急勾配との戦い
緩い上り坂を延々と登りつづけ、ようやく視界が開けた。
「あそこがオルバ村よ」
「すっごーい! なにあれ!」
リリアナが指差した先には、シビルも驚かすような大きさの大きな立方体の土地が鎮座していた。その壁は色違いの帯で幾重にも分かれている。どうやら、ここら一帯は一度、大きな地殻変動があったらしい。その箱の上から民家の屋根らしき木製の人工物が顔を出していた。
「あっちが入り口だよ」
リリアナが差す方を見ると、土の箱が斜めに削られ、勾配のきつい坂になっていた。
「これじゃ、登れないな……」
馬の足を止めたレイが数百メートルは延びる斜面を睨む。この坂を登るのは馬にとっても、かなりの重量が乗るこの斜面にとっても好ましくない。
「簡易だけど、馬を停めておく場所ならあっちにあるよ」
リリアナが屋根のついた柵のような建物を指差す。しっかりと手入れはされているようで、決して汚いわけではないが、古いという印象を受ける。
馬車をそこへ繋ぎ止めたレイが馬車の中の荷物を仕分けはじめる。こんな森の奥深くなので、窃盗の心配はあまり必要ないので小さくて高価な物だけを持っていくようで、香辛料の袋や精巧な細工品、靴や帽子、服を、馴れた手つきで次々と袋へ入れていく。
「逃げるな」
荷物の仕分けをしながら、こそこそと逃げようとしていたシビルを捕まえる。その動きもお手の物だ。
「美少女にこんな重いのを持って、あの坂を登れというのっ!?」
青年はシビルの話に何の反応も示さずに、袋を三つ押し付けた。
「うぅ、鬼! けち!」
「君達は一つか二つ持ってくれるかい?」
聞き慣れた暴言を無視しながら、子供達には比較的小さい袋に荷物を詰めていくレイ。
「お姉さん、泣いてるけどいいんですか?」
その長い黒髪が邪魔になるだろうと纏めているリーンが、シビルを見ながら尋ねる。レイがいつものことさ、と苦笑いを浮かべながら、リーンの髪の不格好な髪型を直してやる。手鏡で自分の髪を見たリーンは頬を染めながら、ありがとうございますと小さくお礼を言って、馬車から飛び降りて駆けていく。シビルに追い着くと、楽しげに話をしはじめる。
「私は三つくらい背負えるわ。ほら」
「無茶は禁止だが、その意気込みは汲み取ろうか。じゃあ、これを」
レイが馬車の中から紙の塊を自信満々のベルに渡す。少女はその荷物の形に首をかしげた。
「ガラス製品だから割らないようにね、結構する代物だから。多分、この馬車の中で一番高価な物だよ」
「え? か、かなり責任重大なのね……」
その言葉にベルの自慢げな表情がさーっと引いていく。その不安げな表情でレイと紙の塊を交互に見つめている。緊張で身体が震えているのが誰からでも見て取れる。
「嘘だよ。高価な物をこんな紙で包んであるはずないから」
「な、なぁっ!? だ、騙したのね!」
顔を真っ赤に染めたベルが、青年を睨みながら走り去ってしまう。
「あれ、本当は高いんでしょ?」
疾走するベルを眺めるレイの隣に、音もなくレミが座っていた。
「ベル姉ちゃんの扱い方がわかってるね」
「怒って地面に叩きつけないか、心配だったけどね」
高価と聞いたときの反応を見て、レイが咄嗟に思いついた策だった。思った通りに事が運び、レイは少し安堵していた。
「あんな態度でも恩は感じてるから、壊すような真似はしないと思うよ」
「あとでなにかの償いはしておかないといけないな。――さあ、これを頼めるか」
笑いながらレミの頭を撫でるレイが、彼に香辛料の入った袋を渡した。
そんな様子を見ていたらしいリリアナが笑顔で歩み寄ってくる。左手を前に突き出しながら。
「手伝うよ? わたし、意外と力持ちなのよ」
ふふん、と胸を張って宣言する彼女に、馬車の中に残っていたかごを手渡す。
「自分の物も持ってないのに、持たせれるわけないだろ?」
「あれ、うっかり」
そのかごの中には花や野草なんかが、あふれ出さんばかりに詰められていた。
「調香師か何かなのか?」
「まあ、そうね。でも大体は香辛料を売るのが仕事ね」
しけてるわよね、と口を尖らせながらリリアナが愚痴る。本人は調香にかなりの自信を持っているようだ。
「そういえば、荷物の中に珍しい香草の種があったような……」
レイの漏らした言葉に、少女がビクリと肩を震わせる。
「それは調香師として見逃せないわね! さあ、早く行こう!」
瞳を輝かせるリリアナに手を掴まれたレイは、有無を言う暇も与えられないままに引っ張られていた。