お話を書くという事 〜幕田の創作自分史〜
前置きとして‥‥幕田は自分の書いたものを「小説」「物語」と呼ぶのがなんか気恥ずかしい性分なので、小説以外のものも引っくるめて「お話」という言葉で表現してたりします(ー ー;)
なぜお話を書き続けるのだろうか。
この歳(30代後半)にもなると、仕事や家庭、お酒や夜の街‥‥なんかに楽しみを見出す人が多いのではないだろうか。
自分も当然、少なからずそういった楽しみは理解できる。それらは即物的な成果や喜びに満ちていて、確実に自分の生活へとプラスに働く。
それに比べて、この端にも棒にもかからない「お話を書く」という趣味の無意味さよ。
幕田はけっこう理屈ぽいので、あまり意味のない事はしたくない性格だ。
子供の頃、レストランで注文した料理を待つ間、空腹に耐え切れなかった幕田は、いつも「人間って何で食べるんだろう。そもそも栄養を摂る目的に、美味しいって付加価値は必要ないよね。美味しいご飯を食べるなんて無意味じゃん」なんて事を考えていた。食事の無意味さを語って自分を欲望を説き伏せ、空腹を誤魔化していたのだ。
しかしもちろん、その後出された料理は満面の笑みでモグモグ平げた。
幕田はなぜお話を書くのだろう。
この問いに対し、万人が納得いくような答えを幕田は持っていない。
しかし、子供が寝静まった深夜や、誰も起きてこない早朝に、柔らかな布団の誘惑に抗いながらお話を書き続けているこの生活は、紛れもない現実なのだ。
無意味とは知りながらも、モグモグ食べざるを得ない「レストランの美味しい料理」のようなこの趣味の魅力とは、いったい何なのだろうか。
自分の過去を振り返りながら、考えていきたい。
【小学校時代】
小学生時代の幕田は、マンガを描くのが好きな少年だった。
自分が勇者になるマンガや、自分がサッカー選手になるマンガ、オリジナルキャラが大冒険するマンガなんかを色々書いていた。
今では絵を全く描いていないため、その才能のほどは察してほしい。ただその頃の「お話」の媒体は、一番身近なメディアであるマンガだった。
この頃感じていたこの趣味の魅力は「お話の中で自分(もしくは自分の分身)がかっこよく活躍してて嬉しい!」と言ったところだろうか。
おそらく、クラスの中心人物だった人気者達は、こんな妄想せずとも日常で普通に大活躍していた。
幕田はそうではなかった。だから、お話の中でだけでもヒーローでいたかった。
【中学時代】
お話の中でヒーローでいることがバカらしく感じるようになっていた。
妄想の中に出てくるヒーローの自分は、結局現実の自分に何の影響も与えてはくれない。
運動は出来なかったし、勉強も遥か上がいっぱいいた。性格は根暗で、付き合いが悪い。ヤンキーには目をつけられているし、楽だと聞いて入った卓球部はサボってばかりいた。
今思うと、それほど悲惨な学校生活だったわけではない。見た目は醜悪とまでは行かなかったため、ちょっとだけ異性との交流もあった(中学時代唯一の自慢)。円形脱毛症で頭頂部がハゲてたけど。
肥大化する自己と現実とのギャップに喘いでいた。自分がどうしょうもなく無価値な人間で、でもヒーローに憧れていた自分はそれを認めたくなくて、毎晩眠れぬ夜を過ごしていた。典型的厨二病である。
だんだんマンガは描かなくなった。
ただ、父親から借りたアコギを弾いて歌を唄うようになった。この頃から自分の趣味は、マンガ書きから作詞作曲に変わっていった。
音楽は弱い自分を肯定してくれる。
憧れのミュージシャン達は、幕田の弱さを認めて君は君のままでいいと鼓舞してくれた。大嫌いな自分に折り合いをつけながら、作詞作曲という形で「お話」を作るようになった。
【高校時代】
作詞作曲をしつつ、いろんな曲をカバーして歌った。歌う事が好きで、それがある意味自分のプライドになっていた。
学祭での演奏を終え、自分の中での目標を一つ達成し放心した幕田は、友人から借りたノベルゲーム(いわゆるギャルゲ?)にハマってしまった。そこはとても美しい世界で、素敵な美少女達によるエモい物語が繰り広げられていた。さらに幕田はその友人からライトノベルを勧められる。そこでも可愛らしい女子とキャッキャうふふのボーイミーツガールが繰り広げられていた。
そして幕田はヲタに目覚めた。
エモくてキャッキャうふふでボーイミーツガールな物語を妄想し始める。マンガでは書けない、歌詞でも現せない‥‥残った表現は「小説」という手段だった。長編を幾つか書き上げ、その一つを某ラノベ大賞に応募したが、掠りもせずに撃沈した。
その頃の活動の根底には「恋がしたい」「女子となんかいい感じの事がしたい」という欲望があったと思う。クラスメイトや友人には彼女がいるやつらも大勢いた。初体験をすませている奴らもいた。
しかし幕田には女友達すらいなかった。その猛り狂うリビドーを、幕田は小説という形式で昇華していた。
【大学時代】
一人暮らしになり、なんか全てから解き放たれていた。
チェーンの古本屋でバイトを始めたことで、安く仕入れられる小説やマンガで部屋の中が溢れかえるようになった。友人達の「漫画喫茶」的扱いで毎日誰かが入り浸るようになり、あまり自分からお話を作ることは無くなっていた。
軽音部で演奏したり、アカペラ部に助っ人参加したり、友人と飲み明かしたり、それなりに女性と交際をしたり‥‥小学校から高校にかけての劣等感が徐々に薄れていくにつれて、お話を作る意欲もまた薄れていった。『このバス人生経由』『神社での七日間』などいくつか短編を書いてみたが、その程度だった。
今思えば、この時期は自分の人生にとってインプットの時期だった。純文学やミステリーなどの小説を読み漁り、映画を観まくり、マンガを読みまくった。そして幾つかの人間関係の中で、様々な感情を学んだ。恋もしたし、失恋もした。複雑化する人間関係に傷ついたり、自分の未熟さで他人を傷付けたりもした。
辛かったけど、充実していた。
お話を書く事で担っていた「不足を補う」という目的は、もはや必要なくなっていた。
【社会人時代(社畜編)】
仕事がしんどくて、土日は天井のシミを数えながら過ごした。
何の変化もない毎日が矢のように過ぎ去っていく。今となっては余暇で何をしていたのかよく思い出せない。後の妻となる彼女とは大学卒業後に遠距離になり、常に寂しさが胸の奥で渦巻いていた。
友人に「ハロウィン題材に久しぶりに何か書いてみようぜ」と言われ『ハロウィンの夜、電波塔の二人』を書いてみた。ただ書いただけだった。
【社会人時代(ブログ→なろう編)】
中学時代の友人と交流する機会があり、彼らを真似てブログに小説を上げ始めた。
これは幕田にとって革命的な出来事だった。
今までごくごく少数の人間にのみ晒していた幕田のお話が、不特定多数の人間に晒される事になったのだ。過去のお話を幾つか上げてみると、毎日数人程度だが閲覧があった。それだけでも新鮮な喜びがあった。友人と影響し合いながら、長編作品を幾つか書き始めた。
活動の場を広げるため、なろうに登録する。当初はブログとなろう両方に上げていたが、2つ更新するのが面倒になって、なろう一本に絞ることにした。
PVは1日数回程度。無言のまま良くわからないタイミングで下される評価。いいねや、ましてや感想など全くない期間が2年ほど続く。底辺作家を飽きさせない為に、運営のbotか何かが適当にPVや評価をいじってるんだろうな、などと思いながらも、それでも書き続けた。
なぜ書き続けたのか。
自分の理想の写しでも、足りない部分の補填でも、誰かに評価されるためでもなく、自分はなぜ書き続けたのか。
それはきっと最も根本的な「文章を書く事が気持ちいい」という感情だったはずだ。
自分の思い描いていた風景や、登場人物の様々な感情を、自分が納得いく形で文章に落とし込めた時、幕田は得も言われる快感を覚えた。まるで綺麗な景色の中を旅するように、幕田は自分の文章を旅して、まるで自慰行為のようにたった一人の感動を享受していた。
誰かに見て欲しかったし、声を掛けて欲しかった。でもそれ以上に、幕田は自分の作り出した文章それ自体が大好きだった。
【これから】
ありがたい事に、つい最近は色々な方から感想やレビューを頂けるようになった。幕田の書いたお話は自分の中だけでなく、広く世界に晒されていたのだと改めて気づく。
もちろん嬉しい。
めちゃくちゃ嬉しくて、たぶんこの嬉しさだけで長編3本くらいは書き上げられそうな程である。
しかし同時に不安もある。
お話を書くことに対しての喜びが「承認欲求の奴隷」へと成り下がるのではないか。
純粋に書くこと自体を楽しんでいた時期はもはや過ぎてしまった。おそらく幕田がこれから書いていく文章は、様々な人の評価が貼り付けられる事になる。良いと思って頂ければ、きっと今以上の賞賛が欲しくなる。全く賞賛もされず、誰からも見向きもされない時代に後戻りしてしまえば、お話を書く事自体へのモチベーションすら奪われかねないフェーズに来ている。
もはや川の流れに乗って進み始めた木造の小舟だ。元の岸辺に戻れはしない。行けるところまで進むか、どこかで岩にぶち当たって沈むか、どちらかだ。
以上。
なぜお話を書き続けるのだろうか。
その問いの答えは大きくうねりながら、今も変化し続けている。
ただ、その根底にあるものは、きっと幕田が幕田である事に向き合い続ける事なのかもしれない。
ヒーローにはなりたい自分、認めたくないほどに弱っちい自分、素敵な恋や仲間に憧れる自分、自分の文章に酔いしれるナルシストな自分、そして誰かからの評価を心の底で待っている自分。
そんな自分自身と向き合い続ける限り、きっと幕田はお話を書き続けるだろう。たとえ何処かでやめてたとしても、また何処かで書き始めるに違いない。
それは傑作を書き上げられる天才でも、大勢の心を掴むエンターテイナーでもない、ただの根暗な凡人の中に潜む動機だ。
でもそんな動機は、こんな誰しもが自分自身を吐露できる素敵な「表現の場」でなければ、恥ずかしすぎて口に出すことも憚られる。
だから幕田は、なぜお話を書いているのかと聞かれたら、こう答えることにしている。
「だって、全然お金かかんないし、老後も安泰で素敵な趣味じゃん。そんな趣味に何故かハマる事が出来たなんて、すごくラッキーでしょ」
本当に老後まで書き続けられればいいなと、最近は思う。
皆さんの小説を書く動機、創作をする動機って何すか(°▽°)?