涙への救済
小さな村だった。街でよく見かけるような石造りの家屋などなく、柱から屋根、内装に至るまで、その全てが木造だ。周りを森に囲まれているからこそなのだろう。
台の上のほとんどが畑になっており、草原のような見晴らしの良さに、この場所が森の中であることを忘れてしまいそうな光景だった。だが、よく見てみるとこの土地に生えている植物のほとんどが人工的に植えられたものだ。
畑以外の場所はあらかた、黄土色の大地が顔を覗かせていた。地表には微かではあるが、レイ達が舞い上げた砂煙が、小さな渦を巻いていた。土地が枯れかけているのだろう。そのための肥溜めもいくつか見える。
その先に見えている鳶色に塗られた家屋からは生活感のある賑やかな音が漏れ、料理の香しい匂いも漂っている。
「まずは宿屋だな」
さすがに休憩もなしにこの森を抜けることはできないだろう。確認するように呟いたレイを、リリアナが苦笑を浮かべながらもじもじとなにか言いたげに見つめていた。
「……あの、さ、この村の宿屋はちょうど改装中で、他の宿泊施設もないの」
その発言に真っ先に反応したのは、シビルだった。
「この匂い嗅がされてからの露営はちょっと、さすがのあたしでも堪えるよ……」
おあずけを食らった犬のように、目を潤ませて鼻をひくつかせる少女が、レイに訴えかけえるように腹を両手で抱える。子供達も羨ましそうに、その匂いが漂ってくる半開きの窓をじっと見ていた。
「もしよかったらだけど、うちに来る? 部屋も空いてるし、ご飯も出せると思うんだけど?」
眩しく感じるほどの視線の束に恥ずかしそうに目を伏せるリリアナに、にぱーっと笑顔になったシビルが抱き着いた。
「でも、いいのかい? こんな大勢が押しかけても」
いいのいいの、とリリアナが手を振りながら笑顔を浮かべる。
「でも、ちょっと片づけたいから時間貰えるかな?」
「あぁ、もちろん」
苦笑気味に尋ねた少女は快諾するレイに、少し待っててねと大きな身振りを交えて話すと、一目散に彼女の家であろう建物へと入っていった。
数分後に扉が開かれ、中から満足げなリリアナが顔を出す。客を招き入れる準備ができたようだ。
扉を入ってすぐに甘い香りが鼻に届く。入口の脇に置いてある香炉から、細い糸のような煙がゆらゆらと微かな風に揺られながら、部屋に浸透していく。嗅いだことのないその香りに、各々が抱いていた緊張が和らいでいく。
「これは君が?」
「えぇ、さっき作ったお香なの。少し大雑把に調合しちゃったけど、変な匂いだったら、ごめん」
いい香りだよ、とレイが不安げな表情のリリアナを褒める。直接の賞賛に気恥ずかしくなったリリアナは、熱くなった頬を指先で掻いた。
「レイに惚れ薬とかダメだからね!」
頬をまん丸に膨らましたシビルが、レイの腕にしがみつく。
「そんなことしませんよっ!」
「あっ! しないってことは一応、作れるんだなっ!」
ぎゃあぎゃあと言い合いを始めた二人を引き剥がし、荷物の置けそうなところに案内してもらおうと二人を引きずるレイ。彼らは長らく使っていなかったであろう部屋に案内された。
「こっちまで掃除の手が回ってないんだけど、ごめんね?」
舌をちらりと出した家主の少女がこちらの様子を窺っている。始めから掃除をさせるつもりで呼んだんじゃないか、と思わせるくらいに申し訳なさの片鱗も感じさせない謝罪だった。
「レイー、どうする? 部屋ぶち抜いて、巨大水槽でも。その中で魚に囲まれながら、二人並んで遊泳ってロマンチックじゃないかな?」
「ごめんごめん、手伝うってー」
こんな緩い雰囲気の中でも大人数で掃除したお陰か、思いの外すぐに終わり、各々に用意されたスペースで疲れを癒していた。
持ってきた荷物を露店用に分けていたレイの部屋へ、無遠慮にシビルがやってくる。
やってきた彼女の身なりはいつもの服でない淡いピンク色のドレスの上に、いつものローブを纏っていて少し不格好な印象だ。
「ローブ脱いだら?」
「でも、そうすると翼が見えちゃうし。ごめんね、せっかくの贈り物……」
しゅんと俯いたままのシビル。せっかく買ってもらったものを自らの姿のせいで着こなせていないことが、少女としての心をぎゅっと締めつけていた。さらに自分の背格好に合うように調節までしてもらっている上に、翼が窮屈にならないように翼を出すための切れ目すら用意されているのだ。そう思うと、情けなさと共にそれが彼女の瞳に込み上げてくる。
「シビル、これ」
小さく震える彼女の肩に、何かが掛けられる。ふわりと温かいそれをシビルが力なく掴む。
「ドレスに合うかと思って買っておいたんだけど、よかった。似合ってるぞ」
赤い目のままで信じられないとレイを見つめる少女は、にこりと笑みを浮かべる。
「もう、また無駄遣いなんて……」
シビルのすぐに折れてしまいそうなくらい細い指が、よりどころを探すように青年の服を掴む。
「まったく、いつも変なところで泣くなって」
「だって、それはレイのことが――っ!」
笑顔を浮かべた青年は、それを遮るようにシビルの目尻に溜まった涙を掬い、優しく、ゆっくりと彼女の頭を撫でた。
「今から仕事なんだから、泣き腫らすのはなしだ。ほら、少し待つから落ち着け、な?」
うん、と弱々しく頷いたシビルが、にっと笑いながら、
「女の子の少し、は長いんだからねっ!」
いつもの元気を取り戻したシビルは扉を勢いよく開け放つと、自分の部屋へと舞い戻っていった。
その肩に、真新しいケープを羽織って。