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策動(21)

 一方、ハネナガは――おそらく話題が「孤児」の設定にこれ以上踏み込まれることを避けたかったのだろう――明るい声を放ち、話題を強引に切り替えにかかった。

「ツィタさんは? 今日も冒険者ギルド?」

「そ。まぁ用事はもう済んだんだけどね」

 言葉に合わせ、ツィタは大きく伸びをする。肩に手を添えて回す仕草からは、疲労が見て取れた。


「済んだの?」

 大して驚いてもいないだろうに、ハネナガは大きく目を見開く。

 一々大袈裟だと思うが、そう思ってしまうのはハネナガの本性を知っているからなのだろう。

「そう、昨日、ハンナと別れてから依頼を受けてね、その報告に立ち寄ったのよ」

「ひょっとして夜もずっと?」

 続くハネナガの問いに、ツィタの口角が僅かに持ち上がり、自嘲めいた微笑みが浮かぶ。

「ええ、徹夜だったの。お肌の天敵よ、ほんと」

 軽妙な語り口ではあったが、そう意識して聞けば、長い夜の名残りの空元気のようにも思える。

 夜通しの仕事の大変さは知識として理解していたが、実際に経験したことはない。とはいえ、それがどれほどの負担かは想像に難くない。


「それなのに依頼を受けたの?」

 ハネナガの声が一段高い音域へと跳ね上がり、子供らしい驚きを表現した。

「割がよかったからね。これから家に帰って寝るわ」

 ツィタは首を振る仕草で疲れを払いのけるように見せ、マントの襟元を整えた。疲労の表情の中にも、任務を終えた解放感が垣間見える。

「家って、ツィタさんの家? 南にあるっていう?」

「ええ、そうよ。さすがに今の時間から宿を探す方がめんどくさいし」

 一刻も早く休みたい。そんな心の声が聞こえるようだった。

 ハネナガは素直な子供の表情で頷く。

「そうなんだ」

「こんな状況でもなければハンナ達を私の家に案内してもよかったんだけど」

 ツィタは少し残念そうに肩をすくめた。

 その言葉が耳に入った瞬間、俺は俯いたままツィタの動向を追うように視線だけ上げる。

 これは手間をかけずにツィタの家の場所を把握できるのではないか、という期待が胸の内で膨らんだ。


「? すごく遠いんじゃないの?」

 ハネナガは何気ない好奇心を装いながら、情報を引き出す釣り針を垂らす。

 ツィタの表情に静かな自信が浮かび、答える声にはそれが滲んでいた。

「遠いけど、私は【賢者】だからね。ハンナ達を連れていくぐらい本来は余裕よ」

 その言葉とともに、彼女は軽く胸を張った。

 【賢者】という言葉で、彼女の意図はすぐに理解できた。おそらく【飛翔】の祝詞を使うということだろう。

 徒歩に次いで遅いものの、同行者を連れての移動が可能という利点がある。

 ……あるのだが、俺達のいた時代、そして神族の方々にとって【賢者】という職種(クラス)は、口さがない言い方をすれば外れ職種で、間違っても胸を張るようなものではなかった。

 それが人族の中では誇らしげに語れるのだから、まったくもって世の中どう変わるかわからないものである。


 などと俺が考えていると、ツィタが首を大きく振り、それに合わせて銀髪が踊った。。

「さすがに今日は寝不足だからね。万一のことを考えると、同行はさせられないわ」

 確かに、【飛翔】は移動中に『飛翔行為』の制御に集中しなければならない。

 慣れていれば無意識で使える【浮遊】とは違い、意識を必要とする。

 空中で集中が途切れれば墜落のリスクが高く、詠唱に数秒を要することから、途中での再詠唱はほぼ不可能に近い。

 まして、同行者を伴っての飛翔となれば――その制御難度は、一段どころか、二段も三段も上がるだろう。

 それを「寝不足だけど、大丈夫大丈夫、なんとかなるわ」などと無茶を言わないツィタの判断は、理知的と言えるだろう。


「ううん、そんな無理してもらわなくていいから」

 ハネナガは首をぶんぶんと振りながら、つま先立ちになった。小さな体をいっぱいに使って遠慮を示すその姿は、まるで純真な子供そのものだった。

 だが、その態度の裏に計算された意図があることを、俺は知っている。

 ツィタに無理をさせまいとする言葉は、謙虚さを装った拒絶だ。

 もし、飛翔の最中にツィタの集中が切れでもすれば、墜落という最悪の事態が起こりかねない。

 そんなとき、俺たちが“ただの孤児”でないこと――【浮遊】を自然に行使できる存在であることが露見する。

 それを避けるための、巧妙な防御線だった。

「あら、そう? 子供なのにそんな謙虚な……でも、生い立ちを考えるとそうなっちゃうか」

 ツィタは一人物思いに耽るように俯いた。

 俺たちの本当の意図など微塵も感じ取ることなく、彼女なりの理解で状況を解釈したようだ。


「ツィタさん?」

 ハネナガの声に彼女は我に返り、考えを振り払うように首を振った。

「ううん、なんでもない。さて、私はそろそろ帰るわ。二人とも元気で、またどこかで会いましょうね」

 そう言って、ツィタは笑顔を向けた。主にハネナガに向けて。

 そうやって俺をいないものとして扱ってくれると、俺としてはとても気楽だし、ありがたい。

「うん。じゃあね、ツィタさん」

 ハネナガは小さな手を高く掲げて大きく振る。その仕草は無邪気さな子供そのもので、とても演技とは思えない。

 俺もハネナガに続いて、精一杯の挨拶をする。

「……さようなら……」


 ツィタは微笑んで小さく頷くと、すぐに視線を天に向け、目を閉じた。

「空の(きざはし)、集う螺旋、囁く風と、舞う羽衣よ、蒼路(そうろ)を開け」

 澄んだ声で紡がれる詠唱で、空気がざわりと揺れ、最後の音とともに、ツィタの周囲に風が渦巻き始めた。

 銀髪が風で舞い上がり、赤いマントの裾が旗のようにはためく。立ち上る風の渦が彼女の姿を包み込み、そのままゆっくりと地上から身体が浮かび上がっていった。


 俺は、青空へと昇っていくツィタの姿を見上げながら、その進行方向へと視線を固定する。

 ゆるやかに揺れる赤いマントが、青空に一筋の軌跡を描き出していく。

「……あれを追えばいいんだな?」

 視線を逸らさず、ハネナガに問いかける。

 【飛翔】の速度程度であれば、余裕で追跡可能だ。ツィタの背を目に焼き付けたまま、ハネナガの応答を待つ。

「うん、そう。こっちへきて」

 ハネナガは路地の奥へと身を隠すように移動する。

 人目を避けるために、より暗い影へと入り込む。ここなら変容の瞬間を誰にも目撃されることはないだろう。

 深い息を吐き、全身に力を込める。姿を変えた後、俺は追跡を開始した。ツィタの飛翔の跡を、慎重に追っていく。


 ◇ ◇ ◇


 北東から南西へと流れる風を全身に感じながら、俺はツィタの姿を追い続けていた。全身を周囲の景色と同化させ、高度を保ちながら慎重に進んでいく。

 遠く、青空の中で赤いマントが風に揺れている。ツィタの姿だ。

 そのシルエットは小さくなることなく、一定の距離を保っている――俺の追跡にまったく気づいていないのだろう。

 ……しかし、方角が妙だ。

 話では「南」と聞いていたが、進路はどう見ても南というより、西南西に近い。

 これまで空から見てきた地上の様子を頭に思い浮かべながら、進行方向を確認する。

 あれを単純に「南」と表現したのなら、あまりにも大雑把な認識と言わざるを得ない。

 四時間ほどの追跡の末、ツィタは四方を水に囲まれた土地へと降り立った。どうやら、そこが彼女の言う島らしい。

 赤いマントが風になびく姿を最後に、彼女は木造の小屋の扉をくぐって姿を消した。

 その姿を見送った後、俺は上空から島全体を見渡しながら、慎重に様子を探ることにした。

 陸は端から端まで、健脚の者なら日の出から正午までに歩き切れるほどの広さ。中央部は少し小高くなっており、小川がその斜面を縫うように流れている。

 島の北側は穏やかな白い砂浜が広がり、対照的に南側は荒々しい岩場が波に洗われている。島全体の大部分は深い緑の森に覆われている。

 沿岸部と中央部の中間には集落が確認できた。木造の家屋が三十戸ほど立ち並び、藁葺きの屋根と、丸太と粘土で造られたと思われる壁が特徴的だった。畑とおぼしき区画も点在し、島の住民が自給自足をしていることが窺える。

 この生活様式や規模感は神族の方々が生活していた村と似通っている印象だ。

 もちろん、それはあくまで上空からの観察による印象に過ぎない。実際に地上に降りれば、また違ったものが見えるだろう。

 ツィタの住む島として、この位置と規模の情報は十分だろう。あとはこの情報を持ち帰り、シチビたちに託す。それが俺の役目だ。

 俺は最後に島をもう一度見渡してから、ツィタの家のある島を後にし、帰路についた。ツィタの速度に合わせる必要がない分、気楽だった。

 風を切る音だけが、静かな空に響いていた。


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