第10話:ボリンジャーバンドとレンジ相場の戦い方
移動平均線にMACD、そしてRSI。俺のデモトレード画面は、さながらハイテク兵器のコックピットのように、いくつものインジケーターで賑やかになっていた。しかし、武器が増えれば勝てるというものでもないのが、このFXという戦場の厳しいところだ。
「うーむ、移動平均線は上向きだけど、RSIは買われすぎゾーンにいるし、MACDはデッドクロス寸前…一体どっちを信じればいいんだーっ!」
モニターの前で頭を抱える俺。各インジケーターが示すサインがバラバラで、混乱は深まるばかり。特に、相場がはっきりとしたトレンドを描いているのか、それとも方向感のないレンジ相場なのか、その見極めに四苦八苦していた。
そんな俺の苦悩を見透かしたように、源一郎さんが声をかけてきた。
「田中君、君は今、森の中で木の葉一枚一枚を見ようとして、森全体の姿を見失っておるようじゃな」
「森全体の姿…ですか?」
「うむ。相場の勢いや、価格がどの程度の範囲で動きやすいか…いわば、その森の『広がり具合』や『道の幅』を見るための面白い道具があるぞ。『ボリンジャーバンド』というんじゃ」
源一郎さんは、俺のチャートにまた新たな線を表示させた。それは、移動平均線を中心に、その上下に2本ずつ、まるで川の流れのように滑らかな曲線が描かれているものだった。
「この真ん中の線は、君もよく知る移動平均線じゃ。そして、その上下にある線が、標準偏差という統計学的な考え方に基づいて計算されたバンドじゃな。ジョン・ボリンジャーという人が考案したから、ボリンジャーバンドと呼ばれる」
「ひょ、標準偏差…?なんだか急に難しくなりましたね…」
学生時代、数学で赤点を取りまくった苦い記憶が蘇る。
「まあ、計算式を覚える必要はない」源一郎さんは笑う。「大事なのは、このバンドが何を示しているかじゃ。簡単に言えば、この上下のバンド(通常は±2σで表示されることが多い)の中に、価格の約95%が収まる、という統計的な目安になる」
「95%!?」
それはつまり、価格がバンドの外に出ることは滅多にない、ということか?
「そうだ。だから、価格がこのバンドに触れた時、それは一つの反転の目安になることがある。特に、相場が方向感なく上下している『レンジ相場』では、このバンドの上限で売り、下限で買う、という逆張りの戦略が有効な場合があるんじゃ」
俺は早速、過去のチャートでレンジ相場になっている箇所を探し、ボリンジャーバンドを表示させてみた。確かに、価格がバンドの上限や下限にタッチすると、面白いように反転している箇所がいくつも見つかる。
「こ、これだ!風林寺さん!これなら勝てる気がします!」
まるで宝の地図でも見つけたかのように興奮する俺。
だが、源一郎さんはいつものように冷静だった。
「ふむ。だが、それだけでは不十分じゃ。ボリンジャーバンドの真髄は、そのバンドの『形』にもある」
源一郎さんは、バンド幅がキュッと狭まっている箇所を指さした。
「このようにバンド幅が狭まることを『スクイーズ』と言い、市場のエネルギーが溜め込まれている状態を示す。そして、このスクイーズの後には…」
源一郎さんが次に指さしたのは、狭まったバンド幅が急激に上下に広がっている箇所だった。価格もその広がりに合わせて大きく動いている。
「このようにバンド幅が急拡大することを『エクスパンション』と言い、強いトレンド発生のサインとなることがある。スクイーズを見つけたら、次に来るエクスパンションに備える、というわけじゃな」
「スクイーズからのエクスパンション…!なんだかカッコイイですね!」
俺は、今度こそ「聖杯」を見つけたと確信した。レンジ相場ではバンドタッチで逆張り、スクイーズを見つけたらエクスパンションで順張り!これで完璧だ!
…と、思ったのも束の間だった。
ある日、チャートが綺麗なスクイーズを形成しているのを見つけた俺は、「よし、これは上へのエクスパンションだ!」と決めつけ、アッパーバンドを上に抜けた瞬間に「買い」で飛び乗った。
「行けーっ!俺の100万円(仮想)が200万円(仮想)になるんだー!」
しかし、価格はほんの少し上昇したかと思うと、あっという間に失速し、バンドの内側へと逆戻り。そのままロワーバンド目指して一直線だ。
「な、なんでだよーっ!エクスパンションじゃないのかよーっ!」
いわゆる「ブレイクアウトのダマシ」というやつに、見事に引っかかったのだった。
「田中君、だから言ったじゃろう。どんな道具も万能ではない、と」
源一郎さんは、俺の嘆きを半ば楽しむように聞いていた。
「ボリンジャーバンドも、それ単体で使うのではなく、他のインジケーターや相場の大きな流れと合わせて判断することが肝心じゃ。例えば、強い下降トレンド中にアッパーバンドにタッチしたからといって、安易に売り向かえばどうなるか…価格がアッパーバンドに沿って下落を続ける『バンドウォーク』という現象に巻き込まれ、大怪我をすることになるぞ」
その言葉に、俺はハッとした。確かに、トレンドが出ているのかレンジなのか、その判断が曖昧なまま、目の前のサインに飛びついていた。
「インジケーターは、あくまで地図やコンパスのようなもの。最終的にどの道を選び、どう進むのかを決めるのは、君自身じゃ。そのためには、それぞれの道具の特性をよく理解し、今の状況に最適なものは何かを見極める目が必要になる」
ボリンジャーバンド。それは、相場の勢いや変動範囲を教えてくれる便利な道具であると同時に、使い方を間違えれば大きな落とし穴にもなる、諸刃の剣でもあった。
「簡単に勝てる方法なんて、やっぱりないんだな…」
何度目かの溜息をつきながらも、俺は諦める気にはなれなかった。むしろ、この奥深いFXというパズルを解き明かしたいという気持ちが、ますます強くなっていた。
俺はノートに、ボリンジャーバンドの絵と、今日学んだスクイーズ、エクスパンション、そしてバンドウォークという言葉を書き込んだ。一つ一つの知識が、少しずつ俺の中で繋がり始めていくような、そんな手応えを感じながら。