策動(10)
~ツィタside~
私は、村の外れにある自分の家の前に佇み、扉の前に立つ人物を静かに観察していた。
この村は大陸とは海で隔てられているため、物資の運搬が難しく、大がかりな建物は建っていない。それでも暮らしは穏やかで、安定している。外敵の影はなく、年中温暖な気候が続く。商人が往来することはないが、適度に雨が降り、塩も海から得られる。自給自足を基本にした質素な生活ではあるが、不足はなく、それなりに満ち足りた日々を送れている。
私の家は集落の中でもわずかに高い場所に位置している。他の家と同じように、地面から五十センチほど高く床を浮かせた木造の平屋だ。入り口には小さな踊り場があり、割り丸太を組んで幅は人一人がやっと立てるくらいの六十センチ、奥行きは四十センチほど。長年の使用で丸太の表面はすり減り、滑らかになっていた。雨水を流すために端には浅く彫られた溝があり、動物性の油が何度も塗られたその木肌は、夕方の光を受けて静かに艶めいている。
そしてその踊り場の奥、厚板を打ちつけて組まれた簡素な扉の前に、数日前にカルン帝国領土から連れてきた皇妃ミディアの姿が浮かび上がっていた。
私はしばしば空中を散策して、行き場のない人々をこの島に連れてくる。
もちろん合意の上だ。
過去は詮索しない。ひょっとしたら、過去悪事を働いたことがある人もいるかもしれない。けれど、この島で罪を犯さない限り、それを問うことはしないと決めている。
今では、そうした人々が集まって、小さな集落が形成されている。住民は百人ほど。
生活は簡素で、道具も限られている。大陸と比べれば、明らかに原始的な暮らしだ。
だが、それでも誰も飢えずに暮らすことはできていた。
元々、こうした集落ができることは想定していなかった。
この島はかつてカルン帝国の版図に含まれてはいた。
ただ、距離の割に島周辺の海流が速く、その上、所々に岩があって座礁しやすい上に、島の大きさもさほどではない無人島ということから、船で来る者はない。
大陸から安定して来るには『飛翔』だけであり、その『飛翔』でも片道二時間はかかる。帝国領に未開の地が他にも多くある状況で、わざわざこの孤島に足を運ぶ者などいなかった。
だから、ずっと無人島だった。
その無人島に私が住み着き、行き場がない人の一時的な避難所としていた、というのが最初のいきさつだ。
それが一時的でなく定住となって、いつしか集落が誕生し現在に至る。
ミディアもそんな一人だ。
というより、連れてきた時は彼女が皇妃だとは知らなかった。着ている服も薄汚れていたため、富裕層の女性かと思っていたのだ。
皇妃が護衛もなく歩いているなんて想定外だったのだ。
それでも彼女が、これまでに私が連れてきた人々と同じように、この島の生活に馴染むのであれば、それで構わなかった。
この島では、過去をいちいち詮索しない。彼女が大陸で皇妃であったとしても、この島ではただの一人の女性。それ以上でも、それ以下でもない。
――だが、彼女はそれを受け入れなかった。
その結果が、この、私の家の前での待ち伏せとなって現れている。
「どうかカルン帝国の復興にお力をお貸しください」
挨拶もなく放たれた言葉には、張り詰めた焦りが滲んでいた。
「その気はありません」
言葉を切る間もなく、はっきりと否定の意を伝えた。
以前から、私は彼女の申し出を何度も断ってきた。曖昧な言い方をすれば、彼女は希望を見出して食らいついてくる。だから、最初から徹頭徹尾、余地を与えない言い方を選んできた。
「お礼ならいくらでも用意します!」
ミディアが一歩踏み出す。肩をすくめ、ため息を漏らした。
王族というのはほんと傲慢だ。
いくらでもお礼をするというが、その「お礼」とやらは、私が復興に協力した国から捻出されるものだ。
私が協力しなければ国が復興しないなら、その取り分の決定権は私にある。そんな単純な論理にも気づかない。
だが、同時にそういう考え方になってしまうのも仕方ないとも思わざるを得ない。
彼女は小国とはいえ、国王の妹として生まれた。王族としての責務を負わされ、政略結婚の道具とされ、やがて帝国の皇妃となった。
常に誰かの上に立ち、命じられ、選ばれ、期待される立場にいた。
――「人の上に立っていない自分」を、彼女はおそらく一度も経験したことがない。
それでも、私は彼女の願いを受け入れるつもりはなかった。
その生きざまに同情はしても、協力はしない。
「その気はありません」
短く繰り返すと、ミディアの表情が崩れ去った。眉が跳ね上がり、目が見開かれる。乱れた金髪の下で肩を震わせ、彼女は踏み出した。赤い瞳に怒りの炎が灯る。
「なぜ! なぜなのですか⁉ カルン帝国が悪だとでも言うのですか」
声が大きくなり、最後はほとんど叫ぶようだった。
内心で深く息を吐く。そんなことは一言も言っていない。恐らくアスラルト国時代に聞かされた話の影響だろう。まるで舞台の上で台詞を吐いているような、不自然さすら漂わせていた。
「いいえ」
短く返すと、ミディアは踊り場の端まで踏み込み、私に向かって身を乗り出した。
「では!」
姿勢を崩さず、口調だけを強めて切り返した。
「悪でも善でも私が国の復興に手を貸すことはありません」
ミディアの肩が震え、噛みつくように反論してくる。
「いったいなにがご不満なのですか⁉」
あえて視線を宙に泳がせ、考えるふりをして一拍置いた。口の端を持ち上げながら言葉を選ぶ。
「んー? あなたのお願いすべて?」
「なっ」
肩をすくめた皮肉に、ミディアは呼吸を止めたように口を開いたまま硬直した。
だけど――ここで手心を加えれば、彼女は絶対に引かない。一度でも情を見せれば、執着されるのは目に見えている。
「私はあなたの邪魔はしませんから、好きに復興したらよいと思います。あなた方皇族の積み重ねたよき行いが国の復興を助けるでしょう」
突き放すような調子で伝えると、ミディアの顔が歪んだ。目を見開いたまま言葉を詰まらせ、怒りとも失望ともとれる感情が露わになっていく。
「~~~っ、やはりあなたは帝国を邪悪と」
「それは被害妄想です」
私は小さく首を振り、切り捨てるように断言した。
「私が最初から言っているはこれだけです。『勝手にすればいい』」
ミディアは唇を噛み、目に涙を浮かべた。震える声で絞り出すように言う。
「……最初だけで、よいのです。私たちが生きている。そのことさえ……誰かに伝えられれば……」
両手が胸元で握りしめられ、わずかに前のめりになった姿勢に懇願の気持ちが滲んでいる。
自覚があるのかないのか分からないが、今度は泣き落としという手段に出たようだ。
私は少し疲れを感じながらも、淡々と応答した。
「それも、自分でおやりください。私はすでに、あなた方を助け、ここまで連れてきました。それで十分だと思いませんか?」
ミディアの口がわずかに開く。
「どうやって……」
かすれた息混じりの声に、縋りつくような視線が絡みついてくる。
ほんの少し哀れと思ってしまったことを自覚して、私は視線を空へと向ける。
ほんのわずかな気の迷いが青い空に吸い込まれていく。
「それを考えるのが、皇族であるあなた方の仕事であり、責務では?」
目を戻してそう伝えると、ミディアはうつむいた。長いまつ毛が影を落とし、唇がかすかに動く。




