策動(12)
~ハネナガside~
僕はつま先から踵まで軽やかに弾ませながら、土を踏み固めた通りを歩いていた。
行き交う大人たちの間をすり抜けるように、小柄な体を滑り込ませながら進む。
「こんにちはー!」
いつもの、と言ってもいい商家の入り口から、声を弾ませて呼びかけた。
「おや、ハンナちゃん、今日も元気だね」
女将さんは帳面から目を離し、柔らかな微笑みを纏いながら店先へと姿を現した。
「へへへ、元気だけが取柄なので」
両手を背に回して組み、床を爪先で軽快に叩くと、女将さんの顔に温かな笑みが広がった。
「ふふ、言うねえ、ハンナちゃんを見ているとこっちも元気になるよ。これでも持っていきな」
女将さんはくるりと背を向け、年季の入った木製の棚へと足を向けた。きしむ音が小さく響く中、高い棚から四角く折りたたまれた麻布の小包を取り出し、両手で差し出してきた。
僕は包みを両腕で抱えるように受け取りながら、眉を寄せて申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「ありがとー。でもいいの?」
「いいんだよ。たぶん売れないだろうと思ってるものだから。気にせず持っていきな」
女将さんは手のひらを軽やかに舞わせ、少し肩をすくめて言った。
僕は両腕で包みを大切そうに抱き寄せ、感謝しているように振る舞う。
「わかった、なにかできることがあったら言ってね」
「ふふ、まるで冒険者みたいだね」
女将さんは笑い皺を刻みながら、くすくすと笑い声を漏らした。
「……冒険者?」
聞き慣れない言葉の響きに、僕は首を傾げる。
「そう、困りごとを解決してくれる人達のことさ」
「へええ~」
わざとらしく目を丸くし、ことさら大仰に感嘆の声をあげた。
なんとも奇特な存在もいたものだ。
僕の反応に、女将さんは意外そうに目を見開いた。
「おや、ハンナちゃんは知らなかったのかい?」
どうやらこの時間において、冒険者というのは一般的な存在のようだ。
「うん、そういうのと縁がなくて」
微笑を作り上げながら答えたが、声は心の奥底から沈みがちに零れ落ちた。
フィルダ様がいれば、「困りごとを解決してくれる誰か」など必要なかった。あのようなことさえなければ――。
思考が過去へと引き寄せられるうちに、表情の仮面がわずかに外れ、視線は木目の床へと沈んでいた。
けれど僕の様子は、冒険者という言葉を知らない恥ずかしさからくるものと映ったのだろう。
女将さんは一歩踏み出し、僕の肩に手を添えた。
「そういえばハンナちゃん、最初はボロボロだったものね」
記憶の糸を手繰るような静かさで語りながら、肩をぽんぽんと励ますように叩く。
僕――いや、僕たちが最初に纏っていた衣装は、この時代の装いとはまるで違っていた。怪しまれないよう、廃棄された衣服から使えるものを拾い集め、何とか馴染む格好に整えたのだ。
そのせいで僕に対する彼女の認識は、ボロボロの服を着たみすぼらしい孤児、というものになったようだ。もっともそれで『過去の存在である』可能性を隠せるのだから問題ない。
今は町の子供と見分けがつかない服に変わっているのだから。
「冒険者が寄り付かないような場所からきたのかもしれないね」
女将さんは僕の方を見て、一瞬だけ心配そうな表情を浮かべた。
「うーん、そうなのかな? 僕にはよくわからないや」
眉と眉の間に細い溝を刻み、視線を宙の一点へと逃がした。表情に影を落とすこの小さな演技だけで、相手から同情という名の糸を引き出すには十分だった。
どうやら冒険者という存在はどの地にも根付いているわけではないらしい。この時代については何も知らないのだから、それは演技ではなく素直な無知だった。
女将さんは胸の内で何かが解けたように表情を緩め、閃きを得たかのように目の端を引き締めた。。
「そうかい、それじゃ今後縁があるかもしれないし、冒険者ギルドの場所を教えておこうか」
「冒険者ギルド?」
思わず顔を持ち上げ、未知の言葉に好奇心が瞳に明かりを灯した。この反応は、計算された演技であり純粋な驚きでもあった。
「冒険者の取り纏めと、仕事の斡旋をしているところさ。冒険者が依頼を受けるための場所なんだよ」
「へえー、そういう所があるんだ」
口元を開いて驚きの表情を織り上げた。おっと、それだと驚いていないみたいか。驚いたのは事実。
てっきり困っている人族を助けて回る存在だと想像していたが、違うらしい。取りまとめがいて斡旋を行うとは。人族の考えはよくわからない。まるで善意の押し売りをしているようだ。
女将さんは身を僕の方へ寄せ、言葉を続けた。
「そうなんだよ。困ったことがあったら行ってごらん。お金は必要になるけどね」
「え、お金が必要なの?」
思わぬ障害を告げられ、視線を下げて考え込む。
このお金というものをまだ手に入れられていなかった。食べ物や衣装は恵んでもらえるが、お金には出会っていない。物々交換の実感もなく、「そういうものがある」という知識だけ。慈善の範囲では手に入らない存在だった。
「そりゃそうさ、冒険者も霞を食って生きてるわけじゃないからね」
女将さんは胸を張り両手を腰に当て、常識として説明してくれた。
その瞬間、ひとつの発想が脳裏に閃いた。
「じゃ、僕が冒険者になればお金がもらえるってこと?」
フィルダ様およびそれに連なる方以外の誰かを助けるというのは、胸の奥に小さな反発を呼び起こす。
とはいえ、情報収集の一環という名目なら、咎められることもないだろう。
女将さんは口元を柔らかく緩めた。
「ふふふ、そうだねえ。なれたらそうなるね」
「それいいな」
冒険者について学び、同時にお金も得られる。絶妙な方法だと思い、無意識に言葉が零れた。
しかし、女将さんの表情がふいに引き締まり、笑みが消えた。
「でも、冒険者は危険もいっぱいあるからね。ハンナちゃんにはちょっと無理かもしれないよ」
僕はほんの一瞬だけ思考を巡らせる。
困りごとの中には危険な出来事も含まれるだろう。それを助けるなら危険があってもおかしくない。ただ、僕が「危険」と思うことと彼らが判断する「危険」の間には大きな隔たりがある。この姿ならなおさりだ。
「危険なの?」
女将さんはゆっくりと頭を縦に揺らした。
「そう、魔物とかの相手をすることもあるからね。おばちゃんとしてはハンナちゃんにはそういう危険なことはしないでほしいね」
そう告げながら、彼女の目が僕の小さな手に向けられた。
「魔物……」
顎に手を添えたまま瞳を宙に彷徨わせる。
魔物とはずいぶん大雑把な括りだ。コボルトのような一匹なら取るに足らぬ存在から、ギガントのような大物まで様々。数の多寡によっても脅威は変わる。護仕の中では戦闘が不得手とはいっても、コボルト一匹に遅れをとることはない。だが数が多ければわからないし、ギガントとなれば手に負えない。
「うん、怖い魔物とは戦わないように気をつけるよ」
軽く頷きながら、子供の真っ直ぐさを装い言葉を選び取る。怖い魔物とは戦わないというのは、怖くない魔物とは戦うということ。気をつけるというのも、避けられない状況は含まれていない。
それに冒険者が困りごとを解決する者なら、魔物退治だけが仕事ではないはずだ。僕にできることでお金とやらを手に入れればいい。
女将さんは安堵のため息をこぼし、唇の両端が再び上向きに弧を描いた。
「それがいいよ。ハンナちゃんなら冒険者なんてしなくても商売でもなんでも成功しそうだからね」
その言葉に一瞬瞬きをし、考えを巡らせるように視線を横へと泳がせる。
「商売……っておばちゃんみたいなこと?」
女将さんの背後に整然と並ぶ様々な品物に目を向けた。
最初にここを訪れたとき、物と物を交換しているのかと思っていたけれど、違うらしい。物を求める人に渡して、お金を手に入れる。それが商売というものだ。
僕達のいた時代の人族もそういったことはしていなかったように思う。
「商売の方がよっぽど難しそうだよ。おばちゃんはすごいね」
目を丸く開き、感嘆の言葉を紡いだ。
お世辞とはいえ複雑な仕組みであることは間違いない。
女将さんの頬が少し赤みを帯びた。
「おやおや、そんな褒めたってもう一つはあげられないよ」
冗談めいた言葉に、内心でニヤリとする。おあつらえ向きの反応だ。
「ちぇー、残念。でも、おばちゃんの夏みかんは美味しいのにな」
唇を尖らせ、拗ねたような声色を纏った。わざと肩を落とし、夏みかんへちらりと視線を投げかける。あくまで子供らしく無邪気さを装う。
女将さんは手に持った布巾を小さく丸め、困ったように眉を下げて僕を見た。
「……はぁ……まったく、この子は……」
小さな吐息をこぼしたあと、カゴの中からみかんをもう一つ取り出し、軽やかに僕の手の中に載せた。
「ほれ、もう一つもっていきな。ほんとにこれっきりだからね」
窘めるような言葉でありながら、その実、照れくさそうに目を逸らす。
なんとも分かりやすい。褒められ慣れてないとしか思えない。
「うわあ、ほんとに。ありがとう、お姉さんっ」
僕はみかんを大切そうに胸に抱き寄せる。語尾を跳ねさせて、あざとさを滲ませる。
「ああ、もうだめだめ、これ以上はだめだからね」
女将さんは顔を横に向けるように片手を振り、仕草からは取り乱した様子が見て取れた。耳の縁に薄紅色が広がり、心の揺れが表情を通して漏れ出ている。
お世辞だと感づいているはずなのに、予想以上に動揺している。もう少し押せばもう一つもらえそうだが、僕に任されているのはみかん収集ではなく情報収集だ。
「あはは、ありがとうはほんとだよ」
悪戯を企む子のように目尻を下げ、口端を持ち上げた。
「冒険者ギルド、ちょっと覗いてみるね。もし冒険者になれたら、お姉さんの依頼は無料で引き受けるよ」
立派になった未来を夢見る少年のように胸を張る。あくまで軽い冗談として受け取られるよう。
子供の姿とはいえ意地汚く受け取られれば、次から距離を取られてしまいかねない。今は立ち去り時だ。
女将さんは半ば呆れた表情で、それでいて優しさの溢れる眼差しで僕を見つめた。
「はあ、まったく……末恐ろしい子だよ」
苦笑を含んだ声が店内に広がる。根底から認識は間違っているが、訂正はしない。
「じゃ、行ってくる!」
好奇心に満ちた表情を作り上げ、みかんを腕に抱えたまま教えられた方角へと小走りで向かった。




