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「Go ahead. Make my day.(やんならやれよ。楽しませてみろ)」
「!」
挑発に乗ってロハが銃を構えた。
その時だった、恐らく最初の発砲音を聞いて見に来たのだろう。若い男が路地を覗き込んだ姿が見える。男は銃を握った男に驚き、小さく悲鳴を上げて後退した。その足が、路地に転がっていた空き缶を蹴飛ばす。
かん、という物音に驚いてロハが振り返った。
そのチャンスをエーリは見逃さなかった。
素早く回り込み、撃鉄を固定するように親指を突っ込む。驚いてロハは引き金を引いたが抑えられている為に雷管に振動が伝わらない。銃を諦め、ロハの足がエーリの脇腹を狙う。
だが、その攻撃がエーリに加えられるよりも速くエーリの足がロハの軸足を薙ぐ。
バランスを崩し、地面に倒れ込むロハをエーリは簡単にねじ伏せ頭部を抑え、そのまま拳銃を男の頭部に突き立てた。
こんな簡単に踏み込ませてしまうのは彼らしくもない。
訓練を怠っていたのか、それとも。
ちらりと確認すると、先刻の若い男はいなくなっている。巻き込まれることを恐れたのかそれとも警察を呼びに行ったのか分からない。早めにこの場から離れるのが賢明だろう。
エーリは少しため息をつく。マガジンキャッチを押して弾倉を落とすと、自動小銃のカートリッジが落ちて路地に音を響かせた。
抑えられたままのロハがじろりと睨む。
それを冷たく見下ろしてエーリは言った。
「死にたいなら一人で死ねよ。俺を巻き込むな」
「知った風な口を聞くな! 貴方なんかに、私の気持ちなんか分かる訳がない」
「理解することもされることも拒む言葉だ。だから、お前は駄目なんだ。……ラリーがどんな思いでレイアにユートピアを残したのか、絶対に理解できない」
「何を……」
「クルミの木の下では他の木は生長しない」
エーリは短く言う。
ロハは分からないと言う風にエーリを見た。
彼の上にのしかかったまま、エーリは二本目の煙草に火を付ける。
「確かにラリーは‘子供達が大人の勝手で傷つかずにすむ世界’を望んでいた。そのためのユートピアだった。でも、レイアに組織を残したのは少し意味が違う」
「……意味が分かりません」
「理想を引き継いでくれなんて、ラリーは思っていなかった」
引き継いでくれなくて良かった。あの親友はただ、レイアが生きてさえいてくれれば、笑ってさえいてくれればそれでいいと思っていた。彼女の理想を現実にするための組織であればよかったのだ。なのに彼女はいつまでも父親が思い描いていた理想を追い求めてきた。
結局彼女は何かを考えているつもりで、何も考えていなかったのだ。
それはロハも同じ事。
どちらも「大切な誰か」の理想ばかり見て、自分が本当は何を望んでいるかを見てこなかった。彼女が答えを出せたら、エーリは逃げる道でも戦う道でも手助けをすることが出来た。そのためにラリーは後見人にエーリを据えたのだ。
けれど、彼女の行動は、組織の意思に飲まれながら、次第に過激なものへと変化していった。そして間違った方向に向いたまま、彼女の目標が定まってしまった。ガイルならばそれがどれだけ危険なものなのか彼女に問い、修正することも出来ただろう。実際に何度も彼は諫めてきたのだ。
考えなかったのはレイアの方であり、ロハはそんな彼女を支持するばかりで疑問にも思わなかったのだ。
エーリが口を挟まなかったのは考えるのを止めてしまった彼女を許せなかったこともあったし、何より答えだけ与えてしまえばまた同じ事だろうと思ったのだ。
エーリが言ったから父親がどんな風に思っていたのかを信じてしまう。父親が‘言った’から自分の理想を追い求める。
それでは、同じなのだ。
「自分で考えろ。お前には頭がちゃんと付いているはずだ」
「私は考えています。だから、貴方を殺したかった」
「だったら、どうして俺が組織を離れたと思う?」
「貴方は見捨てたんだ。自分が助かるために。そうでなければ飽きたんですか? 気分屋の、貴方らしいことだ」
「……だから何も考えていないっていうんだ」
「まだ言うんですか? 私は自分で考えてそう思ったんです。それにお嬢様だって、そうっしゃった。貴方は自分を見限ってしまったと」
エーリは少し目を開く。
「見限る?」
「そうです。だからもう、貴方を捜す必要はないと。……最初は貴方を捜していたんです。でも、ヨーイチが死んだ後、お嬢様は捜すのを諦めた」
エーリは煙草の煙を吸い込む。
長く吐いて、もう一度吸った。
洋一が命を落とした後、彼女は捜すのを諦めた。そしてエーリは自分たちを見限ったからもう捜す必要はないと。彼女はそう言ったと言う。
「……そうか、最後に、気付いたのか」
喜んでいいのか、悲しむべきなのか、妙な気分だった。
彼女は洋一が亡くなった後、ようやくエーリがいた意味に気付いたのだろう。そして今更エーリが戻っても手遅れだとも判断したのだ。
おそらくその後すぐにあの自爆テロを起こした。自分の行ってきた行動にけじめを付けたのだ。そう考えれば巻き込まれた要人が生き残った理由も頷ける。たまたま助かった訳ではない。彼女は最初から無事に逃がすつもりだったのだ。
或いは自爆するつもりなどなかったかもしれない。世間的にそう片づけられただけで。
ちらりとエーリはロハを見る。
彼が生き残った理由。
それもようやく分かった。
「……なぁ、嬢ちゃんは、最後にお前に何か言葉残さなかったか?」
「どう……いう意味ですか?」
明らかに狼狽した色が混じる。
「お前に生きていて欲しいと言わなかったか? そうでなければ、逃げ延びるようにと」
「……どうして」
それは肯定の言葉だった。
何故、そんなことをお前が知っているのか。
そう問いかけるような声。
「自分で考えろよ」
「貴方は、そればっかりだ」
「人から与えられた答えをただ信じるのは、何も知らないのと一緒だ。何も考えてないんだ」
「………」
エーリは立ち上がり、カートリッジを蹴飛ばして、逆方向に拳銃を投げる。
「………貴方は」
半身を起こしてただ地面を見つめながら彼は言う。
「貴方は、少し変わられました」
「違うな、俺は最初からこうだった」
「いいえ、変わられたと思います。……少なくとも、こんなミスは冒さなかった」