策動(15)
ツィタさんは瞳を細め、満足げな表情を見せた。
「そう。私はツィタ。一流だから依頼料は高いけど、受けた依頼は確実にこなす凄腕冒険者。またの名を南の賢者よ、覚えておいて」
言葉が途切れると同時に、銀髪が肩先で優雅に揺れた。
「……凄腕、冒険者……」
思わず目を見開いた。称号よりも、その「凄腕」という表現の軽さに驚きが広がる。
――凄腕、か……。
フィルダ様と比較すること自体、そもそも不適切な発想だ。
足元にも及ばない、視界にさえ入らない遥か彼方の存在が「凄腕」を名乗るとは――と、一瞬、皮肉が胸中に浮かびかけた。
……っと、危ない。
内心で思考の流れを遮る。
オナガじゃあるまいし、このような皮肉は僕らしくない。
「純朴な子供になんてことを吹き込みやがる……」
ギルマスさんは額に手を押し当てた。
その傍らでツィタさんは腕を組んだまま、冷ややかな視線をギルマスに送りながらも全く動じる気配がない。
銀髪がゆるやかに揺れる中、わずかに上向いた唇からは揺るぎない自信が感じられる。
「なにもおかしなことは言ってないでしょ? 安い冒険者と思われても困るから、ちゃんと高いって最初に言ってるし」
その断固とした物言いに、ギルマスさんは目を閉じ、長い息を吐き出した。
「だからな……子供に言う話じゃないんだよ、それは……」
「お姉さんに依頼するとしたら、いくら?」
僕の問いかけに、ツィタさんは顔を輝かせた。
「まあ! お姉さんだなんて、この子、わかってるわね」
銀髪を一振りし、身を乗り出してきた。
ギルマスさんが腰を落とし、僕の肩に暖かな手を置いた。真剣な眼差しで、眉間に深い溝を刻みながら。
「坊主、いや、ハンナ、だまされたらいかんぞ、あいつはああ見えて……」
注意の言葉が全て紡がれる前に、ツィタさんが片手を軽やかに舞わせ、会話の糸を断ち切る。
「はー、せっかく難易度の高い依頼を受けようかと思ってたのに、やる気失せてきちゃったなー」
わざとらしい調子で言葉を投げかける。
ギルマスさんの表情が引き締まり、額に青筋が浮かびかける。
「この野郎……」
彼女はまったく気にした様子もなく、銀髪を指先で弄びながら涼しげな声で応じた。
「やだ、ギルマス、目が悪くなったんじゃない? 私はどこからどう見ても女よ?」
ギルマスさんは深いため息をつき、肩を落とした。
「このギルドにいる誰もお前を女として扱ってねえよ」
ツィタさんはわざとらしく目を見開き、両手を胸の前で広げる。
「なにそれ、ひどくない? じゃあ、何として扱ってるわけ?」
間髪入れずに問い返す声は、冗談とも挑発ともつかない響きが感じられた。
ギルマスさんは両腕を広げ、肩をすくめる。
「珍獣枠以外あるか」
「――あら、それ、いいじゃない。珍獣。それだけで珍しくて価値があるってことでしょ?」
全く悪びれる様子もなく、「その表現、気に入ったわ」とでも言いたげな眼差しを向けている。
ギルマスさんは目を閉じ、こめかみを押さえながら呆れ混じりの声を零した。
「……前向きすぎて頭痛くなってくるわ」
ツィタさんは片手を腰に添え、胸を張り、爽やかな調子で言葉を返す。
「やーねー、ギルマス、年かしら? 冒険者なんてこのぐらい前向きじゃなきゃやっていけないわよ」
周囲の人々が、まるで息を合わせたかのように声を揃えた。
「「「いや、さすがにあれは無理だわ」」」
見事に重なり合った声に、日頃からの練習を疑いたくなる一体感。
その反応から一つのことに思い当たる。
珍獣扱い、ということは……普段ここにいないということなんだろうか。
存在は知られ、実力も認められている。けれど常にここにいるわけではなく、どこか浮いた立ち位置にいるのかもしれない。
「前向きなお姉さんは普段いないの?」
僕の問いかけに、彼女は黒い瞳を細め、興味深そうな表情を浮かべた。
「まぁ、この子、ひょっとしてほんとに依頼する気なのかしら?」
「依頼するかはわからないけど……受けた依頼は、確実にこなすんでしょ?」
僕は思惑を隠蔽し、純粋な好奇心ゆえの疑問を装った。
実際、彼女の実力は未知数だ。フィルダ様を蘇らせることができる人物かどうかは分からない。
けれど――使える駒は多いに越したことはない。重要なのは「今すぐの力」ではなく、「将来使えるかもしれない可能性」だ。
「ええ、そうよ」
彼女は胸元を張り、誇らしげに微笑んだ。
「頼まれたことは全部成功させるツィタとは私のことよ」
その言葉に、ギルマスさんが再び額に手を添えた。
「そんなこと誰も言ったことねえだろう」
ツィタさんは指先を優雅に舞わせながら涼やかに返した。
「私が許可するわ。これからそう言っていいわよ」
「言うかよ……」
ギルマスさんの声は諦め疲れたのか吐き捨てるようなものになっていた。
ちょうど流れがいい。他の有力者も探っておこう。
「他に、そういう冒険者っていないの?」
その瞬間、ツィタさんの表情が一変し、鋭い視線を向けてきた
「だめよ、ハンナ」
人差し指をぴんと立てて諭すように語りかけてくる。
「女性に声をかけたら、一途に返事を待たないと。浮気はよくないわよ?」
僕の真意を見透かしたわけではないだろうが、話の流れが強引に変えられた。
煩わしいが、ここで無理に押し通すのも不自然だ。
内心の不満を隠し、自然な仕草で彼女を見上げる。目を丸くし、「教えられた子供」のように首を傾けた。
「……そうなの?」
いかにも「素直だけど、少し疑問を持った」という態度で応じる。
一方で、ギルマスさんはもはや黙っていられなかったらしい。
「お前……断る気満々だったじゃないか」
言葉の端々に呆れと皮肉が色濃く滲んでいる。
ツィタさんは片手を軽やかに動かし、悪びれる気配もなく応じた。
「でも、断ってはいないわ」
まるで当然のことのように。その口調には不思議な優雅さすら漂っていた。
ギルマスさんは目を細め、口元を不満げに歪めた。
「それ以前に依頼されてもいないけどな」
「いいでしょ、別に。ちょっと話を聞いてあげようかなーって気になっただけよ」
そんな気まぐれで貴重な会話の糸を断ち切らないでほしいものだ。
ギルマスさんは腹の底から深く長い息を吐き出し、手を額に当てた。
「はぁ……それでいたいけな少年に現実を叩きつけることになるんだろ」
「はいはい、じゃあ、傷つけないようにしておくわよ」
ツィタさんは手を動かし、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
そのまま僕に視線を注ぎ、銀髪を指先で弄びながら言葉を紡ぐ。
「でも、ハンナ、私の名前と――私が高いってことはちゃんと覚えておいていいわよ」
僕は首を傾げた後小さく頷き、「意味を理解していない子供」を演じた。
ギルマスさんは疲れと優しさが混ざった表情で語りかけてきた。
「ひどいことばかり記憶に残しやがって……。まあ、なんだ――ハンナ」
言葉を紡ぎながら、僕の肩に優しく手を置く。
「依頼は、なにもツィタだけがこなせるわけじゃない。困ったことがあったら、まずはここに来い。俺が相談に乗ってやる」
お金の問題は未解決だが、それを解決するのが必ずしも僕である必要はない。
今は信頼できる窓口の確保こそが最優先事項だった。
「ありがとう、ギルマスさん」
視線を真っ直ぐに向け、感謝の言葉を口にした。




