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人生で最高の7日間と最悪な8年間  作者: 夢丸力丸


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13/13

13 帰郷とその後世界を揺るがす事件


今日は6:30に朝食を食べなくては間に合わないのに、ダイニングのシャッターがなかなか開かない。すでに列が膨らんでいる。責任者もいなくて中に向かって呼ぶがだれも出て来ない。7:30には出発なのにもう7時10分前。なんでも今日は土曜なのでオープンは7時からとのこと。事務方の連絡ミスらしい。とにかくあけてもらい朝食をすませる。

最後のテーブルはスーザンと三倍速マ-ジとそのコンビ。一番一緒に食べたかった人なので嬉しい。スーザンにマージとスーを紹介して、いかにマージが三倍速かを説明した。昨日渡せなかったギフトを渡すことができてよかった。

7時15分。皆にお別れをして、ダイニングを出ようとしたら、迷惑ルーと目があったのでさよならを。聞けば同じ7:30のシャトルとのこと。「そんなにゆっくり食べて間に合うの?」と思っていたら案の定間に合わなかった。

シャトルに乗るのはちょっと違うグループの婦人会。まるで鎌倉夫人がフレンチレストランへランチでもといった上品な雰囲気の方々。あまり見かけなかったのは、違うビルでの36時間のドールのクラスだったからか。

時間になっても1人来ないとバイト君が落ち着かない。やっぱり迷惑ルーだ。結局10分も遅れて悠然とコーヒー片手に乗り込んで来たルーを乗せて出発。空港に着いたらルーは自分の荷物を持ってさっさと中に入り(荷物は一番最後に乗せたので一番先に下ろされた)、チェックインカウンターへ行ってしまった。まったく周りの状況が読めん女だ。結局最後まで回りの人間が振り回される。鎌倉夫人達はバイト君が最後の荷物を降ろすまで待って、さりげなくバイト君にチップを渡していた。さすが。

さあこれでいよいよ帰郷だ。チェックインをすませて、待合ゲートで待っていると、あの母娘コンビとスー先生ご夫妻が後からやってきた。スーご夫妻はこれからイギリス旅行へ出かけるそうで、一年の半分は旅行をしているとのこと。このあいだはインターネットで見つけた”プラハ5日間700ドル”なんて格安ツアーがあったと話をしている。

私はスーが編物を始めたので隣にいって見ていた。毎段違う編み方なのでA4のメモを見ながらひと目ひと目編んでいる。所々に穴が開く模様なので結構複雑。「飛行機の中は暗いでしょ」と聞くと「手元のライトだけでも大丈夫なのよ。でもね、他の人が見たらただ編み棒を動かしているだけに見えるので(完成品は手のヒラに隠れるくらい小さいものなので見えない)頭がおかしいんじゃないと見られることもあったのよ。ホホホ」とまた上品に笑った。う~むスーパーシニアと呼ぶにふさわしいカップルだ。

スー先生とはこうして最後までご縁があった。いつまでもお元気で


最後のパニック


さていよいよ搭乗。さらばキャスティーンの瞬間だ。カートバックを持って・・・・あれ?ない。私のカート えっ、どうしてないの?盗まれた?うそ?どうしよう・・・。ちょっと待って。落ち着け落ち着け。ええっと。ここに最初にすわったでしょ。でここに。トイレか・・・・(.というよりあんな狭いトイレに持ち込めない)えっ。どこ~。私のバック。もう皆飛行機に乗っている。パニック。

記憶をプレイバック。私は搭乗ゲートに入るとき、このセキュリティーゲートにカートバックを通したか?ノーだ。ショルダーバックは確かに通した。ということは・・・・ああっ。いけな~い。あのときフッと気が抜けた瞬間預けちゃったよ。そういえば・・・やや~ん。どうしよう。なんてこった。

もう最後の人がタラップを上っている。

ダメ元で聞いてみるが、すでに積み込み済みでどうすることもできない。そう、係員の後ろの飛行機には最後のトランクが積み込まれているところ。しょうがないので最後の搭乗者としてタラップを上がった。40人乗りの小さなジェットはパニックの日本人を乗せてバンゴーエアポートを離陸しニューヨークへ向かった。


心配なのはチェックインの時に係員の言った言葉、「この荷物はロサンゼルスまで行きますからそこで引き取ってチェックインして下さいね」

私はNYでアメリカンからユナイテッドに乗り換えるのだ。そこでなくなる危険性50%。そしてロサンゼルスで乗り換えてホノルル行きに乗るのだ。ここで出てこない確率50%。洋服のボックスはともかくツール一式がなくなると非常に困る。人から借りてるものもあるし、はさみやピンセットなどもう買えないものもあるのだ。ああああ・・・・

それにしてもこんな田舎の40人乗りのジェット機に私以外にも日本人の家族が乗っていたのにはびっくりした。

ニューヨーク空港に着くと、バスに乗ってターミナルまで行くのだけど、ジェット機から下ろされる荷物をじっとバスから見ていたが、やがて視界から消えた。ここでまたひと騒動。ユナイテッドはターミナルの端。もう30分しか乗り換えがないと焦る母子コンビと一緒に私も急ぐ。チェックインを済ますと急いでゲートへ。窓に張り付いて荷物の積み込みを見守る。私でさえ今着いたのだから、荷物はまだのはずだ。なくなりませんよ~に。ここは宗教を超えすべての神に祈りを捧げる。

まもなく、搭乗が始まった。拾う神がいてくれたのか、私は通路とリクエストしたにもかかわらず、席は窓際で何と積み下ろし作業のすぐ上だった。(ドラマみたいな話)、しかも座ってまもなく私のカートバックが運ばれてきた。(あ~それ、それ私のバックなのよ~。丁寧にあつかってね~。ちゃんと積んでよ~と心で叫んだ)見分けやすいように黒いバックにわざと色を塗っていたのが功を奏した。しかし、もうひとつのボックスは積まれなかった。とにかくツールと私が同じ飛行機なのがわかり、ホッと一安心。ロサンゼルスまでの大陸横断は昼間なので食事もでた。帰りは食べはぐれはなさそうだ。

信じられないことだがこの飛行機のパイロットはロスではなく、ラスベガスに着陸しようとしていたのだった。グランドキャニオン上空で「あと15分でベガスの空港だからね」などと放送があって変だなと思ったのだけど経由なのかなとも思って聞き流していた。またべガスの天気がどーとか、気温が何とか言ってたんだけど約束の15分を過ぎても黙ったままで、しばらくしたら詫びもないまま「あと25分でロサンゼルスです」なんてバッくれてアナウンスしていた。(つうことは飛行ルートも違ってたのね)


さて、ロスの空港では予想通リボックスはやっぱり出てこなかった。係りの人に調べてもらったらまだNYにあるらしい。次の便で来るとか平気な顔で言うので、もう時間もないのでホノルルに送ってもらうことにした。ロスまでくれば、ホノルルまではもうすぐ。乗客もハワイに帰る日系人とか多くて心強い。セキュリティーゲートでカートバックを通すとやる気のない係員が見過ごしたようだ。何にも言われずゲートへ向かう。やや拍子抜け。だってハサミとかトーチとか金属のツールがたくさん見えたはずなのに、これじゃテロリストも楽チンではないの。とにかくここまでくればもう安心。今夜は納豆にリムポケ(マグロ)だ!。 


思い出いろいろ そこで一句

超ミクロ 匠の技を のぞき見て マクロに広がる 交流ネット

というわけで無事帰宅。に



・・・・・・・・・・・・・・・・・ところがこの2か月後大変なことが起こった

この朝、珍しくダンナが私を揺り起こした。こんなことは滅多にないことで普通は大声で「おきろ~」というのに。

「どうしたの?」と眠気眼で聞くと 「なんだかわからないけど大変なことが起こってるみたい」と訳の分からないことを言う。

テレビを見ると、ちょうど飛行機がビルに突っ込むところで、すでに別の煙も上っている、「何これ?」映画のシーンのようで実感がないのは、テレビが無音だったこともある。

余りのパニックに誰一人として実況ができないのだ。まあモーニングショーに出ているタレントにその能力はないし、日本のように臨時ニュースとしてアナウンサーが出てくることはない。

急いでCNNに切り替えると、どうやら飛行機が乗っ取られテロが起こったようだ。驚いたことにもう犯人もわかっていた。

非常事態宣言でアメリカ国内のすべての飛行が止められた。

段々事情が呑み込めたところで、私は衝撃の事実を確認した。

ハイジャックされたうちの一機は私が2か月前に搭乗した同じフライトだったのだ。

まさか、もしかしたら私が死んでいたのかも・・・・

少し冷静になって思い返してみた、あの朝のニューヨークの空港を、確かにテロリストは選んであのフライトを狙っていたことを。

まず大陸を横断するので燃料はたっぷり積んでいる。搭乗口は一番遠く、朝早いので店などは開いておらず薄暗い、セキュリティーもあくびまじりでチェックが甘かった。


こうして私の2000年は幕をあけた・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・叔母の日記はここで終わっていた。

叔母の日記を一気に読んだあとふ~とため息をついた。もうすっかりあたりは暗くなっていた。

何て素晴らしい思い出なんだろう。叔母にこんな素敵な7日間があったなんて

他人の人生を垣間見ただけなのに、この感動はなんだろう。一緒にギルドスクールに行ったかのような充実感が心の中に湧いてきた

私にとっては叔母は、帰国したておばあちゃんとして見ていたので、この頃の叔母は私の今くらいの年齢なんだろうと思う。それにしてもキラキラした思い出のかけらがあちこちにあった。

なんだか、すごくいい映画を見たような、心が満たされる感動の余韻に浸っていた。


そうね、一見おじいさんやおばあさんに見える人にも若い時代はあったんだ。

禿げたおじいさんはもしかしたらリーゼントの暴走族だったかもしれないし、

痩せたおばあさんも昔はグラマーだったかもしれない、

介護施設で毎日接する老人たちもタイムスリップしたら、ここは高校の教室なのかもしれない。

そう思えば、明日からは接し方も変わるだろう、もっと若い頃の話をきいてみようか

それらを集めて文集もできるかもしれない。

叔母が言っていた「創造力」を私も使って何かかんがえよう。

残り少ない老人たちのキラキラ光る思い出を集めて何かのかたちで飾るのはどうだろうと考えた  

創造力を働かせて、おじいさん、おばあさんの青春時代をイメージしたらもっと介護する方もされる方も楽しくなるかもしれない・・・・


それにしても叔母はなぜ帰国してからその才能を生かさず家にいたのだろうか?

こんなすごいキャリアがあるなら講師やワークショップも開けだろうに・・・

それに封筒の上書きにある、人生最悪の8年間とはなんだろう?(封筒には他に原稿は入ってなかった)

どこかにあるのだろう。これから見つかるかもしれない・

そんなことを考えながら、叔母の日記を抱きしめ、空を見上げた

今日は月がきれい・・・叔母の微笑んだ顔が浮かんだ 


前編了




私も70になってもう、この話は解禁してもいいかなと思いここに残すことにしました

人生は一度きり、 あなたも何かを感じてくれたら幸いです

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