5.青春が始まります!
思い出すのは、小学校の授業後。
日直担当の生徒が先生が授業で使った黒板を綺麗にして、黒板消しについたチョークの粉を落とさなければならない。教室の隅に置かれた黒板消しクリーナーをよく女子は使っていた。ブオーン、と隣の教室まで聞こえる爆音を鳴らしながら粉を吸引していく黒板消しクリーナー。これが意外と綺麗にとれる。華麗に綺麗にとれるのだ。
だが、俺はそんなチート能力は使わない。
男は黙って窓を開け、バンバン叩いて粉を落とす。
そして、舞ったチョークの粉を吸って、思いっきり咽る。
小学校時代を思い出すと、あのチョークの粉独特の匂いを思い出す。幼き頃の思い出だ。
なんでそんなことを思い出したのかって?
「なんじゃこりゃあああああああ」
当たり前のように当たり前の反応を見せる俺。
チョークの粉で視界が真っ白になり、鼻や口からチョークの粉が入り喉奥を刺激する。
まさに地獄。未だかつて見たことも聞いたことも感じたこともない。意味不明な現象を前に、俺はただただ喚き散らすことしかできなかった。
「うるさいハエがいる」
「あらあら、叩き潰しますか?」
「いや、陽乃女が言うと冗談に聞こえないから」
「ほら、さっさと高級なコーヒー豆をゲッチュするわよ!」
「いつもの場所にあると思うけど」
「それにしても、この特製毒マスクは一級品ね!」
「チョークの粉塗れの空気を吸っても何も感じませ~ん」
「ねえ、感動するのはいいから、さっさと二人も動いて」
窓から突如として侵入してきた青春同好会の面々は生徒会室の中を物色し始めた。
どうやら高級コーヒー豆が欲しいようだが、今それは本当にどうでもいい。
大声で喚くのをやめ、口を服で塞ぎながらここからどうするべきかを考える。
青春同好会を名乗る連中は三人。リーダー格の聞き覚えのある奴と色々と指示出しをしている奴とハエをを叩き潰そうとする奴。恐らくハエとは俺のことだ。三人は別々に別れ、探し物をしている。生徒会室の窓は彼女たちに全開放された。チョークの粉を外に流すためだろうが、風が吹かないため全然換気の意味がなかった。
「あら?」
椅子からゆっくりと離れようとしたところ、青春同好会の一人が俺の目の前に現れた。
「んー、粉のせいでよく顔が見えないわ」
俺の顔に、その女子生徒は思いっきり顔を近づける。
一応声で女子ということがわかるのだが、いかんせん相手は漫画などでよく見かける毒ガス用のマスクを着けている。やや白い空間の中に得体のしれないマスク野郎がいるのは、なんというか、怖い。
「ねえ、そろそろこの煙邪魔じゃない?」
「うぅ、髪の毛が傷んでしまいますぅ」
「風が吹かないのが予想外だった。この後処理のこと考えないといけないね、失敗」
「この子の顔がよく見えないんだけど!」
「無理」
「無理って。参謀の役割しっかりこなしなさいよ」
「そもそもチョーク爆弾使いたいってきかなかったのは美琴」
「そ、それは……」
「あ、あったあった」
「早く帰りましょ~。このままだと美容に響きそうです」
「この後はどう帰るの?」
「何もなければ普通に生徒会室の扉から出るんだけど、そうもいかないみたい」
「というと?」
「萌揺から連絡きた。生徒会が今ここに急いで向かってるみたい」
「本当に行動が早いですよね~」
「も、もしかして、あれを使う時が来たの?」
「不本意だけど。準備始めよう」
と、ガスマスク三人組は何やら準備を始めるようだ。
初衣ねえ達生徒会は、今ここに向かっているようだ。話を聞く限り、生徒会役員全員が生徒会室から追い出されたことも青春同好会の手によるものらしい。こちらに向かっているという情報も、ここにはいない誰かによって受け渡されたことも会話から分かる。
なるほど。初衣ねえが「絶対関わるな」と言っていたのも頷ける。
本当にとんでもない組織だ。
「ん?」
そんな青春同好会のメンバーの一人が、俺の後ろに回り込んで何やらしているようだった。
数秒後、俺の手が自由動かせなくなった。どうやら何かに縛られて自由を奪われたようだった。
「って、ちょっと待ってくれ!!!」
「うるさい」
誰のせいだ、誰の!
「どうして俺の手を縛るんだ!」
「生徒会への交渉材料にする」
「お、俺にそんな価値はない!」
「入学式後にここにいるってことは、生徒会の関係者に違いないから。それだけで価値がある」
「それに」
さっきからずっと耳に残っている声の持ち主。その人が俺にもう一度顔を近づけてくる。
「あなた、見込みありそう」
その言葉を言い終わったと同時に、俺の身体は一気に宙に浮いた。
さっきから俺の後ろでごそごそやっていた奴が、俺を思いっきり持ち上げたからだ。
というか、そんな簡単に男の身体って持ち上がるものでしょうか!?
「流石、陽乃女。どうしてそんな華奢な身体で持ち上げられるのか不思議」
「鍛錬のおかげです」
「どんな鍛錬……」
「おい、下ろせ! 下ろせっての!」
「とりあえず黙らせましょうか」
「ごぼぉ!」
と、口の中に布を押し込まれた。
「よし、それじゃそろそろ」
ドガシャーーーン!!!!
俺を連れた青春同好会たちがベランダに出たのと同時に、生徒会室の扉が勢いよく開かれた。
「いっくん!!!!!」
生徒会メンバーの到着である。
良かった。これでようやく解放されそうだ。
「来た」
「準備完了で~す!」
「全員、前練習した通りにやるわよ」
「うん。じゃあ、リーダー。最後に言うべきことは?」
「え、と。そうね」
青春同好会と生徒会は膠着状態にあるように思えた。
と言っても、俺は一人の女子生徒に担がれたままで自由に動けず、今両者の間で何が起こっているのかそこまで深く知ることはできないのだが。
ただまあ、初衣ねえがかなり怒っていることは分かる。
三本のロープが屋上から垂れていた。ふと視界に入って気になったんだけど、ちょっと悪い想像をしてしまった。そのロープはご丁寧に青春同好会三人の背中周りに接続されているようだった。まさに創造通りの代物のようだが、まさか普通の高校生がそんなリスキーなことしたりしないよな?
「さらば、生徒会! 楽しい青春をどうもありがとう!」
いや、意味わからんてその言葉は。
と、また俺の身体は宙に浮く。
というより、俺を担ぎ上げた青春同好会メンバーがジャンプしたのだ。
軽やかに、そして優雅に。
俺の予想は正しかった。これはあれだ、懸垂下降ってやつだ。テレビで見た。
「って、そんなのいきなりやるんじゃないわあああ!!!」
「大丈夫! 実は一か月みっちり本格的な訓練を積んだんだから!」
「ちなみに免許皆伝」
「そういう問題じゃないだろ!!!!」
懸垂下降が始まったと同時に、俺の口から邪魔だった布が零れ落ちて言論の自由を獲得。
自由を獲得したと言っても、ただ泣きわめくことしかできないわけだが。
青春同好会たちは慣れた手つきでスルスルと地面まで下りていく。本格的な訓練を積んだというのは本当らしいが、やっぱりそんなの高校生がやることではない。
と、陽碧学園のチャイムが鳴った。
『風紀委員会に通達。青春同好会を確保せよ、これは生徒会長直々の命令である』
なんて物騒な放送が流れた。
もう本当にお尋ね者じゃないか。
降下していく青春同好会達と何故か巻き込まれた俺。
「さあ、青春が始まるわ!」
リーダーらしき生徒が、ようやくそのガスマスクを取った。
ああ、通りで聞いたことのある声だった。
その顔は、朝登校中に出会った、青春同好会のチラシを俺に手渡してきた人だった。
数奇な運命があるものだと、流れる景色に酔いを感じながら思った。
*危ないので、マネをしてはいけません。