第5話:ドキドキ☆チョコレート共同作業
日陰 蓮の鶴の一声(というよりは、呆れ声)により、白峰 凛の孤独な戦いだったはずの手作りチョコ大作戦は、思いがけず『特準室(仮)共同プロジェクト』へと変貌を遂げていた。もっとも、その実態は、暴走する室長と、それを(渋々ながらも)的確にサポートする省エネ男子、そして時折、予測不能なアシスト(という名の妨害)を加える次元迷子、というカオスな構図なのだが。
「まず、この焦げ付いたチョコだが…」
蓮は、腕まくりをしたまま、惨状と化したボウルを覗き込む。甘党としての知識と経験(主に食べ専だが)を総動員し、事態の収拾を図ろうとしていた。
「残念ながら、これはもう使えん。焦げ臭さが全体に移っている。新しいチョコを刻むぞ」
「そ、そんな…! 最高級のカカオが…!」
凛は、悲痛な声を上げる。
「諦めろ。失敗は成功の母と言うだろ。もっとも、お前の場合、母というより疫病神に近いがな」
「なっ…! 失礼な!」
凛は抗議するが、失敗は事実なので強くは出られない。
蓮の指示のもと、凛は新しいチョコレートを刻み始めた。今度は、蓮が横で見ているせいか、少し緊張しながらも、先ほどよりは慎重な手つきだ。
一方、蓮は分離した生クリームと格闘していた。キィの謎パワーによって七色に輝き、ほんのり静電気を帯びたそれは、もはや生クリームと呼べる代物ではないかもしれない。
「…キィ、お前、これに何をした?」
蓮が低い声で尋ねる。
「え? 美味しくなーれって、キラキラパワーを送っただけだよ?」
キィは、悪びれもなく答える。
「…そうか。なら、これはもう諦めよう。新しい生クリームを泡立てる」
蓮は、早々に見切りをつけ、冷蔵庫から新しい生クリームを取り出した。その判断の速さは、さすが省エネ主義者である。
狭い特準室の給湯スペースで、二人の共同作業が始まった。
蓮がボウルを氷水で冷やしながら生クリームを泡立て、凛が隣でチョコレートを刻む。時折、肘が触れ合ったり、視線が交錯したりする。その度に、二人の間にぎこちない空気が流れる。
「…おい、もう少しゆっくり刻め。指を切るぞ」
「わ、分かっていますわよ。あなたこそ、泡立てすぎないように注意してちょうだい」
憎まれ口を叩き合いながらも、その声には以前のような刺々しさはない。むしろ、互いの作業を気遣うような響きすら感じられた。チョコレートの甘い香りと、互いの存在を意識する緊張感が、部屋の空気を奇妙な甘酸っぱさで満たしていく。
ようやくチョコレートが綺麗に溶け、生クリームも適度な固さに泡立った。次はいよいよ、二つを混ぜ合わせてガナッシュを作る工程だ。
「いいか、白峰。生クリームは三回に分けて加えるんだ。一気に入れるなよ。そして、混ぜる時は、ゴムベラで底からすくうように、優しく、しかし手早く…」
蓮は、まるで熟練のパティシエのように(?)、凛に指示を出す。その口調はぶっきらぼうだが、内容は的確だ。
「は、はい…!」
凛は、緊張した面持ちで頷き、蓮の指示通りに作業を進める。蓮は、隣でその手元をじっと見守っていた。真剣な表情でチョコレートと向き合う凛の横顔。普段の彼女からは想像もつかない、一生懸命で、どこか危なっかしい姿。蓮は、そんな凛の姿から、なぜか目が離せなくなっていた。
(…こいつ、不器用だけど、こういう時は真面目なんだな…)
そんなことを考えていると、凛が不意に顔を上げた。至近距離で、二人の視線が、ばっちりと絡み合う。
「…な、何よ」
「…いや、別に」
二人とも、顔を真っ赤にして、慌てて視線を逸らした。心臓が、ドクン、ドクンと大きく脈打っている。
そんな二人の様子を、キィはテーブルに頬杖をつきながら、ニコニコと眺めていた。
(ふふふ…レンとリン、やっぱりすっごくお互いのこと意識してる! キィがちょっとお手伝いしただけで、こんなにラブラブになるなんて!)
彼女の脳内では、既にハッピーエンドの鐘が鳴り響いているのかもしれない。もちろん、現実がそう単純でないことなど、彼女は知る由もないのだが。
共同作業は、さらに続く。
ガナッシュを冷やし、適度な固さになったところで、いよいよトリュフの形に丸める作業だ。
「…手がチョコまみれになるじゃないか…」
蓮は、明らかに嫌そうな顔をしている。
「仕方がありませんわ。これがトリュフ作りの醍醐味…のはずよ」
凛も、少し戸惑いながら、手のひらでガナッシュを丸め始めた。だが、不器用な彼女のこと、なかなか綺麗な球形にならない。いびつな形になったり、大きさがバラバラになったり。
見かねた蓮が、「…貸してみろ」と、凛の手からガナッシュを取り上げ、手早く綺麗な球形に丸めていく。その手つきは、意外なほど器用だった。
「わ…すごいわね、あなた…」
凛は、感心したように蓮の手元を見つめる。
「…別に。プラモデル作りで慣れてるだけだ」
蓮は、照れ隠しのようにそっぽを向く。
そして、ハプニングは最後の仕上げで起こった。
丸めたトリュフに、ココアパウダーをまぶす工程。凛が、パウダーが入ったバットにトリュフを入れようとした瞬間、くしゃみをしてしまったのだ!
「へっくしゅん!」
その勢いで、バットの中のココアパウダーが、ぶわっ!と舞い上がり、隣にいた蓮の顔と服を直撃!
「…っ!?」
蓮は、顔中ココアパウダーまみれになり、完全に固まってしまった。まるで、雪山で遭難した雪男のような姿だ。
「きゃっ! ご、ごめんなさい! 日陰君!」
凛は、顔面蒼白になり、慌ててハンカチを取り出す。そして、反射的に、蓮の顔についたパウダーを拭おうと手を伸ばした。
その瞬間、蓮はハッと我に返り、凛の手を掴んで制止した。
「…自分でやる」
低い声で、しかしその耳は真っ赤に染まっている。至近距離で、ハンカチを持った凛の手を掴んだままの蓮。二人の間に、再び電流が走ったかのような緊張感がほとばしる。
「あ…ご、ごめんなさい…」
凛も、顔を真っ赤にして手を引っ込めた。
結局、なんとかトリュフ(らしきもの)は完成した。形はいびつで、ココアパウダーのかかり方もムラがあり、キィの謎パワーによる微かな静電気(?)を帯びているかもしれないが、それでも二人が(主に蓮が)協力して作り上げた、初めての共同作品である。
「…味見、してみますか?」
凛が、完成したトリュフの一つを、今度は小さな皿に乗せて、蓮の前に差し出した。その表情は、緊張と期待でこわばっている。
蓮は、ココアまみれの顔(まだ完全には取れていない)で、そのトリュフをじっと見つめた。そして、意を決したように、一つ手に取り、ゆっくりと口に運んだ。
「…………」
しばしの沈黙。凛は、固唾を飲んで蓮の反応を待つ。キィも、固唾を飲んで(?)見守っている。
「…………まあ、悪くない」
蓮は、ポツリと呟いた。
「お前が作ったにしては、上出来だ。…食えなくはない」
それは、蓮なりの、最大限の賛辞だった。
「…! 本当!?」
凛の顔が、ぱあっと明るくなる。その笑顔は、どんな高級チョコレートよりも甘く、蓮の心に深く染み入った。
だが、安心するのはまだ早い。
作業が一段落し、片付けを始めた時、蓮はふと気づいた。自分が机の引き出しに隠していたはずの、『秘密のノート』が見当たらないのだ。
(まさか…!)
蓮は、青ざめてキィを見た。キィは、口笛でも吹きそうな顔で、そっぽを向いている。その手には、なぜか蓮のノートと同じ柄の猫のシールが数枚、握られていた。
「キィィィィィィ!!!! 俺のノートどこやったーーーー!!!!」
蓮の絶叫が、甘い(そして少し焦げ臭い)香りの漂う特準室に、再び響き渡ったのだった。