涙の夜
「パトリック殿が戦死しただと…!?」
「馬鹿な、パトリック公が…!?」
「な、なんという…誤報ではないのか!?」
「静まれええええい!!!!!」
動揺する居並ぶ群臣たちにそういい放ちながら、ルセランの目の前で激しい怒りに燃えていたのは、第四代シングリアズ帝国皇帝、サンダールス・ゼフォ・シングリアズだった。帝都でなんどか会った時には豪放磊落、といった様子で、烈火のごとく怒る様を見たことがなかったルセランは、その様子にやや気圧されながらも報告をつづけた。
「父は私に大多数の部隊を率いて帰還を命じ、自身は占領した土地の整理をするといって残っていました。報告によると、それから数日後、父は少数の護衛と共に急に陣を抜け出し、隣接していたリクソン領の森に入っていったあと、消息がつかめなくなったらしいのです。そして日が傾いても戻らぬ父を、側近たちが捜索に向かった先で、父と護衛たちの遺体を発見し、持ち帰ろうとした側近たちも襲撃を受けてほとんどが帰らず………。」
「それではほとんど暗殺ではないか!おのれぇ!チェンバレン!よくもわが友をっ…!」
ルセランの父であるパトリック・セイルビーレンは、現皇帝サンダールスの学友でもあり、プライベートな付き合いも長く、サンダールスの信頼の厚い人間だった。元々パトリックは領主だけでなく、シングリアズ帝国軍の元帥を若年ながらに兼任するほど才能に溢れており、大陸有数の指揮官だった。
しかし、パトリックは妻を早くに亡くしてしまう。パトリックと妻の間には二男一女を儲けるほどに夫婦仲が良く、上流貴族には珍しく側室がいなかった。そのため、妻の死で気落ちしていたパトリックを慮って、サンダールスは友人でもあるパトリックを一時的に元帥の任から解いてその座を空席とし、帝都から戻って子育てに集中する時間を与えてやった。
やがてルセランという俊英がセイルビーレン家で育ちはじめ、パトリックが帝都に息子を引き連れて自慢しに来るなど、パトリックの傷は徐々に癒えていた。そのため、再度元帥の地位に戻る気はないかとサンダールスは打診しており、パトリックから『ルセランの初陣を終えたら』という返答を受けていた矢先の急死だった。
親友を討たれ、怒りに燃え上がるサンダールスとは対照的に、ルセランの心は深く沈んでいた。ルセランは母親との記憶が少ない。双子の弟妹を産んですぐに亡くなってしまった母の姿は、ルセランには穏やかな顔でうっすらとほほ笑んでいる、そんな姿しか記憶になかった。そのため、ルセランは唯一の年上の肉親である父をことのほか強く大事に思っていた。その父が何者かに暗殺まがいの襲撃を受け、遺体すら帰ってこないという。
どこか現実味のないに状況と父が死んだという衝撃を処理しきれず、それでも臨時の領主代行として帝都に急行してきたルセランだったが、サンダールスへの報告を終えて急に精神の糸が切れてしまった。
サンダールスの怒声をどこか遠くに感じながら、ルセランはひざまずいた姿勢からそのまま崩れ落ちたのだった。
ルセランが目を覚ますと、そこは六畳ほどの狭い部屋に置かれたベッドの上だった。
「お目覚めでございますか。陛下よりお話があるとのことですが、目覚めてから一日は待つとも仰せつかっております。本日はこちらでそのままお休みください。」
体を起こしたルセランに、物音に気付いたのか、部屋の外に控えているメイドがドア越しに声をかけてきた。
「すまない、私は一体どれほど眠っていたのだ!?それに部下たちは!?」
「陛下の目の前で倒られてからですと、約半日でございます。今は深夜ですので、そのままお休みください。セイルビーレン家の方々はディーケン様がまとめられ、城下にてお休みいただいています。
今が深夜ということで休まざるを得なくなったルセランは、そこでやっと本当の意味で休むことができた。父の急死から急転直下、帝都に急ぎ、感情の整理もつかぬまに謁見に臨んだルセランの心は、唐突な出来事の連続で粉々になったものを無理やり麻痺させ、ただからっぽのまま体を動かしていた。
そんな状態から、一人ベッドに潜ったルセランはその心のしびれをゆっくりと、慎重に。生まれたばかりの赤子を、そっと地面に置くように感情を整理していく。しびれを取ればとるほどに、ルセランの枕は濡れていった。尊敬していた父、そしてその父のもとで辣腕を振るう優秀で親しみやすかった父の側近たち。彼らのことが浮かんでは消え、浮かんでは消えた。
「ふっっ、ぐっ、うぅ………ち、ちちうえぇ……。みんな…。」
ルセランはその夜、枕を二度変えた。