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人生で最高の7日間と最悪な8年間  作者: 夢丸力丸


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9/13

9 到着6日目(スクール4日目)


4日目になると疲れがでてきて、ちょっとトーンダウン。プロジェクトが仕上がらないクラスがほとんどと聞いて、なるほどと思った。


ひとクラス目が終わる9:45からは休憩時間で各建物ごとにドリンクやドーナツなどが置いてある「おやつステーション」があるのだが、そこでなごんでいると、イタリアのピザ屋のオヤジのようなひげをはやした、小太りの先生、ピートさんが私に話しかけてきた。この人は今年がインストラクター1年目でシルバースミスなのだった。

いつもニコニコしていて(とりわけ私に対してニコニコしているような気がしたがやっぱりそうだった)、ハローしか言葉を交わさないわりには何か言いだけだったのだが、今やっとその意味がわかった。

「僕の奥さん日本語話せるよ。日本人だから・・」「え~ッ。ほんと~。どこ?一緒に来ているの?見かけたことないけど。話がした~いよ~」と言うと、一段とニコニコしてランチに紹介するよと言ってくれた。この時期なぜか日本語でしゃべる行為はとっても癒されるのだ。


ランチに待っていると長い金髪の高橋万梨子そっくりの人が現れた。どうして今まで見かけなかったのかというと、彼女はゲストなのでダンナのクラスのアシスタントを時々するけど、喘息と低血圧なので朝食には来ず、あまり外に出なかったらしい。私がいることは知ってたらしく、ダンナが「日本人がいるよ」。と何度も言っていたそうだ(あのニコニコ光線はそうだったのか)、でも迷惑になってもいけないからと遠慮していたとのこと。(なんと奥ゆかしい。こういう外人に会えるのは2年に1度くらい)

なんか日本語がしゃべれるうれしさで、凄い勢いで彼女ディーに向かってしゃべってしまった。ディーは日本で生まれたハーフで10代でアメリカに移住したそうだ。しばらくして、気が付いたんだが実は私たちは以前どこかで会っていたのだった。

ピートのあのシルバーのミニチュアは確かシアトルのショーで見たことがあった。高くて買えなかったけど、その時、奥さんから日本語で日本レストランはどこにあるか聞かれた覚えがある。

当時私はカナダに住んでいてシアトルは宇和島や(日本食料品店+紀伊国屋書店)しか知らなかったので、そこのトンカツ屋を教えた記憶がよみがえってきた。ミニチュアと食べ物・・・この関係は今回条件反射のように私につきまとう。

というわけで、またもや盛り上がってランチが終わった。


★☆ イス(4日目) 

書き忘れたが午前中の家具のクラスはステインを塗っては乾かしの作業で待ち時間が多く、結局私も2つめの骨組みを終えてしまった。しかし今度は溝引きはナシ。マージもスーも同じだった。他の人は慎重派が多いらしく、一番遅い人はやっと最初のキットの骨組みの接着に入ったところだった。

あの、ジュラルミントランク男-「ゴルゴ13」のイメージがあるジムが「奴はなかなかやりそうだ」と見受けた理由は他にもあって、初日にもらったマニュアルを、(面倒なので読んでいない私)、2日目に、おかしいところがあるなどと指摘して先生を慌てさせていたのだ。てっきり「やる」と思ったのだけどね・・・

また、ジム用のイスというのがあって少し大きくて肘掛がついている。彼は腰痛なのでこれでなければ駄目だそうだ。(まさかこれも持参か?)

このクラスは完成品と途中の骨組みの2つの見本があるだけで、結局それを見て作るので、先生のデモはない。そのかわり個人の質問にそれぞれ答えていくというクラス形態だった。


★☆ メタル(4日目) 

さて、午後のメタル。もう半分絶望。こんなんで終わるんかいなという不安と、「なんでこんなにサンディングばかりせなあアカンのじゃ、おりゃ~」と思わず関西弁で脅したしたくなる心境。

でもアランは凄く親身になってくれるよい先生。生徒からの人気もある。今日は糸ノコでくっつけた金属片をデザインの形に添って切り抜いてゆく。って書いたけど私と糸ノコの関係はずいぶん前にもう別れてから音信不通。今回も棚の奥から引っ張り出して持って来たほど。でもアランが糸ノコをあやつると、あ~ら不思議。まるで紙をハサミで切るように滑るように進んでゆく。私は何度も刃を折るたびに、「ああっ」とか「うッ」とかうるさいのだけれども、アランも「最初は皆そうだから、刃はたくさん持ってきたから心配しないで折るように」と励ましてくれた。

他の子が「私なんか刃折りの名人(その子はクィーン(女王)といってたけど)よ」と言ったのを、アランが「僕もそう思う」と困った顔をして同意していたのを思い出し、3本くらいなら可愛いもんかなどと自己評価をして納得した。


「それにしてもこんな細いものでこの硬い金属を切れるのはなんか不思議ね」と私がボソボソ言うのを聞いて、隣のアリソンがパトリシアから何かをふんだくって持って来て見せてくれた。

それはパトリシアが他のメタルクラスで作業中のものなのだが、厚さ3ミリくらいある一枚メタルからハンマーヘッド(米粒くらい)を切り出しているのだった。糸ノコで途中までハンマーの形に切ってある。「ひょえ~」と驚いたのはそんな厚いメタルが切れるということよりも、「あのハンマーって鋳物じゃなくて切り出すの~!」と違う苦労に対してだったが。


★☆ フラワー(4日目) 

もう2時間があっという間で、今日も真っ黒になった手を洗い、次の花クラスへと移動。今日もこの教室は暑い。

前からいる人たちは皆顔がほってていた。この熱気とお疲れが重なり作るペースはちょっとダウン気味。先生の説明のあと席に戻って始めるが、途中のプロセスがごっちゃになり、プロットタイプを何度も見に行く。それはだれも同じで、あちこちからあくびがもれる。

今日の井戸端会議の話題はあるカップルのことで噂になっていた。聞いているとそれは私が最初の夜にとったセミナーの先生とその助手のことだった。あの父と娘と思っていたカップルのことだ。皆も気になっていたのか~。でも目立つもんね。このスクールの中じゃ。皆は「だれだれ? どんな子?」などと活発な質問が交わされ、盛り上がっていた。(私は聞くだけ)。どうやらその女の子は最年少のメンバーかアーティザンらしい。

うふふ、どこでも関心事は同じなのね~。


今日は夜は何にもイベントはなし。これは意図的なもので、今日はのんびり、談笑するなり、宿題するなり、洗濯するなりして下さいとの事務局の配慮から。ダイニングルームもめっきり数が少ない。車がある人などは遠くへ食事に行ったり、旧交を温めているのだろう。

ディナーのときに編物のスー先生を見つけたのでこの間の顛末を詫びに。

「あの~先生、この間のワークショップのことで・・・」と言いかけると、スー先生はニコニコしながら「もう聞きましたわよ」とのこと (え~っ・・だれに?・・っていてもスーザンにしかいってないし。・・ということは・・もうっ、スーザンのおしゃべりっ。) と先生パンチじゃない、先制パンチをくらって赤面。

スー先生も「これからはマフラーって言ったほうがいいわね。ホホホ」と上品な笑顔で対応して下さった。

隣には70歳ぐらいのご主人が一緒でこちらも上品さがにじみでている。顔は上原謙(加山雄三の父)を外人にした感じ。ともにコロラドのボルダ-にお住まいとのこと。

「そこは日本の陸上の選手が合宿しているので有名なんですよ」といったがそのことはご存知なかったみたい。

スー先生はもう70歳ぐらいで一番の年長先生なので、外で会っても思わずお辞儀をしてしまう。(日本の教育制度がしみついている私)

言葉がわからなくても人品骨柄はわかってしまうもの。こういう上品なババさまに私もなりたい。

ご主人さまから「カルチャーギャップのお勉強になったと思えば」とやさしいねぎらいの言葉をいただいた。


ディナーが終わってからスエーデンのマリーとダウンタウンに散歩に行く。といっても坂を下って海岸に行くだけだが。

マリーは60歳近い背の高いスラッとした北欧人で、図書館の司書をしていたという。雑誌でギルドスクールを知り、貯金をして退職したら来ようと計画していたようだ。そして今年ついに実現。

海岸の景色はバンクーバーの入り江と似ている風景だった。マリーにスウェーデンのフィヨルドのほうがダイナミックでしょうと聞いていると、近くで、「スゴーく感動する、素晴らしい景色だわ」」とウルウルしている生徒がいたのでびっくり。きっと彼女は内陸のカントリーの人だろう。

4件しかない店のひとつがお土産屋さんなので、見に行くと他の生徒も来ていて、皆名札をつけたままだった。

ハワイのクラブメンバーのお土産を買って、メインストリートと呼ばれる違う坂をのぼりキャンパスに帰ることにした。

ここには不動産屋とギャラリー、アンティークショップと郵便局があるだけ。時間は7時すぎで、まだ明るいがすでにどこも閉まっている。その先にINNとよばれる小さなホテルがあるが、(ここに泊まっている生徒もいる)、テラスで地元のじいさんたち4人組がカルテットでジャズみたいものを演奏していた。聞いてる人は10くらいだったが何かとても楽しそうだった。皆60歳以上の爺さんたちだったのが嬉しい。平和な町だなと思った


そこを過ぎると、すでにキャンパスの敷地に入っていたが、「Eばあさん」とすれ違った。

この人、メタルクラスで一緒なのだが、とてもメタルをしそうに見えない。せいぜいビンゴに出かけるシニアといったところ。60歳は越えている神経質そうな細身のおばあさんでちょっとこわそうで、近づきがたかった。

ダンナと息子と3人だった。家族で来てるのかと思いながら、振り返ると、3人で大きな木の周りで両手をひろげて幹の太さを確認しあっていた。何か幸せそうな3人家族で、「けっこうオチャメなおばあちゃんじゃん!」と意外な一面を見つけてほほえましかった。

キャンパスの丘のてっぺんまで上るとグラウンドがあり、地元の人が野球大会をしていた。50人くらいの家族がいて初めて見る地元の人たちだった。結構人が住んでいるんだとびっくりした。


部屋に帰ると、スーザンが戻っていて、カードを作るので紙を持ってないかと聞かれた。折り紙ならあるけどと言って、ちょっとした包み方を見せると、喜んでそれを13枚作ると言い出した。

これは中にちょっとしたコインやメッセージなどを入れて折りたたむようになっている簡単なしろもので、日本ではあまりポピュラーではないので、名前などない。でも4回くらい折るだけでトリックのように開け閉めができるので、スーザンは喜んで、部屋に来る人ごとに見せていた。

そのうちマリーもきて、昨日のワインをすすめると結構飲んでいた。ちょうどダンナがシカゴへ出張だとかで、帰りはシカゴで娘とも落ち合うらしい。シカゴ美術館のソーンコレクションは絶対見逃すべからずと私からも皆からも言われて、見に行くのを楽しみにしている。折り紙で鶴を教えてあげたら夢中になっていた。

トニーもきたので折り紙を薦めたが、私と同じくらいめんどくさがりやしい。トニーの同室は南アのジルで得意のペインティングの年代物の家具をいくつか見せてくれた。帰りにニューヨークの親戚の家に寄って、そのあとロンドンに行ってミニチュアショップに卸すという。彼女も60歳は超えていてリタイア組で今はミニチュア職人である。スーザンがブラシのことを聞き出そうとするがペイントは友人の担当だとかで濁していた。

うちの隣のジョリー(だったかな)もジョインした。彼女は相部屋を嫌って割増料金を払って1人で使っていたらしい。

そういえば、ここの部屋だとシャワーとか共同だけど、相方を見ないなとは思っていた。彼女は40歳代で1児の母。でも買ったばかりの子犬が気になるとか。自動車で帰れる距離なのでうらやましい。とっているクラスは刺繍で、持ってきて見せてくれた。 何でもこのクラスは刺繍のデザインは自分で考えるらしい。仕上がりが楽しみ。(でも結局彼女はこのあと仕上がらなかったが・・・)


そんなこんなで夜は過ぎていった。

寝る前にスーザンになにげなく聞いてみた。「最初の夜ってどこに泊まったの?」

「キャンピングカーよ」(えっ~車できたの?・・だってトロントだよね) 

「ダンナが運転してきてくれたのよ。あさってまた来るから紹介するわ。」

といって馴初めなんかを話してくれた。「30歳を過ぎてもうこのまま独身かしらと思ったときにジミーが現れたのよ。彼は離婚してトロントに移ってきて大学の職員会で初めて会ったの。今は法律家で弁護士ではないけど・・・。先妻の娘はまだ19なのに最近妊娠しちゃって。どうするか知らないけどね。・・・」などと消灯後の暗闇で私たちはお互いの半生を語りあった。



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