揺らぐ炎の果て
町外れに位置する小高くなった場所。若草色の緩やかに上りとなっている斜面に、自動車の轍によって踏み固められて黄土色になっている一本の道がある。その道の先から黒いものがなびいているように見えた。道の先には背の高い豪邸が建てられていたはずであったが、黒い煙が立ち込めているだけで、その姿は見る影も残してはいない。
黒煙を纏う屋敷に急ぐ三人は、焼け落ちた柱が自重に耐え切れずに折れたのか、その一角が崩れ落ちていくのを見た。
「ここにロランスが……?」
玄関の前には三人を出迎えるように人間の姿をした炭が跪き、頭を垂れていた。後頭部に当たる箇所はまだ赤い火が燻って、黒煙を上げている。
ドアノブが赤くなるまで熱せられており、触れることが出来ないと踏んだレイが、煤でところどころ黒くなった扉を蹴破った。焼けて脆くなっていたのだろう、大きな音を上げながら壁の一部ごと扉が奥へと倒れた。
屋敷の内部は黒一色だった。床、壁、天井はもちろん、漆器にも煤が付き、黒く染まっていた。床が抜けることはないと確認すると、三人は咳き込まぬよう口を手で覆いながら、屋敷の奥へと進んでいった。
彼女はすぐに見つかった。大広間の中央に佇んで、ぽっかりと大口を開けた天井越しに空を眺めていた。服の裾は焦げ、熱風にはためいていた。彼女の横には四肢と頭だけが炭化した男の惨たらしい死体が転がっていた。間違いなくケリーの骸だ。
「……来たの?」
二階に続く半月状の階段は崩れ、そこら中から火花が散っているにもかかわらず、涼しい顔をしているロランスは黒煙の隙間から覗く空に虚ろな目を向けたまま、口だけを動かす。
「ロランス、もう帰ろう?」
震える声で、コンラートが彼女に手を差し伸べる。
「ありがとう――でも無理だよ」
振り向いたロランスはコンラートの手に、自らの右手を重ねる。その途端、彼女の右腕がごとりと地面に落ちた。落ちた衝撃でその腕は粉々に砕け、黒い灰の山になった。彼女の炭化しかけた身体を見たコンラートは、黙ったまま動かない。パチパチと火の弾ける音だけがあちこちから聞こえてくる。
「あんなに人を殺してさ、まともに生きていけると思う? あたしだけのうのうと愛するあなたと幸せに生きていけると思う? ねえ、答えてよ、コンラート」
ロランスが押し黙ったまま俯く彼の肩を掴んで揺さぶる。その衝撃で彼女の中指が崩れ落ちる。それでも彼女は、コンラートの肩を揺らしつづける。
だが、それもすぐに止まる。彼女がひとつ息を吐くと、コンラートから一歩、距離を取る。
「あたしにはこのまま生きる自信がない」
そう告げたロランスは、焼け爛れた腕を掲げてニッと笑った。コンラートが突然、彼女を抱き締めた。
「僕が腕になる。僕が君を支える。それじゃあ駄目かい?」
コンラートの真剣な顔を見たロランスは、ぷっと噴き出した。
「なにそれ? プロポーズのつもりなの? こんなときに?」
コンラートを引き離した彼女は、笑いながら彼の手を取る。そして、人差し指を手の甲に当てる。それと同時に、何かの焦げる音がして、コンラートが苦痛に顔を歪める。
「これで我慢してくれる?」
そう言ってロランスが手を離すと、彼の手の甲にはトカゲが丸まっているような形の火傷が残された。
「お守りみたいなもの。あと、あたしの愛の形」
少し恥ずかしそうにはにかんだロランスは彼の胸に飛び込み、彼女を見つめる瞼に口づけをした。そして、そのまま突き飛ばした。突き飛ばされて驚いたコンラートが顔を上げると、ロランスとの間に炎の壁が形成されていた。
「ごめんね、コンラート。こんな不器用なあたしでさ」
本格的な崩壊が始まるのか、屋敷が大きく軋みはじめた。天井が崩れ、柱が折れ、漆器の割れる音が断続的に聞こえてくる。落ちてきた屋敷の残骸が彼らと彼女を隔てた。
「これ以上、持たない! 逃げるぞッ!」
レイが躊躇するコンラートを連れて入口まで走る。それをロランスは優しい眼差しで見つめていた。
「……それでいいの? 彼と一緒にいたくないの? こんな悲劇で終わるの?」
二人がいなくなったことを確認すると、シビルがそう尋ねる。その問いかけにロランスは小さく笑みを浮かべた。
「ずっと一緒がいいに決まってる。けどね、仮にここで生き残っても、きっとうまくいかないって確信がある。どちらにしてもあたしの心はここで死んで終わったのさ。そんな抜け殻と暮らすくらいなら――潔く消えてしまった方がマシ」
そろそろ行ってと言われ、シビルは彼女に背を向ける。
「最後に聞いていい? ――今死んで幸せ?」
シビルの問いかけにロランスは答えない。だが、ちらりと見えた彼女の表情に、シビルは満足そうに微笑んで走り出した。
シビルが外へ出ると、不安げな表情で屋敷を見ている二人が彼女に気がついた。レイがロランスの所在を訊くと、彼女は首を横に振る。それと呼応するように、シビルの背後で屋敷が大きな音を立てて崩れ落ちた。
それと同時に、一筋の炎が空高く舞い上がった。その炎は消えることなく、遥か高く昇っていく。舞い散る火の粉全てがルビーの様に輝いて見えた。やがてそれは太陽の陽射しに溶けるように消えていく。
「ロランス……」
細く震えた声でコンラートが呟いた。彼の目から涙が伝い落ち、地面に沁みていく。ひとり涙するコンラートを残し、二人はこっそりとその場を立ち去った。
炎は遠くへ昇り、すでに見えなくなっていた。




