策動(28)
~ユーカクside~
今、俺とムラサキは人族の『町』なる場所に紛れている。人目を引かないよう装いを整えて、である。
冒険者になるという方針が決まった翌日、意気揚々と町へ足を向けようとした矢先、ハネナガが俺達の前に立ちはだかった。
「ちょ、ちょっと待って!」
両腕を大きく広げ、ハネナガは俺たちの姿を頭からつま先まで何度も視線でなぞった。
「まさかその格好で行く気?」
ハネナガの小さな唇が驚きに半開きになっている。
「ほかに衣服がない以上、仕方あるまい?」
俺は両腕を広げて自分の服を見下ろした。ムラサキも胸元に視線を落とし、無言に頷いている。
「紛れることが目的なのに、紛れるどころじゃなくなっちゃうよ」
ハネナガは額に手を押し当て、嘆息とともに首を振った。
「そうは言うが、どうしようもないだろう?」
俺が肩をわずかに持ち上げて問いかけると、ハネナガは深い溜息の後、両手で頭を抱え込んだ。
「ああ、もう」
その声は苛立ちと諦めの混じったものだった。しばらく無言でうつむいていたが、突然顔を上げ、瞳が輝きを取り戻す。
「今日一日待って! なんとかするから!」
その言葉を残し、ハネナガは返答を待つこともなく踵を返し、駆け出した。待機していたオナガが慌てて後を追い姿を消した。
その夕暮れ、空が朱色に染まり始めた頃、ハネナガとオナガは息を切らしながら戻ってきた。彼らの両腕には二着の衣服と履物が抱えられている。
「はい、これ!」
ハネナガは肩で息をしながら服を差し出した。所々糸がほつれ、色も風雨に洗われたように褪せているが、身に纏えないほどではない。
「……これ、どうしたんだ?」
俺は怪しげな品を扱うように服の裾をつまみ上げると、ハネナガは胸を反らして誇らしげな表情を浮かべた。
「調達してきたに決まってるでしょ」
「そうなのか、オナガ?」
ハネナガの言葉を疑っているわけではないが、同行していたであろうオナガに念のため確認の眼差しを向ける。
オナガは一瞬だけ視線を合わせたものの、すぐに視線をそらし、目を泳がせた。
「うん、まあ……」
「何か気になることでもあるのか?」
歯切れの悪い様子がどうにも気になりに、俺は眉をひそめた。
たとえば人族から強奪してきたとか……彼らが実力を発揮すれば、そういうこともできるだろう。ただ、それで気まずくなるというのはオナガらしく、というか、俺達らしくはない。
「ううん、そうじゃない」
オナガは頭を左右に強く振った。
「どちらかというと、なぜそうなるのかわからないというか」
「なんだ、それは?」
俺が首を傾げると、オナガは腕を組み、床の木目に視線を落とした。
「なんと言うのが適切かわからないんだけど……」
オナガは眉根を寄せ、言葉を吟味するように間を置いて口を開いた。
「ハネナガの手にかかると、何の変哲もない夏みかんが最終的にその服に換えられているんだ」
「はあ?」
思わず抜けた声を漏らし、口をぽかんと開ける。横でムラサキが喉の奥で小さく笑みをこぼした。
「いや、オナガの説明が変なんだよ」
ハネナガが両手を慌ただしく振りながら会話に割って入った。
「夏みかんと僕の笑顔を組み合わせていって、最終的にその服をもらったの」
周囲に溶け込んで情報収集をするのに向いている、というのはハネナガの一側面でしかなかったようだ。
「……それはつまり、相手の善意にうまく乗ったということか?」
俺は顎に手を添え、半ば呆れた口調で問いかけた。
「乗ったというか、引き出したんだよ、この笑顔で」
ハネナガは両手を頬に添え、口角を思い切り引き上げた満面の笑みを誇らしげに披露した。
「なんて悪質な……」
俺は表情を硬くし、無意識に一歩後ずさった。
「失礼な」
ハネナガは唇を尖らせながらも笑顔を保ったまま、差し指を左右に振った。
「言っておくけど、これは前借りしたのであって、後から色々返さないといけないんだよ」
「どういうことだ?」
疑わしげに眉を寄せる。
ハネナガは肩を落とし、わざとらしくため息をついた。
「あのねえ、僕の笑顔だけでなんでも手に入れられるわけないでしょ。感謝の気持ちを込めて、明日から色々返していかないといけないの」
「真に善良な者は自分を善良とは言わないと思うが」
オナガが胡散臭そうな物を見るような視線をハネナガに向け、俺もそれに同意する。
自分が善良だとは思わないが、少なくともハネナガよりタチが悪いことはないだろう。
「はあ、わかってもらえないなんて辛いなあ」
ハネナガは大仰に両腕を広げ、軽く肩をすくめた。
だが、唇の端は緩み、本気で落胆している様子は微塵も窺えなかった。
「ひとまず、これを着て行けということでいいんだな?」
俺は渡された服を掲げ、表裏を交互に確かめる。
「そう。その衣服なら、少なくとも外見を見られただけで異質とは思われないと思うよ」
「なんか引っかかる言い方だな」
眉間に皺を刻み、俺はハネナガの顔を鋭く見据えた。
ハネナガは片目をつぶった後、一転して表情から笑みが消え、真剣な面持ちへと変わった。
「正解。くれぐれも安易に力を振るったりしないようにね。相手は脆弱な人族なんだから」
「そんな心配は無用だ」
俺は胸を張り、自信に満ちた声で応じた。
「ほんとかなあ……」
ハネナガは首を傾げ、俺に近づいて顔を覗き込んできた。
「フィルダ様の命令じゃないのをいいことに激情に駆られて行動しそうで心配だよ」
ハネナガは声を低く沈ませ、念押ししてくる。
「……」
指摘がまったく的外れとは言い切れず、唇を固く閉じたまま視線を横に逸らした。
フィルダ様の命であれば絶対に守り通すが、今回の依頼はシチビが出したものであり、大元はあの女が発案したものだ。
「ほら、その顔はやっぱり」
ハネナガは片手を腰に当て、もう片方の手で俺の顔を指さした。まるで子供を諭すような尊大な仕草だ。
「いや、これは違う。あくまで色々なケースを考えて、問題ないなと考えていただけだ」
両手を振り、偽りの弁明を口から零す。
ハネナガは俺を見つめ、軽くため息をこぼすと視線を天井へ向けた。
「……僕が注意するようなことでもないんだけどさ、今後の活動に支障が出ないように注意はしてよね」
「わかってるよ」
深く息を吐き出しながら答えを返した。
すぐに正体が発覚することはないにしても、不用意に目立って動きにくくなれば、敵に気取られる可能性は十分にある。万一、フィルダ様の存在まで気付かれるようなことになれば、取り返しがつかない。
俺は改めて強く拳を握り締め、心を静めるようにゆっくりと息を吐いた。




