ご腫神さま、おかえりなさいませ(あちらの世界へ)
美津酉町の裏通り──町の名の由来でもある三つの朱塗りの鳥居を抜けた先、美津酉神社へと続く参道の中ほどに、控え目な店構えの一軒の甘味処がひっそりとある。
営業中であることを示す暖簾には、ふんわりとした丸文字で屋号が書かれている。
《和めいど喫茶 すいーと♡くりむぞん》
その店に初めて足を踏み入れた者は、表の地味なたたずまいとは真逆な、尋常ならざる「カワイイ」の洪水にたじろぐことだろう。まず、視界に飛び込んでくるのは、深紅と薄桃の市松模様や、抹茶と紫の千鳥模様の壁紙。そこに、白のレースがふんだんに重ねられている。天井から吊るされたちょうちん型の柔らかい照明にまで、リボンとフリルが惜しげもなく巻かれている。
店員は、椿、桜、菖蒲、萩と四季折々の草花の意匠の和装に、レースとフリルをふんだんにあしらった前掛けをしている。ここは、和装のメイドたちがお客様をおもてなしする和メイド喫茶なのだ。
表向きは。
「そっちに行った! 椿ちゃん、そっち! そっち!」
「……!!!!!!」
深紅の地に椿の模様の着物を着た少女がその声に竦み上がる。艶やかな黒髪ロングに白椿の髪飾り。その少女が迫る敵に怯え、声も出せずに泣いている。泣きながら、左手の五鈷杵に右手の五鈷杵を交差させ声にならない念を込める。
「(ぐす……椿花烈弾……)」
五鈷杵から、炎の弾丸が立て続けに打ち出される。しかし、べそをかいていて狙いが定まらず、四方に乱れ飛ぶ。
「うっわ、椿ちゃん、危ないって。ストップ、ストップ! こ、こここは、私に任せて!」
慌てながらそう言ったのは、萩。抹茶色の地に、萩模様の着物の少女。手に持っているのは、香炉。本来ならば、これで香を焚きつつ、念を込めることで、範囲攻撃や状態異常の付与、あるいは全体回復等を行う霊具だ。しかし、テンパる彼女は、香炉をぶんぶんと振り回してターゲットへの物理攻撃を試みている。
「こここ恐くない。恐くない。いぃぃま、綺麗に浄化してあげますからね」
「萩ちゃん、その言い方が恐いんだって。あと、香炉で物理攻撃すんのやめよ? お店の壁が……壁が……」
店のインテリアや壁への被害を警戒して、か細い声でそう言う椿だが、彼女の放った炎の弾丸の方が、何倍もの破壊力だった。
「椿ちゃん、そんな事いったって、こいつ、すばしっこくって……。えい!」
萩が香炉を振り下ろす度に、机や椅子、花瓶やグラスが弾け飛んだ。
そう。いま、彼女たちが店内で武器を振り回している相手は、飲食店にとって最大の「敵」の一つであり、どんなに駆除しようとも現れる、厄介な事この上ない疫病神。《G》だった。開店直後で客が居ないのは幸いだが、店内は彼女たちの阿鼻叫喚と武器が乱れ飛ぶ、戦場と化していた。
「ぎゃーーーーーっ! と、飛んだ―っ!」
「いやぁぁぁぁ、なんで、飛ぶのーっ!」
悲鳴をあげる薄桃色の地に桜模様の着物の少女。彼女の頭にカサと着地する《G》。
「そりゃ、《G》だもん。飛ぶでしょ。あ、櫻ちゃんが泡吹いた……」
「菖蒲さん、そっち!」
「いやぁっ! なんで? なんで、お札が効かへんのーーーーっ!」
紫の地に菖蒲模様の着物を着た少女が、和傘で身を守りながら、お札を振り回すが、《G》相手にそんなものが効くはずもない。
「よくも……やってくれたわね! 私がきっちり成敗してあげる! 桜嵐掃舞!」
一瞬の気絶から立ち直った櫻が、右手の桜の花弁型の鉄扇を投げ放つ。和紙のちょうちんの照明をずぶずぶと切り裂きながら、大きな弧を描いて飛んだ鉄扇が見事に《G》を仕留め、壁にずさりと突き刺さる。その凄まじい衝撃で、《G》の頭部が跳ね飛び、壁際で泣き震える椿の前にぽとりと落ちた。
「ひっ! (ぎゃぁーーーー!)」
あまりの衝撃に声にならない叫びをあげる。
その時、ドアに着けたベルがカランカランと音を立てた。その音を聴きながら、我に返った少女たちが、慌てて、店内を取り繕う。倒れたテーブルや椅子、花瓶を元に戻し、壊れたグラスやちょうちんを片付ける。《G》が作った壁の染みを拭き、壁の焦げ痕や空いた穴には来月のイベント告知のポスターを貼って誤魔化す。
「「お帰りなさいませ! ごシュジンさま」」
椿、櫻、菖蒲、萩の四人の少女が一斉に扉に向かってお辞儀をする。
この店には、二つの入り口がある。一つは一般客用。そしてもう一つは「ご腫神さま」用だ。今宵もまた、どこかの社に封じられし神気が漏れ出て暴れだし、あやかしと化して人里に害をなさんとしている。その気配を察し、彼女たちを頼る者は、この二つ目の扉をくぐってやってくる。今鳴っているのも二つ目のドアのベルだ。
「あのぉ……こちらで相談したら良いって、美津酉神社の神主さんに聞いてきたんですが……」
なんだか場違いな店に入ってしまったのでは、と戸惑う客人に、四人の中では一番幼い見た目で背の低い櫻が満面の営業スマイルでぐいと詰め寄る。
「はい! どうぞこちらにお座りください。お食事はいかがですか? 裏面にはドリンクメニューもございます。えぇ、禊のご依頼ですよね。こちらのオプションメニューの……はい、ここ! この欄にございますよ。あと、よろしければ、チェキ撮影も一緒にいかがですか?」
椿が厨房へと向かう間に、菖蒲と萩がテーブルをセッティングする。
♡
「椿ちゃん、クローズ終わりましたー!」
櫻が元気よく椿に報告する。
「レジは?」
そう尋ねる椿に、菖蒲が答えた。
「一円の狂いもなし!」
「オッケー。では、参りましょうか。本日の依頼は、甲節神社裏の洞窟に棲むあやかしをあちらの世界に送り返すこと。洞窟は、あやかしの放つ神通力でダンジョン化しているそうよ。えっと、そjね。運転は萩ちゃん、お願い。あとの皆は、着くまでの道中、休んで疲れを癒してね」
「はい!」
和めいど喫茶の営業時間は、午後6時から午後9時まで。その間に、普通のメイド喫茶としてのお仕事と共に、裏のお仕事の依頼も受ける。そして、閉店後に、彼女たちのもう一つのお仕事が始まるのだ。
フォルクスワーゲンのトランスポーター(タイプ2)に同乗した四人を乗せ、今夜の決戦の地、甲節神社へと向かうのだった。
♡
「よし。ここをキャンプ地とする!」
「櫻ちゃん、そういうの良いから」
四人の中では一番背が低く、見た目も幼い櫻だが、実は四人の中では一番の年長で、時折こうした誰も元ネタのわからないギャグを言ったり、おやじギャグを放つ癖がある。
「萩ちゃん、運転お疲れ様。三人で先行するから、しばらく車で休んでて。三十分して戻らないようなら、様子を見に来てくれるかな?」
菖蒲の指示に頷く萩。
「えーん。私がリーダーなのにぃ。菖蒲ちゃんが仕切るのずるい~。カッコいいのもずるい~」
そう、べそをかくのは、店長であり、四人のリーダーでもある椿だった。
どんな新手の敵がこようとも。いつものあやかし退治と変わらない。それぞれが自分の役割を理解し、力を尽くすのみ。
両手の五鈷杵をぐっと握り直す椿。寒気に負けず、凛と咲く椿の花のように、寡黙に敵に迫るパワータイプ。五鈷杵から、彼女のトレードマークである深紅を体現したような、炎の弾丸を打ち出したり、五鈷杵の先端に込めた炎のエネルギーを五鈷杵ごと叩き込んだりするのが得意な戦法だ。
桜色ふんわりミディアムヘアに赤茶色の大きな瞳。お子様体型で童顔なのは櫻。武器は右手の鉄扇と左手のチャクラム。どちらも桜の花弁を模したデザインで、可愛らしい見た目とは裏腹に、鋭利に獲物を切り裂く近接武器だ。
紫のストレートロングに切れ長の目。細身長身な菖蒲。仕込み和傘は攻防一体の武器であり、閉じて銃となり、開いて盾となる。同時に呪符の使い手でもあり、敵の動きを封じたり、浄化したりする。必殺技は、呪符を弾頭に仕込んだ弾丸を打ち出す菖雷封陣。
櫻が前衛で敵に突っ込み、椿がそれを中距離から援護する。菖蒲がさらに遠距離からの援護し、仕上げの浄化を行う。それが基本的な戦闘パターンだ。
萩は香炉型の霊具を用いて、そんな三人を支援する。炊く香の種類を変えることで、範囲攻撃や、状態異常効果付与、あるいは味方の回復にと様々な支援を行うことができる。得意技は、周囲の敵に幻覚を見せて混乱を誘う、萩香幻霧。
そんな風に連携を取ることで、これまで何度も難敵を倒してきた。今夜もいつも通りの段取りで「ご腫神さま」に「(あちらの世界へ)お帰りいただく」つもりの四人だったが、今回に限り、いつもとは勝手が違うのだった。
「いやぁぁぁぁぁっ! あんなの聞いてなぁぁぁぁいっ!」
早々に、キャンプ地に引き返す三人。座席をリクライニングさせて休憩に入ったばかりの萩を叩き起こす。
「萩ちゃん、除虫菊炊いてぇ~!」
「虫だらけなの! 虫のモンスターのダンジョンだなんて、聞いてない!」
「ちょっと。私の香炉を豚の香取線香と一緒にしないで!」
何しろ、《G》一匹であの騒ぎだったのだ。今夜は長い夜になりそうだ。
(おしまい)