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第2話:謎の老人と秘密の部屋


「こ、ここですか…?」

老人に促されるまま辿り着いたのは、古い木造の平屋だった。表札には掠れた文字で「風林寺」とある。お世辞にも立派とは言えない、むしろ、近所の野良猫の集会所になっていそうな佇まいだ。雨樋は錆びつき、庭先の植木も伸び放題。ここがあの妙に眼光鋭い老人の住処とは、にわかには信じがたい。

「うむ。さ、中へ。濡れたままだと風邪をひく」

源一郎さんと名乗った老人は、慣れた手つきでガラガラと音のする引き戸を開けた。翔太は恐る恐る、といった感じで老人に続いて家の中へ足を踏み入れる。薄暗い土間には古びた下駄箱が一つ。生活感はあるものの、どこかひっそりとした空気が漂っている。

「奥の部屋へどうぞ。タオルをお貸ししよう」

源一郎さんに案内され、軋む廊下を進む。そして、一番奥の襖が開かれた瞬間、翔太は自分の目を疑った。

「なっ……!?」

そこは、まるでSF映画の宇宙船のコックピットか、あるいは秘密組織の指令室だった。いや、どちらも実際に見たことはないが、少なくとも日本の古い平屋の一室であるはずがない光景が、目の前に広がっていたのだ。

壁一面を埋め尽くすように設置された、大小様々な液晶モニター。その画面には、見たこともないグラフや数字の羅列が、目まぐるしく点滅し、うごめいている。カチカチ、ピコピコと、何かの電子音が絶え間なく響き、部屋の中央には飛行機の操縦席のような重厚な椅子が鎮座していた。椅子の前には、さらに複数のキーボードや特殊な形をしたマウスのようなものが並んでいる。

「え…あ…あの…ここ、は…?」

翔太は、口をあんぐりと開けたまま、言葉を失った。さっきまでの雨に濡れた古民家の風情はどこへやら。この部屋だけが、異次元空間に繋がっているかのようだ。

「ん?ああ、仕事部屋だ。気にしないでくれ」

源一郎さんは、まるで近所の公園を散歩でもしているかのような気軽さでそう言うと、よろよろと部屋の隅にある小さな冷蔵庫へ向かい、ペットボトルのお茶を取り出した。足を引きずってはいるものの、この部屋にいる時の彼は、どこか水を得た魚のように生き生きとして見える。

「し、仕事部屋…?あの、風林寺さん、一体何を…?もしかして、気象予報士とか…?いや、それにしてはグラフが…なんか、こう、ギザギザしてるし…」

翔太は、モニターに映る赤い棒と青い棒が上下するグラフ(後でそれがローソク足チャートだと知るのだが)を指さしながら、的外れな推理を口にする。

源一郎さんは、お茶を一口飲むと、ふむ、と小さく頷いた。

「まあ、ある意味、天気を読むようなものかもしれんな。世界の金の流れ、という名の天気をな」

「は、はぁ…金の流れ…?」

翔太の頭の上には、巨大なクエスチョンマークが乱舞している。

「君は、FXというのを聞いたことがあるかね?」

源一郎さんは、お茶を飲み干すと、今度は先ほどの重厚な椅子にゆっくりと腰掛け、モニターの一つを指さした。そこには「USD/JPY」や「EUR/USD」といったアルファベットの羅列と、その横にめまぐるしく変わる数字が表示されている。

「えふえっくす…?あ!知ってます!あの、映画とかでよく見る、なんか特殊効果みたいなやつですよね!?爆発シーンとか、恐竜が歩いたりとか!」

得意げに答える翔太。それは「VFX」だ。

源一郎さんは、一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに破顔一笑した。

「はっはっは!それはそれで面白いが、残念ながら違う。わしがやっているのは、外国為替証拠金取引…まあ、簡単に言えば、異なる国の通貨を売買して、その差額で利益を出すことじゃ」

「つ、通貨を…売買…?」

翔太は、モニターに映る「USD/JPY 110.25-110.28」といった数字を食い入るように見つめた。それが何を意味するのか、さっぱりわからない。ただ、その数字が目まぐるしく変わり、源一郎さんがその変化を鋭い目で見つめていることだけは理解できた。

「例えば、このUSD/JPYというのは、アメリカのドルと日本の円の交換レートのことだ。1ドルが何円で買えるか、売れるか、というわけじゃな」

「へぇ…」

翔太は、自分が普段何気なく使っている「円」や、海外旅行の時に両替する「ドル」が、この部屋で、この瞬間も、誰かによって売り買いされているという事実に、軽い衝撃を受けた。

「この部屋は、いわばわしの戦場であり、仕事場であり、まあ、趣味の部屋でもある」

源一郎さんは、モニターに映る無数の線と数字の海を、どこか愛おしそうに眺めた。その横顔は、先ほどまでの好々爺然とした雰囲気とは異なり、長年戦場を生き抜いてきた歴戦の将軍のようにも見えた。

翔太は、差し出されたタオルで濡れた髪を拭きながら、まだ目の前の光景が信じられないといった表情で、部屋の中を見回していた。この古びた家の奥に、こんなハイテクな秘密基地があったなんて。そして、この好々爺然とした老人が、世界の金の流れを相手に戦う「トレーダー」だったなんて。

「さて、田中君だったかな。君は、この世界に少しは興味が湧いたかね?」

源一郎さんの澄んだ瞳が、まっすぐに翔太を射抜いた。その言葉は、まるで新しい冒険への招待状のように、翔太の心に静かに、しかし確かに響いたのだった。


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