商人の二人
ガラガラと派手な音を響かせ、草原に一本の線を引いたかのような道を走っている馬車がひとつ。
馬車はそこらかしこが汚れてはいるが、古ぼけた印象とは裏腹に手入れはしっかりとされているようで車体の軋む音のひとつも聞こえてこない。その荷台は幌で覆われ、その中から覗くのは小さなわらの山と小物と箱くらいだ。
その馬車を操っているのは清潔そうな印象のある十八くらいの青年だった。長旅でもしてきたのだろう、その顔には疲れの色が浮かんでいた。
「うわ――ッ!?」
上の空だった青年が慌てて馬車を止める。人影が突然、馬車の前に飛び出してきたからだ。
「騒がせてしまって申し訳ない……。街はこっちでよろしいですか?」
痩身の男が申し訳なさそうに青年に尋ねる。彼の服装はところどころが擦り切れ、それはみすぼらしいものだった。
「えぇ。乗っていきますか?」
少しばかりのお代はいただきますが、そう付け足した青年は手を差し出す。男がその手を取ると、一気に引き上げて荷台へと促した。
「あぁ、商人さんでしたか。どうにも馬車が頑丈なわけです」
男は荷台の奥にところ狭しと置かれた大量の袋や細工品を見て、納得げに頷く。
「まだまだ駆け出しの新人ですけどね」
まだまだです、と遠慮をするように肩をすぼめながら、青年は小さく笑う。
「そのお歳で独り立ちできるほどの腕はお持ちなんですから、誇るべきですよ」
男はにっこりと笑いながら、空いているスペースに腰を下ろした。
青年はその男が座ったのを確認すると、手綱を握り直した。まさに走り出そうとしたとき、青年の後頭部に何か硬い物が当てられる。
「動くなよ? 動けば頭が吹っ飛ぶぜ?」
痩身の男がその懐から取り出した小さな銃を、青年に突きつけていた。盗賊だ。その青年は微動だにもせず、前を見つめている。
刹那、その銃身がずるりとずれ、木の床とぶつかって大きな音を鳴らす。
男は何が起こったのか分からず、茫然とその半分になった銃身を眺める。銃には何の衝撃もなかった。射手に何も気付かせずに、その獲物である鉄塊を切断するのは人間に出来る技ではない。ましてや、ナイフすら持っていない青年にそれは不可能だった。
「あたしのレイに手を出そうなんて、教育が必要かしらね?」
黒く塗装された大きな幅広のナイフを構えた少女が眠そうな目でその男を睨みつけていた。その眼光だけで男は怯み、その手から銃の残骸を取り落としてしまう。
戦意が感じられなくなった男に背を向け、彼女がレイと呼ぶ青年へと歩み寄る。
「ほら、レイも寝てないでよ!」
幅広ナイフの腹でぺちぺちとだらしなく緩んだ頬を叩く。
んあ、と気の抜けた声を上げた青年がゆっくりと顔を上げる。口の端から垂れたよだれもそのままに。
「手のかかる奴だなぁ、もう」
少女が慣れた手つきで袖の中から可愛い刺繍がなされたハンカチを取り出すと、レイの口を拭う。
「助かるよ、シビル……」
言い終わるかというところで脱力した青年は、そのままシビルと呼ばれた少女の腰に手を回すように崩れ落ちた。まだ寝ぼけているのだろう。
「いい加減に起きろッ!!」
「――ッ!?」
シビルが何かを取り出して青年の顔に吹きかけると、彼の肩がびくん、とわずかに震え、声にならない叫びが響く。少女の顔はどこか達成感に満たされていた。
起きた? と笑顔を浮かべるシビルに抗議の視線を送るレイだったが、彼女に聞き入れられるはずもない。ピリピリと痺れる顔面の筋肉を総動員して、なにをした? と問い掛けると、笑顔のままその答えを返される。
「唐辛子を漬けておいた水吹きかけたの」
顔の筋肉が引きつって、シワに困ることのないお肌ができるって前の村のおばちゃんが言ってたの、なんて笑顔で答えるシビル。
「で、新しい銃をお買い求めですか?」
レイが充血しきった双眸を見開きながら、荷台の隅で怯える男に営業スマイルを浮かべる。その表情に強盗の男の顔から血の気が引いていく。
「相変わらず、商売に貪欲ね……」
棚から銃を取り出し、その説明を語り出すレイに諦めたようにため息を吐く。そのまま男に近付き、ボロボロの服を引っ掴んだ少女が男を軽々と外へ投げ捨てた。
「壊した分よ」
そのついでに地面に広げられた銃の中から一番安いものを掴むと、男に放り投げた。
「改心しないと、今度は死ぬよ?」
男はかくかくと何度も頷いて、脱兎のように去っていった。
「……これでいいんでしょ?」
「よくできました」
にこにこと笑顔を浮かべるレイに呆れ気味に確認するシビルは疲れたようで、藁に倒れる。
「わざわざ怖い目見せて足を洗わせようだなんて、どっかの聖人でもしないわよ?」
藁の上をごろごろと転がるシビルがクスリと笑う。その笑顔には年相応の幼さと、ほのかな温もりが込められていた。
馬車の進む心地よい振動の中、むくりと起き上がったシビルは、馬車を操縦するレイの首に腕を回す。顎を青年の肩に乗せたシビルが短い吐息を漏らす。そのあとに大きな欠伸が続く。
「あとどれくらいで着くの?」
小さな子供が急かすような口調で、レイの耳を噛むんじゃないかと思うくらいに唇を耳元に近付けながらシビルが囁く。
「さっきみたいなアクシデントがなければ、夕方くらいだよ」
「じゃあ、それまで寝てるわね。おやすみー」
彼の耳たぶを甘噛みしたシビルがぱっと離れて、大きく伸びをしながら荷台の奥の丸まった毛布を勢いよく広げて、その毛布に包まった。
草花のさざめきと昼下がりの落ち着くような薫りに、彼女はすぐに眠りへと誘われていた。