策動(23)
誰もが口を開くきっかけを掴めないそんな状況は、木戸が開く音によって破られた。
「ただいま戻りました!」
ハネナガの弾むような声が、気まずさを一気に吹き飛ばした。
続いてムラサキが一歩遅れて入室し、扉の横で腰を深く折り、私に向かって丁寧に頭を下げた。
「戻りました」
「さあ、みんな座って」
両手を軽く打ち合わせ、口角を上げて促す。新しく入室した二名も、椅子の脚の音を抑えながら着席した。
これで全員が揃ったわね。
背もたれに背中を預け、胸元で両手の指を絡めて軽く握り合わせる。
「それでは、情報を共有しましょう。まずは私から」
その言葉と同時に、テーブルを囲む全員の表情が引き締まり、部屋から物音が消えた。
フィルのことが全員の関心事なのだから当然とはいえ、期待の大きさに少し緊張が胸を締め付ける。
大きく一度息を吸い、言葉を選びながら語り始める。
「アルスへの【契約法】の伝授はできているわ。【火】【水】【土】【風】それぞれ一種ずつ。それでいいわよね、ユーカル?」
視線は自然と隣にいるユーカルへと流れる。
「ええ、問題なく発動することまで確認済よ」
「ということは……」
前のめりになったユーカクの声が震えている。
「間違いなくフィルはいるということよ」
断言した瞬間、室内の空気が大きく揺れた。喜びが弾けるように空間を満たしていく。
「「「「!!」」」」
声にならない感嘆が四方から湧き上がる。
ハネナガは立ち上がりかけて慌てて座り直し、オナガは大きく息を吸い込み、ユーカクは両手を強く握りしめる。
私と違い、彼らは直接フィルの存在を感じ取れないから、半信半疑だったのだろう。
一方で、シチビの反応は、さっき私が簡単に伝えてしまったせいか、小さく何度も頷きはいるものの、その熱量は三名とは比較にならないほど乏しい。
それともこれが素なのだろうか。
たしかにシチビが大はしゃぎする姿というのは想像しづらいのだけど。
「それで……フィルダ様は?」
オナガがテーブルの上で両手を握り締めているのを見て、どう答えるか思案する。
いるけどいない。
端的に言えばそうなるのだけど、それでは私が煙に巻こうとしているように見えるだろう。
「残念だけど、フィルの記憶をもった存在としては会えていないわ。で、いいわよね、ユーカル?」
自分で否定の言葉を口にすることにわずかな痛みを感じながら、再び視線を横へと向ける。
「そうね。少なくとも……フィルが惚けているということはないと思うわ」
ユーカルは言葉をゆっくりと紡ぎながら、背もたれに体を預けた。
「【契約法】が何かの記憶を呼び覚ました様子はなかったのですか?」
ハネナガは椅子の前縁まで迫り、テーブルに肘をつき、上半身を前方へ大きく傾けた。
「私が見る限りではないわね。純粋に驚いていたわ」
ユーカルは首を振り、視線を天井に移した。
「……そうですか……」
ハネナガが、かろうじて聞き取ることができる声で呟いた。。
普段が明るいだけに落胆する姿は、先ほどまで部屋全体に満ちていた高揚感が霧散したと感じさせるのに十分だった。
私も【契約法】がなんらかの呼び水になることを期待していただけに、残念さは否めない。
でも、フィルの記憶は失われたというより、何かに封じられているような感覚がある。外から干渉できない——そんな印象。
問題は、なぜそうなったのか。そして、どうすれば解けるのか。
それが、まだ見えてこない。
「私からは以上よ。ムラサキから報告はある?」
椅子の背に体を預け直し、背後のムラサキに声をかけた。
「はい。シュミル様の命を受け、情報収集を行っていました」
静かな声が届いた瞬間、正面の護仕たちが一斉に反応した。
シチビは眉を持ち上げ、オナガは口を半開きにし、ユーカクは椅子から体を起こした。
まあ、それも無理はない。ムラサキの目立つ風貌を考えれば、護仕たちにとっては予想外の任務だったはずだ。
両手を膝の上で組み、話の続きを促す。
「ムラサキが目立つことは分かっていて、それでも情報収集をお願いしたのは私だけど、実際どう情報収集したかも含めて教えてあげて」
「承知しました」
ムラサキは全員から均等に距離をとる位置に立ち、視線を巡らせてから口を開いた。
「まず、アスラルト国という国があります。国というのは、天帝や神皇による統治体制を模したものです。簡単に言えば指導者がいて、その下で多数がある目的に向かって行動する集団と考えてください」
左手を上げ、説明に合わせて指を動かしながら言葉を紡いでいく。
「そこで魔物が発生し、逃げる人族が多数発生しました。彼らは着の身着のままでランドール王国という国に逃げ込んでいました。私は彼らの混乱に乗じる形で話を聞いてきたのです」
「そのムラサキの髪は……気づかれなかったということ?」
オナガが首を傾げ、疑わしげな表情で問いかけた。
「目ざとい者には気づかれたかもしれません」
右手を持ち上げ、自らの紫色の髪に触れる。指が髪をなでるように滑り、そのまま手を下ろした。
「ですが、汚れた布で髪を隠していましたので、多くの者からは注目されなかったはずです」
「そう。ありがとう。そこまでしてくれてうれしいわ」
口元を緩め、心からの感謝を伝えた。
神族はもちろんだけど、神族に仕える従者も基本的には不浄を嫌う。まあ、彼らは神族に仕える都合上嫌っているだけで、神族のように生理的嫌悪感を抱いているわけではないかもしれないけど。
でも、フィルを除けば、それなり……いや、そこそこ……ぎりぎり……かろうじて私が傍においてもいいと思う容姿のムラサキが、汚れることを好んでいるとも思いづらく、そんなムラサキが汚れを厭わずに活動してくれたのだから、これはもう感謝しかない。
ムラサキの視線がわずかに動き、ほんのわずかに瞼が緩んだ気がした。
「それで、なにか共有しておくべきことはあった?」
「そうですね……」
ムラサキは目を閉じ、まぶたの裏で記憶を整理するような間を置いた。そしてゆっくりと目を開き、口を開く。
「まず、魔物の発生という点について。魔物の局所的な出現数を考えると、魔界の門が開いたことはほぼ間違いありませんが、魔族の姿を見たという話はありませんでした」
私は私達の常識からすれば当然の疑問を口にした。
「それは魔族が視界に入ったものを皆殺しにしてしまったから、生きている人族は見ていないという可能性はない?」
もしくは、魔族の形状が分からず、判断できなかった可能性もある。
魔族は基本的に私達や人族から見れば異形だが、【変態】系の潜在能力や【変身】、精神干渉による幻覚など、それとして認識させない方法はいくつか考えられる。
もっとも、存在を知られないことが目的なら、目撃者を消した方が手間もかからないから、その可能性が一番高いと思うのだけど。
「もちろんそれもありえます。ただ、『あの時』の状況を考えると、魔族が本格的に侵攻したなら、もっと大々的に姿を見せる可能性は高いと思います」
「……なるほど……つまり、魔族がいないとは断言できないまでも、いても数は少ないのではないか。そういうことね?」
顎に手を当て、細く長い息を吐いた。
「はい、その可能性はあります」
「探査はしたの?」
ムラサキの能力に思い当たり、疑問を投げかけた。
「していません。可能ですが、もし近くにいれば気づかれる可能性もあったので」
「そう……」
目を閉じ状況を整理する。
現時点での私達の主たる目的はフィルの復活であって、魔族の抹殺ではない。魔族が邪魔をしないなら、ひとまず敵対行動はしない。
もちろん私達がそう考えても彼らがどう考えるかは分からないから、気づかれないことが最善なのは間違いない。
「もし必要であれば行いますが、どうしますか?」
ムラサキは背筋を伸ばしたまま、覚悟を決めたような表情になる。
私が「して」と一言言えば、ムラサキは実行するだろう。
しかし、相手を探す行動というのは、相手からの反応を期待することに他ならない。
たとえば、水面に石を投げ入れて波が起きた時、どのような波が岸に到達するかをもって、石から岸までの間に何かがあることを知ることができる。
だけど、それは何らかの波が起きる事象があった、ということを相手も知る余地があるということに他ならない。
自分達だけが気づくことができる前提でいると、思わぬところで足下を掬われかねない。
「いえ、そこまではしなくていいわ」
ひとまず魔族との接触が回避可能と分かればよい。護仕達も可能性を理解していれば、自分達のすべきことはさすがに分かっているはずだ。




