森の噂と失踪
朝霧が満ちる森。最寄の街から、どんな駿馬に乗っても一日は掛かる距離にある森林地帯の真ん中。
何処からか聞こえる鳥のさえずり。うっそうと茂る木々の間には、たくさんの植物が共生していた。そんな稀有な景色が、曲がりくねる道を挟むように先へと延びている。
その中を進む馬車が一台。その速さはお世辞にも駆けると形容するには遅すぎる。長距離を走ってきたのだろう、幌馬車を引く馬の顔にも疲労の色が窺えた。馬車を操縦する青年も疲れているのか、大きな欠伸を何度も繰り返している。
「レイー! まだ着かないのー?」
荷台で寝転がる少女が、その青年に喚き立てる。彼女の傷みのない長髪は雪の純白のそれと同じ色をしている。纏うローブから覗く黒い革の服のお陰で、さらに目立ってみえている。
駄々をこねる子供のような彼女の声に青年は振り返り、もうすぐのはずなんだけど……と曖昧に言葉を濁した。
「オルバ村に行きたいの?」
軽やかに馬車に飛び乗ってきた少女が、レイの隣に座りながら尋ねた。その声に荷台の奥で遊んでいた子供達が驚いて、咄嗟にその身を大きな箱の後ろに隠す。
「あなたは誰っ!? それにレイの隣はあたしの特等席なのになんで座ってるのさっ!」
突然現れた少女に敵意を露わにするシビル。対する少女は飄々とした態度で、詰め寄るシビルを眺めている。
「わたしはリリアナ。オルバ村で薬草とかを売ってるの。よろしくね」
人懐っこい笑顔を浮かべたリリアナがレイに手を差し出す。笑顔を引き攣らせながらも、レイはその手を握り返す。間髪入れずにシビルにも握手を求めるリリアナに牙を抜かれたようで、彼女も嫌々ながらもその手を取った。
「おや? そこにも誰かいるの?」
箱の陰に隠れていた子供達を目敏く発見したリリアナが箱の上から覗き込む。その様子はかくれんぼで遊ぶ姉妹にも見える。やられている本人達には可哀想ではあるが。
「よろしくね」
子供達三人の警戒を無視しているのか、はたまた気がついていないのか、彼女が右手を差し出す。彼らも敵意がないことを察して、互いの顔を見合わせたあと、一歩前に出た赤髪のベルがおずおずとその手を握る。
「でも、案内役なしでここに来るなんて度胸あるね」
子供達に微笑みかけながらリリアナが小さく笑う。
「そんなに危ない場所なのか?」
彼女が言うには、ここら一帯は迷いの森と呼ばれるほど行方不明者を出しているらしい。その中にはこの辺に住む人々も相当数含まれているらしい。その中でも不可解な失踪を遂げた例もあるらしく、魔女の呪い、人間に裏切られた山神の怨念、山自体が捕食しているなんて噂も囁かれているとの話だった。
改めて周囲を見回したレイは、その景色に間違い探しをしているときのような錯覚に陥り、苦笑いを浮かべる。
他の乗員も左右を見比べて、顔を青くさせていた。
「レイ、よくこんな旅に巻き込んでくれたね……」
顔を青ざめさせながら怒るという器用なことをしているシビルに、首に手を掛けられて前後左右に揺さぶられるレイが、ぐえぇぇ……、と情けない声を上げる。子供達も不機嫌そうにその様子を眺めている。
「よくここまで来れましたね」
危険な旅を咎めるわけでもなく、感心するように笑うリリアナ。
「でも、不可解な失踪って気になるね」
青年の首から手を離したシビルが、森の先を指差す。わずかに道から外れた場所に、なにか人工物の残骸が転がっていた。
「馬車だな。それも最新式のだ」
残骸を辿ると、それらしき塊が転がっていた。巨木に突っ込んだ形のままで放置されていた。
「ここで馬車を捨てたって訳でもなさそうだね」
先に壊れた馬車の荷台に潜っていたシビルが出てくると、いくつかの宝石を手の平で転がしている。この馬車を捨てて逃げたのなら、こんなに軽くて高価な物をわざわざ残しておくはずはない。
「急病で亡くなったとか?」
「なら、その死者はどこに消えたのさ?」
リリアナの言葉をあっさり否定するシビル。
「だったら――」
どうなったっていうの? その質問をしようとしたリリアナは言葉を詰まらせる。シビルの鋭くなった瞳を見てしまったからだ。さっきまでの子供っぽい態度とかけ離れた彼女に、リリアナは恐怖さえ抱いていた。
状況の異変を感じ取ったシビルが何の躊躇もなくその手の宝石を捨て、ローブの内側に忍ばせたマチェットに手を掛ける。
「レイ、辺りに気配はないみたいだよ」
そう伝えるシビルだったが、それでも警戒を解くつもりはないらしく、レイの背中を補うように殺気を放っている。
「なにも手掛かりはなさそうだ。あったのはわずかな血の跡だけ」
熊にでも襲われたんだろう、と適当な口調で結論づけたレイが自らの馬車の方へ戻っていく。息をひとつ吐いたシビルが棒立ちのままのリリアナの手を取り、欠伸をする青年のあとに続く。
「リリアナ、ここら辺は危ないみたいだから奥へ入ってた方がいいよ」
馬車に乗ったレイが彼女に告げるが、案内役が必要でしょと彼の隣に座った。
「意外と度胸あるみたいだな」
「そういうのは無謀って言うのー! あたしとレイの間に入る余地はないからねっ!」
二人の間に割り入るシビルには、さっきまでの子供っぽさが戻っていた。