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落日

 火球は彼らには当たらなかった。しかし森にまたひとつ、大きな穴を空けた。

「ヘルガ! 私です! お願い、答えて!」

 フレデリカが叫ぶが、その声は耳に届かない。短く、小さく、強い呪詛を唱えるだけ。

 やがて、再びそれが首をもたげ、火炎を吐こうと構える。

「離れろッ!!」

 マティアスがその竜を象った怪物の喉に機銃を打ち込む。あっさりとそれは切り裂かれ、首から先が宙を舞い、溜めた火炎が千切れた首から漏れ出す。

 だが、それは爆発も、放出もせずに新たな顔を成形し、古い首を飲み込んだ。

「決まった形がないのか……」

 彼はその怪物の脈動を睨み、低く唸る。

 その間にも、怪物は動きはじめる。両脇にもたげた粘着質な翼を大きく掲げていく。その動きで翼の端から垂れた、どろりとした液体が、森の木々を飲み込んで溶かした。その液体そのものも高熱を持っているようだ。

 翼を高々と掲げたそれは、高い音を響かせた。それは鳴き声と呼ぶにはあまりにも複雑で、声と呼ぶにはあまりにも醜いものだ。音を発した口らしき箇所から、ねばねばとした粘着質な液体が数滴、滴り落ちていく。

 だが、注目すべきはそこではない。その怪物の中央から噴き出した、無数の槍。それはマティアスに向かって飛んでいる。狙いが自分だと判断した彼は、操縦桿を強く握り締めた。そして、一直線に飛んでくる槍へと突っ込む。幾重にもなって飛来する槍の隙間を縫うように、僅かにでも操縦が狂ったら串刺しになるであろう中を飛んでいる。

 その槍の雨を抜けたマティアスは、安堵の息を吐く。幾度か掠め、翼が焦げはしたがその翼にも、機体にも穴はない。

 だが、空気を揺らすような高い音を上げながら、その槍が反転した。そして、唯一の戦闘機へと飛翔する。

 マティアスは目を見開き、戦慄した。すでに逃げ道は塞がれていた。数十本もの槍がマティアスを囲うように飛んできた。彼は自らの最期を悟る。

 それでも、彼に終わりが訪れることはなかった。代わりに訪れたのは、強い衝撃と、渇いた熱波。彼がそちらを見ると、フレデリカが炎を操り、その高温の槍を機体に突き刺さる前に蒸発させていた。

「早く操縦を!」

 彼女の悲鳴に似た叫びに、男は操縦桿を握り直す。普段、小隊と飛んでいたときにも感じていた恐怖にも似た孤独を、今は感じなかった。

「私がヘルガを覆った壁を壊します。その隙に彼女を楽にしてあげてください」

「待て! 楽にって――」

 フレデリカの決意に満ちた表情に、彼は言葉を詰まらせる。

「軍人でしょう? 躊躇わないでください。私の身も危ないんです。機会は一回しかありませんからね!」

 それを聞いたマティアスは渇いた口の端を吊り上げた。その表情に驚いたフレデリカに彼は告げる。

「軍人にもそんな判断を下せる人間は滅多にいない。素晴らしいレディだな」

「口説くなら、これが終わってからにしてください!」

 顔を赤くした少女は、そう叫ぶと彼の戦闘機から飛び立ち、妹の元へと突進していく。その顔には後悔も、憂いもない。柔らかな笑みだけを浮かべている。

 銀色の翼を大きく広げ、生温い風を切るフレデリカ。幾重にも降る槍や、火球を避けながら、怪物の中核へと近付いていく。彼女の耳には風の音も、怪物の発する音も、槍が掠めた翼の焦げる音も聞こえない。ただ後ろを飛ぶ飛行機の飛行音が聞こえている。

「ごめんね、ヘルガ」

 剥き出しの核に翼を突き立て、着地するフレデリカ。竜の鱗が生え揃っているだけあって、そう簡単に肉が焼け落ちることはない。だが、徐々に肉の焦げる臭いと、肌を刺す痛みが、幼い彼女を襲いはじめる。

 瞳を閉じた彼女は、何度もごめんね、と呟きながら、翼を核に打ち付ける。銀の鱗が散り、薄膜に刺さり、翼を切る。骨の折れる音が響いても、それを止めることはない。彼女の瞳からは、ぼろぼろと涙が流れ、歯を食いしばる。

 薄膜にできた亀裂から液体が噴き出した。しめた、と痛々しい笑みを作ったフレデリカは、大きく翼をそこへ突き刺した。狭い穴だったようで、肉が挟まり、翼の先端から骨が突き出した。悪寒と激痛が身体を走る。それでも構うことなく翼を酷使し、薄膜を剥がしていく。先の攻撃が蓄積していたようで、卵の殻を剥ぐように、簡単に砕けていった。

 満たされていた液体が流れ出ようとし、大気に触れた表面がかさぶたのように固まっていく。フレデリカは必死にそれを翼で除けていく。

 ずっと作業をしていた彼女の左の翼は焼け爛れ、銀であったことが窺えないくらいに黒く焦げていた。

「早くッ!」

「翼を退けろ! ヘルガと被ってる!」

「それだと壁が固まってしまいます。翼ごとやって! 早く――ッ!!」

 マティアスは奥歯を噛み締めると、自分の役目を遂行した。フレデリカの短い悲鳴が聞こえても、引き金を引きつづけた。人を撃つことに、ここまで躊躇ったことはなかった。それは空での孤独を分かち合う方法を失うからなのか、それとも撃ち終わると毎回忘れてしまっているだけか。それを彼に判断することはできなかった。

 マティアスは回避をすることもなく、落ちていく二人の姉妹の姿を瞳に焼き付けていた。

 目の前に怪物の残骸が迫っていた。

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