第四章「雷を継ぐ者」
雷は、一度落ちたら、静かに大地に根付くのかもしれない。
「谷おじさん!」
子供たちの無邪気な声が、乃木家の中庭に響いた。
駆け寄る小さな手に、桐野はわずかに顔をしかめる。
「誰がおじさんだ」
低く呟くが、すでに二人の少年──勝典と保典は、桐野の膝にしがみついている。
乃木がドイツへ旅立ってから数週間。
桐野は乃木家での居候生活に、案外すんなりと馴染んでしまった。
最初は「ガキの世話なんぞまっぴらごめんだ」と不機嫌だったが、勝典と保典が彼を懐くにつれ、次第に文句も減っていった。
桐野は二人に剣術を教え、走り方を教え、時には紙とペンを渡して字を書かせた。
だが彼自身が字を書くことはほとんどなかった。
新聞記者なのに、だ。
乃木家の使用人は、それを不思議に思ったが、深く追求することはなかった。
ある日の夕暮れ。
桐野は、縁側で煙草を吹かしながら、ぼんやりと空を見上げていた。
その横で、勝典がぽつりと尋ねた。
「谷おじさんは、雷なの?」
「は?」
「だって、お父様は雨でしょう?」
桐野は、子供の口から出た言葉に、一瞬だけ絶句する。
「お前……乃木がそんなこと言っとったんか?」
「ううん、違うよ」
「なら、なんでそう思うんだ」
勝典はしばらく考え、桐野の手をじっと見つめた。
「おじさんの手は、ごつごつしてる」
「……」
「雷みたいに、強そうだから」
桐野は自嘲するように笑った。
「そりゃ、俺は刀を振ってきたからな」
「ねえ、谷おじさん」
「なんだ」
「雷はね、雨を呼ぶんだって」
勝典は得意げにそう言い、庭の砂を指でなぞる。
「だから、谷おじさんが雷なら、お父様は雨だから、きっと帰ってくるよ」
「……」
桐野は、子供の純粋な言葉に、しばらく黙り込んだ。
そして、小さく息を吐いた。
「……そうか」
「うん!」
勝典は満足そうに笑い、庭を駆け回る。
保典もその後を追った。
桐野は、手に持った煙草をくるりと回し、ゆっくりと消した。
雷が雨を呼ぶのなら、雨はどこへ行くのだろうか。