第11話:噂のトレードバトル「FX Gladiators」
ボリンジャーバンドという新たな武器(という名の悩みの種)を手に入れてから数週間。俺、田中翔太のFXライフは、相変わらず試行錯誤の連続だった。移動平均線、MACD、RSI、そしてボリンジャーバンド。チャート画面はもはや、何かの秘密結社の紋章か、はたまた前衛芸術家の最新作か、というくらいに線とグラフで埋め尽くされている。
「うーむ、このボリンジャーバンドのスクイーズは、その後のエクスパンションに繋がるはず…でも、MACDはまだデッドクロスしたままだし、RSIも中途半端な位置にいるし…一体どうすりゃいいんだー!」
俺はモニターの前でうんうん唸りながら、なかなかエントリーに踏み切れずにいた。知識が増えれば増えるほど、逆に判断材料が多すぎて迷ってしまうという、典型的な「初心者あるある」の罠にどっぷりハマっていたのだ。デモトレードの成績も、鳴かず飛ばず。
(このまま源一郎さんの部屋でデモトレードを続けてて、本当に俺は変われるんだろうか…)
そんな漠然とした不安が、胸の奥にもやもやと広がり始めていたある日のことだった。
その日も、いつものように仕事帰りに源一郎さんの家に寄り、夕食をご馳走になった後(最近はすっかり餌付けされている)、自室に戻ってノートパソコンを開いた。FX関連のニュースサイトを巡回し、有名トレーダーのブログを読み漁るのが日課になっていた。
「ふむふむ、今日のドル円はアメリカの長期金利が上昇したから買われた、と…って、長期金利って何だよ!?」
相変わらずファンダメンタルズはチンプンカンプンだったが、それでもめげずに情報を追いかけていた。そんな時、とあるFXトレーダーの匿名掲示板で、俺の目を釘付けにするスレッドを見つけたのだ。
『【非公式】FX Gladiators Vol.7 開催決定!腕に覚えのある奴、カモン!』
「えふえっくす…ぐらでぃえーたーず…?」
グラディエーターといえば、古代ローマの剣闘士。なんだか物騒な名前だが、妙に心惹かれるものがある。スレッドを読み進めていくと、どうやらそれは、全国の個人トレーダーたちがオンラインで腕を競い合う、非公式ながらもかなり大規模なトレードバトルのようなものらしかった。
「参加資格:プロ・アマ問わず。必要なのは己のトレード技術と鋼のメンタルのみ」
「ルール:指定された期間内の収益率を競う。ただし、過度なハイレバレッジや一発屋的なトレードは評価されにくい独自ポイントシステムあり」
「優勝者には、栄誉と…あと、なんか凄いらしいトロフィーと、そこそこの賞金が出るらしいぞ!」
掲示板には、過去の大会の様子を伝える書き込みや、参加者たちの熱い(そして時々、非常に口の悪い)コメントが溢れていた。
「前回王者の『エンペラー』は今回も出るのか?」
「いや、それより注目は『スキャルピングの女王』の復活だろ!」
「また『フィボナッチの魔術師』の芸術的なトレードが見られるのか…胸熱」
(な、なんだこれは…!?こんな世界があったのか!)
俺は、まるで秘密の扉を見つけてしまったかのように興奮していた。源一郎さんとマンツーマンで学ぶ日々も充実しているが、どこかで「井の中の蛙」なのではないかという思いもあった。自分以外にも、こんなにも多くのトレーダーたちが、日夜FXという戦場でしのぎを削っている。そして、その実力を試す場所がある。
「すげえ…俺も出てみたい…かも…」
ぽつりと呟いた言葉は、自分でも驚くほど熱を帯びていた。今の俺の実力では、間違いなく瞬殺されるだろう。それは分かっている。でも、この胸の高鳴りはなんだ?
翌日、俺は興奮冷めやらぬまま、源一郎さんに「FX Gladiators」のことを話した。
「風林寺さん!知ってますか!?FXグラディエーターズって!なんか、すごいトレーダーたちが集まって戦うらしいんですよ!」
目を輝かせてまくし立てる俺に、源一郎さんはいつものように湯呑みのお茶を一口すすると、静かに言った。
「ああ、知っておるよ。昔から、ああいう類のものは時々現れては消えていくもんじゃ」
「え!やっぱり有名なんですね!俺、いつか出てみたいんです!」
俺の言葉に、源一郎さんはふっと息を吐き、その鋭い瞳で俺の顔をじっと見つめた。
「田中君、今の君の実力でそこへ行けば、どうなるか…わかるかね?」
「うっ…そ、それは…まあ、コテンパンにされるとは思いますけど…」
「コテンパンどころでは済まんかもしれんぞ。君のようなヒヨッコは、百戦錬磨の猛者たちにとっては、格好の餌食じゃ。自信も資金も、根こそぎ食い尽くされるのがオチじゃろうな」
源一郎さんの言葉は、冷水を浴びせるように俺の熱気を冷ました。確かに、今の俺はデモトレードですら安定して勝てていない。そんな状態で、全国の猛者たちと渡り合えるわけがない。
「まだ早い。君には、まだ身につけねばならんことが山ほどある」
師匠の言葉は厳しかったが、その奥には俺を案じる気持ちが透けて見えた。
「…はい」
素直に頷くしかなかった。だが、それで諦めきれるほど、俺の心は単純ではなかった。源一郎さんの言葉は、むしろ俺の心に新たな火を灯したのだ。
(いつか、必ず出てやる。そして、風林寺さんに認めてもらえるようなトレーダーになってやる!)
漠然とFXを学ぶのではなく、「FX Gladiatorsで通用するレベルになる」という、具体的で、そして途方もなく高い目標が、俺の目の前に現れた瞬間だった。
源一郎さんは、そんな俺の心の変化を見抜いたのか、小さくため息をついた後、少しだけ口元を緩めた。
「まあ、どうしてもというなら、いつか止めはせん。だがな、その前に…そうじゃな、もう少し『戦場で生き残るための知恵』というものを、叩き込んでおかねばならんな」
その言葉には、さらなる厳しい修行が待っていることを予感させたが、今の俺には、それがむしろ心地よい挑戦状のように聞こえた。
「はい!よろしくお願いします!」
俺は力強く頭を下げた。「FX Gladiators」という新たな星を見据え、日々のチャートとの格闘にも、一段と気合が入るのを感じていた。この先にどんな試練が待っていようとも、今の俺には、進むべき道がはっきりと見えている気がした。