第19話:驚愕!師匠のトレード再現
「FX Gladiators」本戦グループA、最終日。金曜日のニューヨーク市場がクローズするまで、残りあと数時間。俺、田中翔太こと「移動平均の翔」は、ランキングボードの中団で燻っていた昨日までとは、まるで別人のように集中していた。目の前のチャートから、余計なインジケーターは全て消し去った。表示されているのは、師匠・風林寺源一郎が長年頼りにしてきた数本の移動平均線と、生々しく躍動するローソク足のみ。
(師匠のトレードを、俺が再現する…!)
「サイレントG」――その伝説のトレーダーが、もし本当に師匠だとしたら。俺が今やろうとしていることは、その伝説の一端を、このバトルという舞台で蘇らせることになるのかもしれない。無謀な挑戦であることは分かっている。だが、不思議と恐怖はなかった。むしろ、武者震いにも似た高揚感が全身を包んでいた。
2013年初頭のアベノミクス相場は、まさに本格的な円安トレンドの真っ只中にあった。ドル円は、移動平均線のパーフェクトオーダーを形成しながら、力強く上昇を続けている。絶好の「買い場」が、何度も訪れていた。
俺は、源一郎さんに教わった通り、短期・中期・長期の移動平均線の並び、傾き、そしてローソク足が示すダウ理論の定義(高値・安値の切り上げ)を冷静に確認する。
「ここだ…!」
短期MAが中期MAをしっかりとサポートし、価格が直近の小さな高値をブレイクした瞬間、俺は迷いなくドル円の買いポジションを持った。損切りは直近安値の少し下。利食い目標は、過去のレジスタンスラインやフィボナッチエクスパンション(これは源一郎さんには内緒で、レオンのトレードからこっそり学んだものだ)を参考に設定する。
面白いように、トレードがハマった。エントリーすれば価格は素直に上昇し、目標ポイントで的確に利食い。小さな押し目ではMAがしっかりとサポートとなり、再び上昇。まるで、相場が俺のシナリオ通りに動いてくれているかのようだ。いや、違う。俺が、相場の大きな流れに、ようやく乗ることができたのだ。
獲得pipsは、みるみるうちに積み上がっていく。ランキングボードの俺の名前は、面白いように順位を上げていった。
『なんだ!?「移動平均の翔」、怒涛の追い上げ!』
『一体何があったんだよ!昨日までと全然動きが違うぞ!』
『これは…まさか…「サイレントG」の再来か…!?』
大会のチャットウィンドウは、俺のトレードに関するコメントで埋め尽くされ始めた。中には、古参トレーダーたちの興奮した書き込みも散見される。
トップを独走していた橘玲奈も、俺の猛追に気づいたのだろう。彼女のトレードリプレイを見ると、普段の冷静沈着なスタイルに、ほんの少しだけ焦りの色が見えるような気がした。経済指標発表以外の時間帯でも、細かくスキャルピングを仕掛け、pipsを稼ごうとしている。だが、大きなトレンドが発生している今の相場では、彼女の得意とする手法が完全にハマりきっていないようだった。
「翔太先輩!すごすぎます!一体どうしちゃったんですか!?」
星野ひかりちゃんからのプライベートチャットが、興奮した様子で何度も届く。
「うん、ちょっと…ゾーンに入ってる、みたいな?」
俺は、自分でも信じられないような集中力とパフォーマンスに、そうとしか答えようがなかった。
そして、運命の取引終了時刻が迫る。俺の順位は、ついに橘玲奈のすぐ背後、2位にまで浮上していた。その差は、わずか数十pips。一回のトレードでひっくり返る可能性もある。
(あと一回…あと一回だけ、大きな流れを掴めれば…!)
俺は、最後のチャンスに全てを賭けた。ドル円のチャートは、短期的な調整を終え、再び移動平均線が力強いパーフェクトオーダーを形成しようとしている。ここだ!
俺が渾身の買いエントリーをした直後、市場が閉まる数分前に、予想外のニュースが飛び込んできた。日本の大手輸出企業が、想定以上の業績上方修正を発表したのだ。これを好感し、ドル円は最後の最後に一段と力強く上昇した!
「やった…!」
俺は、目標としていた利食いポイントをさらに超え、まさに天井圏で利益を確定させた。
結果、俺は奇跡的に、ほんの数pips差で橘玲奈を逆転し、グループAの首位に躍り出たのだ!
「うそ…だろ…?」
自分でも信じられない結果に、俺はしばらく呆然としていた。チャットウィンドウは、祝福と驚嘆の嵐。「サイレントGの再来」という言葉が、何度も何度も繰り返されている。
「…まあ、及第点、といったところか」
いつの間にか俺の背後に立っていた源一郎さんが、ぶっきらぼうに、しかしどこか満足そうな声で言った。その目元が、心なしか潤んでいるように見えたのは、きっと俺の気のせいだろう。
「風林寺さん…俺…やりました…!」
「うむ。だが、これはまだ始まりに過ぎん。本当の戦いはこれからじゃ」
源一郎さんはそう言うと、例の「サイレントG」の噂については、やはり何も語ろうとはしなかった。
グループA首位通過。それは、数日前には想像もできなかった結果だった。師匠の教えを信じ、移動平均線というシンプルな武器を磨き上げた末に掴んだ、大きな大きな一勝。
俺は、確かな自信と、そして師匠・風林寺源一郎への計り知れないほどの感謝と尊敬の念を胸に、次なるステージへと駒を進めることになった。橘玲奈とのライバル関係も、ここからが本番だ。
そして、俺の頭の中では、「サイレントG」という謎のキーワードが、ますます大きく、そして魅力的に響き始めていた。