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せいじゃものがたり  作者: 瀬山みのり
第1章:導き
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導き(8)


 ~レナside~


 小さい二つの足音が王城の石造りの廊下に響く中、私達は近衛中隊長であるディアスの執務室の前にたどり着きました。

 重厚な木製の扉を前にして、私はイアノと一瞬視線を重ねた後、深呼吸を一つ。

 イアノが軽くノックすると、扉越しにディアスの低い声が響きました。


「どうぞお入りください」

 まるで合図を待っていたかのように、イアノが扉を半分ほど開けたところで、部屋の中に足を踏み入れました。


「これはイアノ殿、どういったご用件でしょうか?」

「レナ様が相談があってお見えです」

 イアノの落ち着いた声に続いて、部屋の中で何かが動く音が聞こえました。


 扉が開け放たれる前に私は小さく喉を動かし、執務室へと一歩を踏み出した。

 執務室はアルスさんの軟禁部屋よりは少し狭い程度でしたが、あの部屋と違って、壁には地図や武具が飾られ、大きな書棚には整然と書類が並んでいました。

 そして大きな執務机を挟んで直立していたディアスは深々と頭を下げました。


「レナ様、イアノ殿。ようこそいらっしゃいました」

 私達の急な訪問にディアスの顔には明らかに戸惑いの色が見えました。

 たしかに何の前触れもなく王女である私が現れたのですから、それも当然かもしれません。


「ディアス、お邪魔しますね。少しお話があって」

 私の言葉に、ディアスは慌てたように、執務室の一角にある応接用と思われる区画を指さしました。

 そこには腰の高さほどの重厚な木製テーブルと1人掛けの椅子が四つありました。


「急な来訪で何もご用意できませんが...どうぞ、おかけください」

 彼に促されるまま私が椅子に腰掛けると、イアノが影のように私の右斜め後ろに立ちます。

 それを確認したディアスもまた、テーブルを挟んで私の真向いに座り、私に顔を向けました。


「このような突然の訪問、いかなる御用でしょうか」

 ディアスの声には、好奇と警戒の色が混ざっているように聞こえました。

 この様子であれば王女直々の話を無下にはしないでしょう。

 この前のディアスは虫の居所が悪くて少々粗暴でしたが、今日は大丈夫そうな予感がしてきました。


「反対です!」

 そう思って事情を説明をしたのですが、立ち上がったディアスの口から出たのは強い反対でした。

 ディアスの声が部屋に響き渡り、その強い口調に私は思わず両肘を抱えました。

 アルスさんはきっとこれをずっと浴びせられていたのですね……。

 私に非があるわけではないですが、申し訳ない気持ちが湧いてくると同時に、数分前の目利きの拙さに私は力なく項垂れました。

 私を見下ろすディアスの顔には不満がありありと浮かんでいます。


「ディアス様、レナ様に向かって大声をあげるとはどういう了見ですか」

 イアノがディアスを厳しさの滲む声でたしなめました。

 その厳しい注意に、部屋の空気が一瞬凍りついたように感じ、私は思わず息を呑みました。


「し、失礼しました」

 ディアスも自分が不必要に大声をあげたことに気づいたのでしょう。

 彼は慌てて頭を下げました。

 その姿を見て、私は少し安堵しつつも、まだ緊張が解けません。


「この部屋は狭いので、大きな声をあげなくても十分聞こえます。そこをよく理解した上で発言してください」

 イアノが一段低い声でディアスに注意し、その声音に、私は思わず背筋が伸ばしました。

 イアノは普段温厚なのですけど、怒らせるとほんとに怖いんですよね……。

 その思いが頭をよぎり、私は少し身震いしました。


「大丈夫ですか、レナ様?」

 イアノが私を気遣って声をかけてくれましたが、今の身震いはイアノに恐怖を感じてとはさすがに言うわけにもいかず、私は無言で頭を縦に振りました。


「申し訳ありません。急なことで『静寂』が間に合いませんでした」

 振り返ると、イアノが少し前かがみになり、右手を胸元に当てていました。その目には明らかな後悔の色が浮かんでいます。

 取調室の時とは違い、ディアスの急な行動だったので仕方ありません。

 少しでも『静寂』の行使が早ければ私の声を遮ることになった以上、イアノに瑕疵はありません。

 イアノの声は、普段よりも低く控えめでした。


「承知しました」

 一方、ディアスも反省したらしく、再び椅子に腰を据えました。。

 その話を聞く姿勢を見ると、さっきと違って今度は反対しないのではないかと希望が芽生え、私は再度同じことを伝えることにしました。


「さきほど言いましたが、もう一度言いますね。アルスさんを目の届く範囲においておくために、暫定でもいいので近衛小隊長待遇にしたいのです」

 私は提案が受け入れられることを祈りながら、ディアスの反応を注視しました。


「反対です」

 希望に反して、にべもなく断られました。

 国政に直接参加できているわけではないので、お願いという形をとるしかないのがもどかしいです。自分の立場の限界を感じ、少し歯がゆさを覚えます。

 国王である父上に話をするにはさすがに大げさですし。

 そう思うと、私の立場の難しさを改めて実感します。


「情報が漏れるのが心配ですか? そんなの処刑してしまえばいいのです」

「……」。

 ディアスの冷たい言葉に、私は思わず息を呑みました。イアノの反応が気になり、軽く肩越しに振り返りました。

 イアノの目にも驚きと戸惑いが浮かんでいるのが見て取れ、私と目が合うと小さく頷いてみせました。

 その仕草に、私は自分の考えがおかしくないと確信しました。

 たしかに情報が漏れないようにという一点を見れば、ディアスの対応がもっとも確実です。

 ただ、おそらくアルスさんは少なくともこの国に対して何の罪も犯していないのです。いえ、彼にとっては不本意であろう城内の不法侵入は一応罪状と言えるでしょうか。それを除けば罪状はなく、むしろ、ディアスの粗相の被害者とさえ言えます。

 それをいきなり処刑とは、ひとでなしの誹りは免れないでしょう。

 とはいえ、おそらくディアスはそんな誹りをなんとも思わないのでしょう。彼の頑なな態度を見ていると、そう感じざるを得ません。

 私は視線をディアスに戻したものの、どう説得すればいいのかまるで見当もつかず、途方に暮れました。


「発言お許しいただけますでしょうか、レナ様」

 私が手立ての見通しが立たないまま無言になっているところに、背後にいるイアノから救いの声が降り注ぎました。


「どうぞ」

 私の許可を得て、イアノの気配が少し変わるのを感じました。おそらく姿勢を正し、発言の準備をしたのでしょう。


「ディアス様、一応念のため確認しますが」

 イアノは、控えめながらも明確な声で、ディアスに向けて話し始めました。

 それを受けてディアスは僅かに眉を上げ、イアノに視線を向けました。


「なんでしょうか?」

「ご自身の粗末な取り調べの結果、情報を渡してしまった過失をうやむやにするという意図はないのですね?」

 イアノの鋭い質問に、直接問い詰められていないにも関わらず、私は思わず息を呑みました。


「!」

 そしてその質問の対象となったディアスには明らかに動揺してるのがわかります。彼の顔から一瞬血の気が引き、視線が落ち着かなくなったのが私にもわかりました。

 ディアスにその意図があったか、その意図はなかったもののそう取られる発言だったことに今気づいたのかはわかりませんが、ディアスはその場で押し黙りました。

 そんなディアスにさらにイアノが畳みかけます。イアノの声には冷静さと鋭さが混ざっており、その迫力に私も圧倒されそうになります。


「ええ、私はディアス様がそんな陰湿なことを企んでいたなんて思いませんよ? ですが、あなた様が『王家の杖』紛失に関する取り調べをしていたことは城内で知られていますし、城内の不法侵入で軟禁のあげくに処刑すれば何か後ろ暗いことがあると思われても不思議はないのではないでしょうか」

 イアノの追及は思わず身を縮めたくなるような鋭さがあります。私は内心でイアノの手腕に頼もしさと同時に少し恐れも感じました。

 イアノは私の侍女を勤めてくれていますが、立ち位置としてはこの国の後継者たる私の教育係であり、そうなる前は姉様の教育係をしていたという、王族と親密な一人。

 それどころか、ことと次第では陛下に単独で奏上することさえできます。それはただ親密だというだけではなく、その能力を買われているからに他なりません。

 そんなイアノの詰問の対象にはなりたくないですね。

 そして今その立場になっているディアスに私は少し同情しました。

 同時に、イアノの力強さに心強さも感じます。イアノがいてくれるおかげで、私はここまで来られたのだと実感します。


「そ、それは……ですが、これは私の名誉の話ではありません。近衛隊は王家を守る盾であり、そんな素性の知れない者を……」

 ディアスの声には、焦りと怒りが混ざっています。

 その声を聞きながら、私は複雑な思いに駆られます。ディアスの忠誠心は理解できますが、その頑なさが今は障害になっているように思えます。

 イアノが本気になった以上、もう私にできることはないと、私は成り行きを静観することにしました。


「え? あなた様も入隊時は平民だった気がしますが?」

 イアノ、容赦ないですね……。

 イアノの言葉の一つ一つが、まるで剣のようにディアスに突き刺さっていくのを感じます。

 緊迫していく雰囲気に、私は指先が冷たくなる思いをしました。


「そ、そういうことではありません。私は入隊前から国に対する忠誠を捧げるつもりで……」

 色々な感情が渦巻いているのか、ディアスの声が震えているのが分かります。


「たしかに近衛隊入隊時は宣誓しますね」

「その通りです!」

 イアノの同意する言葉に、ディアスが勝ち誇ったような表情で声を発しました。

 そのディアスの反応に、私は思わず苦笑を抑えました。

 イアノの巧妙な言葉に乗せられていく様は、まるで昔の自分を見ているようでした。

 イアノはこう、持ち上げて落とすのですよね……。


「では、アルスさんが宣誓すればよいということですね?」

 イアノの提案に、私は思わず顔を上げます。これは良い案かもしれない、そう思った矢先—

「そんな口先だけの宣誓など信じられますか!」

 ディアスは顔を赤らめ、声を荒げて不信感も露に反論し、私は再び肩を落としました。

 たしかにアルスさんがこの城に来てからの経緯を考えて、忠誠を誓われてもどこか嘘くさく感じそうには思えます。

 思えますが、この際、そこはどうでもいいのです。

 私はアルスさんに忠誠を誓ってほしいと思っているわけではなく、当面見張りをつけたいだけなのですから。

 そう口を開こうとした私より先に、イアノがさらに辛辣な言葉を紡ぎました。


「たしかにそれはありますね。過失をうやむやにする意図がないかどうかも口先ではわかりませんし」

「うぐ……」

 その舌鋒の鋭さに、私は思わず息を呑み、ディアスは再び言葉に詰まりました。

 部屋の空気が一瞬凍りついたように感じます。

 体は一切傷ついていないのに、ディアスの顔色は生気を失ったかのように蒼白になっていました。


「まぁまぁ、あまり恐い顔をしないでください、ディアス様」

 私から顔は見えませんが、イアノは確実に今、微笑みを浮かべているでしょう。

 顔つきだけ見ればディアスの方が猛々しい顔立ちなのに、にこやかに言葉だけで相手の痛いところをついていくことで溢れる圧倒的強者感。

 私が後ろを振り向かないのは、その笑顔を見てしまえば、以後彼女の温和な表情にさえ戦慄を覚えてしまうかもしれないからかもしれません。


「私は別にディアス様の意見を無視するつもりはないのですよ。たしかに処刑してしまえば死人に口なし、情報が漏れる心配もありませんね。そして近衛隊において正当な理由なく宣誓を破れば、それは処刑されてもやむをえない理由でしょうね」

「……」

 しばらくディアスは押し黙りました。

 おそらく折り合いがつけられそうな点を考えているのでしょう。


「……イアノ殿のおっしゃることはわかりました。しかし、近衛隊に入るには実力は必要です。何の実力もなければ隊員は不満でしょう」

 ディアスの言葉に、少し希望が見えてきました。完全な拒絶ではなく、条件を提示してきたのですから。

 この流れに乗って、何とか合意に達することはできないでしょうか。

 きっとイアノのことだからそう考えているでしょう。

 私は石像のように身じろぎ一つせずイアノの反応を待つことにしました。


「なるほど、それはそうでしょうね。でも、それは入隊試験でクリアされるのでは?」

「小隊長ともなれば入隊試験というわけにはいきません」

 イアノは私の意を汲んでアルスさんにとっての障壁が高くなりすぎないように水を向けましたが、さすがにディアスもそれはわかるのでしょう。

 そのまま素通しはしてくれないようです。


「では、どうしたらよいのでしょうか?」

「近衛隊と手合わせをして実力を見せてもらいましょう」

 ディアスが条件を提示してきました。

 これまでの話の流れから考えるとディアスにほかの提案をしても受け入れられるとは思えません。


「レナ様、いかがでしょうか?」

 イアノも同じように考えたらしく、私に確認してきました。

 アルスさんの実力はわかりませんが、これは試練の一つとして受けてもらうしかなさそうです。

 私は背筋を伸ばし、毅然とした態度で言いました。


「わかりました。では、近衛隊と手合わせして実力を見せるということにしましょう。それでいいのですよね、ディアス?」

「はい、問題ありません」

 同意されると思っていなかったのか、ディアスは私の顔を見て小さく瞬きをした後、頭を下げて答えました。


「そうですか。詳細な段取りについては、後ほどイアノを通じて連絡します」

「かしこまりました、レナ様」

 私はディアスの言葉を受けて、椅子からゆっくりと立ち上がりました。

 イアノが素早く私の椅子を引いたのを察し、私は優雅に踵を返して、イアノと共に静かに部屋を後にしました。

 アルスさんの運命はこの手合わせの結果に委ねられることになったのでした。


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