で、今年18になる娘は全部で52人。うち、リィナと同じ日に城へ来たのは8人だった。
一人一人に一室与えられていると聞いて、リィナは城の広さにまた驚いた。
「各部屋の鍵は通行証で開きます。部屋にはシャワーも浴槽もありますが、広い浴槽がご希望でしたら、下のフロアの大浴場へどうぞ。こちらは城下の者も利用できますので共用となりますが。お洗濯物は朝メイドが回収に参りますので、お部屋の篭へ。必要でしたらお嬢様に専属でメイドをつける事も可能です」
「私の所にはメイドをすぐ寄越して頂戴。ところで、荷物は手回り品だけで良いって聞いたけど?ドレスとか着替えはあるのかしら?洗濯に出しても間に合わなかったら困るわ」
大荷物で乗り込んできたジーンが口を挟む。その鞄の中身は何だ。ドレスや装飾品じゃないのか。その量で必要最低限なのか。リィナには最早手回り品の定義がよくわからなくなってきた。
「畏まりました。早急に一人寄越しましょう。御召し物はクローゼットにございますよ、お嬢様。お洋服以外も準備万端のはずです。後程、お部屋を確認してくださいませ」
「わかったわ、部屋中確認するのが楽しみね。花嫁に選ばれるかもしれないんですもの、領主様の目に留まるように美しくいたいわ」
ジーンの言葉に、同じく説明を受ける娘たちの半数以上が頷いた。
リィナはといえば、「あれは美しく着飾る為の手荷物か」と内心納得していた。
見渡せば、他の娘たちの手荷物も大きなトランク等そこそこの量である。ジーン程ではないが。ジーンの手荷物に対して、小さな鞄1つだけのリィナを見てヒソヒソやる娘もいた。
針子で生計を経てていたリィナと、街一番の豪商と呼ばれる家の一人娘であるジーンはそもそもの生活水準が圧倒的に違うだろうし、
ヒソヒソされたって無い袖は振れないし、私はこれで充分足りるんですよ、とリィナはやりかえした。執事の話を遮ってはいけないので、心の中だけで。
ジーン他、メイド派遣希望の娘と打合せをしていた執事が全員に視線を渡したので、娘たちの背筋が一斉に伸びた。
執事は「そんなに緊張されずとも大丈夫ですよ」と笑み、皆に向かって続けた。
「貴女方は旦那様の花嫁になる可能性がおありです。私共も誠心誠意お仕えする所存でございますし、何不自由なく過ごして頂きたいとの旦那様の御意向もございますので、どうぞ城内の者をご自由にお使いください」
「もし足りない物があったらどうしたらいいの?」
「お申し付け下さい。御用意出来る物は致します。あぁ、下のフロアのモールでお買い物も出来ますよ。通行証でお支払い頂けます。御代はですね、まぁ、お嬢様お一人様あたりの上限はございますが皆様に1年分のお小遣いとでもいいますか…とにかく旦那様から預かっておりますので、上限を越えない限りはご心配なく」
1年分のお小遣い、といいながら執事が指で示した数にリィナは度胆を抜かれる。リィナが存分に贅沢して1年過ごしたとしても、お釣りがくる額だ。…リィナの生活水準は地を這っているので、参考にならないかもしれないが。
それでも娘たち全員分の施しだ。全員分となれば、どれだけの額か…領主の潤沢な資金を想像して、花嫁狙いの娘たちの喉が鳴る。
「皆様年頃のお嬢様ですので、お部屋は男子禁制とは申しませんが…ここにいる1年間は、旦那様以外の殿方と結婚は出来ない物と思って下さいませ。あとは…下世話なようで申し上げにくいのですが…一応、御伝えしておきますと、歴代の花嫁に上がった方は乙女が多いそうでございますよ」
娘たちの目が光ったのを、執事は見逃さなかった。
ギブアンドテイクなのだ。食いついてもらわないと困る。
民は無差別に襲われるのを恐れるが故に、街の娘たちを育て上げ、希望された娘を花嫁として差し出し庇護を得る。
花嫁は血を差し出して快楽と眷属としての不老長寿、領主の富を得る。
領主は人間の血を得る代わりに、花嫁以外の人間を咬まず、手厚い庇護を約束する。
今年の娘たちの中にも、花嫁希望は沢山いるようだ。
希望者は多い方がいい。当主が見初めても、相手にその気がなかったら花嫁の契約は成り立たないからだ。
即位されてから一人も花嫁を抱えない当主・アインツの好みはよくわからないが、普通は即位から11年も経てば人間の花嫁を5、6人程抱えていてもおかしくない。
原石である娘たちを磨けるだけ磨きたい。そうすれば、アインツ様は花嫁を選ぶ気になるのではないか……そう考えて、執事や使用人も「今年こそは!」「この中から選んで頂くぞ!」娘たちを案内する度に、そう気を引き締めるのだ。
「では、私はこれで。順番に旦那様との謁見の日を回しますので、明日より追って御連絡致しますね。本日はお洋服の採寸でメイドが各部屋をお伺いしたら予定終了です。本日はお疲れでしょうし、ごゆるりとお過ごし下さい。お嬢様がた、素敵な1年を」
本日はお疲れでしょうし、といいながら完全に執事はリィナの目の下を見ていた。
そんなにクマがひどいのだろうか。ジーンたちが「お疲れでしょうし~」等とこちらを見てニヤニヤしていたが相手にする気もないので、部屋に入る。
謁見がないとわかった今、リィナがやるべきは早く着替えてブラウスを洗濯する事だ。
といっても、あとリィナの鞄から出てくる服は下着と…カラフルなつなぎだけだ。カラフルといっても、その正体は付着して落ちなくなってしまった絵の具だが。
「最低限」を鵜呑みにしてきたのを少し後悔したが、城に着ていくような上等な服はこのブラウスだけだったのだ。
「着替え…お借りします」
誰に断るでもなくクローゼットを開ける。
THE・ドレス‼といった服ばかりなのを覚悟していたが、そこにはドレス以外にもリィナ好みの着やすい動きやすい服が沢山入っている。生地はどれも上等なのが触らずともわかる程だった。
アクセサリーなんかも整理整頓され並んでいる。
恐ろしい事に、アクセサリー類はこれまた上等の貴金属だ。
「つなぎまである…!」
新品の上等なつなぎまであって、リィナは笑ってしまった。どうせ汚れるのだから、つなぎに上等さを期待してはいない。そのギャップで笑いが止まらない。
こんな物まで用意してくれるとは、ここの使用人か領主様はよほど個々の好みを把握しているんだろう。
ノックの音が響いたので慌てて応えると、そこには身綺麗に整えた茶色い髪のメイドが一人立っていた。
アンと名乗ったメイドは、20代半ばであろうか。そばかすが多少目立つが、健康的で美しい女性だ。
採寸の仕度を整えながら「私も18の時に1年間ここで過ごしましたの。何でもお申し付けくださいね」と微笑んでくれる。
「アンさん、早速で申し訳ないんですけども…洗濯石鹸をお借りできますか?」
「洗濯石鹸?」
アンは右手小指の長さを計りながら答えた。なんでもここの領主付きの仕立て屋は完璧主義で気難しいらしく、キッチリデータを抑えなければ気がすまないタイプなので、頭の先から足の指先まで、細かく採寸してデータを記録していく必要があるのだという。
「絵の具をつけてしまって、ブラウスを洗いたいんです」
「まあ!それでしたら石鹸はお貸しできません。私がお預かりして洗濯場に出しますわ。大切にお預かりしているお嬢様に洗濯をさせたと知れたら怒られますもの」
「いえ、でも自分の不注意で汚したので…あと早めに洗わないと落ちないと思うので、私の我が儘で急ぎの洗濯物を出すのも…」
「リィナ様がどうしても洗濯が好きで好きで洗濯をしないと生活もままならないというなら話は別ですが、そうでないなら私がお預かりしていきます。急ぎの洗濯物くらい、洗濯場の人間は喜んで引き受けますわ。あそこの人達は、洗濯が好きで好きで洗濯がないと人生に張り合いがないんですって。頑固な汚れ物であればあるほど喜びますから…天職ですわね。リィナ様は洗濯場の人達の楽しみを奪ってしまわれるのですか?」
悪戯っぽく笑うアンはとてもチャーミングだし、リィナはとても好ましく感じた。気が合いそうな予感がする。
そういうことであればお願いします、とブラウスを託す事にした。
アンはついでにクローゼットから着替えを見立て、若草色のワンピースや靴、似合うアクセサリー等を選んでくれた。
「この宝石のついた髪留め、旦那様の許可なく城の外に持ち出すと灰になって消えますからお気をつけくださいね」
「そうですよね、貴金属つけ放題で城の外に出入り自由となれば売りまくれますもんね」
「ふふ、そうですわね。とくに女は宝石の誘惑に弱いですから一応、という事で呪いがかかっているのですよ。リィナ様、お着替えでしたら手伝いますわ。髪を結っても?」
「うーん、髪はやめておきます。採寸が終わったらベッドに飛び込んでみたいし…」
「あはは!私も18の時にここに来た初日、まずやったのはベッドに飛び込んだ事でした。でもリィナ様、もう少しだけ我慢なさってくださいな」
着替えと採寸を終えると、アンは小さなベルを鳴らす。大きなトランクを抱えたメイド達がドヤドヤと入ってきた。
クローゼット辺りを陣取ると、アンのメモした採寸データをもとに服を足したり引いたりしていく。
クローゼット隣のチェストには、下着を詰め込んでいき、チェストの下には色とりどりの靴を並べる。
テキパキした作業に呆気にとられていると、アンが「これでこの部屋の御召し物は全てリィナ様の御体にピッタリですわ」と満足げに頷いた。
「この他に足りないものがあれば、お申し付けください」
うやうやしく頭を下げ、大きなトランクを抱えたメイド達は続々と撤退していく。最後にアンがブラウスを持ち退室していった。
仕事の早さにポカンとしていたリィナも、一人になって気を取り直す。
部屋の風呂を覗くと、白と金で統一された室内にシャワーと広い洗い場、猫足のおおきなバスタブが見えた。リィナが一人で足を伸ばして入っても余裕の広さだろう。タオルはもれなくフカフカで良い匂いがするし、バスローブもあった。髪を洗う石鹸なども完備されている。
「なんかすごく場違いな気がする…すごすぎて逆に気を使うというか…こんなところで1年間のんびり絵を描いたり本を読んだりしてていいのかしら…風習とはいえ、とんでもないところに気軽に来てしまったんじゃ…まるで異世界…」
庶民の悲しい性か、誰もいない風呂場でひたすら恐縮する。
ジーンなど上流の娘は違和感なくこの城でもてなしの日々に順応するんだろうか。
次はベッドに飛び込んでみよう、と風呂を出るとそこには先客がいた。
「猫ちゃん!」
どこから入ったのか、黄緑色の目をした黒猫は優雅にベッドの真ん中に丸くなってリィナを見ている。
「昨日の猫ちゃん?そうだよね?相変わらず素敵…!ちょっと失礼してお隣よろしいですか…?いえ、真ん中にいてくださって結構です、庶民めは隅っこで充分というか添い寝させていただけるだけで幸せでございます…!」
どうもリィナは動物…とくに猫に対してはこうなるようだ。
黒猫がゆっくり目を閉じ尻尾をパタ、と鳴らしたのを了承と判断しリィナはそっとベッドに上がる。
真っ白いシーツで包まれた寝具は羽毛だろうか、ものすごくフカフカだ。それでいて体が沈みすぎず包み込まれる。
「極楽…!」
喜びを噛み締めながら黒猫に寄り添って横になる。
もちろん、ベッドの真ん中は猫に譲ったままなのでリィナは端に寝ることになるが端といってもリィナ一人余裕で伸びて寝れる。大人3人くらいなら寝れそうだ。
隣に来たリィナに、黒猫は一瞬だけ黄緑色の目を細く開けたがパタと尻尾を一振りしてまた目を閉じた。
「極楽…!」
また呟くと、黒猫を撫でる。ベルベットのような毛並みが心地よい。猫も気に入ったのか、ゴロゴロと喉を鳴らし始める。
動物からはリラックス効果のある何かが出ているというが、少なくともリィナは完全にリラックスしてしまった。
微睡みの中で何か軽く約束のような事をした気もしたが、フカフカのベッドと柔らかい黒猫に誘われ意識を手放した。