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策動(20)

「くっ……とにかく標的を教えろ。それさえ分かれば後はどうとでもなる」

 これ以上揶揄されたくなくて、拳を握り、語尾に力を込めた。

「どうとでも、ねえ……」

 ハネナガの眉が弧を描き、視線が俺を評価するように上下した後、壁を蹴るような動作で体を起こした。

「いいから! どこにいるんだ?」

 ハネナガの視線が路地の出口、人通りの多い道へと向けられ、まるで何かを探すように首を伸ばす。


「いるとしたら冒険者ギルドかな……それなりに人族がいる上に、僕達の姿は関心を持たれやすいから、事前に練習しておいた方がオナガのためにはいいと思うんだけど、オナガがいいというなら」

 その言葉を耳にした途端、胸の内に不安の種が芽生える。

 さっきは女性一人だったが、それが数名から話しかけられるとしたら……。

「あー、いや、やっぱり……」

 口を開きかけたものの、言葉が形にならない。


「……って、いた!」

 ハネナガの突然の声に、思わず肩が跳ね上がった。

「いた? どれだ?」

 多数を相手に愛想を振りまくなんてと気後れしていたが、そんな状況にならずに済んで安堵と同時に俄然やる気が出てくる。

 慌てて路地の隙間から人混みを見渡すが、ハネナガが見つけた「それ」がどれかは掴めなかった。

「あの少し長身で銀髪で、暗い赤のマントを羽織ってる女性」

 ハネナガの声に導かれ、視線が人混みを素早く走査する。雑踏の向こう、行き交う人々の間から、指し示された特徴を持つ姿を捉えた

 その銀髪が陽光に照らされて輝いているのが印象的だった。


「あれか」

 俺が低く呟いた瞬間、その女性がこちらへと歩み寄ってきた。いや、正確には――ハネナガに向かって真っすぐに。

「ハンナ、どうしたの、こんなところで」

 ハネナガが一歩前に踏み出し、無邪気さを纏った笑顔へと変わる。だが、その表情の下に潜む計算高さを、俺は知っている。

「こんにちは、ツィタさん」

 久しぶりの知人に声をかけるような親しみを込めて挨拶するハネナガ。

 銀髪の女性――ツィタと呼ばれたその人物は、ハネナガの向こう側に立つ俺へと顔を向けた。

 その視線から明らかな興味が窺え、思わず体が緊張する。


「あら、みない顔ね? もっとも、この町に住んでない私からしたら大半みない顔だけど」

 軽口なのか探りなのか判別がつかず、どう応じるべきか迷った。

 俺が言葉を探している間に、ハネナガの小さな体が俺とツィタの間に滑り込む。

「こっちはオズ、僕の兄……みたいな存在。ね、オズ」

 ハネナガなりに場を取りもというと紹介したのだろうが、そのせいで何も答えないままというわけにはいかなくなった。

 そう、ハネナガに悪意はない。

 俺はハネナガの善意の罠にかかったような心持ちで、喉の奥から絞り出すように声を放つ。


「……こんにちは……」

 ツィタは一瞬眉を寄せた後、俺達を見比べるように視線を行き来させた。

「あらあら、社交性だけみたらどっちがお兄さんかわからないわね」

 何気ない比較の言葉に、内心で一言言わずにはいられなかった。

 兄が必ずしも弟より優れているとは限らない。そもそも「兄」とは先に生まれたという事実を意味しているにすぎず、それ自体が何か特別な資質を意味するわけではない。

 それに、そもそも俺はハネナガの兄ではないし、社交性なんてものはハネナガが発揮すればいいだけのものだ。


 俺の目が知らず知らずのうちに険しさを増したのか、あるいは全身から滲む不満の気配を感じ取ったのか。

 ハネナガが場の緊張を和らげるように、軽やかな声で言葉を投げかけた。

「オズは見知らぬ人相手だと緊張しちゃうんだ」

 ツィタの首が傾き、漆黒の瞳が俺の表情を丹念に観察する。真っ直ぐな銀の髪が、その動きに合わせて光を受けて揺れた。

「そうなの? ひょっとしておずおずとかそういう様子からとった偽名だったり?」

 冗談めいた口調を装っていたが、その一言が心臓を直撃する。

 偽名だと気づかれたという事実に、鼓動が耳の奥まで響き渡り、指先まで震えが広がるのを必死で抑えた。

 幸いなことに、俺の口は軽くなかった。表情を変えず、ただ沈黙を保つ。何か返していたら、きっとボロが出ていただろう。


 一方、ハネナガは日常会話を紡ぐように、何の動揺も見せずに応じた。彼の表情は自然な笑顔そのもので、言葉の端々にも迷いはない。

「うーん、どうなのかな。僕たちいつの間にかそう呼ばれていたから、名前の由来はよくわからないや」

 一切の動揺も見せず、まるで記憶の彼方から情報を引き出すような仕草と口調は完璧だった。嘘を吐く者の震えも、偽りを語る者の目の動きも、その姿からは微塵も感じられない。

 ――こいつは本当に、こういうところがそつがない。

 もしもシチビやユーカクのような見た目なら、今のやり取りももっと疑われたかもしれない。

 だがハネナガは、どう見てもただの子供にしか見えない。その無垢な顔立ちと、完璧とも言える間合いで繰り出される笑顔から、作為を見抜くのはほぼ不可能だろう。

 ……ここまでくると、もはや悪質ですらある。


「いつの間にか? 孤児ってこと?」

 ツィタの問いかけは自然な流れからの質問だったが、それでいて俺たちの設定に踏み込んでくるものだった。詳細を求められると、嘘の整合性を保つのが難しくなる。

 ハネナガが憂いを帯びた力ない笑顔へと表情を変えて言葉を紡いだ。

「そういうことになるのかな……物心ついた時にはオズがいたんだよね」

 その語り口には一片の不自然さも感じられない。

 実際、ハネナガの視点では事実そうなる。だからハネナガはこの点について真実を語っているだけだ。その背景はツィタの想像するものとはまったく異なるのだが。


 しかし、ハネナガの流れるような言葉と絶妙な間の取り方は、孤児であることを直接肯定せずとも、聞き手の心に「孤児」という認識を刻み込むのに十分な力を持っていた。

 真実を知らないツィタは小さく頷き、眉が弛んだ。

「それは大変だったわねえ……ひょっとして今も大変だったりする?」

 ツィタの言葉には間違いなく気遣いが織り込まれている。

 ――が、ハネナガの本性を知る者としては、完全に騙されているツィタに同情の念が湧いてしまう。

「大変……かどうかはよくわからないや」

 ハネナガの首が傾き、視線が左右にさまよう。前髪の隙間から覗く翠の瞳は焦点が定まらず、瞬きが増えた

 入念に計算されたその仕草は、傍から見ると健気な子供の反応にしか見えない。


「ああ、それはそうよね。ずっと大変なら大変だなんて思うきっかけがないものね」

 ツィタの黒い瞳が僅かな円弧を描き、細められた。

 どうやら、ハネナガの演技に乗せられた彼女は、「孤児」という虚構を事実として受け入れてしまったようだ。

「……」

 俺は言葉を挟む隙間もなく沈黙し、ハネナガもおそらく意図的に口を閉ざしていた。

 ツィタは、俺達の反応に気づいたのか、眉間にかすかな皺を刻み、気まずさを隠すように微笑んだ。

「ああ、ごめん、ちょっとした独り言よ」

 声量が落ち、自らの踏み込みを悔いるような表情が浮かぶ。

 巧みに誘導されるツィタを見て、俺は内心で同情したが、それを表に出すことはしなかった。


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