策動(27)
「まず、シチビはここで待機して、私達と護仕の中継をしてほしいわ」
この役割はやはりシチビしかいない。
ユーカクはどうしても私への私情が混じりそうだし、オナガは報告が皮肉まみれになりそうだからだ。
「承知しました」
その思惑を汲んだかは定かではないが、シチビの返答は変わらぬ調子だった。
「その上で、護仕への指示はシチビの一存でしてくれていいわ」
椅子の背にゆったりと体を預けながら、付け加えるように告げた。
フィルがいればともかく、フィルがいない以上、その役割もシチビが最適だろう。
「かしこまりました」
シチビが再び丁寧に頭を下げた。
「では——ムラサキとユーカクが組んで、冒険者ギルドなる場所へ。ハネナガは単独で情報収集にあたる、という指示でもよろしいでしょうか?」
シチビは落ち着いた口調のまま、視線を私に向けて確認を取る。
護仕への指示は任せると言った手前、反対はできない。
できないのだけれど。
自分の提案を打ち消すような組み合わせを出されたことに、どこか心穏やかではいられない。
その不満を表情に出さないよう、椅子の肘掛けに指先を当て、とんとんと弾ませていた。
「いいけど、それはなぜ?」
顔を上げたシチビはいつもと変わらない表情で、私の問いを待っていたかのように答えた。
「現状、ハネナガは無力で無知な子供として活動しています」
「ええ、そうでしょうね」
とくに異論はなく、頷き返す。
見た目からすれば、そう思われるのは当然だった。
「そんな彼が、冒険者として活動するムラサキと親しくするのは不自然です。接点があるように見せるには、強引な辻褄合わせが必要になるでしょう」
たしかに情報収集という区分で組ませることを考えて言ったものの、「なぜハネナガが冒険者と接点があるのか」まで踏み込むと、不自然なこじつけが必要かもしれない。
「つまり、ムラサキと組ませる相手としては無力さの演出が不要なユーカクが適任と言いたいのね?」
「はい。ユーカクは護仕でもっとも攻撃に秀でる者。ムラサキと組むのにこれほどの適任もいないでしょう」
これがユーカクを煽てているのか、事実なのかは分からない。
護仕は従者であると同時に護衛である。
元の、というか、本来の状態のフィルに及ぶことはないにしても、護衛という役をこなせるだけの能力はあることは疑う余地はない。
「そう……ムラサキとしては何か意見はある?」
「いえ。シュミル様さえ問題がなければ」
また難しいことを言う。
ユーカクが明らかに私に対して思うところがあるのは確かだけど、それがムラサキにまで含まれるかは分からない。
私への悪感情がそのままムラサキにぶつけられたら可哀想だと思うけど、ムラサキに対してはとくになんとも思っていない可能性もある。
後者の場合、私が意図的に引き離すのはかえって仲を悪くすることになりかねない。
「……いいわ、そうしましょう」
私の唯一の従者を信じることにした。
そもそもムラサキは生まれこそ遅いことを除けば、従者として最上級の存在である。私が変に保護意識を出すこと自体、ムラサキの自尊心を傷つけることになるかもしれない。
「ユーカクもそれでいいな?」
「……ああ、それでいい」
ユーカクは一拍の間を置いてから、言葉少なに呟いた。
その声、その様子には明らかに不満が滲んでいる。
だけど、彼の性格からすれば、本当に我慢ならないことなら——こんな曖昧な返事では済まさないはず。
ギリギリで受け入れられるという感じだろうか。無理ではないが、気持ちは釈然としていないと言ったところか。
何も問題がないことを祈るしかない。
「では、ユーカクはそれで。——シュミル様は、どうされますか?」
シチビが両手をテーブルの上で組み、私を直視する。
護仕とムラサキが何をするかは決めたものの、私とユーカルについては決めていない。
重要な役割を当然こなしますよねという期待、まさか何もしないなんてありえないですよねという疑念。それが入り交じっているのだろう。
「そうね……」
椅子の背もたれに寄りかかり、思考を整理するように目を閉じる。
とはいえ、これは悩ましい。
思考に弾みをつけるように指先でテーブルを軽やかに叩く。
私やユーカルが大々的に動けば、敵に気取られる可能性はどうしても上がってしまう。するべきことをして敵と対峙するのは仕方ないけど、不必要な対峙は避けたい。今はこちらに決定打はないのだから。
「もしなければ……一つ、提案を」
シチビが静かな声で切り出したのを受けて、私は目を開いた。
「なに?」
「魔物を呼び出したアスラルト国とやらを見てまわるのはどうでしょうか?」
シチビの提案、その内容は理解できるものの、意図が理解できない。
魔界の門が開いているなら、上級魔族がいる可能性がある。負けはしないが勝てもしない相手である以上、あえて近づく理由はない。
私は俯き、眉間に指を二本押し当てる。
「……その意図は?」
「フィルダ様のことです」
シチビの言葉は何の説明にもなっていないが、無視はできない。
それが分かっていて、シチビもそういう言い方をしたのだろうけど。
私は上目でシチビの表情を注視する。
「フィルのこと?」
「はい。【契約法】が思ったようにフィルダ様の覚醒につながっていないなら、別の手段を考える必要があるかと」
その言葉に、息を吸う間を置いた。
たしかに、それは理屈としては正しい。
「それはわかるけど……それとアスラルト国とやらがどう関係するの?」
両者の関係が繋がらず、私は顔をあげて大きく瞬きをする。
「フィルダ様は対魔族の切り札でした。魔物と接触することでなにかしらの——刺激、あるいは影響があるのではないかと」
シチビは背筋を伸ばしたまま、静かに論を展開した。
私は耳の上の脈を押さえるように指を当て、ゆっくりと円を描きながら、彼の主張を吟味する。
たしかに、理屈としてはまったく分からないわけではない。
でも、私を前にして何の影響もなかったフィル、というかアルスが、魔物と接触して影響があるというのは受け入れがたい。
とはいえ、私の一存だけでシチビの提案を蹴飛ばすわけにもいかない。
彼もまた、フィルのことを考えて提案しているのだから。
「……どう思う、ユーカル?」
顔を向けずに、隣のユーカルに目だけ向けた。
「一理あるかもね」
「ユーカル!?」
まさかユーカルがシチビの提案に同意するとは思わず、椅子から立ち上がり、身体の向きを変える。
てっきり、もっと懐疑的な反応が返ってくると思っていたのに。
「フィルが魔物に縁があるというのはさすがにないと思うけど」
ユーカルは指先で髪をくるくると巻き取る。
「でも、借り物の【契約法】では効果が見えてきていないのも事実なのよね」
その言葉に、私は小さく息を呑んだ。
ユーカルは、アルスに【契約法】を伝授し、その行使を間近で見ている。
だからこそ、私よりも強い問題意識を抱いているのかもしれない。
「そうであれば、試してみる甲斐はあるんじゃない?」
どこか気軽な調子のユーカルの発言。
私は一度、胸の奥の感情を鎮めるように深く息を吐く。
「……つまり、何らかの形で戦わせようってこと?」
「そういうことね」
ユーカルはわずかに顎を上げ、私の推測を肯定する。
否定してほしかったものを肯定されてしまい、私は困惑しながら自分から反論を試みる。
「……言うのは簡単だけど、【契約法】で倒したりはしているんじゃないの?」
「倒しているといっても、【契約法】を使った結果『魔物が勝手に死んでいる』だけだからね……」
ユーカルは視線を逸らし、板戸の外、もっと遠くを見るような目で続けた。
「それがフィルにつながるかというと疑わしいのは確かよ」
「……」
私は頭を後ろに傾け、目を閉じた。
ユーカルの言い分はわかる。わかるのだけど、わかりたくない気持ちが間違いなくある。
一つはどういう形であれ、フィルを危険に晒すことになること。自分の手でフィルを傷つけるのは論外にしても、フィルが傷つくように追い込むこともできれば避けたい。あくまで私はフィルの味方、最後まで味方でありたいのだ。
もう一つは——具体的に『どう戦わせればいいか』が分からないこと。フィルといえばやはり【精神剣】だけど、その出し方を私は分からないし、わかっていてもアルスが使えるかもわからない。
だとすれば、それはあきらめて剣で戦わせればいい? でも、それはフィルにつながっていくと言えるのだろうか。
「……ひょっとして……」
私はシチビに目を向け、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
ーーそんな提案をするなんてシチビはフィルに何か含むものがあるの?
それは、絶対に口にしてはならない問いだった。
そんなことを尋ねた瞬間、いくら理性的なシチビでも——いや、理性的だからこそ、強く確実に反駁してくるに違いない。
その衝突は、取り返しのつかない溝を生むことになる。
ただ、以前もそうだけど、シチビが本当にフィルのことを大事に思っているのか、疑念を持ってしまうのは確か。その時々に聞いた理由はそれなりに筋は通っているのだけど。
まさかそんな言葉が出そうになっていたとは知らないシチビは、続く言葉を促すように首を傾げた。
「ひょっとして、なんですか?」
「……誘導する場をいくつか候補として探せということ?」
無理矢理その質問を口にする。
誰がどう聞いても、それ以外の解釈がないことは分かっていたけれど、他に取り繕える言葉を思いつかなかった。
髪を掻き上げながら、先の疑念を悟られまいと、再び椅子に腰を下ろした。
「そうなります」
「……そう……」
深く頷くシチビに、上手く誤魔化せたという安堵を誤魔化すように口元に手を当て長く息を吐く。
そしてそのまま俯き、視線を左右に彷徨わせた。
実際にアルスをその場に誘導するかは別として、下見だけはしておいても損はないか。
さっきとは逆だけど、もし万一上級魔族と遭遇しても、私達なら倒すことはできないが、倒されることもない
そういう危険をあらかじめ把握しておくのは悪くはないと言える。
「……わかったわ。そうしましょう。ユーカル、お願いね」
私は顔をあげ、隣に座るユーカルに向き直った。
「え? 今の話の流れで私がするの?」
ユーカルは両眉を上げ、目を丸くして驚きの表情を見せる。
「ええ、別におかしくはないでしょ?」
軽く両肩をすくめ、当然のように返す。
無意識のうちに、少し挑戦的な口調が入ってしまった気がする。
「……はぁ……わかったわよ」
ユーカルは大きく息を吐き、諦めたように頷く。その仕草には軽い抗議の意味も込められていた。
「では、シュミル様はどうされるのですか?」
「私?」
シチビの問いに即答せず、椅子から立ち上がると、ゆっくりと板戸に向かって歩き出す。
「私は当然監視役よ。異変がないようにね」
板戸に手を添え、外の景色を見つめながら、権利と義務、その両方を主張する。
「……趣味に走りすぎないようにしてくださいね」
「……わかってるわよ」
その言葉の意図を察し、少し気恥ずかしさを覚え、ややぶっきらぼうに返したのだった。




