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第17話:対決!スキャルピングの女王・橘玲奈


「FX Gladiators Vol.7、予選ラウンド終了!これより、本戦トーナメントを開始します!」

大会公式サイトに、そんな刺激的なバナーが躍ったのは、バトル開始から2週間が経過した月曜日の朝だった。俺、田中翔太こと「移動平均の翔」は、正直、奇跡としか言いようのない形で予選を通過していた。獲得pips数こそ平凡だったが、源一郎さんの教え通り「生き残ること」を最優先し、大きなドローダウン(損失)を出さなかったことが、どうやら独自ポイントシステムで評価されたらしい。

「まさか…俺が本戦に…」

信じられない気持ちでトーナメント表を確認すると、そこには見知った名前がズラリと並んでいた。フィボナッチ・レオン、閃光のひかり…そして、俺のブロックのシード選手として君臨していたのが、あの『橘 玲奈』だった。

(やっぱり来たか…!しかも、いきなり同じ山とは…!)

いつか戦うことになるとは思っていたが、こんなに早くその機会が訪れるとは。俺の心臓は、期待と恐怖で早鐘を打ち始めた。

本戦トーナメントは、1対1のマッチアップ形式ではなく、数人ずつのグループに分かれ、1週間の総獲得pips数で上位1名が次のステージへ進めるという、サバイバルレースだった。そして俺は、運命のいたずらか、橘玲奈と同じグループAに組み込まれていたのだ。

グループAの戦いが始まると、橘玲奈の実力は、まさに圧巻の一言だった。

彼女の主戦場は、俺が最も苦手とする経済指標発表のタイミング。特に、アメリカの雇用統計や消費者物価指数、FOMC(連邦公開市場委員会)といった超重要指標の発表時には、まるで水を得た魚のように生き生きとトレードを展開するのだ。

ある金曜日の夜、アメリカの雇用統計発表。俺は源一郎さんの忠告通り、ポジションを持たずに固唾を飲んでチャートを見守っていた。発表時刻の午後10時半(日本時間)。その瞬間、ドル円のレートは、まるで狂ったように上下に数十pips単位で跳ね回った。スプレッド(売値と買値の差)は普段の数倍に広がり、とてもじゃないが俺のような初心者が手を出せる状況ではない。

だが、橘玲奈は違った。

大会の共有プラットフォームには、トップトレーダーたちのリアルタイムトレード(数分のディレイあり)が公開されることがある。そして、その夜の玲奈のトレードは、まさに神業だった。

発表直前、彼女は驚くほど小さな値幅で、ドル円の売りと買いの両建てに近いポジションを複数構築していた。そして、指標の結果が出た瞬間、有利な方向のポジションの利益を瞬時に伸ばし、不利なポジションは微損でカット。さらに、初動の混乱が収まった後の、ほんの数秒から数十秒の小さな反発や押し目を、まるで精密機械のように捉えてスキャルピングを仕掛け、細かく利益を積み重ねていく。

「な…なんだ、今の動き…!?」

俺は、彼女の目にも止まらぬような高速の判断と実行力に、ただただ唖然とするしかなかった。チャートには、彼女がエントリーとエグジットを繰り返した無数の小さな矢印が、まるで芸術作品のように刻まれていく。

「これが…ファンダメンタルズを読み解き、ボラティリティを制する者の戦い方…!」

玲奈のトレード画面には、複数のニュースフィード、経済指標カレンダー、そして恐らくは彼女自身が作成したであろう複雑な分析ツールが表示されている。彼女はそれら全ての情報を瞬時に処理し、最適解を導き出しているのだ。

俺が移動平均線の傾きやローソク足の形に一喜一憂している間に、彼女は世界の経済そのものを相手に戦っている。そのスケールの違いに、俺は打ちのめされそうになった。

「田中先輩!玲奈さん、ヤバすぎです!もう人間じゃないですよ、あれ!」

プライベートチャットで、星野ひかりちゃんが興奮気味にメッセージを送ってきた。彼女も別のグループで奮闘しているが、玲奈のトレードには舌を巻いているようだった。

「ああ…本当に、すごいな…」

俺は、素直にそう認めるしかなかった。

俺も何度か、経済指標発表時にトレードを試みた。アベノミクス相場が本格化し始め、日本の経済指標にも市場が敏感に反応するようになっていたからだ。だが、結果は惨憺たるものだった。発表の数字に右往左往し、飛び乗れば高値掴み、飛び乗れなければ機会損失。スプレッドの拡大にビビッて注文が出せず、やっと出した注文はスリッページ(不利な価格で約定すること)で即損失。

「くそっ…!どうすればいいんだ…!」

バトルのチャット欄では、玲奈が時折、市場分析に関する鋭いコメントを投稿していた。

『今夜のECB総裁会見、予想以上にハト派的ならユーロは一段安か。ただし、週末を控えたポジション調整の動きには注意が必要』

その内容は高度で、俺には半分も理解できない。だが、そのコメントが、俺のような参加者にとっては、計り知れないプレッシャーとなっていた。

「風林寺さん…俺、橘さんには全く歯が立ちません…」

その週の金曜日の夜、俺はすっかり意気消沈して源一郎さんに弱音を吐いた。ランキングでは、玲奈がぶっちぎりのトップ。俺は下から数えた方が早いくらいの位置に沈んでいた。

「ふむ。スキャルピングの女王、か。確かに一筋縄ではいかん相手じゃろうな」

源一郎さんは、玲奈のトレードリプレイを眺めながら、静かに言った。

「だがな、田中君。他人の戦い方に惑わされるな。君には君の土俵がある。短期的な派手な勝ち負けに目を奪われず、君が信じる流れを待つこともまた、戦術じゃ。そして、学ぶべきところは謙虚に学ぶ。あの小娘の、情報を処理する速さと決断力は、確かに見習うべきものがあるじゃろう」

源一郎さんの言葉は、いつも俺に冷静さを取り戻させてくれる。橘玲奈という巨大すぎる壁。だが、この壁を乗り越えなければ、俺の成長はない。

俺は、改めて自分のチャートに向き直った。移動平均線が示す、アベノミクスによる大きな円安トレンド。その流れを、俺はまだ掴みきれていない。玲奈さんのような派手さはないかもしれない。だが、俺には俺の戦い方があるはずだ。

グループAの戦いは、残りあと数日。奇跡でも起きない限り、玲奈さんに勝つことは不可能だろう。それでも、俺は最後まで諦めない。この戦いから、何か一つでも掴み取ってやる。

俺は、マウスを握る手に、再び力を込めた。


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