豚がいる教室
「う、うぅ……」
「ひっぐ、うぅ」
「ぐすっ……」
とある小学校の教室。生徒たちは誰かのすすり泣く声が上がる度に、胸の辺りに針で刺されたような痛みを感じていた。
ふん、なにさ。こうなることは始めからわかっていたじゃないか。……などと朝、家を出る時にはそう達観ぶった生徒も目から溢れる涙を止められない。それも仕方がないのだ。今日は別れの日。六年生である彼らのクラス、この学校から一足早く卒業するものがいる。
「ブーちゃん! うぅ……」
「ブー……」
「ぶーちゃん……ぐすっ」
その名を呼び、一層胸を締め付けられる彼ら。その中、教壇に立つ先生が言った。
「ふっー……五年生の始めになるか……。先生が、うちのクラス全員でこの子を面倒みるぞと言ったのは。ふふっ、なんだみんなぁ! 最初は嫌がっていたくせになぁ! ……嬉しいよ。今のみんなの涙、すっごく綺麗だ! それもこれもブーのお陰だ! そう思うだろぉ!?」
「で、でも先生! 次の六年生とか他の学年に引き継いでもらうことってできないんですか!?」
「うん、うんうん。それをしてぇ……どうなる? ずっと学校で面倒みるのか? それはできないだろう」
「お、おれ、卒業しても時々学校に来て世話を手伝うよ!」
「私も!」
「僕もです!」
「いつも給食の残りをあげてるように、何か持ってくるよ!」
「うん、うんうんうん。素晴らしい意見だ! みんなのその気持ちぃ、嘘じゃないのは先生もよぉーくわかってる!
だがなぁ、みんな。中学に行くとそうも言ってられなくなるんだ。勉強に部活。忙しくなるぞぉ、小学校とは比べ物にならないくらいにな!
みんな同じ制服に身を包んでな、今みたいなことは言ってられなくなるんだ。勉強勉強、自分のため国のため、立派な人間にならなくちゃいけないんだぞぉ」
「でも先生……あたし、つらい……」
「うん、うんうんうんうん。はぁ……そうだな。先生もつらいよ。でもな、この別れが必要なんだ。お前たちの成長のため。立派な人間であり、そうでなければならないと自覚するためにな」
「もっと、もっとおれ、ブーで遊びたかったよぉ!」
「おれも!」
「あたしだって!」
「ブー!」
「うん、うんうんうんうんうん、チッ。いつまでもな、甘えたこと言ってちゃ駄目だぞ。卒業しないとな。そんな自分からも。この学校から。そして、ブーからもな」
「あ、あの、先生!」
「おお、どうした。小谷」
「投票で決めたらいいと思います! ブーちゃんを送るか、それとも送らないかを!」
「あ、それいい!」
「さすがクラス委員長!」
「あたしも賛成!」
「ね、そうしよう先生!」
「民主主義ってやつだ!」
「うん、うんうんうんうんうんうん、ふぅー……。今、民主主義って言ったやつは放課後教室に残るように。あと、小谷。君はまあ、普段からよくやっているから良しとしよう。ただ、お父さんに先生の事を良いように言っておいてくれ。いいな? よし。じゃあ、最後。ブー。前に出て、みんなにお別れの挨拶をしてくれ」
「……はい。約二年間、このクラスのみなさんにお世話をしてもらい大変感謝しております。みなさんへの御恩は向こうへ送られても決して忘れません。
特に……ボール代わりに蹴られたことなんか、いたっ! すみません先生ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。えっと、あ、ごめんなさい何を言うか忘れてしまいましたごめんなさいごめんなさい」
教室に笑いが起き、皆、晴れやかな顔になった。
「やっぱブーだな」
「ほんとそうねぇ」
「下級民は駄目だな」
「仕方ないよ頭がほら、ね」
「ふぅー、仕方ないな。ほら、この紙を読め。フリガナもあるから。はやくしろ!」
「はい……ありがとうございます。えっとこの国の未来永劫第一政党であられる新心党の偉大なる指導者様がお考えになった制度のお陰で親が誰かもわからない僕のような人間を皆様のような将来有望な方たちが集まったこの学校、この教室でお世話していただき感謝の念が堪えません。そして、い、い、いけに、ぼ、ぼ、僕はう、うぅ、」
「ぼ、ぼ、ぼくはぁ」
「うふっ」
「ははははっ!」
「ブー!」
「うんうんうん。さ、もういいだろう。この制度のお陰で人は平等じゃないとみんな学べたな? みんなは立派な大人になり、国のために働いたり、大企業に勤めるがブーのような下級国民は泥臭い仕事をしたり挙句、女は誰が父親かもわからない子を便器の中に産み落とすんだ。そうやって死ぬはずだった命を国が拾ったり買い取って、育ててみんながやりたがらない仕事をさせたり、こうしてみんなに命の尊さを教えたりしてくれるんだ。
もしブーが、この制度がなかったら昔のように学校でいじめとかがあった野蛮な時代が今も続いていたんだ。
どうだ? 嫌だろ? お前ら、いじめられたいか? そうだな。嫌だよなぁ。今の政党が正しいよなぁ。じゃ、みんな、ブーを快く送ってやろう。ほら、窓から迎えの車が見えるだろ? 生贄センターへ送るんだ。そして神のもとヘな。さあほら、みんな、せーのっ! ブー、ありがとう!」