娘
大きなサンドウィッチに齧りつく少女を、マティアスが珍しいものを見る目で見ていた。その視線に気がついた彼女が、小さく首をかしげ、どうかしましたか? と問う。
「ただ軍人に優しくする奴を久々に見たからな。俺自身、驚いてるらしい」
まるで他人事のように、マティアスが薄く笑った。まるで、己に感情が無いかのように。そんなマティアスを見て、フレデリカが、おかしいの、と軽く握った手で口を隠すようにしながら幼顔をほころばせる。
「いつもここの上、飛んでた人ですか?」
少女の問いに、男が、あぁと肯定すると、少女の顔色がさらに明るくなった。
「私、気になっていたんです。なんでこんなところに来るんだろうって」
「偵察さ。軍の任務だ」
マティアスはそれだけ言うと、手に持ったサンドウィッチの残りを口に詰め込み、ごろりと寝転がる。その衝撃で頬の傷の部分に走るような痛みを感じ、わずかに顔をしかめるが、なんでもなかったようにように寝返りを打ち、少女に背を向ける。
「それももう終わったが」
彼はもう軍には戻れない。今し方、軍の命令に反抗し、離反したからだった。
情報として、ここら一帯に竜族の集う集落があるという話は聞いていた。だが彼が偵察した限りでは、軍が強調する『危険因子』なんてものはいなかった。俗世と接することの無いように、森の深くに形成された集落に隠れ住んでいたのは、ただ必死に毎日を生きようとする者だけだった。
上空の戦闘機に気付いた竜族の男が、俺達に関わらないでくれと忠告をしてきた。ただそれだけの理由で、彼の仲間達は銃口をその男へ向けた。
無惨に穴だらけにされた一対の翼を見て、それに嫌気が差した彼は隊列を外れ、その群れに機銃をぶっ放した。かつての仲間を二機、操縦不能にまで追い込んだところで彼は追い立てられ、森へと突っ込んだのだった。
「そこで君に見つかったって訳だ」
そこまで黙って、男の語りに耳を澄ませていたフレデリカが口を開いた。
「優しいのね」
表情を和らげてマティアスを見つめた少女は「でも……」と白く細い指で振り返った男の唇に触れる。
「それを隠してお礼を求めないのが、かっこいい男じゃないのですか?」
「軍人の世界はな、撃墜数と褒章が全てなんだよ。それに墜落しておいて、かっこいいも何もないっての」
男のふて腐れたような言い分に、それもそうですねと目尻に皺ができるのも気にせずに、くすくすと笑ったフレデリカに、男はゆっくりとした動作で背を向ける。
なぜ、彼女に真相を打ち明けてしまったのか。それは彼自身にも説明できなかった。ただなんとなくという曖昧な結論を、彼はこっそりと飲み込んで立ち上がる。
「どこ行くのですか?」
「ちょっと、ベベの様子を見に行ってくるんだよ」
ベベ。彼の戦闘機に名付けられた愛称だ。
彼は軍から追われていることなど気に留めないように堂々と、鼻歌交じりにその家を出ていった。その様子を見送った少女がひとつ、大きな欠伸をすると、何かを思いついたように部屋の奥へ引っ込んでいった。
ほどほどに暖かく、木漏れ日が心地いい。
地面に線を引き、無残な姿を晒している戦闘機の操縦席で、マティアスはぼんやりと空を見上げていた。雲ひとつない空には、彼を追い立てた戦友達の機影もない。
その戦闘機が森に空けた穴の下には、二本の木を組んだだけの簡素な墓が、ふたつ作られていた。彼が撃墜した戦友達に捧げたものだ。
男は根っからの軍人で、その戦友も軍人であった。彼らの間には、情けなんてものは存在しない。いつ、どこで、誰と対峙しようと全力で戦い抜く。彼らの間に存在するものは、それだけだった。その結果、二つの命が散っただけの話だ。
彼らの墓の下には何もない。彼らの機体が空中で爆散するのをマティアスは自分の瞳で確認していた。それでも、それを作らずにはいられなかった。ただ組まれただけの木に、青白い羽根をした蝶がふわりと留まった。蝶は彼の視線に気がついたように、これ見よがしに美しい羽根を開閉させた。
「自由に飛んでこい」
その蝶と戦友を重ね、広い空へと彼らを送り出した。今度は誰にも命令されることのない空へ。
「やっぱり、格好つけてますよね」
ふふん、と意地悪そうに鼻を鳴らしたフレデリカが木々の間から躍り出る。その手には木でできたバスケットがぶら下がっていた。マティアスに近付いた彼女は、そのバスケットを掲げる。
「ちょっとしたお菓子を持ってきたの。お茶しませんか?」
少女が少し気取るような口調で訊くと、マティアスが彼女の頭を撫でた。それに驚き、小さな悲鳴を上げて俯いてしまうフレデリカ。
「おっと、隣の娘さんを思い出しちまってな」
悪い悪い、と謝りながらその手をどかすと、少女の不機嫌そうな表情が男の視界に入る。
「その娘さんって、何歳なんですか?」
彼を睨む、きっとした眼差しに答えなければいけないという雰囲気が形成されていく。
「確か……、五、六歳だったな」
その不機嫌そうな顔がぷっくりと膨れていく。さらに、睨む視線も鋭さを増し、マティアスは肩をすくめた。
「そんな小さな子と同じ扱いなんて……。私、ひどく傷付きました」
彼は繰り返すように、悪いと謝る。しかしそれも効果はなく、遂には自分がいかに大人なのかと少女の講釈が始まってしまい、男は苦笑いを浮かべながらも、それを聞く以外に動けなくなってしまった。




