策動(17)
ギルドを出て、ツィタさんと二人きりになった僕は、並んで歩きながら問いかけた。
「ツィタさんは……どうして、さっきあんなことしたの?」
彼女は銀糸のような髪を指先で弄びながら足取りを緩め、少し考えるような間を空けた。
「そうねぇ……子供にはちょっと難しいかもしれないけど」
そう前置きしてから、ツィタさんは僅かに声を落とした。
「冒険者っていうのはね――なめられたら終わりなのよ」
「……終わり?」
僕はあえて理解していない素振りを見せた。
なめられたら終わりというのは、なめられた程度で全てが終わると言っているに等しく、それは裏を返せば、実は大したことがないということの証左なのだが、それを口にすれば彼女は機嫌が悪くなるだろう。
もっとも、フィルダ様になめた口を聞くような存在がいたら、僕達は容赦しないが。フィルダ様が軽口に寛容であろうと、世の中には踏み越えてはいけない一線というものはある。あの皮肉まみれでひねくれ者のオナガでさえ、そのあたりは弁えている。
彼女は腕を組み、表情を引き締め、視線を斜め下へと落とす。
「そう。弱いところを見せたら終わり。その隙にね、つけこんでくる連中ってのが、世の中にはいくらでもいるのよ」
僕はほんの一息置いてから問いを投げた。
「ツィタさんは一流なのに?」
その言葉に、彼女の足取りがぴたりと止まった。
黒曜石のような瞳が僕を捉える。
驚きの表情が一瞬浮かび、すぐに口元が緩み、やがて含み笑いへと変わっていく。
「……ハンナ、ちょっとすごいわね。狙ってやってる?」
「狙って?」
首を傾げて、瞬きを数度。純朴な子供の仮面を計算ずくで張り付ける。
彼女は一流であるという自負を持つ。その部分に触れれば機嫌が良くなるという予測通りの反応だった。
「ああ、いえ、なんでもないわ」
ツィタさんは一呼吸置き、首を静かに振った。再び足を進めながら言葉を続ける。
「一流だからこそ、つけこまれたらいけないの。力がある分だけ悪用されるのは避けなきゃいけないからね」
「……ふーん……」
彼女の力量はさておき、他者の力を都合よく利用しようという輩はどこにでも存在する。その点に異論はない。
ツィタさんは僕の反応を見て、ふっと表情を和らげた。申し訳なさそうな、あるいは少し戸惑うような表情を浮かべる。
「子供には難しかったかな。大人の世界には複雑なことがたくさんあるのよ」
「……よくわからないや」
彼女の実力がどの程度で、なぜそれを利用されることを恐れているのか、「よく分からない」という意味を込めて返した。
ツィタさんは銀髪を後ろへと流すように払い、柔らかな微笑みを浮かべる。
「そうでしょうね。私も――小さい頃は、わからなかったわ」
その声の最後に少し遠い目で空を見上げた。
「……大人って、大変?」
ツィタさんはまるで見えない何かに躓いたかのように、一瞬バランスを崩した。
目を丸く見開き、瞬かせる様子が印象的だ。
「おふっ……子供って残酷な質問をするわね……」
彼女は一度深呼吸した後、姿勢を整えて苦笑する。
「そうね、大変。力があっても大変、力がなくても大変、力が中途半端にあっても大変。……もう、大変なことしかないのか、ってぐらい大変」
確かに、力を発揮できない記憶喪失の状態と知られたシュミル様は標的とされ窮地に立ち、フィルダ様のような至高の力を持つ者には利用しようという輩が群がってくる。
そんな記憶の断片が脳裏に浮かび、僕は静かに頷いた。
「よくわからないけど……大変だってことはわかった」
彼女の事情を完全に理解できたわけではない。
だが、彼女自身が「大変」と感じていることは、言葉の端々から伝わってきた。
僕の返答に、ツィタさんは肩の力を抜き、ほっとしたような表情を見せた。
口元に小さな笑みを浮かべながら、声を落として続ける。
「そうなのよ。思わぬ拾い物が大変な拾い物だったりとかね」
「……拾い物?」
疑問を投げかけると、彼女は顔を上げ、天を仰いだ。
青く澄み渡る光景を一瞥した後、視線を僕へと戻す。
「そう、拾い物」
諭すように、少し低い声で言葉を紡いだ。
「ハンナも――拾い物には注意しないとダメよ?」
「……どう注意したらいいかわからない」
言葉の真意が掴めず、率直に告げた。
この町に溶け込むために最初に着替えた衣服も拾ったものだ。それをどう警戒すべきなのか、彼女の言葉からは読み取れない。
彼女は額に指を当てながら、深い溜息をついた。
「はぁ……それもそうよね。……正直に言うと、私も、よくわからないのよ」
どこか自嘲めいた響きを帯びた言葉。だからこそ、本音の一端が垣間見えるようにも感じられた。
思わず、言葉が口をついて出た。
「……ツィタさんは、困ってるの?」
その瞬間、彼女の表情がふっと崩れた。
「ぷっ……まったく、ハンナは……」
片手で思わず口元を抑え、肩を小さく震わせた。
「ひょっとして私が、依頼する側になると思ったの?」
「ううん、ただそんな風に見えただけ」
僕が否定するように頭を動かすと、彼女は困ったように視線を伏せ、肩をすくめて小さく呟いた。
「はぁ……こんな子供に見透かされるようじゃダメね」
「だめなの?」
素直に問いかけると、彼女は首を横に振った。
何かを払い除けるような動き——その瞬間に銀髪が風を受けて優雅に広がる。
「そう、だめなの。いくら私でも猛獣の前に小動物を差し出すほど無慈悲じゃないわ」
「???」
言葉の意味が掴めず、首を傾げるしかなかった。
彼女は僕の反応を見て、くすりと笑って、柔らかな表情になった。
「ふふ、なんでもないわ。さて――ギルマスの機嫌も、少しは直ったかしらね」
「冒険者ギルドに戻るの?」
問いかけに、ツィタさんは足を止めて腕を組み、考え込むような表情を見せた。
「私はね。……でも、ハンナは家に帰った方がいいわ。このあとはね、大人の、めんどくさーい、聞いててもつまらなーい話が待ってるだけだから」
大袈裟に肩を落とし、子供向けの冗談のような調子で語りかけてくる。
これ以上、この場で彼女を探るのは不自然か。
「ツィタは……いつも、どこに住んでるの?」
突然の問いに、彼女は目を丸くし、小さく笑みを漏らした。
「言っておくけど――押しかけられないところよ?」
「押しかけられないところ?」
彼女は視線を上方へと漂わせ、わずかな間を置いてから言葉を紡いだ。
「そ。ここから南、ずーっと南に島があるのよ。そこに住んでるの」
何の気なしに含まれた単語に気づき、僕はさも初めて聞いた風に口を開いた。
「島って?」
地理的な知識の欠如を示す僕の反応に、彼女はあっ、と手を口に当てた。
当然、島ぐらい知っているが、この町にいる僕を知っている人族は、僕をみすぼらしい孤児と認識している。内陸に位置するこの町で、衣服に気をつける余裕もない孤児が、島を知っているのは、やや不自然と言える。
もちろん、ありえないとまでは言えないが、どこでそれを知ったのかを言及されるぐらいなら、知らないフリをした方が無難だろう。
「ああ、そうか、島って言ってもわからないか。うーん、まわりが水で囲まれた場所よ。ここだとなかなか縁がないけど、そういう場所もあるのよ、世界には」
彼女は手の動きを交えながら説明を始めた。
「そうなんだ……」
こうして見ると、冒険者ギルドでの印象は乱暴者でしかなかったものの、その実、そのように振る舞っているだけというようにも見える。
僕を相手にすると、多くの態度が軟化する傾向にあるので、僕相手だからなのか、僕以外にもそうなのかまでは分からないのが難点だ。
「なかなか想像するのは難しいかもね」
ツィタさんは遠い景色を見つめるような目をしていた。
「でも……まぁ、機会があれば。そういう場所に行くこともあるかもしれないわ。……そういう機会が、ハンナにもあるといいわね」
「うん」
僕の素直な返答に、彼女は黒い瞳を細め、満足げな表情を浮かべた。
「よし、いい返事」
軽やかに手を上げ、小さな別れの仕草を演じる。
「それじゃあね。また――どこかで会うこともあるかもね」
「うん!」
胸の内の喜びが溢れるような子供らしさを演じながら、手を振り返した。
彼女が背を向けて歩き始める姿を見送りながら、静かに息を吐く。
(……冒険者ギルド、そしてツィタ)
彼女の言葉、住まい、振る舞い——すべてが情報として価値を持つ。
シチビたちと共有しておくべきだろう。




