イオリ一行、いざ街へ
セルネア視点
焚き火の炎が揺れるたび、
誰かの影が、少しだけ形を変える。
そこには食事を終えて眠っているイオリの姿があった。完全に無防備で、この世界がどれほど危険か考えてもいない顔で。
「……本当に、どうしようもない人ね。」
(近い……)
膝を折ってしゃがみ込めば、顔の距離が近づき、ほんの少し腕を伸ばすだけで届いてしまう。
イオリの息遣いがセルネアの肌に伝わる。
あたたかくて、人間特有の、生きている匂い。
――ドクン。
セルネアの心臓が、強く脈打つ音がした。
(……だめだわ。)
悪魔である自分が、こんなにも心拍を意識するなど、あり得ないと感じていた。
指先が、無意識に伸びる。
髪に触れれば、柔らかいだろう。
首筋に口づければ――
「……っ。」
セルネアは、ぎり、と奥歯を噛んだ。
(今なら……)
彼は無防備な姿を見せている。
その姿にセルネアは思わず、呼吸が乱れる。
胸にある甘い欲望がむず痒く感じてしまう。
今、襲っても抵抗も、拒絶もできないだろう。
欲望が、はっきりと形を持って、
腹の奥からぐつぐつとせり上がってくる。
(抱き寄せて、
逃げられないようにして、
ぐちゃぐちゃに犯したい――)
そこまで考えたが、迫り来る欲望を抑え
セルネアは自分の翼をぎゅっと抱いた。
(違う。)
(それは、私が欲しいだけ。)
イオリは、私を欲しがっていない。それなのに、
“悪魔だから”という理由で奪うのは――
(私、最低ね。)
心臓の鼓動が、まだ速い。
胸が、焼けるような熱を持っている。
それでもセルネアは、彼から一歩、距離を取った。
「これは……あなたの寝顔が可愛いせいよ。」
誰にも聞かれないよう、小さく言って、焚き火に視線を戻す。
(今夜は……我慢。)
(触れられなくても、あなたを“守る側”でいることができれば……)
その選択をした自分に、
セルネアは少しだけ驚いていた。
⸻
シュリン視点
夜は静かだ。
だが、油断できる時間ではない。
シュリンは立ったまま、
焚き火の外側、闇の境界を見据えていた。
(人間は、いつ来るか分からない。)
逃げた冒険者たち。彼らが、このまま終わるはずがない。
視線を落とすと、そこにイオリが眠っている。
小さな体に、細い腕。
とても戦士とは言えない姿。
(……守らねば。)
それは命令でも、本能でもない。
自分で選んだ、意志だった。
オークは、強い者に従う特性を持っている。
シュリンはオークの群れの中で一番強い。
だから、他のオークに慕われていた。
だが、この男は――
(強くはない。)
それなのに、群れは自然と彼を中心に動いている。
「おい、お前ら。」
小声で、近くのオークに呼びかける。
「交代で見張れ、イオリ様の背後は、必ず二人つけろ。」
「姉貴、そこまで――」
「黙れ。」
シュリンは低く、それだけを言い切り、圧をかける。
「この方は、私たちの“群れの核”だ。」
言葉にした瞬間、
胸の奥が、妙に静まったような気がした。
(ああ……そうか。)
私はもう、
“群れのため”に戦っているのではない。
(この人の隣に立つために、剣を振るうんだ。)
シュリンは、イオリのすぐ横に座り、剣を地面に立てた。
眠る顔を見下ろし、
ほんの一瞬だけ、表情を緩める。
「……安心しろ。」
「お前を生涯かけて守り抜く、
だから私を隣に…」
それは誓いだった。
命令でも、感情でもない。
生きる意味そのもの。
シュリンは夜明けまで、
一度もその場を離れなかった。
悪魔は欲望を抑え、
オークは深い忠誠を誓う。
眠る少年だけが、そのすべてを知らない。
だが確実に、
彼の周囲には――
逃げ場のない“想い”が、積み重なっていた。
⸻
朝。
陽の光が森の隙間から差し込み、鳥の鳴き声が響いていた。
イオリは伸びをしながら立ち上がる。
「ふぁ〜……おはよう異世界。うん、なんかもう慣れてきた気がする。」
シュリンが見張りの姿勢のまま振り返る。
「おはようございます、イオリ様。昨夜は安眠できましたか?」
「うん、スライムがいい抱き枕になってくれたおかげで。」
「ぷるる♪」
横ではセルネアが髪を整えながらため息をついた。
「まったく、あなたは緊張感という言葉を知らないのね。」
「異世界初心者にしてはだいぶ順応早い方だと思うんだけどな。」
しばらくすると、
洞窟で倒れていた冒険者たちを治した植物の魔物が、その辺でひょっこり芽を揺らしていた。
「そういえば、お前も一緒に来るのか?」
「……ぷりゅる〜(植物音)」
「返事が分からんけど、まあいいか。名前つけるぞ。」
イオリは少し考えて思いついたのか、目を見開いて言った。
「お前は今日から――プラントだ!」
「ぷりゅ〜♪」
セルネアが微笑む。
「そのまんまね。」
「シンプルイズベストってやつだ。」
こうして、イオリ一行は再び歩き出した。
⸻
森を抜け、整備された石畳の道に出る。
見渡せば、遠くに煙。
馬車の通った轍があり、
道端には風に揺れる看板――“ローデン商業街区まで3キロ”と刻まれている。
「おお、ついに来た……異世界の街!」
イオリのテンションは最高潮に達した。
セルネアが横で淡々と歩きながら言う。
「この世界の人間はね、魔法と技術を組み合わせて文明を発展させているの。」
「おお、説明サンクス。この異世界のワールド設定ってやつだな!」
「……なんかムカつく言い方ね。」
シュリンも口を開く。
「王国があり、兵士団もあり、そして“冒険者ギルド”がある。」
「ギルド……」イオリは苦い顔をする。
「つまり昨日のあの人たちの組織か。」
セルネアが頷く。
「そう。彼らはモンスターを狩って報酬を得る職業者。
生計を立てるため、そして人間を守るために戦う。」
「つまり俺たち、完全に敵サイドなんだな。」
「……ええ、現実を言えばね。」
「まあ、いまさら逃げても仕方ないか。」
イオリは笑った。
「とりあえず、街行こうぜ。飯も宿も恋しい!」
やがて、丘を越えると、
遠くに高い石壁と尖塔が見えた。
街の輪郭が陽光に照らされて輝く。
イオリ一行が向かう街――それは王国の前哨都市、旅人と商人が行き交う“ローデン”と呼ばれる街だった。
王都ではない。
けれど、兵士団の旗がはためき、
人々の活気で賑わう都市だった。
「おお……なんかすげぇ!」
イオリは目を輝かせる。
「城壁、塔、旗、そして人の声! 異世界って感じだぁぁぁ!!!」
「やけにテンション高いわね。」(セルネア)
(シュリン)「イオリ様が楽しそうなら、それでよい。」
だが、街にそのまま入るのは危険だ。
「さすがに全員で行くのは無理だな……」
イオリは振り返る。
そこにはオーク、コウモリ、ツノウサギ、バッタ、ガンモン……ずらり。
「……おれは魔王かなにかですか。」
「おいお前ら!」シュリンが声を張る。
「イオリ様が街へ行く。お前たちはここで待機だ!」
「へい、姉貴…」
オークたちは名残惜しそうに頭を下げる。
ウサギがぴょんと跳ねて「ピョン♡」、
スライムが「ぷるる♪」、
そして――
「ギギギギギィィィ!!!」
バッタが謎の鳴き声を上げた。
イオリ「お前だけまだ怖いんだよ!!!」
バッタを含め、魔物たちは少し寂しそうだった。
⸻
街に行くメンバーは、イオリ・セルネア・シュリン・スライム・プラントの5名。
他のモンスターたちにはどこかで適当に休んでいてと伝えて別れた。
「よし、いくぞ!」
「待って。服を買わないと。」(セルネア)
「服?」
「あなた、服装が完全に異世界初心者だもの。」
セルネアは懐から小袋を取り出した。
中には銀貨のような硬貨が数枚。
「それは……?」
「昔、人間から奪ったものよ。」
「言い方ァ!!」
⸻
イオリだけがまず街に入り、まず向かったのは服屋。自分用の服はもちろん。シュリンの緑の肌を隠すためのローブや、セルネアのツノや翼を覆うためのオーバーサイズのヴェールのような衣装を購入した。
そして、シュリン、セルネア達の元へ戻った。
「ほら、俺のも含め買ってきたぞ。」
(セルネア)「いいじゃない。これなら、悪魔だってこともバレないわね。」
(シュリン)「イオリ様、似合ってる?」
「うん、殺し屋感が出てて、かっこいい。」(イオリ)
「それは、褒めてるのか?」
「もちろん。」
スライムとプラントは服の内側に隠すことにした。
「お前ら、絶対動くなよ。絶対バレんなよ。」
「ぷるる……」
「ぷりゅ〜……」
完全にペット密輸状態である。
⸻
街の中は、人と音と匂いで溢れていた。
石畳の通りには屋台が並び、
焼いた肉やスープ、果物、パンのいい香りが風に乗って流れてくる。
「すげぇ……ちゃんと、“生活”してる。」
イオリは思わず立ち止まった。
セルネアが横で肩をすくめる。
「人間は、こういうところだけは器用なのよね。」
「いい匂いだなぁ。……食べても平気かな?」
「たぶん。」
「“たぶん”てやめてくれ!!」
それでもイオリは屋台で串焼きを一本買い、かじった。
「……うまい! やっぱ文明最高!!」
(シュリン)「肉を頬張るイオリ様のお顔…美しい…」
「や、やめろよ、恥ずかしい。」
「私も食べさせてくれない? あなたが美味しそうに食べるから、お腹が空いてきたわ。」(セルネア)
「悪魔もお腹が空くんだな。」
「当たり前よ!」
屋台の周りで三人は仲良く肉を頬張っていた。
だが、その瞬間だった。
通りの向こう。
鉄の鎧に身を包んだ兵士団が、街の巡回をしていた。
イオリがちらりと視線を向けた瞬間、
その中の一人が、ピタリと足を止める。
「……あの顔……」
鎧の下から、鋭い声が漏れる。
「おい、あの男。見覚えがある。」
仲間の兵士が問い返す。
「どうした?」
「先日ギルドから報告があった“例の者”。……あいつに似ていないか。」
イオリはまだ気づかない。
串焼きを頬張りながら、
「うまっ! スライムにも食わせてやろう!」
などと呑気に笑っていた。
彼が知らぬ間に、
また一つ、“魔王伝説”が動き始めていた。
(To be continued…)




