夜陰に舞う
燃えていたのはテントの外に積まれた藁だった。ぱちぱちと音を上げ、橙黄色の光がサーカスのテントを照らしている。
「レイ! まだ臭いが残ってる!」
鼻を小さく動かしたシビルが叫ぶ。その瞳は炎に照らされたさらに奥、そこに鎮座する漆黒の闇を捉えて離さない。彼女には見えないはずのそれが見えているのだろう。
「わかった。こっちは任せてくれ!」
頷いたレイが夜陰に消えていく少女の背中を見送る。その姿が完全に消えると、目の前の炎を睨む。藁の上で燃え盛る火炎は睨んでいる間にも広がっていく。だが、ここに水はなく、消火できるようなものも存在しない。炎に煽られ、数本の藁が空を舞ったかと思えば、みるみる内に燃える部分を無くし、黒い雪となって地面へ降り積もる。
レイは頭を巡らす。何故ここに火を放ったのかを。彼は目を細めると、腰から十字架を抜いた。その先は鋭く尖り、一番長い辺には刃が備わっている。それをテントに突き立てると、布を縦に引き裂いた。
「やっぱりな」
裂け目を潜ったレイが呟く。火の輪に使う燃料が大量に保管されていたのだ。彼は大量に積み上げられた燃料のタンクを、赤く照らされるテントの傍から手早く片づけると、布越しに藁を蹴飛ばした。外で賑やかしい音を立てて藁の山が倒れた。
再び裂け目を通って外に出たレイは、テントに燃え移らないように見張りながら、藁が燃え尽きるのを待った。
「そこにいるのは誰ッ!?」
ほぼ燃え尽き、残り火となった灰の山の向こう側から女が飛び出してきた。ロランスだ。その手には銃が握られ、不慣れそうに彼に向けられている。
「ロランス、僕だ。銃を下ろしてくれないか」
「レイ? なんでここに?」
不思議そうに彼を見ながら、銃を下ろしたロランスに今起こった事を説明すると、顔をしかめて、げんなりとため息を吐いた。
「最近、ほぼ毎日なのよ。どうせ、あいつの嫌がらせなんだろうけど」
うんざりといった顔で、灰の山を踏みつけるロランス。赤い火の粉が夜に舞い、それもすぐに消える。レイは昼間に出会った成金の顔を思い描いていた。
長く続く煉瓦造りの細道を駆け抜けるのは、夜と同化しそうな漆黒の衣装の少女。彼女の足は速く、既に逃亡者の背を捉えていた。そんな高速で移動しているのだが、彼女はすまし顔で曲がりくねった夜道を駆ける。
発砲音が響く。切羽詰まった逃亡者が追跡者に撃ったものだ。彼らがいるのは狭い道。当たらなくとも、追っ手の足止めにはなる。だがそれは相手が人間だったら、という場合だけ。逃亡者は相手を誤った。その発砲が彼女に翼を使わせる口実となった途端、彼の逃げ道はなくなった。
舞い上がった彼女の広げた翼が、膨らんだ月に大きな影を作る。まるで悪魔のようなシルエットに、逃亡者は目つきの悪い瞳を広げる。その影は男の頭上を掠め、そのまま一回転すると男の前に舞い降りた。
「いい加減に観念してよ。面倒だからさ」
着地してすぐにシビルが腿からマチェットを抜く。それだけで逃亡者の腰が引け、地面に崩れ落ちる。彼女にはそれだけの凄みがあった。十と数年しか生きていない少女に出せるはずのない気迫を持っていた。すでに彼に逃げる意志は残されていない。
「誰の指図で火を点けたか、教えてくれないかなぁ?」
少女の問いかけに、男は首を振って拒否を示す。怯えている様子だった。
「どうせケリーでしょ?」
痺れを切らした少女が少し楽しそうに口を開く。男は肩を大きく跳ねさせ、動揺していた。その目はシビルを畏怖するように、弱々しく睨んでいる。
彼は何かを決心したように、拳銃を構える。その動作に気付いたシビルが走り出す。男の銃の狙いが頭に合わさる――その銃を持った彼自身の頭に。破裂音の次に、力なく倒れる音。しばらくの静寂の後、小さなため息が響く。眼前の転がった男の死体に冷たい視線を送る少女が、腿に忍ばせた鞘に手の内の山刀を納め、踵を返す。
「生きてればどうにでもなるってのに、なんで死んじゃうかなぁ」
少女は哀れみの混じった瞳で月を見上げる。その瞳から一筋の涙が流れた。
「収穫はなし。オマケに犯人が自殺しちゃうって、レイにどうやって説明しよう……」
悩ましそうに腕を組む少女は、来た道をゆっくりと引き返していく。その表情は年相応にあどけないものに戻っていた。




