山神伝説
その斧が振り下ろされることはなかった。
「終わりなのはお前だ」
澄んだ声に目を開けたリリアナが、驚いた声色で叫んだ。
「なんで、ここにいるのッ!?」
その声の主は、森の少女だった。
「だれじゃッ!?」
「ふん、自分の娘の顔も忘れたかッ!」
仮面を引き剥がす少女。その顔は怒りで険しい顔つきだ。腰に携えた短剣を目の前の敵に対して、今すぐに突き立ててしまいそうなほどだった。
一方、引き剥がされた仮面に隠されていた顔を見たリリアナが思わず声を上げた。
「長老様ッ!?」
彼女を殺そうとしたのは長老だった。
「それに娘って……」
少女を見たリリアナに、その少女は目を合わせて微笑んだ。
「山神様の生贄に捧げると称して、森に捨てた子供。――それが私だ」
「おぉ、わが娘、アリアよ。よくぞ戻った」
嬉しそうに諸手を広げる老婆を突き飛ばした少女は、地面を転がる老婆を睨みつける。
「私の名前はエダだ。アリアなんて名は知らない」
老婆を無視し、リリアナの錆びた鎖の繋がれた部分を側に置かれた金槌で砕く。すると、鎖がやかましく鳴りながらその拘束力を失った。
「なんでここがわかったの!?」
「あぁ、それは――ッ!」
エダがそれに気がついたのは、長老がリリアナの背後で斧を振り上げたときだった。
「はーい。そこまで」
天井の剥き出しの支柱にぶら下がった少女が老婆の振り上げた斧を奪い取り、そのまま天井に突き刺した。
「これで取れないでしょ」
ケラケラと笑うシビルが、支柱から飛び降りる。
「いつの間にッ!?」
「悪魔にとって暗闇での移動は朝飯前なのよ」
これ見よがしに蝙蝠のような翼を広げるシビルが、マスケットを老婆に突きつける。
「警備の奴らはどうしたんじゃッ!?」
「こいつらのことか?」
その声と共に扉が開いて、縄で縛られた黒服の男をレイが転がしながら入ってくる。
「無茶禁止とは言ったけど、遅くない?」
「騎士とは聞いて身構えてはいたけど、なかなか手強かったからね」
文句を言うシビルに言い訳をしながら、レイが長老に近付く。その内に秘めた怒りを感じ取った老婆が震え上がる。
「あなたの処遇を決めるのは我々ではありません。旅人の我々には無関係の話ですから」
そう言ってレイが後ろを見る。
沢山の村人が各々に武器となりうるものを持ち、その老婆を睨んでいた。
「お、お前達! 悪魔だ! 奴がこの村の恐怖だ!」
突然、すがるような声で喚きだした老婆は、シビルを指差しはじめる。
「彼らはこの村を救ってくれた」
村人の中から声が湧き上がる。
「そうだ!」「それに引き換え、お前は自分で連れてきた怪物を山神などと呼んで、自分の地位を保とうとッ!!」
飛び交う声に頭を抱えた老婆が、その場にうずくまる。
「あなたは十年前、謝礼金を目当てに、攻城兵器として生み出された生物の現地実験を極秘で受け入れた。ここは世間からも隔離されている上に、広大な場所があったからだ。だが、それを知った前の長老である夫に公表すると言われたのか、その夫を殺した」
「ただの憶測だろう? 何の根拠もない」
老婆の反撃に、えぇ、と頷いた青年は、一拍置くと再び話を始めた。
「ですが、それも揃いました。その根拠がこの少女だ」
レイはリリアナを長老から離すように間に陣取る少女を見る。注目を浴びることに馴れないのか、エダは気恥ずかしそうに顔を赤くして、黄色いペイントのされた頬を掻く。
「そして、リリアナを襲った理由でもある」
リリアナとエダが互いに顔を合わせた。双方、理由はわからないらしい。
「体裁のためとはいえ、森に放置するという不確実な方法で娘を殺さざるを得なかった長老は、それと同時期に拾われた子供に怯えていたんだ」
「拾、われた……?」
リリアナの瞳が、信じられないとばかりに村人達の間をさまよう。村人は全員、申し訳なさそうに顔を背ける。その態度がそれが事実だと物語っていた。
「つまり、私が誰かに助けられている可能性を考えたわけだ」
エダが無感動に導いた事実を述べる。
「でも、彼女の家に教会からの信託書と手紙があったから、そうではなかったよ」
「そんなのでっち上げじゃろうっ!? 儂はそんなこと知らんッ!!」
老婆が口から飛沫を撒き散らしながら、自身の無罪を叫ぶ。
「そんな悪魔の証明はしませんが、ここには政府の法治は及ぶことはないでしょう。この村の住民が決めることです」
レイは冷徹に、その事実を告げる。
「……そうじゃ、この村で最も金と権力があるのはこの儂じゃッ! 貴様ら、この者達をひっ捕らえろッ!!」
だが、その命令に従う者は一人たりともいなかった。リリアナを殺そうとしていたことが、曲げることができない事実としてそこにあるのだから。
「信頼なくして、権力も金もあったもんじゃないわよ」
シビルが吐き捨てるように憐れむような眼で老婆を眺める。
「儂は村の長老じゃ! 道を開けよッ!! どけッ!!」
突然、走り出した老婆は、老人とは思えぬ速さで村人を数人押しのけ、その隙に逃げてしまう。村人も武器を持ってはいるが殺す勇気などはない。逆にそれが手枷となって、取り逃がしてしまったらしい。
「シビル! 追うぞ!」
村人達の塊を迂回し、老婆の背中を追う。思いの外のその速さに驚く。距離は縮まってはいるが、それでも少しずつだ。
青年が、はっと気付いた。
「まて、そっちは……ッ!」
レイが叫ぼうとした瞬間、老婆の姿が消えた。
遅かった、と呟いたレイが歩み寄ると、断崖と呼べるほどの角度をした坂が伸びていた。そこは隆起した土地の端だった。村人の手が回っていなかったようで、仕切りの柵も、印すらない。
よく見れば、僅かに頭を出した木々でわかるのだが、長老にその余裕はなかったらしい。崖を滑落した老婆は、自由に伸びた枝木に肌を切り裂かれ、最期には腹と首、それに胸を刺し貫かれ、その惨たらしい骸を晒していた。
村という小さな世界で、金と権力を振りかざしていた哀れな人間の終わりの姿だった。




