一室の二人
がくん、と大きな衝撃でシビルの目を覚ました。ぼんやりと霧がかった頭で、風に波打つ幌を数秒間眺めたあと、すくっと立ち上がる。過多にわずかに当たる長さの髪に絡まった藁に気がついた彼女は、それを指先で引き抜いていく。自分の頭を撫で回して藁が残っていないことを確認すると、馬をなだめるレイの元へと近づいていく。
「着いたのぉ?」
もそもそとくぐもる声でレイに尋ねるシビル。やがて自身が寝ぼけていることに気がつくと、彼女は眠気を振り払うようにふるふると頭を振った。
空はまだ青い。どうやら予定よりも早く着いたようだ。普段は慌ただしいはずのレイの動きにも少し余裕がある。
シビルはいつものようにレイに運び出す荷物を聞き、それらを運び出していく。あとは運び出した荷物を各々の場所へ届けることが、今日の仕事の全てだ。そのあとに控える自由時間に思いを馳せる高揚感を感じながら手元の覚え書きを頼りに届けていく。
最後の配達を終えたころには、夕日どころか三日月が昇っていた。どんだけこき使うのよ、と何も答えない月に愚痴りながら、石畳の道を引き返していく。
馬車に戻ると、ランタンに照らされたレイが古くなった作業着を泥で汚しながら、馬車の金具をひとつひとつ丁寧に閉め直していた。
「んもー! 言ってくれたらやったのに」
唇を尖らせた少女がレイに抱き着く。汚れるからと引き剥がそうとするレイだが、彼女が離れる気配は微塵もない。
「ご主人様がこんな恰好なんて、あたしが恥ずかしいの」
ぐいーっと頬を引き延ばされているレイの口から何かを喋ろうと息が漏れるが、それを言葉として認識することは難しい。
「えーい! 今日の就業時間終了! 一緒にリンゴ酒でも飲もうよー」
無理矢理、馬車から引き剥がされたレイは、仕方ないと呟くと大人しくシビルの後ろに着いていった。
「一緒にお風呂とか入っちゃうー?」
「絶対にダメ」
知ってるーと一人でケラケラと笑いながら宿屋に入るシビルが大きな欠伸をする。久し振りの力仕事に身体が休息を要求しているようだった。
二階にある部屋に案内されると、シビルはため息を吐いた。
「いい加減に相部屋は止めない?」
二人で一部屋。もちろん手配したのはレイだ。彼はいつものことじゃないか、と手荷物をベッド脇に置くと、シャワーを浴びるためにその中から着替えを探しはじめた。
「アレもあるし、シビルもその方が安心だろ? それになによりも安くつくんだ」
「はいはい。このけちんぼ」
元々、諦め半分だったのか、わかってますよーと吐き捨てた少女がベッドに倒れ、足を天井に突き出す。持ち上げると、ローブがめくれ、陶器のように白い足が露出した。傷ひとつないその足は細すぎず太すぎず、全ての男を魅了するかのようだった。
みっともないから止めなさい、とレイは露わになったふくらはぎを叩くと、シャワー室へ入っていってしまう。
そんなレイに、いけずーと吐き捨てたシビルもその身体を起こす。件のリンゴ酒を買うためだ。一階の受付の後ろの棚に結構な数が並んでいるのを目敏く見つけていた彼女は財布を握りしめながら、意気揚々と階段を降りていった。
しばらくするとシビルは酒瓶を三本抱えて部屋に戻ってきた。何故だか、その顔は微かに紅潮していて、口も半開きで鋭い八重歯が覗いている。
ぐへへ、と笑いながらベッドに倒れこむ少女。その顔が枕に隠れて見えなくなる。それでも短く切り揃えられた髪から覗く耳が真っ赤に染まっている。
理由は実に簡単だ。この宿屋の女主人から、『夫婦』仲良くするようにねと彼女自身の昔話を交えながら助言されたからだ。
「夫婦、かぁ」
「なにが?」
「…………ふぁっ!?」
一人で悶えている間に戻っていたレイが、心底不思議そうにベッドで寝転がる少女を覗き込んでいた。ぽかんとした表情で見つめ合う。しばらく硬直していた二人は、ばつが悪そうに不格好な笑顔を浮かべる。
「……の、飲もうよ」
逃げ道を探すように目を泳がせていた少女がさっき買ってきた酒瓶をへなへなと掲げると、互いにリンゴ酒に逃げ道を見い出したのだろう、青年も、あぁと力なく返事を返した。